そよかぜ日記

山への思いや毎日のちょっとした出来事を書き記します

知らなかった 沈んだ横島のこと

2014年11月30日 | 徒然
先日軍艦島クルーズに出かけた時のこと、
ガイドの方が小さな突起にしか見えない岩礁について話しをされた。

そこには700人もの人が住んでいて、
小学校もあったという。

えっ! あそこに?


信じられない。
そして、長崎に住んでいながらその事実を知らなかったことにも。

それで、帰ってからそのことについて調べてみた。
その島の名前は横島

明治17年の「西彼杵(にしそのぎ)郡村誌」によると、
     「横島は、東西330m、南北61mで、人家・耕地なし。松樹疎立す」とある。

明治27年 三菱合資会社が、炭鉱開発の着手をした。

明治31年 出炭開始

明治32年 町内でも最も早く横島に電気がつき、夢の島と言われた。
     最盛期で人口130戸700人
     島内には、社宅・病院・私立尋常小学校もあった。

明治33年 の写真


明治35年 12万tを出炭したところで、盤ぶくれ(強大な地圧により、坑道が下面から押し潰されること)に遭い、
     それ以降の操業を断念し、閉山
     周囲にめぐらしてあった石垣は取り外され、軍艦島などに運ばれた。
     その為、埋め立てた土砂は流出し、岩礁に戻った。

昭和33年 の写真


昭和40年頃、山頂の西側の岩礁が徐々に海中に没し、山頂も傾斜して少し沈下、
      山頂より東側も一部が水没して今日のよに2つの岩礁の横島になった。


と、なんとも衝撃的な事実がわかった。
昭和40年頃といえば、小学生のころだったから、何かしら記憶に残っていてもいいのに…
無人島になって久しい島は話題にも上らなかったのだろうか。

たった4年しか操業しなかったのに、島一つを海中に引き込んでしまうほどの強大な力が地圧にはあるのだろう。
今でも、ダイバーが付近の海に潜ると、当時の石垣の一部が残っているのを確認できるそうだ。

失われた大陸 ムー とか話には聞くけど、
身近な所にこんな歴史があったとはね。

軍艦島にも感慨を深めたけど、この事実は衝撃だったなあ。


お見事~!

2014年11月29日 | 徒然

変なみかん。
って思うでしょう。

実はこれは和菓子なんだよね~
ぶらりと入った和菓子屋さんで見て、あまりの作りの見事さに買ってしまった。
中のワタも皮の裏の白い所もちゃんとね。

小さな和菓子にこれだけのこだわりをもって作っているんだなあ。
少し皮をむいた状態にしてあるのもにくいね。

お見事ですね。 って言ったら、
ただただ根気のいる仕事です。
だって。

食べたらほのかにみかんの味がした。
もちろん抹茶と一緒にいただいた。

しかし、一個とは買いにくいもので、四個も買ってしまった。

ジーザースクライスト・スパースター

2014年11月28日 | 庭の花
この有名な劇団四季によるミュージカルが長崎にやってくる。
ず~っと前から、チケットを購入して、楽しみにしていた。

そして本日がその公演日だった。

台詞はみんな歌~
ミュージカルだもんね。

みんな歌の場合往々にして、 
さっさと話しを進めて!
と心の中で思ったりするけど、そういうことは一度もなかった。

キリストの最後の七日間を題材にしているのだけど、
その解釈はいろいろあるだろうし、だれにスポットをあてるかによっても違ってくるだろう。
この場合、裏切り者のユダ にスポットを当てているようだ。

