小さな旅を愉しむための情報PLUS

生活圏での小さな旅を愉しむために、暮らしの歴史に目を向けた情報発信を目指します。

テガララン ライス テラス🙂🙂😐急斜面の棚田に広がる稲穂と椰子の観光ポイント

2020-05-21 20:45:56 | 海外旅行

バリ島のウブド郊外「Tegallalang Rice Terrace(テガララン ライス テラス)」は、「Puri Saren Agung(サレン アグン 宮殿/ウブド王宮)」から車で約30分の比較的アクセスのよい山間にある観光ポイントだ。
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急斜面の棚田に広がる稲穂と椰子が、強い太陽光を受けての緑輝く風光にこそ、連綿と繋いで時間を超えて来たバリ島の人々の暮らしの原風景が広がっているとの思いは強く、楽しみにした訪問だった。
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しかし、訪問時の現地は刈り入れが終わった後で、風に揺らぐ稲穂が青々と育つ風景に堪能するという期待は、肩透かしとなってしまった。
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現地の事情に詳しい方によると、「年間の気温差がほとんどないバリ島では、1年に3回米作りをする『3期作』が行われているため、四季の中で農耕に取り組む日本の稲作の常識とは無縁で、田植えも刈り入れも、時期が決まっているわけではない。そのため同じ地域でも、その田圃の所有者の都合などで農耕がすすめられ、田植えをした田圃や刈り入れをする田圃などが混ざっていて、青々とした棚田に出会うのに、いつがよいか見当をつけることはできない。前年の様子が必ずしも今年の参考とはならず、運次第というのが言い得ているだろう。」とのこと。
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次の機会も、自分の運を試すことになりそうだ。
 

不忍池辯天堂😐😐😐「寛永寺」開山の慈眼大師天海大僧正の「見立て」によって建立されたお堂

2020-05-20 20:34:22 | 神社仏閣

東京メトロ 銀座線「上野広小路駅」から徒歩約10分、JR「上野駅」からは徒歩約15分の「不忍池辯天堂(しのばずのいけ べんてんどう)」は、天台宗東叡山「寛永寺」の伽藍のひとつで、寛永年間(1624年~1645年)に、「徳川家康」(1543/天文11年~1616/元和2年)側近として江戸幕府の宗教政策に深く関与したという「慈眼大師天海大僧正(じげんだいし てんかい だいそうじょう)」(1536/天文5年~1643/寛永20年)によって建立されたという。
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大僧正は「見立て(仮にそうだとみなすこと)」によって、延暦年間(782年~806年)創建の「延暦寺」から、寛永年間創建の寺院の名称を「寛永寺」とし、「不忍池」と島を「琵琶湖」と「竹生島」の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立てて、「宝厳寺」の「弁才天」を勧請し、お堂を建立したという。1945(昭和20)年、戦火により焼失したが、1958(昭和33)年に鉄筋コンクリート造り八角堂として再建された。
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本尊は、「法華経(ほけきょう/ほっけきょう)」「仁王経(にんのうぎょう/にんのうきょう)」とともに護国三部経に数えられる「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」に説かれる一面八臂(八本の腕)の弁才天/弁財天「八臂辯才天(はっぴべんざいてん)」で、音楽と芸能の守り神として広く信仰され、金運上昇といったご利益もあるといわれる。



旧李王家邸(赤坂プリンスホテル 旧館)🙂😐😐戦後「赤坂プリンスホテル」として開業した大韓帝国最後の皇太子「李垠」旧邸宅

2020-05-19 08:59:57 | 国内旅行

東京メトロ 銀座線/丸の内線「赤坂見附駅」から徒歩約5分、江戸時代には「紀州徳川家中屋敷」「尾張徳川家中屋敷」「彦根井伊家中屋敷」が置かれていた千代田区紀尾井町に、後期ゴシックからルネサンス様式への過渡期のイギリスの建築様式と言われる「チューダー様式」の洋館がある。「大韓帝国(テハンジェグク/대한제국)」(1897年~1910年)最後の皇太子で、朝鮮併合後は日本の皇族に準じての扱いを受けた「李垠(イ・ウン/り ぎん/이은 「大韓帝国」の称号は「英親王」)」(1897/光武元年~1970年)の邸宅として、1930(昭和5)年に建設された建物だ。
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「李垠」は、李氏朝鮮の歴代国王を出した家系「李王家(イ ワンガ/り おうけ/이왕가)」の家系で、皇族「梨本宮守正王(なしもとのみや もりまさおう)」(1874/明治7年~1951/昭和26年)の第1女子「方子女王(まさこ じょおう)」(1901/明治34年~1989年)と、1920(大正9)年に結婚したが、第1男子「李晋」は生後8ヶ月で急死、第2男子「李玖(イ・グ/り きゅう/이 구)」(1931年~2005年)には子どもがいなかったため、直系子孫は断絶している。
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その「旧李王家邸」の第二次世界大戦後は、参議院議長公邸などに使用されたが、1952(昭和27)年に「国土計画興業」(後に 1965/昭和40年「国土計画」 1992/平成4年「コクド」 2006/平成18年「プリンスホテル」)が取得し、1955(昭和30)年に客室35室の「赤坂プリンスホテル」として開業したという。同ホテルは、1960(昭和35)年に5階建て「旧新館/別館」を開業し、1983(昭和58)年には「丹下健三」氏の設計による761室の「新館」を開業している。その後、施設の老朽化などを理由に2011(平成23)年にホテルの営業を終了して、「新館」は取り壊された。
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ホテル施設は、再開発された「東京ガーデンテラス紀尾井町」に「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」として入居し、2011(平成23)年に「東京都指定有形文化財」指定を受けた「旧李王家邸」は、文化財の保護と活用を謳って、2016(平成28)年に結婚式場「赤坂プリンス クラシックハウス」としてリニューアルオープンしている。ここにもまた歴史の中の流転による状景が存在して、「南柯の夢」たる思いが胸に迫りくる場所ではある。


