ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】【重大な訂正―書き直し版】レゾリュート・ドラゴン共同演習における2023年10月20日のホワイトビーチから嘉手納基地・嘉手納弾薬庫への輸送・兵站訓練について(2023年11月2日)

2023年11月02日 | 米軍/自衛隊

◎改めて改訂版を載せます。どうぞよろしくお願いいたします。(慌てんぼのヤマヒデ)

(Ⅰ)はじめに

●重大な訂正
 私は昨日、この報告書を挙げたが、重大な事実誤認があった。全面的に削除し、改訂した。誠に申し訳ありませんでした。

①感謝の辞
 今回のレゾリュート・ドラゴン米日共同演習は、2023年10月14日~31日までの日程で行なわれた。このレポートはその一端である「補給品」の輸送・兵站訓練をミサイル配備から命を守るうるま市民の会などが抗議と監視を果敢に展開した成果といえよう。
 私自身は10月17日に体調不良に陥り、約1週間動けなかった。しかし複数の方々から随時連絡をいただき、写真を送っていただいた。お陰様で、以下のようにまとめることができた。
混乱した現場での報告・撮影はよほど場慣れしていないと、不首尾に終わるものだ。情報提供者は、一貫した流れを論理的に掴んでおり、お陰で私はまとめやすかった。深く感謝したい。また多くの仲間達とこの状況を共有し、今後に活かしていきたい。
 にもかかわらず、私は以下のような事実誤認をおかしていた。疑問点を逐一確認することは、書き手の責任だ。

②レゾリュート・ドラゴン共同演習の性格と「補給品」輸送・兵站訓練の意味について
 本演習(以下「RD」と略す)は、2021年から始まり、今回で3回目だ。2回目は北海道の演習場で行なわれたので、沖縄では知られていなかった(私は知らなかった)。
 この演習は陸上自衛隊西部方面隊(管轄:九州・沖縄)と米国海兵隊第Ⅲ海兵機動展開部隊(管轄:インド太平洋区域)等による共同演習だ。私たちが注目すべきことは、対中戦争を想定した演習であり、いよいよそれが演習区域と実戦区域がダブり始めたことなどだ。
もろに住民を巻き込み、蹂躙していく戦争を準備する動きに、私たちは反対する以外の選択肢があるだろうか?! 私は抗議・阻止行動と観察・監視行動の同時並行の展開が極めて重要だと考えており、そこも明らかにしたい。

(Ⅱ)計画と現実
 防衛省が各関係自治体など向けに作成した資料に、今回使用する基地・演習場等ごとに説明を施している。何が本当だったのか、何を隠し、私たち住民を騙そうとしているのか。

①ホワイト・ビーチ地区の使用について
 「ホワイトビーチ地区に於いては、大分分屯地から、役務車両及び役務船舶によりホワイトビーチに輸送した陸自コンテナの荷役、日米の車両への積載を実施し、嘉手納飛行場へ陸上輸送する共同兵站訓練を実施予定」。期間:2023年10月11日~31日。参加部隊:陸自―約50名。西部方面後方支援隊、九州補給処、大型車両5両程度。米軍:米海兵隊約100名。第3海兵兵站群、大型車両等とある。
《註:後方支援隊=兵站群について》
 これまでの陸上自衛隊は、真実を隠してきた。「歩兵部隊」を「普通科」と言い、オブラートに包んできた。「後方支援隊」も同様だ。後方支援と言えば、穏便に聞こえようが軍隊の軍事行動は、前線での殲滅・制圧にある。空間的に「前・後」を分けられない。最前線の戦闘を支え、戦闘行動に必要な物資を貯蔵・差配・補給・輸送するのが兵站だ。時には激戦をくぐり抜けるものだ。自衛隊はこれを「後方支援」というが、米軍等は兵站という。のほほんとした「後方支援」は例外だ。

