そよかぜ日記

山への思いや毎日のちょっとした出来事を書き記します

大変でござる

2012年08月31日 | 徒然
知人はお子さんが3人。

一人は東京の大学に行ったばかり。
少なくてもあと4年はかかる。

もう一人は、外国の大学で勉強中。
残り3年。

あとの一人は韓国の大学に留学中。
残り1年。

これはなんと申しましょうか・・・
想像するだけで首が締まってくるというもの。

大変ですねえ・・・
と言うと、銀行がねえ だって。笑

そうだよねえ。

私もしっかり親のすねをかじって勉強させてもらった身分ゆえ、
大きな口はきけないけどねえ・・・

身を削る思いで子どものために働いているのだろうな。

でも、それは親の喜びでもあるわけで・・・
だったよね。

そして、子どもは知らない、その時の親の苦労を。
私もね。

学生の頃、親に偉そうな口をきいていた愚か者でありました。


散歩だけでは難しい

2012年08月30日 | 徒然
一日10000歩歩くのが健康に良いと言われているけど、
家事をしているだけでは3000歩ぐらいしか歩かない。

わんこの散歩をしても5000~6000歩。
本日は気合を入れて散歩したのに、8000歩。

やっぱりかなり意識して歩かないと10000歩にはならないな。
山を歩くと10000歩は毎回だけどねえ。

お天気がイマイチなので、動く範囲が限られてしまう。
晴れろ~!!

って、明日は実家の日ではありませんか。
ということは、また8000歩ぐらいで終了かな。

なんとかせねばなりませんよ、これは。

歴史もの

2012年08月29日 | 徒然
近頃は歴史を紐解くような番組がいくつかある。
それを見るのが楽しみだ。

学校で習ったはずの出来事ばかりなんだけど、
あらためてみると、そうだったんだぁ~ と思うことばかり。

そして感じるなあ・・・
偉大に見える人も、ある部分は凡人と変わらないってこと。

いろいろな悩みや、弱さを持って生きている。
その中で、ほんの小さなきっかけや、流れや、煌めきで、
時の人となってきたような気がする。

もちろんその人の持っている能力は人並み外れていたとは思うけどね。

今夜も NHKの歴史秘話ヒストリア 地獄を見たプリンセス 見る。
建礼門院徳子の話のようだ。

楽しみだなあ。

旅の思い出

2012年08月28日 | 水彩画
同じモチーフで描くこと3回。
ようやく完成した。

これを絵にするのはかなり苦戦した。
まず、描く対象を絞り切れなかったことが一番かな。

カメラとカメラバックに絞ればよかったのかもしれないけど、
大きな紙に描いたので、それだけではちょっと寂しすぎるような気がしたのだ。

それにいろいろな物を描いて絵にしたいという気持ちもあり。
と、こういうことになってしまった。

題は 旅の思い出 にしようかな。
そんな気持ちで描いたからね。

今回みたいな、ちょっと楽しい絵もいいかもねえ。

霧立④

2012年08月27日 | 登山
鹿の食害についていろいろと聞くようになって久しいが、
私が本当に意識するようになったのは、秋本さんと一緒に歩いてからだ。

一緒に歩いて、鹿の食害の連鎖反応によって、
山は裸地化し、壊れている現状を見、その原因も教えてもらった。

それは、登山道を歩いているだけでは十分に感知しえなかったと思う。
一歩入った所の山の崩壊はすさまじいものだったから。

その鹿の食害について、これまた秋本さんの本から引用したいと思う。


①食害により、ブナ帯の下草がなくなる。
②下草を食草としていた蝶類や蛾などの昆虫が少なくなる。
③下草が少なくなると昆虫を食べていた野鳥が来なくなる。
④害虫を退治する鳥がいなくなると、害虫が増加し、鳥による種の運搬がなくなる。
⑤種が運ばれなくなると、次世代の若木が育たない。
⑥草・若木がないことによって、地面の乾燥が進む。
⑦落下した種は地面が乾燥しているので発芽できない。
⑧裸地化が進み、森林は崩壊する。


先日一緒に歩いた時には、蝶や鳥が来なくなったと聞いた。
確かに鳥の声を聞くことが少なかったように思う。


更に、鹿の異変について引用する。

①鹿の生息域に人間が開発を行ったために鹿の食べ物が無くなる。
②食べ物を求めて照葉樹林帯からブナ帯に上がってきた鹿は、
 今まで食べたことのない物を食べるようになる。
③今まで食べてなかったドングリやブナの実を食べるようになり、草食動物から雑食化していく。
④ドングリなど高脂肪のものを食べることにより、1頭1産から多産系に変化。
⑤繁殖時期も通年になる。