浅草神社🙂😐😐社殿が関東大震災や第二次世界大戦の戦禍からも免れて国の重要文化財に指定されている神社

2020-05-17 23:34:26 | 神社仏閣


「浅草神社(あさくさじんじゃ)」は、台東区浅草「金龍山 浅草寺(きんりゅうざん せんそうじ)」本堂東隣に位置する旧社格「郷社」の神社だ。由緒は、約1,400年遡る628(推古天皇36)年に始まると伝えられているが、1868(明治元)年の「神仏分離令」により「浅草寺」と分かれて「三社明神社」となり、1873(明治6)年に「浅草郷」総鎮守として「浅草神社」に改称している。
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祭神は、創建にかかわる「檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)」「檜前武成(ひのくまのたけなりのみこと)」兄弟と、「土師真中知(はじのまつちのみこと)」で、郷土神として祀られていることから、「三社様(さんじゃさま)/三社権現(さんじゃごんげん)」と呼ばれて親しまれているという。
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1649(慶安2)年に第三代将軍「徳川家光」より建立寄進された社殿は、関東大震災や第二次世界大戦の戦禍からも免れて、1951(昭和26)年に国の「重要文化財」に指定されているが、1996(平成8)年には、建物全体の塗り直しが行われ、370年を経て鮮やかな色彩が現在に甦っている。例大祭「三社祭(さんじゃまつり)」は、5月第3週の金曜日から日曜日にかけて行われる。
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なお境内には、明治から昭和に活躍した歌舞伎役者「二代目市川猿之助(いちかわ えんのすけ)」(1888/明治21年~1963/昭和38年 隠居名跡「初代市川猿翁/いちかわ えんおう」 屋号「澤瀉屋」 本名「喜熨斗政泰/きのし まさやす」 俳号「笑猿/しょうえん」)の句碑「翁の文字まだ身にそはず衣がえ 猿翁」が、1967(昭和42)年に建立されている。孫「市川團子(いちかわ だんご)」に「三代目市川猿之助」を譲り、自らは「初代市川猿翁」を襲名した1962(昭和37)年5月に詠んだという。「初代市川猿翁」は、1963(昭和38)年5月の襲名披露興行の直前に心臓病で倒れて絶対安静となったが、千穐楽の口上だけでも務めたい願いをもって、やはり前年から病臥していた息子「三代目市川段四郎(いちかわ だんしろう)」とともに「歌舞伎座」の舞台に上ったという。最後の舞台となったこの口上は、ともに途切れ途切れで、観客の涙を誘い「涙の口上」と語り継がれることになったという。「初代市川猿翁」は、2週間後の6月12日午後12時28分に入院先の「聖路加病院」で死去、「三代目市川段四郎」も後を追うように、11月18日に死去したという。ほかに「初代中村吉右衛門」「久保田万太郎」「川口松太郎」などの句碑も建立されている。




市谷亀岡八幡宮🙂😐😐「ペットの彫り札お守り」の地方発送と飼い主がペットと一緒に初詣祈祷を行ってもらえる神社

2020-05-16 23:59:04 | 神社仏閣

JR総武線「市ヶ谷駅」から徒歩約3分の新宿区市谷八幡町 にある「市谷亀岡八幡宮(いちがやかめがおかはちまんぐう)」は、「八幡神」として神格化され武運の神として崇敬を集める第15代天皇「誉田別尊(ほむたわけのみこと)/応神天皇」と、「熊襲」「新羅」征伐を行ったと「日本書紀」に書かれる「応神天皇」の母「気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)/神功皇后(じんぐうこうごう)」、詳細は不明だが妻や娘など主祭神と関係が深いとされる女神「与登比売神(よとひめのかみ)」が祭神の旧社格「郷社」の神社だ。
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1479(文明11)年、太田道灌が「江戸城」築城にあたって、鎌倉「鶴岡八幡宮」から分祀して、西方の守護神としたことに始まった社で、「鶴岡」に対し「亀岡」と称して、当初は現在の千代田区内に鎮まっていたと伝わる。寛永年間(1624~1644年)、「江戸城」外堀が出来たのを機会に、現在地に移転したという。
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1945(昭和20)年、第二次世界大戦の戦禍で、御神木まで含めて焼失したが、1962(昭和37)年に現在の社殿が再建された。なお、1804(文化元)年に建立された銅造り「明神鳥居」は、「新宿区指定有形文化財」になっている。
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境内社に、商売繁盛 芸事向上 眼病平癒の御利益があるという「茶ノ木稲荷神社」、航海安全 海上守護の御利益あるという「金刀比羅宮」、立身出世 資格取得に御利益があるという「出世稲荷神社」がある。
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8月13日~15日には雅楽の舞楽が奉納される例祭が行われるが、特筆すべきは、地方発送もしてくれるという「ペットの彫り札お守り」と、完全予約制だというが飼い主とペットが一緒の初詣祈祷を行ってもらえることだろう。