私は2010年12月のこの国の防衛計画大綱を見て、「南西諸島防衛」を危惧し、今日まで警鐘を発し続けてきた。しかし去る4月17日の日米首脳会談で、バイデン大統領と菅首相は「台湾防衛」をもって米日安保条約の、軍事基地存続と強化を正当化してみせた。
これに対して、本日(20210421)の国会で穀田恵二議員(共産党)が防衛副大臣を追及していた。完全なすれ違いに終始したが、防衛副大臣は「台湾防衛」を巡る起こりうる事態を隠蔽し、同議員が如何なる法の適用を想定しているのかを繰り返し問うたが、まったく答えようとしなかった。
ここで問題になることは、防衛副大臣が言う「日本の領土・領海を守る」といい、「台湾防衛」はこれに含まれないかのように、はぐらかしていることだ。
あのぅ、日本の最西端与那国島から台湾の陸域まで110kmにすぎません。ミサイルや戦闘機が飛べばあっというまだし、ヘリですら30分ほどの距離でしかない。米国が台湾も同盟国だと米軍を同地の領土領海に派遣すれば、現在の日本の戦争法の適用は免れなくなる。いや、そもそも「島嶼防衛」とは米国が敷いた第1列島線の外に中国軍を排除するために引いた軍事ラインの防衛だ。これは軍事行動を伴うものであり、今日の米国・米軍は「自由の航行作戦」と称し、デモンストレーションを度々行っている。だが本来的に中国を牽制し、対中戦争に備えるためのものだ。
そして、次の問題は、「領土・領海」なる言葉は、今日の米日同盟によって、融通無碍に拡張されかねないものとなっているからこそ、怖いのだ。
防衛副大臣は、こうしたからくりを隠しながら、起こるかもしれない事態について、お答えを差し控えると完全に口をつぐんでいた。今日の戦争は、「ヨーイ!ドン!」で始まることは殆どない。だから私たちは、様々な兆候を見抜かなければならないのだ。だがそれよりも何よりも、私たちは武力行使に至らぬ選択に全力を傾むけることを最優先すべきだろう。しかし今や琉球諸島・沖縄島を先頭に臨戦態勢の構築が進み、奄美大島、種子島・馬毛島、九州から北海道までの全国的な軍事ラインが起動され始めている。
ぼやぼやしていたら、再び沖縄が出撃基地となり、同時に真っ赤に燃える戦場となる。そしてかってと異なり、沖縄のみならず、「日本全体」がそうなっていく。かって、沖縄戦は起きたが、本土決戦は起きなかったが、今やそんな地理的な区分は、ありえないことだ。このことは以下の3つのことから断言できる。①軍事技術が格段に進歩してしまい、1000キロ、2000キロの距離をあっという間に飛び越えてしまう。②そもそも「島嶼防衛」の軍事網は水陸機動旅団(在佐世保)や、北海道から九州までの全国に駐屯している機動旅団の参戦を前提に構想されている。③かっての大日本帝国の戦争の頭は天皇だったが、今の戦争の頭は米国大統領だからだ。米国から見たら琉球諸島・沖縄であれ、東京であれ、北海道であれ、みーんな「極東」に過ぎないのだ。米中核戦争にすらならなければ、米国は安泰というわけだ。
こうしたことはおよそ考えたくないことだが(これは、ゲームじゃない)、現実に今、足下に迫っていることに、私たちがこのまま鈍感のままでいたら、子どもたちの未来はない。コロナ禍が収束したら、戦争になっているかもしれないのだ。人間の寿命は、いよいよ風前の灯火なのかも知れないが。
いや、だからこそ私は、人間が生き続ける可能性を信じたい。このためにやるべきことと、やってはいけないことを、人間が重ねてきた過去の歴史の中から問い直す以外に打つ手はないはずだ。
なお、沖縄が生き続けるためには、真っ先に沖縄(人々)は、あらゆる覇権主義に反対し、米国の、中国の覇権主義に反対し、ここからの軍事行動に反対し、基地の島から脱却する以外にないだろう。
余りにも重たい課題であり挫けそうになるが、そのためには、もっと信じ合える心と、信じ合える関係にビビッドになれるか否かだろう。デリカシーのない人間は、希望を描くことができないだろう。