➁輸送経路
 西部方面隊の補給処は、佐賀県神埼群吉野ヶ里町にある目達原(めたばる)補給処であり、弾薬類は大分分屯地(大分市)にある九州補給処大分弾薬支所、西部方面後方支援隊第101弾薬大隊が仕切っている。
 今回の輸送経路は大分分屯地から大分港、海上輸送を経てホワイトビーチへ。海上輸送は南西海運の「ちよ丸」(オレンジ色の派手なコンテナ船)だった。
 大分港を16日(?)に出港し、17日に中城湾に入ってきた。「ちよ丸」から青色のコンテナ(20フィートコンテナ/長さ6m、幅2.4m、高さ2.5m)を下ろしたのは、20日朝だった。船員達は中城湾・ホワイトビーチ沖で3泊4日を過ごしたことになる。何故時間が掛ったかは、精査しなければならない。搬送先の嘉手納基地・嘉手納弾薬庫の問題なのか、嘉手納基地から輸送する機材の問題か、あるいは演習全体の調整の都合か。

③公表されていた計画と現実の相違点
 計画書では、役務車両と役務船舶で来ると書かれている。ホワイトビーチ海軍岸壁で、民間のクレーンを使いコンテナを下ろし、トラックに積んだ。
 また使用したトラックの台数は、陸自が「大型車両5台程度」とある、米軍は「大型車両等」と隠していた。実際は自衛隊車両が2台と、熊本のレンタカーが1台。米軍が5台の計8台だ。概数と書かれているが、杜撰すぎる。防衛省は積み荷の積算能力をもっていないわけじゃあるまい。
 ここで新たに注目すべきことは、5台の陸自2分の1トントラックの内、2台は佐賀県の目達原駐屯地のものであり、別途送られてきた。残りの3台は、西部方面後方支援隊ばかりか、第15旅団(那覇駐屯地)後方支援隊も含まれていないか。彼らは事前に走って、沖縄の道路事情を押さえていたか。今回、弾薬輸送の要領も確認したのだろうか。

《Ⅲ》市民の闘い方について
 この点、私は現場を見ていないので、具体的なことを書けない。人々は、17日~20日までの4日間、よくぞ集まり、頑張ったものだ。人々は20日、ホワイトビーチ正面ゲート前付近で、座り込んだ。機動隊に排除されても、車列を追いかけ、再び嘉手納弾薬庫入り口前で座り込み、抗議した。
 私はどこから入るか読んでいた。池武当から嘉手納道の駅の間の県道74号線から嘉手納弾薬庫・飛行場に入れる朱色のゲートがある。嘉手納弾薬庫への裏道は幾つかあるが、弾薬庫と飛行場を結ぶ道はここだ。
 また、観察・監視の役に就いた人がいたのだ。有志の自発的な取り組みが連携を生み出した価値を私は高く評価したい。一人一人の本気度が高かったことと、普段の辺野古や塩川での行動の積み重ねが、あったからこそできた連係プレーだ。
 お陰様で、今回の演習の概要を掴むことができた。両国軍隊はこの実績に立って、演習を拡大してくるだろうから、今後の演習反対の闘いに活かすことができるだろう。

《Ⅳ》輸送/車列について
①基本的なこと
 南西海運の「ちよ丸」から下船したのは、コンテナ計8個等(詳細不明)だろう。警護車両、トラックの乗員の所属は、どこか一部が不明だが、若干の打ち合わせをしたはずだ。沖縄の道路状態は渋滞しやすく、車列を維持しながら走ることは、楽ではあるまい。
 なお火薬類の運搬について、「米軍の火薬類運搬上の処置(改正)」(1980年日米合同委員会)などの文書がある。今後、こうした文書の再改訂もあり得るだろう。要注意。