それで、私としては解釈には意義あり なんだけど、
ミュージカルとしては素晴らしいと思った。

圧倒的な声量。
コーラスの素晴らしさ。
一人一人が素晴らしい。

歌声に酔いしれた夜となった。

帰り道口からでるのはもちろん、
♪~ ジーザースクライスト スパースター ~♪

軍艦島

2014年11月27日 | 徒然
山友さんがたと端島(軍艦島)に行ってきた。

今や産業革命遺産として世界遺産候補になっている端島は、
注目を浴び、クルーズもあり、上陸できるようになった。

今や廃墟となった軍艦島だが、
私にとっては光の塊という思い出がある。

幼かった頃、夜にドライブすると海の向こうにきらめく明かりが見えた。
それは高島であり、端島であった。

とりわけ端島は光の塊で、
子ども心にはおとぎの国のように見えたものだ。

私の住んでいた町からは端島への定期船も出ており、
通勤や物品の販売の人で賑わっていたようだ。

たぶん、端島の石炭だろうと思うが、
貯炭場にはたくさんの石炭が置いてあった。
それは黒いダイヤと言う と大人たちから教わった。

端島に関した仕事をしている人もたくさんいて、
同級生の父親は端島の桟橋の設計をやっていた。
外洋の波に洗われる桟橋は、度々壊れ大変だったようだ。

また、端島の人は気前がいい とも言っていた。
聞いた話によると、住居費・電気・水道など無料で、
お給料がいいから、買うときには大買するのだとか。

ここは端島の人のためのダムと聞いた貯水池もあった。
それは海底パイプで端島まで送っているのだと。

そんなこんなで、端島は案外身近な存在だった。

端島の明かりが消えて、ただの黒い塊となり、
夜のドライブの楽しみは半減した。

今回その廃墟に上陸して、同級生も住んでいたアパートを見た。
ただただ壊れゆく端島。

寒々とした廃墟。
かって繁栄し、人々であふれ、活気に満ちていたコンクリートの島。

ガイドの人は、言われた、
軍艦島はどこに向かうのでしょう?
軍艦島は人類の未来の姿となるのでしょうか。
と。




人物画の二回目

2014年11月25日 | 水彩画
人物画の二回目。
デッサンがやっと終わって、今日から色を置いていく。

今回のモデルさんは、今までのモデルさんとはちょっと違う。
独特の雰囲気を持ち、独特のメイクや服装をしている。

好き嫌いはともかくとして、描きたいと思わせるものがある。
そして、今までにない描き方をしたとも思う。

イメージはあるのだけど、それを具体的にできないでいるけど、
なんとかバックも入れていかなければならない。

これからが大事な所、どうしていくかなあ~

庭に咲いている花 葉牡丹
花ではないけど、色彩の乏しくなった庭で存在感がある。

玉ねぎを植えた

2014年11月22日 | 徒然
どうにかこうにかピーナッツの収穫が終わり、スペースができた畑。
そこには玉ねぎを植えることにした。

玉ねぎは3度目かな?
私的には育てやすい野菜だと思う。

マルチにして、その穴の中に差し込むように苗を植えていく。
100ぐらいあっという間に植えることができる。

そして、後は大きく育つのを待つだけ。
マルチをするので、雑草も生えないしねえ。

100個も採れると、食べるもの大変。
でも吊るしておけばけっこう長持ちする。

とはいえ収穫は来年の春。
まだまだ先の話しだね。

昨日買ったシクラメン。
きれいだね~

シクラメンの香り

2014年11月21日 | 徒然
真綿色したシクラメンほど清しいものはない~

お~ 青春の一ページ。

毎年出かけている園芸屋さんから案内が来た。
シクラメンの出荷をする前に即売してくれるのだ。

高価なシクラメンは買えないけど、一鉢のシクラメンが冬中我が家の窓辺を彩っている。
丁寧に花柄さえとり続ければ、5月ぐらいまで咲くこともある。

今年も一鉢買に行こう。
と、母と叔母も誘って一緒に出かけることにした。

二人にはそのシクラメンの温室を見せたかったのだ。
きっとびっくりすること請け合い。

私は毎年出かけて毎年感激するのだから。

さて~、今年の温室もお見事~
素晴らしい彩り。

一鉢一鉢微妙に違う。
どれにしようかな…

広い広い温室内をうろうろ歩き回る。
そして、自分のお気に入りの鉢を買い求める。

毎年、違う色の花を買っているのだけど、今年は~
白に薄く紅がはいったものにした。

長く咲いてね。


ちょっと寄り道

2014年11月20日 | 徒然
美術館の帰りにちょっと寄り道。
そこは、わりと近くなんだけど、知らなかったところ。

実は、今回のモデルさんのお店~

このモデルさん、個性的な方で、
服装もメイクも今までにない方。

それで教室のみなさんは驚きながらも、描く気が出てきたよう。
こんないでたちの方を描いたことがないからだ。

そのファッションやアクセサリーもなんとも魅力的。
で、いろいろお話をしていたら、リサイクルのお店を経営していることがわかった。

そうなんだね~
じゃあ、ちょっと寄ってみます。
と、約束をしてたのだ。

こういうお店に立ち寄ったことはないから、興味津々。
グルグル見せていただいた。

お客さんもいたのだけど、この方も個性的なメイク。
類は類を呼ぶのか~

絵をしてなかったら、きっと出会わなかった方だろうなあ。
面白かったよ~


先日母と言った御船山。
きれいだったよ~

具雑煮

2014年11月19日 | 徒然
島原には 具雑煮 という食べ物がある。
それは文字通りで、具がたくさん入っているお雑煮のこと。

これはなかなか美味しい~
具の種類は、
かまぼこ数種類 ちくわ アナゴ 卵焼き 白菜 春菊 鶏肉 ごぼう しいたけ えのき 高野豆腐など。
たぶんこれはお店によって違うと思うけど。

本日久しぶりに、島原の人気のお店で具雑煮をいただいた。
おいしかったな~

しかあし、昔よりお餅はずっと小ぶりになり、具も減ったような気がした。
それだけではお腹いっぱいにはならないかもね~

ともあれ、これからはこういう暖かい食べ物が美味しい季節。
楽しみも増えるね~

作り手をしては、ありがたいのではありますが・・・
だって、作りながら食べられるからね~



新聞から 今日 と言う詞

2014年11月18日 | 徒然
今日の新聞に書いてあった詞。
私は全然知らなかったけど、各国に広まった詞とか。

ニュージーランドの子育て支援施設に張ってあった古びたA4の紙に書いてあった。
それを書き写した日本人が、伊藤比呂美さんに翻訳を頼んだ。

翻訳された日本語版はネットを通して全国の母親たちに広がった。
そしてこれは絵本になったようだ。

きっと子育てをしたことのある女性にしかわからない思いを、
この詞は伝えている。


Today

Today I left some dishes dirty.
The bed got made about two-thirty.
The nappies soaked a little longer.
The odour got a little stronger.
The crumbs I spilt the day before
Were staring at me from the floor.
The art streaks on those window panes
Will still be there next time it rains.
For shame,oh lazy one you say
And "just what did you do today?".

I nursed a baby while she slept.
I held a toddler while he wept.
I played a game of hide'n'seek.
I squeezed a toy so it would squeak,
I pushed a swing,I sang a song,
I taught a child what's right and wrong.

What did I do this whole day though?
Not much that shows,I guess it's true.
Unless you think that what I've done
Might be important to someone
With bright blue eyes-soft blond hair,
If that is true,I've done my share.


今日 (伊藤比呂美訳)

今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつは だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが 床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだとおもう

人に見られたら なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしてたの? とか

わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした。
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた

ほんとにいったい一日何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?

今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって。

そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ。