そよかぜ日記

山への思いや毎日のちょっとした出来事を書き記します

人物画は疲れるね

2010年08月31日 | 水彩画
人物画の最終回。
明日モデルのMちゃんは大学に戻るので、しばしお別れ。

多くの方が大作に取り組み、見事な作品を描きあげていた。
それはどれも絵画と言える作品だ。

しかし、ハーフのMちゃんはとっても美しいので、その美しさを表現するのは難しい。
普通の日本人の顔立ちとは違い、それぞれのパーツに特徴がある。

それを描いていくと、お人形のように見えるのだ。
それは作りすぎ、と思えるくらいの絵になってしまう。

そう、普通に考える女性の顔としたらかなり違っているので、
なんだか現実味に欠けてしまう。

それを上手く表現したかったのだけど・・・
やっぱりだめだねえ・・・

あれやこれや手を入れているうちに、だんだんきつい表情になってしまった。
う~ん これを何とか柔らかくしなければ・・・

幸せを結び合わせて

2010年08月30日 | Weblog
おとといだったか何かで、世界中が平和だったとしても幸せとは限らない と言う言葉をみた。
それが妙に気にかかり、どこに書いてあったのか見つけたけど、見つからない。

たぶん、誰だったか忘れたけど有名な人の言葉だった。

不思議な気がした。
戦争がない平和な世界だったら、幸せに違いないと思っていたから。
でも、良く考えたら戦争がないからといって、満ち足りた気持ちになるかといったらそじゃない。

といって、戦争に賛成とか、平和を願うのが虚しいと言ってるのじゃない。
完全な幸福はないのかもしれないと思ったのだ。

一瞬一瞬は幸せなことがたくさんある。
でも次の瞬間、落ち込む事だってたくさんある。

家族が病気や事故にあったりするかもしれず、
自分自身もそうなるかもしれない。

そう思うと、幸せと思うことは虚しいような気もしてくる。
でも、だからこそ、その瞬間の幸せがかけがえのないものなのかもしれない。

きっとそうなんだな。
幸せの点と幸せの点を結び合わせて、前向きに生きているんだから。

私は反対

2010年08月28日 | 徒然
死刑執行にTVで報道されていた。
今まで死刑について何も知らなかったので、執行室の状況などに驚いた。

千葉法相は「死刑のあり方に関して国民的な議論を起こしたい」として公開したようだ。
死刑執行を認める国の国民として、刑場を見るのは義務かもしれない。

世界中で死刑を執行している国には 58カ国
していない国は 139カ国

日本で死刑に賛成86%

私が話しの中で聞いたのでも、死刑はあたりまえという意見が多かった。
それに私は驚いた。

私自身も含め、身内にもむごいことをされた人はいない。
だから言えるのかもしれないけど、私は死刑には反対だ。

命はいただいたもの。
それを人間の判断で奪って良いはずが無い。

と言うのが、私の明瞭な意見だ。

親や子を殺された人の悔しさや恨みははかりしれないけど、
相手を死刑にしたからといって、その辛さが報われるとは思えない。

死刑になって安堵しました。これで報われます。

報道で遺族が口にする言葉だけど、そうなのかなあ。
死刑は違う形での殺人のように思えるのだけど。

死刑を願った人が、執行の場に立ち会ったり、
執行する人の苦悩を考えたりしてもやっぱり願うのかな。

このことに関して議論するつもりはない。
でもやっぱり自分の意見を書きたかった。

お元気で

2010年08月27日 | 徒然
伯父たちの接待に追われた3日間が過ぎた。

いつもはずっと寝ているという伯父だが、こちらに来てからはそういう場面はなかった。
やっぱり気が張っていたのかもしれない。

85歳になるので、本人はこれが最後と言っていた。
もしかしたら、生きて会うのはこれが最後になるかもしれない。
と、お互いに思っていたのかもね。

伯父は何度も長崎に来ているので珍しい所はないのだけど、
後の3人はお初なので、あちこちと巡った。

長崎の不思議な文化をちょっとだけ垣間見て喜んでいた。
それにやっぱり食べ物が美味しいとさかんに言っていた。

私は海のそばの育ちで、朝ごはんにお刺身が出るような生活をしていたので、
魚がそんなに美味しいとは思わないけど、あちらでは珍しいらしく、
伊勢海老やミズイカのお刺身は大喜び。
それにちゃんぽん・皿うどん・角煮まん・カステラもとっても喜んでくれた。

