昨日、京都市長選の投開票日だった。私も注目していた。結果は誠に残念な結果だった。一方で私は全く知らなかった前橋市長選で野党系が勝ったという。正直驚かされた。京都市と前橋市という地域政治を巡る動きなので、同様な観点からの批評は困難だ。まして私は殆ど知らない地域であり、言及しがたいが…。
私と京都市でいえば、1965年の修学旅行でちらと訪れたことがあるぐらいだ。一番最近では1999年に訪れた。もう25年も行っていないのだ。数年前に京都府京丹後市、滋賀県饗場野演習場、三重県明野演習場の帰路、京都市内に泊まろうと考えたが、私が泊まれる安い宿を見つけられず、断念(通過のみ)。
前橋市と私の縁は、1968年3月の赤城山登山の出発地だったことと、1990年代に入り、陸上自衛隊第12旅団(榛東村)の基地ウォッチングに2度訪れた時に立ち寄ったぐらいであり、殆ど知らない。
選挙結果
前橋市長選結果 投票率:39.39%(余りに低い数字)
当選:60486 小川晶(41)元県議・弁護士
46387 山本龍(64)無所属自公推薦 市長3期
参考:前橋市民:329860人(23年12月31日)
36人の市議のうち、革新系は共産党4人のみであり、無所属市民派等が居るのか否か、不明。一人会派はいくつかあるが、実態は?
京都市長選 投票率:41.67%(やはり低すぎる)
当選:177454 松井孝治(63) 元官房副長官 自・公、維新、立憲民主党推薦
161203 福山和人(62) 弁護士 無所属市民派(日本共産党、れいわ新選組推薦)
72613 村山祥栄( )
他
京都市議は67名中14人が共産党だという。
【前橋市議選】
奇跡的に、初の女性市長となった小川さんだが、これからが大変だろう。試練の山が続くだろう。保守の牙城の中で、如何に市政を運営していくのか、「頑張ってください」としか言いようがない。今の国政がダメすぎた故の勝利じゃないのか。
【京都市長選】
保守対無所属市民派だったが、保守対共産党とカテゴライズされてしまい、無所属市民派の政策を浸透しきれなかった。最大のガンとなったのは、立憲民主党の対応にある。彼らは何故自公についたのか?! ここが徹底的に問われねばなるまい。国政で、自公政治を打破できるチャンスをみすみす見逃した罪はデカイ。立憲民主党の労使協調(野合)の「連合政治」とのなれの果てなのではないか。
【捕捉】京都の立憲民主党と言えば、泉健太代表が京都3区であり、また福山哲郎参議院議員は京都からだ。こうした「大物」が京都を地盤にしながら、自公、維新・国民民主党とつるんでいるのだ。残念の極みだ。私は立憲民主党と「立憲主義」の矛盾をもっときちんと明らかにしていかなければと、反省している。
「市民派」と言うとき、私たちは、そこに何を込めるのかだ。政策論集をみれば、理解できようが、其処にいたる前段階でのアプローチがもっと十分になされるべきだ。福山さんの語り口は、柔らかく、彼の話を聞いてくれれば、この人がもっと選択されただろう。そこの壁をどうやって突破するかだ。市民の命の営みのありかたを考えれば、市民が生きていくために次の策を切り拓いていくのは、福山さんだったはずだ。
聞く所によれば、消防職員は、この16年間で381人減だそうだ。1902人が1521人に減らされた。それも24時間3交代制が2交替制に変えられたという。単純に言えば12時間労働だ。こんなで古都京都の消防が機能するのか、できないことははっきりしている。人間である労働者を何だと思っているのか? 消防は、火事がおきてからナンボではない。火事をおこさない対策こそが重要であり、不断の備えと、訓練にある。救急も多忙に違いない。まさに市民の命の営みを守る第一線に消防はあるのだ。まして災害救助という期待値が増大しているのが今日の消防だ。
広義の意味での市役所を、市民ひとり一人は個々の当事者にならないと、気づかない。市民が気づかないから、さらに知らないうちに労働者は削減されてきた。正規職員が減らされ、非正規が増やされ、そして非正規も削減されているのだ。こうした結果が、能登の大地震にも現れている。災害時に部署を超えて対応できる態勢がないのだ。ボランティアを呼び込む下準備もない。足場の無いところに緊急対応は、できないのだ。公助の崩壊が、共助・自助の基礎も掘り崩してきたのだ。
私は、1975年から、世田谷区役所職員として働いてきた。また1990年代初頭から、無所属市民派でやってきた。選挙とは多数決であり、そこに勝たなければ、いかんともしがたい。だから選挙戦術が求められるのだろう。だから愚策に走る。京都市の立憲民主党の如く。しかし選挙戦術と市民の命の営みを作り上げていく政治は異なる。この2つを橋渡しできる態勢がなければ、一致した動きをつくれない。
金が全ての彼ら(自公政権等)は単純明快だ。その暗部に生じている「裏金」造り。1990年代の「金権腐敗」を逆手にとって進めてきたのが、新自由主義であり、独裁体制化であり、住民自治の壊滅作戦だ。今進んでいる事態は、その更に奥に潜んでいる悪行であろう。明文改憲や緊急事態条項の扉が政権によってあけられてきたのだ。
選挙に負けたから、あるいは勝ったからおわりではない。ここから始まるのだ。沖縄では来る6月に県議選がある。与野党伯仲の中で、玉城県政を左右する選挙となる。私たちは、ここにきっちりと勝ちきって、次の国選(衆議院選)に備えたい。沖縄では安保問題を無視した政治はないだろう。「安全保障」の私たちによる書き換えが問われていると、私は考える。