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比・ネグロス島を「有機野菜の島」に 天草からの挑戦

2020-01-25 15:58:07 | 日記
比・ネグロス島を「有機野菜の島」に 天草からの挑戦
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1朝日 比・ネグロス島を「有機野菜の島」に 天草からの挑戦
有料記事
大矢雅弘
2020年1月25日 14時30分

 フィリピン・ネグロス島を有機野菜生産の拠点に――。そんな構想を実現しようと、熊本県天草市の企業が動き始めた。視線の先には、フィリピンの広大な農地を生かした有機種子の採取という、日本で成し得なかった夢がある。

 企業は種苗や農業資材の販売業を営む光延農園。昨年1月、国際協力機構(JICA)の「普及実証事業」を受託し、JICAから支給された3千万円を元手に、ネグロス島の西ネグロス州でベビーリーフの有機栽培や普及指導、有機種子生産の事業化の可能性を探ってきた。

 ベビーリーフは、ミズナやルッコラなどの若い葉の総称で、種をまいて10~30日で十数センチに伸びた葉を刈り取る。栄養価が高く短期間で育ち、一年中収穫できるのが強みだ。

 西ネグロス州はサトウキビの一大産地だが、砂糖価格が暴落するたび住民の生活は打撃を受けてきた。そのため、同州は「砂糖の島から有機野菜の島への転換」を掲げ、砂糖産業への依存からの脱却をめざす。

 光延農園の光延啓人社長(48)が昨年8月に同州を訪問した際、面会したエウジェニオ・ホセ・ラクソン州知事は、州の方針と一致するとみて光延農園の取り組みに全面協力を約束したという。

 光延農園は創業70年以上の歴史を持つ。天草市では近年過疎化が進み、農家が減少。光延さんも危機感を強めていた。「企業として成長するには海外への事業展開も」。そんな思いでいた2016年ごろ、打診を受けた。

 「ネグロス島を有機野菜生産の拠点にしませんか」

 打診したのは、有機ベビーリー…

2 KKT 上天草市の寺で火災想定訓練
26日の文化財防火デーを前に上天草市の寺で24日火災を想定した訓練が行われた。訓練が行われたのは上天草市大矢野町にある古城山遍照院。訓練は寺の厨房から火が出て逃げ遅れた人がいるという想定で行われ、寺の関係者が避難誘導や文化財の持ち出し、駆けつけた消防が放水や逃げ遅れた人の救助を実際に行った。また、初期消火に必要な消火器のほか、境内にある消火栓の使い方なども確認していた。






“さとくん”が19人を殺害するまで

2020-01-25 15:15:14 | 日記
“さとくん”が19人を殺害するまで
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1 NHK “さとくん”が19人を殺害するまで

2020年1月25日 0時36分障害者施設 殺傷事件
「陽気で明るかった」「教師を目指していた」
昔の同級生や幼なじみに、ふと思いをはせることは誰にでもあると思います。『さとくん』もそんな風に友達に思い出される“普通の若者”でした。そんな彼が、どうして19人を殺害した『植松聖被告』になったのか。法廷で明らかにされた友人たちのことばから、その半生を追っていきます。(障害者殺傷事件取材班)

陽気で明るい“さとくん”

今から30年前の平成2年1月20日、小学校の教師の父親と、母親のもとに1人の男の子が生まれました。「聖」と書いて「さとし」と名付けられました。

その子はのちに事件の現場となる相模原市緑区の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の近くで育ち、幼稚園から中学校まで地元で通いました。


3年半前、19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件の裁判。証人尋問が行われた5回目の審理と、弁護士が同級生や元交際相手などの調書を読み上げた6回目と7回目の審理では、植松被告が事件を起こすまでを振り返りました。

今回の傍聴記では、事件がなぜ起きたのか、その糸口を探りたいとあえて被告のことばと事件までの経緯を直視していきます。


“陽気で明るかった”ー幼稚園~高校時代

まず、幼かったころの被告です。


幼なじみ
「『さとくん』と呼んでいた。陽気で明るい性格でわいわい遊んだ仲でした」


通っていた小学校には重い知的障害がある同級生もいたといいます。


小中学校時代の同級生
「こうした子に対し、さとくんから偏見や差別的なことばは聞いたことがないです」


植松被告の中学時代の写真

法廷に響く「さとくん」という呼び方と目の前の被告にギャップを感じながら、これまで取材でも被告の通っていた中学校の元教員が、卒業アルバムで笑顔を見せる被告を見ながら、「この写真の笑顔のように、さとくんは人なつっこい感じだった」と話していたことを思い出しました。