大喜びしてくれるので、こちらもますます力が入る。
それで大判振る舞い。笑

その伯父一家も今朝阿蘇に向かって出発した。

今度はいつ会えるかな。
いや再会を期待するよりも、その時その時を大事にしなければならない年代になってきたな。

遠路はるばるおいでくださってありがとうございました。
貴重な一時でした。

そよかぜ

2010年08月25日 | 徒然
伯父一家がやってきた。
その接待で我が家は大忙し。

それぞれに分担はしているのだけど、他の人はみな仕事で忙しいので、
どうしてもこちらにお鉢が回ってくる。

あれもこれもそれも!
もう~ 自分たちで判断してよ~。
お互いの連絡は私を仲介しないで各自すること!

しかし、精一杯のおもてなしをしたいのは同じ気持ち。
心地よく過ごしていただきたいなあ。

ということで、この二日間はてんてこ舞いです。

お絵かきと絵画の境目

2010年08月24日 | 水彩画
人物画の3回目。

合間を見て描き入れた背景は、水辺もありちょっと大変だった。
それでもなんとか背景らしくして教室に持て行った。

先輩方もみなさん背景を描きいれている。
特に男性は力が入っている模様。

ある人から、次の教室の時までに家で描くのか と聞かれた。
男性はほとんどの人が家でも描いていて、2枚目3枚目という人もいる。

しかし、女性はなかなか家で描くということはできない。
特に夫が定年後で家にいる場合、ほとんど不可能のようだ。

女性に対する目は厳しい。
家のことをほっといて絵を描くなんてことは許されないようだ。

また、描き始めてやっと集中してきたら、お昼ご飯とか、
洗濯物を干さなくちゃとか、お買い物にいかなくちゃとか・・・

男性の場合、精神的にもあまりプレッシャーはないようだ。
中座する用事もないし・・・

さあてっと、ということで続きを描くことにしたが、
ふと周りの絵を見ると、その絵は重厚感がただよう。
絵に重みがあるのだ。

それは使っている絵の具が違っているのも原因の一つ。
でもそれだけではない。

私の絵を見ると、お絵かきの域を脱してないのがわかる。
絵画になっていないのだ。

それでも、今の所絵の具を変えるつもりはない。
透明水彩で行こうと思っている。
なぜならその透明感のある、軽い色調が好きだから。

多分これではいつまでたっても、先輩方のように公募展に出せるような作品は描けないだろう。
だけどしばらくは、透明水彩のよさを生かした作品を描いていたい。

アチッチはいつまで

2010年08月23日 | Weblog
秋来ぬと
  目にはさやかに見えねども
     風の音にぞ驚かれぬる

アチチの毎日ではあるが、ふと吹く風が冷たく感じる。
そんな小さな秋を感じる季節になってきた。

せみの声が小さくなってきた。
桜の葉が茶色になって落ちている。
空の青が水色になってきた。
山では秋の花が混じり始めた。
まだ寝苦しい夜だけど、朝は涼しい風が吹く。

