
1393(明徳4)年、「浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)」によって開山された「三縁山 広度院 増上寺」は、1590(天正18)年、「徳川家康」により徳川家菩提寺に選ばれて隆盛し、浄土宗祖山「京都 知恩院」に並ぶ位置をしめるまでになったという寺院だ。
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その「増上寺」にある「徳川家靈廟」は、上野「寛永寺」および日光「輪王寺」とともに徳川将軍家歴代の墓所で、「日光東照宮」と並ぶ江戸時代の建築の華麗な技術と意匠による墓所・本殿・拝殿などから成っていたというが、1945(昭和20)年の空襲直撃で大半が焼失し、現在の「霊廟」は移転改葬されたものだという。
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正面の門は「文昭院殿(6代将軍『家宣』霊廟)」の宝塔前「中門」を移築したもので、墓所には2代「秀忠」6代「家宣」7代「家継」9代「家重」12代「家慶」14代「家茂」の6人の将軍のほか、5人の正室、5人の側室などが埋葬されているという。内部の拝観(有料)は、10:00~16:00(最終入場は15:45)で、火曜日は休みとなっている。
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なお、かつての「霊廟」は、その大部分が「東京プリンスホテル」の建物と敷地へと取って代わられ、空襲を免れた7代将軍「家継」の「有章院霊廟 二天門」は、その敷地内に保存されてはいるものの、戦後の流転による現在の状景の広がりに、自ずから「邯鄲の夢」たる感傷が胸に迫ってくる。


