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光前寺 賽の河原😐😐😐高遠石工の守屋貞治が制作したという親地蔵と三十余体の子地蔵が佇む森閑たる空間

2020-07-26 21:32:02 | 神社仏閣


中央自動車道「駒ヶ根インターチェンジ」から車約3分、中央アルプス山麓に広がる「宝積山(ほうしゃくざん)無動院(むどういん)光前寺(こうぜんじ)」は、天台宗の「別格本山」で信濃五山に数えられた比叡山延暦寺末の寺院だという。
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作庭が「蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)」(1213/嘉定6年~1278/弘安元年)とも「夢窓疎石(むそう そせき)」(1275/建治元年~1351/正平6年)とも言われ、極楽浄土の庭園とも言われる「池泉庭園」が本堂前にある。その庭園や、樹齢数百年の杉巨木と光苔の参道に、伽藍配置までをふくめ「光前寺庭園」として、1967(昭和42)年「国の名勝」指定を受けているが、その境内の景趣や、猿神退治「早太郎(はやたろう)伝説」でも知られている寺院だ。
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1808(文化5)年に再建されたという長野県宝「三重塔」の南西に、「賽の河原地蔵和讃(さいのかわらじぞうわさん)」で「幼く死んで、賽の河原で地獄の鬼に責め苛まれる子どもを、地蔵菩薩が救済し庇護する」話が謡われる「賽の河原」がある。
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親より先に死んだ子どもが、冥途の三途の川ほとりにある河原で、石積みをして塔をつくろうとしても、地獄の鬼が現れ、積んでも積んでも崩して、子どもを苦しめるという仏教説話は、他からの邪悪なものの侵入を防ぐ神「塞の神(さえのかみ)」と地蔵信仰の習合が、江戸時代に普遍化した俗信で、仏典には典拠がないと言われている。
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しかし、森々として聳立する杉の古木に囲まれるここ「光前寺」の「賽の河原」は、高遠石工「守屋貞治(もりや さだじ)」(1765/明和2年~1832/天保3年)が、文化年間(1804年~1818年)に制作したという坐高1.38メートルの親地蔵と、その周辺に並ぶ三十余体の子地蔵、そして積み上げられた小石によって、現世のなお果てぬパトスが治まる空間となって存在している。