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 # 天草エアライン 12月に減便解消へ

2019-05-31 23:55:09 | 日記
 # 天草エアライン 12月に減便解消へ
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1 TKU 天草エアライン 12月に減便解消へ

天草エアライン 12月に減便解消へ
2019.05.31 19:01
機長が足りずに約3割の便が運休している天草エアラインは31日、「今年12月ごろ通常運航に戻す見通しが立った」と発表しました。天草と福岡や大阪伊丹などを結ぶ天草エアラインは、3人の機長のうち1人が体調不良のため現在は2人の機長で運航。今年3月から約3割の便で運休が続いています。このため同社はJALと連携して8月から熊本―大阪伊丹の1往復を共同運航する予定。これで運休便は約3割から2割に減りす。さらに12月ごろJALのグループ会社である日本エアコミューターから機長1人の派遣を受け、3人態勢で1日10便の運航に戻る見通しです。天草エアラインの筆頭株主である県の蒲島知事は定例会見で「このようなことが二度と起こらないようにしなければならない。機長不足は熊本だけでない。それを考えておく必要がある」と述べました。


 # 山崎理恵さん # 山崎音十愛さん

2019-05-31 23:29:55 | 日記
 # 山崎理恵さん # 山崎音十愛さん
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講演する山崎理恵さんと次女の音十愛さん NHKラジオの「明日へのことば」の番組を、 若い人の目に留まるかと思われ投稿を続けていられる方のブログより 2017年11月28 日火曜日 山崎理恵(NPO法人「みらい予想図」理事長) ・重症心身 ...

山崎理恵(NPO法人「みらい予想図」理事長)・重症心身障害児のあしたのために | aoiwasi-k135のブログ
興味があることをいろいろ載せています。

”考えるだけでもワクワクしませんか?” + その癖を反対にbyアシュタール
日本は戦後70年、憲法9条により「去勢」されてきた

山崎理恵(NPO法人「みらい予想図」理事長)・重症心身障害児のあしたのために
2017-11-28 10:50:18
テーマ:明日へのことば
山崎
講演する山崎理恵さんと次女の音十愛さん

 NHKラジオの「明日へのことば」の番組を、若い人の目に留まるかと思われ投稿を続けていられる方のブログより

2017年11月28日火曜日
山崎理恵(NPO法人「みらい予想図」理事長)
・重症心身障害児のあしたのために

 50歳、この9月に重度の肢体不自由と重い知的障害のある子供、重症心身障害児、重症治を対象にしたデイサイビスの施設「いっぽ」を高知市に開きました。山崎さんは3人の子を持つシングルマザー、12歳の次女音十愛(おとめ)さんは全盲で重複障害のある重症児です。音十愛(おとめ)さんを育てる中で、山崎さんが痛感したのは重症治の介護や看病に当たる母親の休まる場が無いということでした。同じ境遇にある親たちが支え合い休らぐ場所を作りたいと施設を立ち上げました。しかし事業の経験もなく経済的な余裕もなかった山崎さんにとって、これまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。

聞き手の紹介のあと、お話が続きます。
 事務所として使われていた建物を改装して作られた。身体障害者手帳と知的手帳があるが、両方の手帳が共に最重度であるということが認められた子、プラス高度な医療が必要な子(気管切開されている子等)、医療的なことがとても高度で何処にも行くところがないお子さん(医療的ケア児)も含めて総称を重症児と言われています。ほとんど寝たきりのお子さんが多いです。

 常に何かの介護が必要、医療的なケアが必要なお子さんが多いです。事業するにあたっての人員配置では、普通のデイサービスよりもうんと厳しくて、全てが有資格者でなくてはいけない。
私自身も看護師の資格を持っています。

 音十愛(おとめ)は3人目だった、途中から育ちが悪くて、羊水がほとんどなくなって緊急オペになり、オギャと小さい声で泣いたが直ぐに連れていかれて、2日間会わせてもらえなかった。

 ただ事ではないと思ったが、2日後に本人に会わせてもらったが、そのときのショックはいまだに忘れられない。見た瞬間、管がいっぱい入っていた。顔は鼻から下が全部裂けていると言う感じでした。手足も不揃いでした、それを見た瞬間血の気がスーッと引きました。

 お腹の中の児に私は何をしたんだろう、普通に産んでやれなかった事を物凄く罪と思いました。目の事はその時は言われなかったが、部屋に帰ってから先生が目がないんですと言われ、目の中に眼球がないと言われてしまいました。

 どうやって育てていこうかとずーっと考えていて、どうしてと受け止められなかった。これほどの障害のある子はどういうふうに育ってゆくかは予測が出来ない、内臓にも異常があるかもしれないので、とにかく普通に育ててくださいと、簡単に医師から言われました。

