ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

沖縄県知事選投開票日を迎えて(20220911)

2022年09月11日 | 暮らしと政治

2022年9月11日(日)晴れ 

 台風12号は西にずれ、八重山・宮古郡島側をそろそろと移動中。沖縄島・名護市内は静かな朝をむかえています。本日は沖縄県知事等選挙の投開票日です。まだ投票に行かれていない方々は、是非とも投票にお出かけください。私は9日に期日前投票に行きました。名護市では県知事選と名護市議会議員選挙の投票をしました。結果は投票箱の蓋を開けてみなければわかりませんが、民意が民意として出ることを希望しています。

 沖縄の選挙は、有権者個々人の意思が出て、政治に反映されるので、他の選挙区とはかなり違うのではないでしょうか。幸か不幸かではありますが。対立点が鮮明にあると言うことは、民主主義の仕組みからすれば、極めてまっとうなことであり、もしかして自分の判断が政治に反映できるかもとの希望につながります。どうせ、マスの中の1票でしかなければ、自分が行かなくても変わらないと思ってしまいますが、いやいや変わるかもと思えば、行く気になります。

 1967年4月の都知事選が鮮明に私の記憶に残っています。美濃部亮吉2200389票、松下正寿2063752票で、「革新都政」が誕生したのです。まだ私は未成年で投票権がなかったのですが、「これで東京の自然を残せるの」「公害を減らせるの」と希望を抱きました。3期12年の革新都政は、福祉などで成果を残しましたが、日本経済が不況に入ると、頭打ちになり、「首都東京」になっていきました。そこに住民が暮らしているからこそ、地方自治があり、地域政治が重要です。しかし「首都東京」とは日本国家の中枢としての経済と政治と商業のまちであり、主人公であるべき住民はそえものにされていったのでした。

 そして2013年の参議院選挙の時、私は山本太郎に入れました。こちらは国政でしたが、2011年福島原発の取り返しのつかない大事故から2年後であり、鮮明に原発廃止を掲げた彼に私は投票しました。当選。このときの山本太郎は無所属・一人でしたが、鮮明な主張と行動をみれば、彼しかいないとやはり希望を感じました。マスの中でも立ち上がれる人がいるのだという発見は貴重な経験でした。いわゆる保守系の頭数でしかないタレント候補とはまったく違い、自分で考え、行動するパワーに私は惚れました。

 選挙は投票所に行き、投票用紙に書いてだすだけならば、面白くも何でもありません。ただの1票に過ぎないからです。沖縄の選挙は、沖縄が「基地の島」だから、日本政府にとって、多くの日本国民にとっても、中央政治=米日安保政治に従順であることが求められるのです。これを打開しようとする力は、なみなみならぬものがあり、以前からの闘いや、目標、希望などが交錯しています。1票を投じる行為に完結できないからこそ、大変です。投票して終わりにならないのが沖縄の政治です。だからこそ「民意の輝き方」が他とまったく違うのです。

 これは「強いられている違い」ですが、この違いがわかる市民・住民にならなくてはなりません。住民自治という意味ではどうすれば可能なのか、国政ならばどうなのかという新たな地平の中で、全国・各地で議論を始めることが私たちに問われているのです。この課題は私たちにとって民主主義とは何かという政治と接続しているのです。私もこれからじっくりと考えていきます。

 



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