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諏訪大社下社秋宮🙂🙂😐旧「中山道」と旧「甲州街道」の分岐点に鎮まり坐す旧社格「官幣大社」の神社

2020-05-02 22:40:00 | 神社仏閣

旧社格「官幣大社」神社本庁「別表神社」の「諏訪大社」は、全国で一万社を超える「諏訪神社」の総本社で、「お諏訪さま」「諏訪大明神」ともよばれ、軍神・農耕神・狩猟神として信仰されてきたという。
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祭神は「建御名方神(たけみなかたのかみ)」と妃神「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」で、兄神「八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)」が合祀される。
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旧「中山道」と旧「甲州街道」の分岐点に鎮まり坐す「下社秋宮(しもしゃあきみや)」は、諏訪市の「上社本宮(かみしゃほんみや)」、茅野市の「上社前宮(かみしゃまえみや)」、下諏訪町の「下社春宮(しもしゃはるみや)」とともに四ヶ所の「諏訪大社」のうちの一つで、社殿4棟が国の重要文化財に指定されているが、「上社前宮」以外には「本殿」がなく、「上社本宮」は「守屋山」をご神体、「下社秋宮」は櫟の木を、「下社春宮」は杉の木を御神木とする「諏訪造り」という独自様式の神社だ。
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由緒は、神話における「高天原(たかまがはら)」の神「天津神(あまつかみ)」が、「天孫降臨(てんそんこうりん)」以前から国土を治めていた「国津神(くにつかみ)」に、日本国土の古称「豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)」の「国譲り(くにゆずり)」を受ける説話で、「力競べ」に敗れた「建御名方神」が「州羽の海」に逃れたことに始まるとされ、治承年間(1177~1181年)の成立とされる「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」にもその名前が謡われている。
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日本三大奇祭の一つとされる七年に一度の「御柱祭」でも知られているが、毎年8月1日に催される例大祭の「御舟祭(おふねまつり)」は、御神体を柴舟に乗せて、「下社春宮」から「下社秋宮」へ遷座する祭で、2月1日には「下社秋宮」から「下社春宮」へ遷座される「遷座祭」が催される。
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JR中央本線「下諏訪駅」から約1km徒歩約15分の「下社秋宮」は、駐車場も整った参詣しやすい神社だが、「上社本宮」とはまた別の荘厳な趣を湛えていると言えるだろう。



諏訪大社下社春宮🙂😐😐「諏訪大社下社」最初の遷座地とされる地に鎮まり坐す神社

2020-05-02 22:23:52 | 神社仏閣

「諏訪大社下社秋宮」から徒歩約15分、西に「砥川(とがわ)」が流れる「下社」最初の遷座地とされる土地に鎮まり坐すのが「諏訪大社下社春宮」だ。
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下諏訪町の「下社秋宮」、諏訪市の「上社本宮」、茅野市の「上社前宮」とともに四ヶ所の「諏訪大社」のうちの一つで、国道20号線信号交差点「春宮大門」から「大鳥居」に至る道路は、かつて「下社春宮」の専用道路で「流鏑馬」の馬場だったという。その「御手洗川」に架かる室町時代に建立された「下馬橋」は、「諏訪大社下社」では最も古い建物だという。
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下社春宮」は杉の木を、「下社秋宮」は櫟の木を御神木とし、「上社本宮」は「守屋山」を御神体として、「上社前宮」以外には「本殿」がない「諏訪造り」という独自様式で、原始信仰の姿を伝えている神社ともいわれる。
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幣拝殿と左右片拝殿を配置する形式は「上社本宮」に類似するが、一棟の楼門形式になっているのは「下社」独自の形式で、大きさの違いはあっても「下社春宮」は大隅流「柴宮/伊藤長左衛門」、「下社秋宮」は立川流「立川和四郎富棟」が同じ図面で請負い技を競ったという。
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なお「下社」の主祭神は、「国譲り神話」で「建御雷神(たけみかづちのかみ)」に敗れて「州羽の海」に逃れたとされる「建御名方神(たけみなかたのかみ)」と、その妃神「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」で、娘が「神武天皇(じんむてんのう)」の皇后となって大和朝廷と深い縁をもつ兄神「八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)」が合祀されている。
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その祭神は、2月から7月までは「下社春宮」に鎮まり、8月1日の「御舟祭」で「下社秋宮」に遷座し、翌年2月1日の「遷座祭」で再び「下社春宮」に帰座するという半年ごとに遷座する神だ。「吾に体無し、汝を以て体と為す」という祭神の宣布により、「神体は大祝(おおほうり)」として君臨したという。
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「上社」は室町期に祭政分離があり、惣領家「諏訪氏」は「上原城」で政治を、大祝家「諏方氏」は「前宮神殿(ごうどの)」で祭祀を掌握したが、後の両者間に起きた争いに乗じて、「下社」大祝の「金刺(かなさし)氏」が惣領家に攻め入ったが、逆襲され消滅したという。以来「金刺氏」に代わって「武居(たけい)氏」から大祝が出ていたが、明治以降は氏族の世襲が廃止され、祭祀に関わることがなくなって現在に至っているという。