 最初は泣いて泣いて、一生のうちの涙はその時流したと思うくらい、泣きました。助産師さんには今でも感謝していますが、泣いて暮らしている私に毎日ベッドサイドに来てくれて、ただ私の話を聞き出そうとしてくれて、「そうやね」といって受け入れて、ある日助産師さんが「赤ちゃんは頑張って生きようとしている、凄く元気よ、この子は生きたいと思っているから、お母さんがしてあげられることは何かないかね」と言ってくれました。

 心配ごとの高い順番から並べていって、と言われて、「一番は、目が見えない目がないといういうことが一番ショックです。どうやって育てていいのか、わたしの顔も一生判らないんですよね。」といったときに「わかった」と、その心配事を少しでも和らぐために、相談できる人を探そうということになりました。

 ソーシャルワーカーが探してくれて、高知女子大学にいた助教授の先生を紹介してくれました。その方自身が弱視でほとんど見えない方でした。話を聞いてくれて、全然普通に育てていいよと言われました。色んな事が出てくるかもしれないが、出てきたら出てきた時に考えればいいと言われました。最初そういう人達に支えられました。

 全てが困難の連続でした。口が割れていたので、ミルクが飲めない。鼻に管を入れて退院したが、口から飲む練習をしましたが、口から飲ませて体重を増やすことが物凄く大変でした。(体重が増えないと口の手術もできない)

 1、2年かけて1kg増やす目安で5kg目指すのが、物凄く大変でした。自傷してしまう子で、昼夜の区別が出来ないので睡眠時間が凄く不規則で、夜通し泣いて、自分の思いが伝えられなくて、いらいらして頭を壁にぶつけたり色々やっていました。

 一晩中抱っこして、また朝が明けたという日が毎日続いて、3時に主人が起きて主人に交代してもらって出勤するまでやってもらって二人三脚でずーっとやっていました。それが長く続いて5歳までは入退院のくり返しで、その間大きな手術が2回して、生死をさまよいました。

 兄弟があると、兄弟の行事とかで外に出ていかないといけない時もあり、外に出ると好奇な目が降り注いできて、心ない言葉も浴びました。スーパーに行ったりすると子供が寄って来て、「わぁー、気持ち悪い」と言って走って逃げてゆくことが何度もありました。

 大人の方も「こんな子が生まれるのは親の責任や」と言って行ってしまう人もいました。(見ず知らずの人から言われた)社会に出ていく怖さがありましたが、何を言われようと出て行こうと腹をくくりました。

 「わぁー、持ち悪い」と言っていた子が、2回、3回と会ってゆくうちにだんだん寄って来るんです、そのうち「可愛いね」と言ってくれるんです。経験を重ねるごとに人は受け入れてくれるんだと、経験しました。

 社会に出て行って傷付いたこともたくさんありましたが、教えてもらったこと、学んだ事がたくさんありました。外に連れ出したということは、私の心も強くなりました。

 成長とともに命の峠がある、落ち着くんです。(5歳ごろからでした)医療的なことが必要な子は、単独では保育園には通えない状況でした。3歳のころはミルクを鼻からチューブで入れるようなので、受け入れてくれるところはなかった。盲学校の幼稚部に入れないかなど、いろいろと相談したが無理だった。

 いつかは私が先に亡くなるので、この子が何もできなければどうするんでしょうか、社会の中で生きていける力を少しでも付けられるように、そのために社会性を身につける場所に通わせてくださいと、お願いしましたが、だめでした。

 盲学校の先生に、高知にはいられないので高松(実家)に帰ると言ったら、とにかく発信しなさい、聞いてもらいなさいと言われて、高知県母親大会というところを紹介されて、そこで全てさらけ出しました。

 最初一個人の問題は取り上げられない場合が多いが、真剣に聞き始めてくれて、音十愛(おとめ)さんだけの問題ではなく先に繋がるお子さんがいるはずだと言うことで重要課題に取り上げられました。世論に訴えなさいとも言われて、新聞の投書欄(声広場)にだして、それが一つの流れになって、署名活動にもつないでいこうと言うことで、「音十愛(おとめ)ちゃんを幼稚部に入れる会」が結成され、全国に署名依頼して2万筆位集まり、それを持って県の教育委員会にいき、2カ月しないうちに特例で認めてもらいました。

 子供たちの中で活動することで、育まれることが色々あると思いました。今は鼻からのチューブを止め胃瘻(いろう)にしています。

 主人は仕事もしていて、子供を見ながらと言う事は介護疲れがとってもあって、家庭の中の歯車がおかしくなって、ある日突然仕事に行けなくなった。(うつ病だった)結果的に、離婚という選択になってしまった。一緒にいていたら共倒れになっていたと思いました。決断としては良かったと思います。