平成17年。被告は東京 八王子市の私立高校の調理科に進学します。このころの様子について被告と交際していた同級生の調書です。


高校時代の交際相手
「クラスではリーダー的存在でダンスの練習のときに面倒くさそうにしている人がいると『やるぞー!』と呼びかけたりしていました。ただ、気にくわないことがあると物に当たることがありました」


こんな調書も紹介されました。


被告の友人
「当時はまじめで教員を目指していると話していました」


“教師”と“危険ドラッグ”ー変わり始めた大学時代

平成20年。被告は都内の私立大学に入学。教育学科の初等教育コースに進みます。


大学時代の友人
「フットサルサークルに入っていました。基本的には明るくておもしろく、騒ぐのが好きな性格でした。大学2年の夏には頻繁に飲みに行ったりマージャンする仲でした」


傍聴しながら、自分の周りにもいそうな人物だなと感じさせられました。しかし、大学2年のころに変化が見え始めます。


大学時代の友人
「2年の冬には”脱法ハーブ”を使うようになっていました」

高校時代の友人
「20歳の頃入れ墨をしていました。『彫り師になりたい』と言っていたそうです」

高校時代の交際相手
「あるとき沈んだ声で電話をしてきたことがあった。『前みたいにピュアではなくなってしまった』と言っていました」


この調書が読み上げられた時、被告は法廷で声を出して笑っていました。

一方で、夢に向かっていた様子もうかがえました。通っていた大学が捜査当局の照会に応じた内容によると、大学4年の5月から6月にかけておよそ4週間、小学校で教育実習をしたということです。

勤務状況は、「朝、児童に玄関で気持ちよく声をかけて、やる気を感じさせる」と「A」評価。学力は「B」ですが指導態度は「子どもと過ごす時間を大事にして声をかけている」と「A」評価。総合成績はBでした。

大学の進路希望調査には次のように回答していました。
1、教員
2、公務員
3、運輸・倉庫

実際、平成24年3月には小学校教諭1種の免許も得ていました。しかし、被告は結局、教員採用試験は受けなかったといいます。希望通りの進路がかなわなかったことで挫折感を味わったのでしょうか。友人などの調書からはわかりませんでした。


“大麻”の使用は?

今回の裁判で弁護士は、大麻を使用したことによる精神障害の影響で責任能力はなかったとして無罪を主張しています。その大麻については…。
“大麻”の使用は?
植松被告


高校時代の友人
「平成23年ごろだったと思うが、被告は時折大麻を吸うようになりました。被告は『大麻は自然のものだから体に悪くない』と話していました」


そして、在学中に友人の間で交わされた会話です。もし子どもに障害があったらどうするかという話になった時の発言だといいます。


大学時代の友人
「被告は『俺は障害者は無理だな。俺が親なら育てられない』と言っていました」


「障害者はかわいい」ー“天職”と語っていた被告
「障害者はかわいい」ー“天職”と語っていた被告
大学卒業後は運送会社に就職しますが半年ほどで辞め、平成24年12月から被告は非常勤職員として津久井やまゆり園で働くようになります。

採用時に提出されたエントリーシートに記された被告の作文の内容です。

テーマは『人生にプラスになった出来事3つ』。


「部活動。小学5年から高校3年までバスケットボールに打ち込みました」「今思えば過酷だったが、バスケをやめたいと思うことはありませんでした。忍耐力と継続力が今の自分の支えになっています」

「学童保育。3年間非常勤として学童保育所で勤務しました」「子どもの根っこの思いやりを動かすことで成長するし、自分も成長できます。卒業時に子どもの流した涙が忘れられません」

「卒業後、社会人として仕事をして、新入社員代表に選ばれ、現場のルートをいち早く任されました」「人は小さな出来事の積み重ねで成長につながります。3つは大きな経験です」


法廷で読み上げられた内容からは、のちに凄惨(せいさん)な事件を起こすような人物には思えませんでした。施設で働き始めた当初は、待遇などに不満はあったようですが、やりがいを持って働いていた一面もかいま見えました。


