理想の街路樹を見た。以前にもブログでアップした街道。
現国道407号線。栃木県足利市から埼玉県入間市を結ぶ国道で、日光脇往還という江戸時代に八王子千人同心が日光勤藩のために整備された街道
です。私の地元にも宿があり(当時)、縁の深い街道です。
恐らく、その時に植えられた木々や新規に植えた木々だと思いますが、街路樹のお手本になるような姿と感じました。
大きいスギ並木とサクラやモミジなど様々な木々が混じり合い、サクラや新緑、紅葉ととても美しい街道です。
そもそも街路樹とは、市街の美観や環境保全の為に植えらている樹木の事をいいます。
大事なのは市街の美観、環境保全が目的であるという事です。
先日、私の出身校である地元中学校の高木整枝剪定及び伐採の仕事をしました。
校庭内の樹木に関しては、支障している枝と、絡んでいる枝、中途止めした枝や枯れ枝だけをとりました。先を切る必要がないからです。
グラウンドは広く、越境の心配もありません。木々の上は電線や電話線もありません。のびのびとできます。
また広いグラウンドには大きい木がないとどこか不安定ささえ感じます。
何の為に木を切るのか、なぜその木はそこに生え、または植えられているのか。全てに意味があると思います。
我々庭をつくる人間にとって、樹木は相当重要な役割を果たしています。
庭をつくるにあたって大事な事は、今後5年後、10年後、30年後の事を考えて物をつくり、植物を配し植えていきます。
そのときにその木々がどのような役割を果たすのか考えながら。。。
我師である安諸親方も、『後の事を考えて仕事しなきゃダメだよ。その先にどうなっていくのかを考えなきゃね。」と
修行中よく叱られました。
そこにある木々は自然に生えてきた物ではなく、我々植木屋が意図や意思を持って植えたから切る事が必要になってきます。
街路樹に関しては「落ち葉が凄い、掃除が大変。日陰になる。うっとおしい。」と非難がひどいです。
市街の美観や環境保全。。。何の為に街路樹を植えたのでしょうか。15m~20mになるケヤキやイチョウを電線の真下に植え、
いつも枝途中でぶつ切りにされ、無惨な姿に。。
中学校のグランド脇の木々もそういう状況でした。
正直、このまま電線の下でヒドい管理状況下で生かす事は本当に大事なのか。悩みました。
毎年電線に伸びる枝ほ切られ、大きくなってくると太い枝でぶつ切りをされる。繰り返し繰り返し。どんどん木々は弱っていきます。
木の事を考えればむしろ下から切ってしまい、電線に支障がない樹木に植え替えた方ががいいのでは?と。
そこで、ぶしつけながら街路樹の問題に取り組み、自身の町で実践しておられる秋田県の
福岡造園の
福岡さんにご相談にのってもらいました。
福岡さんは秋田県能代市で造園業を営み、街路樹に関しては業界屈指の活動家であります。(詳しくは福岡さんのホームページをご覧ください)
我埼玉県にも、先月街路樹関連で久喜市や東京都江戸川区に訪問されています。
氏に、「樹木と電線との共生」についてお話伺いました。
とても親切、丁寧に写真やブログで説明を添付していただき、また一本の樹木に対する姿勢と心遣い、思いやりがひしひしと伝わってきました。
「よくしたい」強い想いを。
力強い後方支援をうけ、中学校の樹木に取り組みました。
応援に来てもらった仲間とも、その想いと取り組みを理解してもらい仕事に入りました。
ここでの問題点は、工業団地のため背の高い大型トラックが通行する事。木々の真上に電話線や高圧線がある事。近隣に落ち葉の苦情の問題。等でした。
かなり変形の樹形になりますが、以下の事について留意して剪定しました。
:道路部分の枝に関しては低い枝はもとから切り、高い部分では少し縮め、樹形を崩さない様透かし、剪定する。
:電線にさしかかる部分に関しては中途切りをせず、元の方から傷口を巻きやすいブランチカラーの部分で切るように気をつけて切る。
:落ち葉に関しては、木々が大分大きくなっていて共に悪くする環境にあったので間引き伐採をし、枝は縮め、透かして枝数を減らす。
:校側に関しては、大きく枝をつめる必要性もなく、むしろ生徒達の夏場の休憩所となるよう多く枝を残し、バランスを取る様縮め、透かす。
:景観としても武蔵野の代表でああり、また我入間市の木のケヤキの美しさを少しでも感じられるようケヤキはケヤキらしく注意して剪定する。
通学する生徒はもちろん、近隣の会社に通勤される方々、地元の方々に心地よい空間や、緑の大切さ自然の素晴らしさ、こもれびの心地よさを少しでも感じていただけたら。
今後継続して仕事をさせてもらえるかはわかりませんが、こういう想いを込めて剪定した事を学校側には伝えられたと思っています。
今住んでいる町をより美しく、より緑豊かな町になるよう少しずつですが、出来る事から始めていきたいと思います。
ご理解下さった中学校はもちろん、福岡さん、仕事に協力いただいた鈴木さん関塚さん藤原さんありがとうございました。
これから今後の木々の季節の移り変わりを記録していくつもりです。