 離婚する前から、このままこの子を育てていく人生なのか、音十愛(おとめ)は自分がいなくなった後にどんな世界で生きていくんだろうと思ったときに、施設に入ると言う道しかなかったが、もっと選択肢があってもいいのではないか、この子が笑顔の素敵な子だったので、誰かを元気にさせる力があるのではないかと漠然と思っていました。

 シングルマザーで、経済的にも厳しく生きて行くのが精いっぱいで、私もうつ病にもなり、実家に帰ろうかと思っていたときに、あるきっかけで地元の新聞に私たちのことが連載されることになりました。重症児のデイサービスを全国で当事者のお母さんが立ちあげることを手伝っている方に出会うことになりました。

 その人の「無ければ作ればいい」という言葉にピーン」と来たのは、ずーっと自分は何をしたらいいか判らなかった殻?にならなかった部分が、パーンと殻?になりました。

 重症児で、高度の医療的な事が必要な重症児を預かる、お母さんの介護疲れを支援出来る施設がないと思って、これをしようと思いました。同じ様な環境のお母さんがいたりして、頑張るお母さんがいましたが、彼女は自殺をしてしまいました。大事なお子さんが先に旅立たれて後を追ってしまいました。何もしてやれなかった自分を攻める気持ちが凄く大きくなって、自分の中に引っ掛かりました。

 同じ様な経験をしたお母さんたちから貰う勇気は大きい、人から貰った一言から明日に繋がるということは結構あるので、出会いが結ばれる出会いの場は多ければ多いほどいいと思って、二度と悲しい出来事がないようにとの願いです。

 まずこれを選んで、次にもしたいものがあるので、「みらい予想図」としたんですが、制限をかけないように自由にすごせるような場所も作りたいと思っていました。この事業は通過点だと思っています。

 一つ一つの山を考えるとと怖くてできなかったと思います、先の殻?が見えたんです。誰かの力を借りながらクリアしてゆくしかないと思いました。色んなことが山のようにありましたが、諦めなかったらクリア出来ました。強い思いは子供たちの未来です、それからここまで来るのには本当に沢山の人にお世話になりました。そういう人達の顔が浮かぶし、こういう人達に甘えてきたので、何か返したいと思います。

 どんなに障害が重くても、その子なりに発達って絶対あるんです。音十愛(おとめ)の場合は言葉が増えていきましたし、歩けない子が歩き出したというような発達もあります。脳性まひのお子さんで、本当に反応あるのかなというようなお子さんでも、お母さんには喜んでいる反応とかが判るんです。それを第三者が判るまでには時間がかかります、微々たる反応ですから。
自分を表現できることが嬉しいことに変わって、僕をわかってくれる人がいると言うことが、また反応に繋がる。

 ここは始まりの一歩で(0から18歳まで)、要求が高いのは、卒業した方が行き場がないと言うこともあるので、18歳以後の方が過ごせる場所が必要だと思って作らなければいけないと思います。

 夜もケア出来るところもないので、家族が休息できる場所も必要だと思います。どんな人でも共存できる、笑顔で過ごせる場所が最終目標です。手をつなぎながら、未来を作っていきたいです。

音十愛(おとめ)は、自分の人生を導いてくれる大事な先生ですね。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

購入した建物
「みらい予想図」が重症児デイサービス施設開設のために購入した建物(高知市朝倉南町)

見学会
盛況だった重症児デイ「いっぽ」の見学会初日。手前右が山崎理恵代表
(1日午後、高知市朝倉南町)


 # 天草エア JALと共同運航で運休解消へ # ハッチョウトンボ飛び交う # 天草エアライン 12月に減便解消へ

2019-05-31 19:20:34 | 日記
 # 天草エア JALと共同運航で運休解消へ # ハッチョウトンボ飛び交う # 天草エアライン 12月に減便解消へ
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1 RKK 天草エア JALと共同運航で運休解消へ

天草エア JALと共同運航で運休解消へ
2019年05月31日 18:30 現在
パイロット不足で一部の便で運休が続いていた天草エアラインは、8月から日本航空と共同運航することで運休解消を目指すことを発表しました。

天草エアラインは病欠によるパイロットの不足で大阪便など運航する一部の便で運休が続いています。
このため、8月から日本航空と共同運航によって運休の解消に努めると発表しました。
例えば天草から大阪に向かう場合、席の予約は天草エアラインで受け付けた上で、
熊本空港で大阪行きの共同運航便に乗り換える形になります。
これに伴ってダイヤも一部変更されます。

また、パイロット不足も日本航空との連携で
今年12月ごろには元の3人体制に戻る見込みだということです。

2 RKK ハッチョウトンボ飛び交う
ハッチョウトンボ飛び交う
2019年05月31日 16:47 現在
国内最小級のトンボハッチョウトンボが飛び始めました。
上天草市姫戸町にある白嶽森林公園の湿原です。

この中にハッチョウトンボがいるのですが…葉
っぱの先端で羽を休めています。

大人になっても体長がわずか15ミリから20ミリと1円玉程の大きさしかないハッチョウトンボは6月から7月が羽化の最盛期です。オスだけが成長するにつれて徐々に赤みを帯びて鮮やかな赤色になります。