➁車列
(以下●自衛隊車両 ◎米軍関係車両)
●先導車 01―0080(以下ナンバープレート) 陸自2分の1トントラック(ジープのような)形をした車両)部隊名不明 長いアンテナ付き
①653448 「火」1,2E 海兵隊大型トラック コンテナナンバー8
➁38-7039 「火」1.2E 陸自大型トラック(いすず) コンテナナンバー9
③667798 「火」1,2E 海兵隊大型トラック コンテナナンバー10 
◎ベージュの乗用車Yナンバー 791206
◎Yナンバー 797634
など。
◎白いトラックDLA(国防兵站局) 15288(沖縄にある支局のナンバー?) 「米国政府」(英語標記)とも記載された車両
◎普通車Yナンバー数台
●陸自2分の1トラック01-1065 「九州補給処」(佐賀県目達原駐屯地) 長いアンテナ付き
普通車(米軍か自衛隊か不明)数台
●陸自2分1トントラック 01-1223 「第105補給隊(註:目達原駐屯地) 本部」長いアンテナ付 
普通車(米軍か自衛隊か不明)
●陸自2分の1トントラック 03-5827 (部隊名不明)長いアンテナ付き
④667797 「火」1,2E 海兵隊大型トラック コンテナナンバー11
⑤熊 103 わ 210 「火」1,2E トレーラー(荷台のナンバーは「0026」)コンテナナンバー12
レンタカーだ
⑥647891 「火」1,2E 海兵隊大型トラック コンテナナンバー13
◎海兵隊JLTV(統合軽戦術車両―軽装甲車であり、銃座付き) 797418
⑦653346 「火」1.2E 海兵隊大型トラック コンテナナンバー14 
⑧38-6975「火」1.2E 陸自大型トラック コンテナナンバー15
◎海兵隊JLTV 806323 銃座付き
●陸自2分の1トントラック 01-0232 長いアンテナ付き
ほか。
 要約すると米軍トラックが5台、自衛隊が2台、レンタカーが1台だ。警護車両が自衛隊5台、米軍2台だ。自衛隊の5台は長いアンテナをつけており、相互に指揮・連絡をとりあっていたのだろう。
 運送も警護も日米双方から出し合い、連携した共同訓練だったことがわかる。また米軍5台、自衛隊2台(レンタかーを含めると3台)の5対3の割合だった。弾薬の使用量も、5対3なのだろうか。
 なおコンテナナンバーは⑧から⑮であり、①から⑦は別便だと推定する。別途、天願桟橋(うるま市)から搬送されたのかもしれない。私が10月22日嘉手納基地で見た2両は、ナンバープレートが上記と別だったので7台の内の2台だったと推定。

③補足
 この南西海運の「ちよ丸」の配船スケジュールを見る(同社HP)と、10月12日(木)に那覇港に、石垣港から戻ってきた。その後は配船スケジュールから外されている。13日、那覇新港を出港し、大分港に向かい積み荷を乗せて、16日未明に大分港を出港したのだろう。
なお11月も配船スケジュールから外されている。どうしたのだろうか。中長期的な修理でなければ、自衛隊との契約に再び着くのかもしれない(11月10日~20日、日米共同統合演習)。これは要調査。
 
《V》軍事協力した2社について
①南西海運
 南西海運(株)は、本社を那覇市港町に置いている。1968年創業。大米建設(株)のグループ企業だ。定期航路を那覇―宮古―石垣、北九州―那覇、那覇―宮古-石垣―厦門(中国)―高雄(台湾)の定期航路を持っており、同社の事務所を福岡に、厦門(アモイ)に、台北にもっている。持ち船は、最新鋭の「よね丸」(RORO船)、「せつ丸」、「なんせい丸」、「ちよ丸」など。
 にもかかわらず、中国との戦争のための演習に、儲かる契約だからと防衛省御用達になることじたい、沖縄の企業として、恥ずかしくないのだろうか。今後の動向も要調査だ。

②エイエストランスシティ(ASTC)
 この会社は、1986年会社設立。那覇市港町に本社がある。コンテナ等の販売、貸し出し、貸倉庫等の営業をしている会社だ。石垣港や、平良港にもこのASTCコンテナが置かれている。
 防衛省は、何故、南西海運のコンテナを使わず、ASTCのコンテナを使ったのか、確かめたいが、今後の演習展開を考え、沖縄の取引企業を多くしたいだろう。やはり同社の動向も要調査だ。
 
《Ⅵ》最後に
 今回は、RD共同演習のごく一部とはいえ、市民の闘いと、監視活動によって、実態の一端に迫った。私たちは、こうした取り組みを積み重ね、平時から有事へのシームレス(繋ぎ目のない)な展開を許さない広範な市民の団結と連携が求められている。



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