小さな旅を愉しむための情報PLUS

生活圏での小さな旅を愉しむために、暮らしの歴史に目を向けた情報発信を目指します。

エトワール凱旋門🙂🙂😐ナポレオン1世が好んだ古代ローマの様式を模す「新古典主義建築」の代表作

2020-05-26 21:24:46 | 海外旅行

Métro Ligne ①②⑥ およびRER(高速郊外鉄道)Ligne Ⓐ「Charles de Gaulle Etoile駅」から徒歩約2分の「Place Charles-de-Gaulle(ドゴール広場/旧称エトワール広場)」中央に「L’ Arc de Triomphe(ラルク・ドゥ・トリオンフ/凱旋門)」があるが、フランス国内に多数ある戦勝記念碑の一般的な名称で、ここの凱旋門は「L’Arc de Triomphe de l’Étoile(エトワール凱旋門)」と呼ばれる
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「Napoléon Ⅰ/Napoléon Bonaparte(ナポレオン1世)」(1769年~1821年)が、戦勝記念として「Jean-François Thérèse Chalgrin(シャルグラン)」(1739年~1811年)に設計させ、1806年に着工したが、完成は「Napoléon Ⅰ/Napoléon Bonaparte(ナポレオン1世)」死後の1836年で、パリに改葬された1840年に、初めてこの門をくぐったと言われる。
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高さ50メートル、幅45メートルの門は、「Napoléon Ⅰ/Napoléon Bonaparte(ナポレオン1世)」が好んだ古代ローマの様式を模し、その偉業を四面に彫刻で描いた「新古典主義建築」の代表作と言われているが、完成後その景仰対象は変更され、国家の歴史的催事を行う場所として機能してきたという。
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「La Tour Eiffel(エッフェル塔)」と共に、瀟洒なパリを実感するランドマークとして、再訪の度にあらためて新鮮で深い印象を生み出す格別の存在感をもつ建築だ。その「L’Arc de Triomphe de l’Étoile(エトワール凱旋門)」を中央に、「Avenue des Champs-Élysées(シャンゼリゼ通り)」ほか12本の通りが、放射状に広がる巨大なランドアバウト(環状交差点)を、難なく通過するドライバーの技術にも、またいつもの感嘆が沸き起こって、「PARIS(パリ)」に到着した実感が生まれるスポットになっている。
 

CONRAD BALI🙂🙂😐スタッフのフレンドリーな接客と広大な敷地にプライベートビーチと庭園やプールなどが広がる大型リゾートホテル

2020-05-24 18:38:00 | 宿泊施設



バリ島南部の政府によって開発されたエリア「Nusa Dua(ヌサ ドゥア)」の北端「Tanjung Benoa(タンジュン ブノア)」に位置し、ゆとりある客室が提供される宿泊棟、プライベートビーチ、庭園やプールなどが、広大な敷地に広がる大型リゾートホテルだ。
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緑広がる庭園や施設の管理は行き届き、初めて滞在した10年前と比べても、経年による劣化を感じさせることなく、また利用者の思いに寄り添うスタッフのフレンドリーな接客もまた、チェックイン時から変わることなく受けることができる癒しの滞在施設で、行き届いたサービスを受けながら、不足なく一日を過ごすことができる。
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朝は、木々の中からの小鳥たちの囀りで、心地よく目覚め、ゆったりとした癒しの一日が始まることを感じさせてくれる。遠路、日本からの訪問であっても、充分に見合うリフレッシュ出来る環境を提供されるが、さらに今回は、ルームダイニング、アフタヌーンティー、ミネラルウォーター無料補充、1日あたり6枚までの無料のランドリー&ドライクリーニング、チェックアウト18時まで延長など、濃やかなサービスプログラムが用意され、滞在への配慮に満ちていた。
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しかし一方で、公共交通機関が整備されていない島内で、旅行者の貴重な足となっている「KURA-KURA BALI(クラクラバス)」のルートから外れていることなど、課題も感じられた。同ホテルからの交通手段が、料金トラブルが多いと聞くタクシーに限られてしまっているので、自由な行動への躊躇が生まれ、計画変更をすることにもなった。
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また ホテル施設内のエレベーターや通路、レストランなどのパブリックスペースで、多くが東アジアからの利用者だったが、マナーの欠落した行動に度々出会って、せっかくの心地よさが削がれてしまったことも残念だった。
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ヒルトンの上位ブランドに位置付けられてはいても、世界的ブランドホテルが次々にオープンしている同島にあって、利用者を広く集めつつも、ホテルが自らのステイタスを維持するためには、利用者への啓発も取り組むべき要件なのだと思わざるを得ない現実があった。
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安穏とした心地よい滞在を、利用者相互のマナーでつくり上げることは自明の理だ。それでも、チェックイン時に、「お願いしたいマナー」なるカードを手渡すホテルがあって、ここまでやるかと驚いたことがあったが、それもまた必要に迫られていたのだと、あらためて感じる機会になった。