でもでも・・・ 昼間はやっぱりアチチだね。

早く涼しくなれと願いながら、今年ももう終わりの方がずっと近くなってきたと思うと、
時の流れの速さに驚く。

風の冷たさよりも、その速さの方に驚かれぬる だなあ。

けっこう飲みました

2010年08月22日 | 登山
昨日も本日もアチッチの登山だった。
それはそれは暑い一日。

普通に考えたら、こんな日に外で歩き回るなんて正気のさたではない。
のではありますが・・・ そこは病気ゆえ・・・

夏の登山の場合、例外なく登山中の後半から頭がズキズキガンガン痛み出していた。
これは水分の摂り方が少ないからだ。

だいたい日常でも水分接種が少ない方だ。
その延長線で、山でも飲み方が少ない。

でもこれは改善しなければ、かなり辛いことになる。
それで、意識してたっぷり飲むように心がけている。

本日の場合2Lの飲み物を持参。
内容は、いづれも冷たくしたもので、お茶・麦茶・ポカリ・オレンジジュース。

ポカリはいいのだけど、これだけを飲み続けるのはかなり辛い。
時にはお茶のような苦味のある物を飲みたくなる。

しかし冷たいお茶を飲み続けると、胃が痛くなる。
それで麦茶も用意している。

オレンジジュースは食欲が無い時でも、入りやすい。
私は なっちゃん を凍らせている。

と言うふうに工夫している。
それで頭痛はというと・・・ ない!のです。

作戦は今の所成功!

愚痴

2010年08月21日 | 徒然
昨日はついつい愚痴を書いてしまった。
心配させてごめんねえ。

もともと、そういうことをするのはいやじゃないし、負担に感じない方かもしれない。
それに、まあまあ手抜かりなく出来るほうかもしれない。

ではなぜ書いちゃったんだろう・・・

やっぱり分かって欲しかったからかな。
やってみないとその人の苦労は分からないってことかな。

それは私がやっていることだけではなく、
他の人がやってくれていることでも同じなんだけどね。

いつもやっているから大丈夫 とか、
好きなんだから任せとけばいい とか、
私も思うときがある。

結果だけ見ると何でもないことであっても、
そこに行くまでに多くの苦労があったことは、想像できないものだ。

点の記を見たときに、三角点を立てるのにあんなに苦労したことを初めて知った。
それまで三角点を何度も何度も見てきているのに、
それを立てた人の苦労を慮ることはできなかった。

結果としての三角点は何のこともないだたの石の標柱だ。
その石から、人の働きを想像するのは難しい。

もし一つでも三角点を立てたことがあったなら、
その苦労は容易に想像できるだろう。

やったことがある人の感謝と、
口だけの感謝はおのずから違うと思う。

お~ 今日も愚痴になちゃったか。
とにかく、一つの結果を導くためには多くの無駄足が伴うってことを理解しなければ、
本当の感謝は出来ないんだろうなあ。

なんでもないことだけど

2010年08月20日 | 登山
特に山登りの時に限られたことではないけれど、
ちょっとした用事を頼まれると、けっこう負担になる時もある。
それは些細なことなんだけど・・・

例えば、地図を用意してと頼まれる。
カシミールなんかで取り出すわけだけど、
いつも使っている3Dのではなくて、地形図の方がいいかなあとか、
やってみると上手く行かなかったり・・・

プリントアウトしたものはそのままでは濡れに弱いから、
コピーしたほうがいいだろうとコンビニに出かけたり。

カラーコピーは高いから、白黒でコピーしてルートをいれたりする。
人数が増えると、再度コピーに行ったり、減ると余分な地図が出てきたり。

コーヒーと言われると、ヤカンやガスを準備する。
時にはコーヒーパックも無い時があり、買出しに行く。

食器と言われると、収納している所から出して洗って準備する。
車をと言われると、ガソリンを入れに行く。

食料係と言われると、メニューを考えたり、買出しに行ったり。
それもだいたい一回ではすまない。
何度かお店に足を運ぶ。

家では洗って、切って、すぐに調理できるように準備する。
調味料や道具も抜かりの無いように用意しなければならない。
これまた次から次にしなければならないことが出てくる。

帰ってからも一仕事で、これらを洗って元の所にもどさなければならない。
ごみは分別して捨てなければならない。

そして、かかった費用を請求する時には、恐る恐るだ。
キャベツが必要でも半分しか使わないときもあるし、
調味料にいたっては自前を供出しているわけで、どう計算していいかわからない。

当たり前と言えば当たり前なんだけど、
毎回になって、自分の用事ややりたいことが重なると、フーッとため息が出ることがある。

そんなことしなければならないなら山にはいかん。
とあっさり言う山友もいるけど、してもらうのは良くてやるのはいやと言うものなんだかねえ。

今度はするから。
って言ってくれるような人はいないかなあ・・・