「霧立の歴史と自然を考える会」では、
こういう自然界の異変から植物を守ろうと、フェンスを張る活動を続けている。


書いていくと、いかに敏感に自然と向き合い、対策をしてきたかが良くわかる。
しかし、鹿と上手く共存できる日が来るのだろうか。

霧立③

2012年08月26日 | 登山
秋本さんが西郷さんの敗走路をたどり、ヤブ漕ぎをしてやっと歩いた霧立越だったが、
頭の中には霧立越を復活させようという構想が沸いていた。

それでさっそく地元の村起こしのグループの呼びかけ、
メンバー19人が扇山を目指して歩いてみた。

西郷さんの跡をたどる必要のなかったメンバーは、尾根越しに扇山まで歩いた。
そして、開口一番 「霧立越は素晴らしい」と絶賛した。

1995年春
椎葉村役場に出かけ、霧立越の話しをしたが、賛同をえられなかった。
しかし、椎葉の村起こしグループの人から、
歩道のスズタケを切り払うならできる と声がかかった。

民間がやることなら異論はなく、
村は予算は付けられないが精神的な応援はする ということになった。
それで、ボランティアでの歩道整備が始まった。

朝7時にゴボウ畠に集まり、用意した燃料を背負い、
白岩から先の古道のスズタケなどを切り払っていった。

当初は五ヶ瀬町や椎葉村からいくばくかの補助金もあったが、
その後は補助金もなく、完全なボランティアでの作業だった。

そして、歩道がどうにか通れるようになった。
5月14日 第一回 霧立イベントを開催した。

下山後はシンポジウムも開催した。
以来、霧立はトレッキングコースとして多くの人に利用されるようになった。

秋本さんたちはその後も、様々な活躍をしている。
「霧立越の歴史と自然を考える会」を設立。
鹿の食害から植物を守るためにフェンスで囲む作業。
固有種であるキリタチヤマザクラ発見。
幻の滝発見。
ガゴが岩屋と化石の森発見。
九州脊梁山地の植物・草本篇&木本篇発刊。
不動冴ルート開拓。


いつも穏やかで、ユーモアもあり、ステキな紳士である秋本さん。
こんな方とめぐり合うことができたことは、心の中に宝物をいただいたようなもの。

霧立を歩く人がいるなら、一度はこの方と一緒に歩くことをお勧めする。
今まで何度も通った方でも、また一味違った霧立に出会えるだろう。

霧立②

2012年08月25日 | 登山
霧立をこよなく愛している秋本さんが、
現在霧立越と呼ばれる縦走路を開こうと思い立ったのは、以下のような経緯がある。
「西郷さんも歩いた 霧立越花の道」より引用

1994年9月
秋本さんの所に西郷隆盛に似た人物が現れた。
その人は、西郷隆盛が敗走する時にたどった道を歩いている と言った。
そして、霧立越と呼ばれる古道について尋ねてきた。

霧立越は、昭和初期まで椎葉村から馬見原まで物資を運ぶために使われていた。
昔は、平家の落人が通った道でもある。
しかし、近年はスズタケに覆われてしまった。

秋本さんは霧立について熱心に訊ねる男に興味を持ったし、
霧立越の現在の様子を知りたかった。

1994年9月18日
西郷どん似の人・その知人・秋本さんで、霧立の古道をたどることになった。

白岩までは登山者も多く、道もはっきりしている。
その先の水呑と言う地名のある所まではなんとか行けたが、
その先はスズタケが生い茂り、這うようにして馬の通った跡らしいえぐれた道をたどった。