 

キンタマーニ高原 🙂😐😐バトゥール火山の山体でバリ島屈指の景勝地といわれる高原リゾート地

2020-05-23 21:38:59 | 海外旅行

「エッ!」という名前の「キンタマーニ(Kintamani)高原」だが、意のままに願望を成就させてくれるという「如意輪観音(にょいりんかんのん)」「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」などが手に持つ宝珠(ほうじゅ)をいう「如意宝珠(にょいほうじゅ)/サンスクリット語 चिन्तामणि(ちんたーまに)/英語 Cintāmaṇi(ちんたーまに)」を祖語とする名称で、バリ島北東部に位置する標高1,500メートル以上の同島屈指の景勝地だという。
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「Ubud Palace/ウブド王宮」から車で約1時間の「Gunung Batur/バトゥール山」山体と言われる「キンタマーニ高原」にあって、インドネシア料理をビュッフェで提供する観光客用飲食店が集合する外輪山南西の縁から展望する外輪山の最高地点が、「富士山」と同じ成層火山で、標高2,153メートルの「Gunung Abang/アバン山」だ
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その「アバン山」と、約29,000年前の噴火で形成されたという三日月形のカルデラ湖で、世界遺産にも登録されている「Danau Batur/バトゥール湖」をはさんで対峙するのが、1,800年から2,000年までにも、26回の噴火が記録されているという活火山で、標高1,717メートルの中央火口丘「バトゥール山」だ
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バリ島にあって高原の風を感じさせる屈指の景勝地だというが、山岳や高原の風光に恵まれている我が国からの旅行者にとって、格別の印象が生まれてくることはないかもしれない。 

Pura Uluwatu(ウルワツ寺院)🙂😐😐海の精霊「ブタラ ダラム ベジ」を祀る「バリ・ヒンドゥー教」の寺院

2020-05-22 19:23:52 | 海外旅行

「Semenanjung Badung(バドゥン半島)」南西端海岸の断崖に位置する「Pura Uluwatu(ウルワツ寺院)」 の由緒は、前身の寺院が以前から存在していたとも言われるが、11世紀に高僧「Empu Kuturan(ウンプ クトゥラン)」によって建立、16世紀に高僧「Danghyang Nirartha(ダンヒャン ニラルタ)」が、三層の「Mel(メル/多重塔)」の「Padmasana(パドマサナ)」を造営したとされている。
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土着信仰とインド仏教やヒンドゥー教が習合した「バリ・ヒンドゥー教」の寺院で、海の精霊「ブタラ ダラム ベジ」を祀るが、隣接する「ルフル ウルワトゥ寺院」と「ダルム ジュリット寺院」を併せての呼び名が「ウルワツ寺院」だ。
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寺域は、ヒンドゥー教徒のみ立ち入ることが許されているエリア以外でも、入場のため「ロングドレス、スカート、スカート または サロン」の「ドレスコード」があり、対応できない場合は、入場時に基準を満たすための貸与がある。
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絶壁に建つ三層の「Mel(メル/多重塔)」を、インド洋に沈むサンセットが影絵のごとく映し出す入相の時間は、このサンセットを眺めつつ修業を重ねただろう建立以来の僧たちを、追想するかけがえのない機会だ。 

Uluwatu Kecak & Fire Dance🙂😐😐物語「Ramayana」を取り入れ芸能化がすすんだ舞踏劇

2020-05-22 13:08:33 | 海外旅行

バリ島の伝統的舞踏は、はじめ疫病蔓延などに際して、祖先の霊を招き加護を願うなど、呪術に通じるものだったという。しかし、現在の「Kecak(ケチャク)」は芸能化がすすんで、物語「Ramayana(ラーマヤナ)」を取り入れ、舞踏劇へと創作されたものだ。
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ここでは、ツアーによって大量に送り込まれた旅行者向けの舞踏劇で、現地では「k」を発音しないので、「kecak」は「チャ」となるとも、猿の鳴き声を真似たともいわれる男たちの「チャッ チャッ」という発声で展開する。
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大向こうの受けを狙った観客席への飛び込みや、お笑いを演じたりで、連綿と続くバリ島の人々の信仰に繋がる深い生活感を期待すると、舞踏の大衆化にはガッカリすることになるだろう。
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なお、ケチャックダンスがスタートする時刻は、断崖に立つ「Pura Luhur Ulu Watu(ウルワツ寺院)」の三重「Mel(メル/多重塔)」を影絵のごとく映し出す夕日が、インド洋に沈むサンセットの時間でもあった。このサンセットを眺めつつ、修業を重ねただろう建立以来の僧たちへの追想機会が得られたことは、このスポットでのかけがえのない体験だったと言える。