おはようございます。今朝の名護市西海岸は雨。気温も下がってきた。
昨日はほぼ1日、正月の旅計画に費やした。悪戦苦闘。日本地図と、ガイドブックとネットでの探索。時刻表がないから、なかなか正解を探し出せない。概略知っている地域だが、忘れている。概念図が頭から抜けている。とくに在東京のつれと合い、出かけるので、より確実なドッキングと、旅の共有をはからなければならない。
2ヶ月前でも宿はいっぱいだ。国の旅割が始まり、混んでいるようだ。また、旅割を期待した業者は値段をあげているところもあるようだ。正月だから高いことは言うまでもない上に。
だがほぼ決まった。あとはそこで何をするか、色々と参考文献を読み考えたい。私はせっかくなので、4日、5日とプラスアルファをつけた。つまり、つれとどこで分かれるかも再考した。時間の都合と、値段と、工程の面白そうな所。私の3日夜の宿泊地も変更した。出発地から私が予定していたところまで8時間余りかかると出た。そうすると3日め、おちおちしていられない。折角の二人旅で、ケンカの可能性を高める案は没だ。ぐっと手前で泊ることにした。お陰で別ルートが浮かび、時間も値段もお得で、ぐっとおもしろい工程となるはずだ。
プラスアルファとは出水市(鹿児島県)にツルを観に行く。4日午後と5日午前をこれにあてれば、大丈夫だろう。私の自然撮影は中部山岳地帯と東北・北海道が多かった。九州はちょろちょろで、出水には1度しか行っていない。
デカイ鳥は、撮り出がある。それが群舞したらいうことなし。何がいるかは、その日のお楽しみだ。5日は出水から鹿児島空港だが、途中でどこによるか、これから考える。正月早々基地ウォッチングはやりたくない。ツルを観た感動を変な物をみて、潰されたくない。ただ空港に行けば、嫌でも何がいるかいないか目に入る。民間空港でも軍用機がいる可能性は高まっている。油断ならないご時世だ。
そう私の一人旅は1966年9月が最初だった。中学3年だ。東京駅から東海道線大垣行きの夜行列車に乗り、大垣へ。そこから東海道線で京都へ、山陰本線に乗り換え兵庫県豊岡へ。但馬国だ。
当時野生のコウノトリは9羽しかいなくなっていた。絶滅近しだったのだ。このとき私がお世話になったのがコウノトリの人工飼育に当たっていた松島興治郎さんだ。23歳だった。彼の50ccバイクで円山川の周辺をご案内いただき、7羽を観ることができた。一羽一羽が感動的だった。
近代化、田畑への農薬の使用がコウノトリを窮地に追い込んでいたのだ。彼らの長年のご努力と中国政府のご尽力で若いコウノトリを供与していただき、人工飼育に成功した。再び野生に戻され、野外での繁殖ができるようになっている。
環境を守ることが重要だ。環境は外見だけでなく、生体に取り込まれていく農薬などの化学物質も大いに生きもの生命を脅かしていくから、目にみえにくいところにも私たちは注視しなければならない。微量な物が体内に取り込まれ、排出しにくい物は蓄積されていく。沖縄で米軍由来(自衛隊も)の消火剤にも発がん物質が含まれていると大問題になっているが、昆虫も野鳥も生命体であり、被害を受ける。
出水のツルは冬鳥であり、越冬地と繁殖地の環境が守られなければ、消滅していく。国家・国境を越えた相互協力が欠かせない。そうでなければ、人間の勝手で、死滅させていくのだ。人間は、この地球を人間の独占物でないことを自覚できない限り、確実に滅びるだろう。戦争は人間の奢りの姿でもあり、私は断じて認めることはできないのだ。
旅の話からぐるぐる回ったが、旅をする人間も含めて、生命とは循環するものだ。これを塞ぐ行為は自滅への道につながっている。心したいのだ。