県内ではここ以外に、人吉・球磨地方の一部でしか確認されていないというハッチョウトンボは9月頃まで観察出来るということです。

3 TKU 天草エアライン 12月に減便解消へ

天草エアライン 12月に減便解消へ
2019.05.31 19:01
ページを開くと動画ニュースが有ります。


# 奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる

2019-05-31 10:12:25 | 日記
# 奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる
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1 奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(1)五体不満足での誕生|高知新聞
www.kochinews.co.jp/sp/article/21814 - キャッシュ

娘が笑顔になるまでの長い日々を語る山崎理恵さん(2015年11月7日、全国重症心身障害児(者)を守る会四国ブロック研修会)=コラージュ 過酷な日々 ... 一番下の子の名は音十愛(おとめ)。 ... 奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(2)泣き崩れた母、支えた父.

2 奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(21)やっぱり高知で生きていく|高知新聞
www.kochinews.co.jp/sp/article/29525/ - キャッシュ

中でも恩を強く感じているのは、希望の家の言語聴覚士、谷本愛裕美(あゆみ)さん(33 )だ。3歳9カ月から関わり、今も週1回の摂食訓練を続けている。 谷本さんは振り返る。 ... 奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(2)泣き崩れた母、支えた父. ( 2016.05.17 ...

・・・4・5・6・7・8・9・10

娘が笑顔になるまでの長い日々を語る山崎理恵さん(2015年11月7日、全国重症心身障害児(者)を守る会四国ブロック研修会)=コラージュ
過酷な日々を乗り越えて
 2015年11月、高知市内で開かれた重症児親の会のシンポジウム。パネリストの山崎理恵さん(49)は笑顔でマイクを握ると、ためらうことなく話し始めた。

 「3人の子供を育ててきました。シングルマザーです。仕事も育児も介護もしながらの生活です。一番下の子の名は音十愛(おとめ)。間もなく11歳です。生まれてから両目の眼球がないことが分かりました。口唇(こうしん)口蓋裂(こうがいれつ)で、手足にも奇形が。脳の発達は年数を踏んで状況をみないと分からない、そう言われて育ててきました」

 誕生時からの写真がスライドで映し出される。会場はかたずをのんだ。

 「一生のうちの半分以上はこの時期に涙を流したと言ってもいいほど、泣き暮らしました。五体満足に産んでやれなかった。罪悪感に悩まされました。一緒に死んでしまいたいと思ったことも何度かあります」

 だが、2人の兄姉(きょうだい)もいる。「とにかく頑張らねばということで、みなさんに背中を押されながら立ち上がるんですが、どうやって育てていけばいいんでしょう。本当にいろんなことが起こっていったんです」

 出産直後からの母子入院は2カ月半。その後も入退院の繰り返しで、6歳半までに計13回、延べ約560日を病室で暮らした。ミルクを飲ませると口と鼻から噴きこぼれるなどのため、鼻からチューブで入れる日が4年も続いた。見えないことから起こる自傷は激しく、耳は腫れ上がって血だらけ、体はあざだらけ。昼夜を問わず泣き暴れるわが子。抱き締めてなだめるしかなかった。

 来る日も来る日も小児科、眼科、耳鼻科、口腔(こうくう)外科、形成外科、リハビリ部門を受診した。「子供は車の中で泣き続けるわけです。着いて、待って、診てもらうのは10分か20分。夜も眠れず、治療、訓練で疲労困憊(こんぱい)です。母子入院になるので、上2人は主人に預けっ放し。寂しい思いをさせてしまいました」

 5年目、音十愛ちゃんの体調が落ち着くと今度は夫が心身の不調をきたし長期の休職が繰り返された。理恵さんが働き始めるが、次第に歯車が狂い、2015年春、家族は二つに別れてしまった。そして2カ月後、理恵さんも心身が参って動けなくなる。最大のピンチ。だが、天は見捨てず、今がある。

 淡々と話すこと30分。最後の写真を前に理恵さんは言った。「見てください。こんなにすてきな、宝物のような笑顔になりました。笑ってくれる日が来るなんて想像もできなかった。関わってくださった方々のおかげです。子供って可能性があるんだなと感じます。だから、在宅の生活が光り輝いて楽しくなるように、サービスが充実してくれるように心から祈ってます」。涙ぐみながら訴えた。

 30分間に凝縮された壮絶な人生。母はどれほど眠れぬ日々を過ごしてきたのか。全盲の重複障害児の親子の11年間を追い、高知県の在宅福祉事情を考える。
    (高知新聞 編集委員・掛水雅彦)

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