こうしたことを繰り返すうち、どのくらいの距離を歩いたのか地図では読めなくなった。
白岩からヤブ漕ぎを3時間あまり歩いた後、下り道を見つけた。

しかし、たどるうちに急斜面になり、道は消えた。
雨も降りだし、下っても下っても道らしい所にでず、日も暮れてきた。

ようやく無線が通じて、車が見えた時には心底ほっとした。
その時にはもう体力の限界を感じていた。

家に帰り、疲労困憊の体で酒を煽っていると、ブナの巨木、ツタの赤、シロモジの黄色・・・
森の神秘的なたたずまいなどが、次々にまぶたに浮かんできた。

道に迷わなかった、霧立は素晴らしいハイキングコースになるのではないか。
豪華絢爛たる紅葉の中を歩く人々の姿が浮かんできた。


こうして、秋本さんの心の中に霧立越の構想が浮かんできた。
この後も、大変なご苦労をすることになるのだけど、この続きはまた明日。

霧立

2012年08月24日 | 登山
今では有名な縦走路となった霧立。
しかし、今私たちが利用している霧立越のコースは、
「霧立越の歴史と自然を考える会」によって平成7年に整備されたものだ。

それは会長である秋山さんのある山行がきっかけとなっている。
それを以前読んだことがあったのだが、断片的にしか思いだすことができなかった。

それで、改めて読んでみて、その熱意に改めて感動している。
その感動を明日からちょっとずつ書いていこうと思っている。

以下はやまめの里のHPより

霧立越は、九州脊梁山地を南北に続く
向坂山(1684m)から扇山(1661m)にかけての尾根伝いを辿る古道です。

その昔、熊本県の馬見原(まみはら)から
宮崎県の椎葉まで馬の背で物資を運んだ「駄賃付け」の道でありました。

大分県の豊後から熊本県の人吉へと通じる古(いにしえ)の交易道の一部ですが、
昭和8年に椎葉村に自動車道が開通してから霧立越を通行する駄賃付けはしだいに途絶え
昭和12年(1937)ごろから廃道となりました。

霧立越の古道には多くの歴史が秘められています。
寿永4年(1185)には、壇ノ浦の合戦に敗れた平家一門が
鞍岡から霧立越を越えて椎葉に逃れました。

正保2年(1645)には人吉の剣豪丸目蔵人のタイ捨流が鞍岡に伝承されました。
今日では、その演武が祇園神社のお祭りとなって伝えられています。

明治10年(1877)4月には、日本最後の内戦「西南の役」で田原坂の合戦に敗れた薩摩軍が
西郷隆盛と共に人吉に逃れた道として知られています。 

こうした歴史を秘める霧立越の古道は、
平成7年(1995)に「霧立越の歴史と自然を考える会」によって
向坂山(1684m)から南の扇山(1661m)にかけて尾根伝い12kmを
トレッキングコースとして伐開し歩道の整備が行われました。
 
その後、平成11年(1999)には、霧立山地固有種となる「キリタチヤマザクラ」を発見、
平成13年(2001)には、 木浦谷山中に幻の滝を発見、
更に平成16年(2004)には、化石の森とガゴが岩屋を発見するなどで
新たなトレッキングコースを多岐にわたり開発整備を進めています。

楽しみはいろいろと

2012年08月23日 | 登山
何年かぶりで山に行く約束をした人がいる。
ネットでを通しての知り合いで、それこそ普通なら絶対に出会うことはなかっただろう。

だって、彼女は関西のかたなんだもの。
そのCさんと一緒に登るのは、今度で3回目。

その時に一緒に登った仲間数人もまた集まる。
楽しみだな。

そして、本日また突然にKさんから山の誘いを受けた。
これまたお久しぶり。

Kさんは東京在住だ。
たまたま九州に来る機会があるので、一緒に登ろうと言ってきたのだ。

この方とも数回登ったことがある。
これまた楽しみ。

どこでどうつながっているのかわからないけど、
ご縁って不思議だね。

出会っても、知り合っても、切れてしまう縁もあるけど、
ほんのちょっとしたきっかけで友となれる時もある。

さあ~ 計画を練ろう~

ちょっと涼しい

2012年08月22日 | 徒然
夏休みももう少しで終わりだ。
子どもたちは夏休みの宿題が目の前をチラチラしていることだろう。

9月になれば秋と言う言葉も本当らしくなる。
残暑お見舞いを書きながら、残暑ねえ・・・ と首をかしげたくなる。

でも、気温は高いというけど、ちょっと涼しい。
先日までは座っていても汗が流れていたけど、今はそうでもない。

夜の七転八倒も、五転六倒ぐらいになっている。
やっぱり秋が近いのかな。

そういえば日も短くなて来たなあ。
夜も早い。

移りゆく季節。
早いなあ・・・

何もしないうちに時間は過ぎてゆく。
大事にしなくちゃね。