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ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

名護市中央図書館に行ってきた(20250403)

2025年04月04日 | 沖縄暮らし
2025年4月3日(木)晴れ 
 午後から名護市中央図書館に行ってきた。目的は「二人展」の「戦後80年の今」を考える際の資料探し。
 名護中央図書館に沖縄県の地域コーナーがある。名護市の図書館だから、名護市関係の資料が一番目立つところに置かれている。3冊を選んだ。「米軍政府と民間人収容地区1945-46年ー名護やんばるを中心に」(「名護市史本編・3 名護やんばるの沖縄戦 資料編3」)、「写真から見る名護の沖縄戦」(「名護市史本編3 名護・やんばるの沖縄戦 資料編1」)と「オキナワを歩くⅤ 元なごらん学徒隊員沖縄戦を語る」(広島経済大岡本ゼミナール編)の3冊だ。
 沖縄戦というと南部を思い出す人が多いだろうが、それは沖縄戦の一面に過ぎない。確かに第32軍司令部があった首里(那覇市)から南部に撤退した日本軍は糸満に陣を敷き、「軍民一体の持久戦」を強行した。だからこそ、南部一帯の死者数は著しく多い。他方、やんばるは、多くの住民たちが北へ北へと逃避行を強いられた地域であり、米軍はこの地等に民間人収容所を造るなどして、戦後統治を始めて行った。このゴタゴタの中で、「護郷隊」と言われる秘密戦を行う部隊が死闘を繰り返していた。悲劇は2重、3重に起こったのだ。
 現在のキャンプ・シュワブにも民間収容所が造られていたことは周知の事実だ。戦後80年が経過しながら、こうした事実がトータルに明らかにされていない。元収容所が米軍基地に塗り込められているからだ。
 私は改めてこうした事実に向き合える場を確認しながら撮影を始めたい。無論、キャンプ・シュワブの中に入れないので、ひとまずこうした資料から取材すべき場所を選んで取り組んでいく。今回の「二人展」をその端緒にしていきたい。
 名護市は「名護市史本編・3 名護・やんばるの沖縄戦」も発行している。これが本編であり、今回借りてきた2冊はこの付属資料だ。何故借りてこなかったかと言えば余りにも分厚く、重い。これを持ち帰るのはザックを担いで行かなければ、無理と思い、次回にした。買う手もあるようで4000円だ。
 岡本ゼミナール編の本は、ゼミ生が広島から沖縄を訪れて、聴き取りをしたものだ。私はこの岡本貞雄さんにお会いしている。広島の陸軍墓地で対馬丸事件で亡くなられた方々の追悼式典で。この話をし出すと長くなるので、やめるが、広島から沖縄に心を通わせていた学者とゼミ生がいたことを私も記憶しておきたい。
 読むぞ!
 私は名護市中央図書館から歩いて帰宅。途中で
17:09 北部合同(沖縄県庁)庁舎前。ネジバナとコメツブウマゴヤシ。
17:10 同じく。小さく黄色いのがコメツブウマゴヤシ。
花にかぶりつきながら撮っていたら、そこにパトカーが現れた。と思ったのだが、そこは交番だった。
 否、もっと重要なことがある。このとき、太陽は巻積雲に阻まれて、ちょいと不足。私は太陽の方も確認しながら、撮りました。


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