大学時代の友人
「被告は『職員が死んだ魚の目をして希望なく働いている』と話すこともありました。しかし『でも障害者はかわいい。いつも寄ってきてくれるし俺がいないと生きていけないんだ』とうれしそうな口調で言っていて、ようやく被告が楽しく仕事をするようになったと安心しました」

小中学校時代の同級生
「仕事について被告は『年収300万円で安い』と言っていましたが、『障害者はかわいい。仕事はおもしろい』と言っていました」


さらにこんなことばも。


大学時代の後輩
「就職活動について相談したところ、被告は『仕事は金のためじゃなくやりがいだと思う。入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。自分にとって天職だ』と話していました」


働き始めたころは、差別的な主張をしていなかっただけでなく、「天職」とまで言っていたのです。


頻度増す“大麻”ー始まる差別的主張

平成25年、26年ごろなると、被告が大麻を吸う姿が頻繁に目撃されるようになります。


被告の友人
「以前から被告は友人から借りた大麻を吸っていて大麻の効果を知っていました。平成26年の夏ごろには大麻を買うようになり紙に巻いたりパイプに詰めたりしていました」

幼なじみ
「平成26年に大麻を吸っている姿を何度も見ました。テンションが高くなることはありましたが、異常な行動をしたり錯乱したりすることはありませんでした」


危険ドラッグから大麻へ。法廷でメモを取りながら、こんなに手軽に大麻が手に入ってしまう現実にも驚きを隠せませんでした。やがて施設で働き始めて2年ほどがたったころには、障害のある人への見方に変化が現れていました。


幼なじみ
「2年ぐらいたったときに、『障害者はかわいそう。食べているごはんもひどくて人間として扱われていない』と話すようになりました」


そして、事件の1年ほど前、平成27年の夏ごろになると、被告は差別的な主張を周囲に伝え始めます。


高校時代の友人
「6月ごろ突然『意思疎通できない障害者は生きている意味がない』と私に言うようになりました。あんなに仕事に満足していたさとくんがそんなことを言うようになったので仕事で何かあったのかなと思いました」

地元の友人
「夏ごろから意思疎通ができない障害者について『安楽死させたほうがいい』などと言うようになりました」


そして年末から事件が起きた平成28年に入るころには、常軌を逸した主張はさらにエスカレートし、「殺害」ということばが出てくるようになります。

植松被告


高校時代の友人
「年が明けた頃、予言のカードを示しながら『このカードは俺のことを言っている。俺は伝説に残る男になる』と真顔で言ってきました。『自分が障害者を殺せばアメリカも同意してくれるはずだ』とか『UFOを見てから人格が変わった』とも言っていました」


そして2月になると周囲の人たちに殺害計画について語っていました。


小中学校時代の同級生
「2月11日、『相談したいことがある』と言ってきて、『やまゆり園の障害者を殺そうと思っている』『安倍総理に手紙を出そうと思っている』などと言っていました」


被告は実際に衆議院議長宛てに障害者を大量に殺害する計画を記した手紙を書き、安倍総理に伝えてほしいと公邸まで渡しに行くなど、ことばだけでなく現実的な行動も伴うようになり、2月には施設を退職します。

同時に障害者に危害を加えるような発言が原因で10日間ほど措置入院しますが、考えが改まることはありませんでした。


当時交際していた女性
「措置入院の前と違いなく障害者に対してネガティブな発言は継続していました。『俺がやる』『俺の手でやる』などと殺害をほのめかすような発言もしていました」


多くの人が異変とその危険性を感じ、被告を止めようと家族の立場になって考えるよう諭した人や、被告を呼び出して説得した友人もいました。中には「本気なら監禁してでも止める」と言った友人もいましたが、被告はその友人にまで「そんなことしたら殺すよ」と言って、考えを変えようとしませんでした。

次第に周囲は被告との関わりを避けるようになり、凶行を未然に食い止めることはできませんでした。


直視することで“糸口”を探りたい

5回から7回の審理では、被告が変貌していく様子や大麻の使用状況は見えてきましたが、差別的主張がなぜ生まれたのかはわかりませんでした。
直視することで“糸口”を探りたい

