ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

新年早々のドジ(20230108)

2023年01月08日 | 沖縄暮らし

 おはようございます。今朝(23年1月8日)も沖縄島名護市西海岸はよく晴れています。冬の沖縄が連続して晴れているのは奇跡。室内に居るのはもったいない。

 ともかく、昨日は大失態をしでかしました。毎月第一土曜日は辺野古の集中行動があることを教えて(すっかり忘れていた)いただきながら、場所を勘違いしており(ちらしに別の場所が明記されていた記憶)、誰もおらず、しょんぼり帰ってきました。遅れたからタクシーで行こうかとも思ったのですが、乗らずにセーフ。タクシーで行って誰も居なかったら、それこそ愕然としていただろう。

 今朝の新聞を見たら、普通通り辺野古でやったらしい。600名だとさ。帰ってきて長崎報告の続きを書くために、メモを書き始めました。これが難儀。何冊かの本を取り出して、国際法とか、あのときの歴史とか確かめて、原爆投下の米国の犯罪性やら、多国間交渉の思惑やら。やれやれ。

 これまで自分が無視していたことがあるわあるわ。愕然とすると同時に、自分のあり方をもっと冷徹に考え直すべきだと痛感させられています。新たな戦争の時代に突入している日本ですが、だからこそ「歴史」を過去ごとと考えるのではなく、今と見比べながら、緻密にリアルに考え直す事が重要です。こんなことは、「公教育」や御用学者は絶対にやりません。あらゆる「教条」からも自由に。

 考えてみれば、マルクス主義において、科学と教条(イデオロギー)論争がありましたが、少なくとも教条から科学を考えない、科学をその根底の足下から考え直すことは不可欠です。無論、教条しかないようなイデオロギーを疑うことは常識です。そんな一般論はともかく、如何なる国家ー軍隊ー戦争をも冷徹に考えぬくことは避けて通れない。「平和主義は変えていない」と言いながら、長距離飛ぶミサイルをたくさん持つなど欺瞞です。嘘八百。その心は「米国の手下」として米軍としての戦争へ。

 「夜が明けたら」…離別(浅川マキが歌っていた「かもめ」)ならまだともかく、夜が明けたら戦争は、絶対にナラン。誰が起こしてもナラン。私の2023年念頭の誓いと致します。

 今年はうさぎ年。私はうさぎ年生まれ。あれ(60歳)から12年を生きてきた。次の12年も生きていきたい。沖縄に居ると野生のウサギはいない。少々残念ですが、月のウサギを楽しもう。昔、冬山でウサギの足跡を随分見ました。脱兎の如く走るあれ。何回かその姿も見ています。一番びっくりしたのは、陸上自衛隊宇都宮駐屯地(栃木県宇都宮市内)でのこと。駐屯地祭で空砲に驚いた奴が大木の影から脱兎の如く逃げ出した。凄かったな。1990年代の5月。ウサギを追い出すような戦争国家にしないことです。ジュゴンをおいだし、サンゴを潰す戦争国家にしないこと。

 ガッテン、ナラン! 今年も頑張りましょう。

 

 



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