諏訪大社上社本宮🙂🙂😐本殿を持たない「諏訪造り」という独自様式が「社叢」に契合し森厳な佇まいを見せる

2020-05-02 21:38:24 | 神社仏閣

「諏訪大社」は、軍神・農耕神・狩猟神として信仰を集めて、全国に一万社を超えるという「諏訪神社」の総本社だ。「上社本宮」はここ諏訪市中洲に鎮まり坐すが、茅野市に「上社前宮」、下諏訪町に「下社秋宮」と「下社春宮」という諏訪湖周辺の三ヶ所にも境内を持つ旧社格「官幣大社」神社本庁「別表神社」だ。
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主祭神は「お諏訪さま」「諏訪大明神」とも呼ばれる「建御名方神(たけみなかたのかみ)」とその妃神「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」だが、「上社前宮」以外には「本殿」がなく、「上社本宮」は「守屋山」をご神体、「下社秋宮」は櫟の木を、「下社春宮」は杉の木を御神木としている。
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四社の中では最も多く建造物が残っている「上社本宮」だが、かつての極彩色が施されていたという社殿は、1582(天正10)年の織田信長による兵火で、「神輿」以外すべて焼失し、仮殿から始まった社殿再建は、天保年間(1831~1845年)に至って再び整ったという。
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社殿の四隅に「御柱」が建ち、「幣拝殿」と「片拝殿」のみで「本殿」をもたない「諏訪造り」という独自様式は、1964(昭和39)年8月20日に「長野県天然記念物」の指定を受けた「社叢」に契合する質実森厳な趣をもって、その佇まいを見せてくれる。
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927(延長5)年にまとめられた当時の官社一覧である「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に「南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)」と記されるが、「高天原(たかまがはら)」の神「天津神(あまつかみ)」が、「天孫降臨(てんそんこうりん)」以前から日本国土の古称「豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)」を治めていた「国津神(くにつかみ)」から「国譲り(くにゆずり)」を受けるという「古事記」の説話にその由緒を求めることが出来る。
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「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子「建御名方神」が、「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」との「力競べ」に敗れて、「州羽の海」に逃れたことに始まるという。「建御名方神」率いる出雲系稲作民族の進出は、一帯の遺跡の分布から考えられる土着の狩猟系先住民族との摩擦を経て、「建御名方神」子孫の「諏方(すわ)氏」が、「大祝(おおほうり)」なる「諏訪大明神」の「依代(よりしろ)」として現人神の地位について君臨したという。
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土着「洩矢神(もりやのかみ)」子孫の「守矢氏」も、世襲の「神長官(じんちょうかん)」として仕え、縄文時代から諏訪地方に根付いていた信仰における精霊「ミシャグジ神」の祭祀を取り仕切っていたといわれる。
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参詣にあたっては、駐車場が整備され土産物店が連なる「北参道」を使う機会が増えているが、「大鳥居」から敢えて本来の参詣順路として案内されている「東参道」に回り、境内に広がる社殿を観ながら拝所へ進みたい。