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光前寺 伽藍(仁王門 三門 本堂 三重塔)😐😐😐伽藍配置をふくめ「国の名勝」指定を受ける境内の景趣で知られる寺院

2020-07-28 22:41:36 | 神社仏閣
中央自動車道「駒ヶ根インターチェンジ」から車約3分、中央アルプス山麓に広がる「宝積山(ほうしゃくざん)無動院(むどういん)光前寺(こうぜんじ)」は、860(貞観2)年に開基されたとする天台宗の「別格本山」で、信濃五山に数えられた比叡山延暦寺末の寺院だという。作庭が「蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)」(1213/嘉定6年~1278/弘安元年)とも「夢窓疎石(むそう そせき)」(1275/建治元年~1351/正平6年)とも言われ、極楽浄土の庭園とも言われる「池泉庭園」が本堂前にある。その庭園や、樹齢数百年の杉巨木と光苔の参道、伽藍配置までをふくめ「光前寺庭園」として、1967(昭和42)年に「国の名勝」指定を受けているが、その境内の景趣で知られている寺院だ。
 ❖ 仁王門  一般に「仁王像/二王像(におうぞう)」と呼ばれる「金剛力士像(こんごうりきしぞう)」は、仏法と仏教徒を守護する神「護法善神(ごほうぜんじん)」で、裸身像の存在もあるが、守護のため甲冑を身に着け、口を開いた「阿形(あぎょう)像」と、口を結んだ「吽形(うんぎょう)像」の二身となって寺門に立つ仏像だ。
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ここ「宝積山(ほうしゃくざん)光前寺(こうぜんじ)」のエントランスにあたる現在の「仁王門」は、1941(昭和41)年の突風で大破し、1944(昭和19)年に再建されたというが、安置される「仁王像」は、頭部の銘文から1528(大永8/享禄元)年に造られたものだと言われ、檜の寄木造(よせぎづくり)で、赤色顔料による朱塗りが残り、一部には制作当時の金泥(きんでい)も残っている。

 ❖ 三門  「三門」とは、欲深くむさぼる「貪(とん)」、自分の心に逆らうものを怒り恨む「瞋(しん)」、俗念に妨げられ真理を悟ることが出来ない「痴(ち)」の三つの煩悩を解脱する境界の門「三解脱門」にたとえて言った「本堂」の前にある正門で、楼上内部に仏教の開祖の尊称「釈迦如来(しゃかにょらい)」と、この世にとどまって仏法を守り衆生を導くと誓った16人の弟子「十六羅漢(じゅうろくらかん)」ほかの仏像を祀っているという。
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ここ「光前寺」の「三門」は、1818(文政元)年の焼失後、1848(嘉永元)年に再建された「三間三戸」「入母屋」「杮葺」「間口30尺(約9メール)」の「八脚二重楼門」で、2011(平成23)年に「駒ヶ根市指定文化財」に指定されているという。

 ❖ 本堂  1851(嘉永4)年に再建されたという「本堂」は、東アジアの伝統的屋根形式である上部が「切妻造」下部が「寄棟造」で四つの軒をもつ「入母屋造(いりもやづくり)」で、薄くはいだ板で葺いた屋根「杮葺(こけらぶき)」に、建物の妻側に出入口のある「妻入(つまいり)」(棟と平行する側に出入口のあるものは「平入」)、桁行五間正面一間で、妻側の三角形部分につけられた中央部が弓形で両端が反り返った曲線状の装飾板「軒唐破風(のきからはふ)」に、参詣者が礼拝する正面階段上のふきおろしの屋根「向拝(こうはい)」付きの建物だ。
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「破風板」の下で「棟木(むなぎ)」や「桁」の木口を隠す飾り板「向拝懸魚(けぎょ)」に鳳凰、「天井」と「鴨居(かもい)」の間の開口部「欄間(らんま)」に松、「頭貫(かしらぬき)」などの端が柱から突き出た部分「木鼻(きばな)」に獅子、海老のように湾曲した梁「蝦虹梁(えびこうりょう)」には龍で、その付根には力士の彫刻が施されている。
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安置される本尊は秘仏「不動明王(不動明王音日八大童子)」だが、宇宙の実相を仏格化した根本仏といわれる「大日如来(だいにちにょらい)」の命を受けて、仏道の妨げになるものを撃破する力をもつのが、「大日如来」の化身とも言われる五大明王の一員「不動明王(ふどうみょうおう)」だ。「不動明王」は、八人の金剛童子「慧光(えこう)」「慧喜(えき)」「阿耨達(あのくたつ)」「指徳(しとく)」「烏俱婆迦(うぐばか)」「清浄比丘(しょうじょうびく)」「矜羯羅(こんがら)」「勢多迦(せいたか)」を眷属として従えて造像されることが多いという。

 ❖ 三重塔  南信州唯一の「三重塔」は、鬱蒼と繁る木々を後景にして、「本堂」手前左方向に建つ県指定文化財だ。「諏訪大社下社秋宮」の社殿建築により、競合する「大隅(おおすみ)流」を圧倒する評判を得たという「立川(たてかわ)流」の棟梁「立川和四郎冨棟(わしろうとみむね)」(1744/延享元年~1807/文化4年)の子どもで、卓越した彫刻技術は単なる装飾彫刻から芸術性高い彫刻へ押し上げたといわれる棟梁「立川二代和四郎冨昌(とみまさ)」(1782/天明2年~1856/安政3年)と弟の「四郎治冨方」により1808(文化5)年に再建されたという。
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現在は銅板葺だが「杮葺(こけらぶき)」高さ17.635mの建物で、初層と二層は二重の平行垂木のうち間隔の密な「繁棰(しげだるき)」、三層は二重の放射状に配置した垂木「扇棰(おうぎだるき)」で、各層の組物と組物の間にあって桁を受ける支持材だが装飾的要素が強い「中備(なかぞなえ)」に彫刻を嵌め込んだ瀟洒な建築だ。
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内には宇宙の実相を仏格化した根本仏といわれる「大日如来(だいにちにょらい)」を中央に、「大日如来」のもとで発願修行して成仏したといわれる「阿閦如来(あしゅくにょらい)」、五智のうち「平等性智(びょうどうしょうち)」の徳をつかさどるという「宝生如来(ほうしょうにょらい)」、「阿弥陀如来(あみだにょらい)」をいう「無量寿如来(むりょうじゅにょらい)」、五智のうち「成所作智(じょうしょさち)」を受け持つ「不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)」の「五智(ごち)如来」を安置しているという。