1月24日に始まった被告人質問でも、被告は法廷で自身の差別的な主張を展開しました。重い知的障害のある娘と暮らし、被告と手紙のやり取りや接見を重ねてきた和光大学名誉教授の最首悟さん(83)は傍聴したあとこう語りました。


最首悟さん
「社会の至るところで生産性のない荷物を始末するという線引きが行われていて、被告は自分の考え自体は世界で支持されると思っているようだが、私たち夫婦は障害のある娘に頼り、娘のおかげで生きている。被告はより強くあることが人類の目的であるかのように考えているかもしれないが、弱さにこそ人が生きるうえで本当によるべき価値観があると思う。人への情愛を抜きにした社会はいずれ滅びてしまう。本来はそのことを考える裁判だと思うが、その片りんは感じられなかった」


裁判では、次回以降も被告人質問が続きます。

今回の傍聴記では書いている私たちもそうですが、読んでいる方も不快になったり傷ついたりする内容もあったと思います。しかし、なぜ事件が起きたのか、どうして防げなかったのか、どうしたらこのような事件を2度と起こさない社会にできるのか、その糸口を探るためにも引き続き審理の行方を伝えていきたいと思います。

「人は生きているだけで価値がある」

そんな当たり前のことをあえて言わなくても済むようにー。


# 1敗で並ぶ正代と徳勝龍が直接対決 # 大坂 15歳の若手に敗れる

2020-01-25 07:44:35 | 日記
# 1敗で並ぶ正代と徳勝龍が直接対決 # 大坂 15歳の若手に敗れる
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1 NHK 大相撲初場所14日目 1敗で並ぶ正代と徳勝龍が直接対決

2020年1月25日 4時49分大相撲
大相撲初場所は14日目、1敗で優勝争いのトップに並ぶ平幕の正代と徳勝龍が注目の直接対決を迎えます。

初場所は13日目を終えて、前頭4枚目の正代と前頭17枚目の徳勝龍の平幕2人がともに1敗、2敗でただ1人、大関 貴景勝が追う展開です。

14日目の25日は、正代と徳勝龍が直接、対戦します。

2人の過去の対戦は、平成28年春場所の1回だけで、正代が寄り切りで勝っています。

今場所の正代は、前に出る圧力が増し組んでも離れてもみずからのペースに持ち込んで白星につなげてきました。

一方、徳勝龍は、3日続けて土俵際からの突き落としで逆転勝ちをするなど、際どい相撲を制してきました。

正代は土俵際でも慌てず、相手の動きをしっかり見極める落ち着いた相撲が求められます。

徳勝龍は、正代の体格をいかした強烈な立ち合いを止めることができるかが勝負の鍵を握りそうです。

貴景勝は、大関昇進に向けて足固めをしたい関脇 朝乃山との対戦です。
これまでの対戦では、貴景勝の3勝2敗ときっ抗しています。

先場所敗れた貴景勝は、場所前の稽古総見で朝乃山に6勝4敗と勝ち越したものの四つに組まれると不利になる場面も見られました。

貴景勝が立ち合いから持ち味の強烈な突き押しで一気に勝負をつけて優勝争いに踏みとどまることができるのか注目です。

朝乃山は、得意の左上手を取ってしっかりと胸を合わせて寄り切りたいところです。

2 NHK 全豪オープン3回戦 大坂 15歳の若手に敗れる

2020年1月24日 18時40分テニス
テニスの四大大会、全豪オープンは女子シングルスの3回戦が行われ、去年この大会を制した大坂なおみ選手がアメリカの15歳、コーリ・ガウフ選手にストレート負けし、大会連覇を逃しました。

世界ランキング4位の大坂選手は2試合連続のストレート勝ちで24日の3回戦に進み、世界67位でアメリカの15歳、ガウフ選手と対戦しました。大坂選手はガウフ選手とは対戦が2回目で、去年の全米オープンでは勝っています。

24日の試合では第1セット、互いにサービスゲームをキープする展開となりましたが、大坂選手は終盤にミスが続きました。そして、第8ゲームでサービスゲームを相手に奪われ、このセットを3ー6で落としました。

第2セットでは深く力強いストロークでペースをつかみかけましたが、相手の素早いフットワークと鋭いショットに押されて巻き返すことができず、4ー6で落としました。

大坂選手はセットカウント0対2でストレート負けし、大会連覇を逃しました。