武弘・Takehiroの部屋

人生は 欲して成らず 成りて欲せず(ゲーテ)

映画のリメイクは難しいのか

2024年08月14日 14時58分03秒 | 映画・芸能・音楽

<以下の文を復刻します。>

映画のリメイクは、つくづく難しいと思った。つい最近、横溝正史原作『犬神家の一族』の2006年版映画(DVD)を見たが、その30年前の映画に比べるとずいぶん劣っているように感じた。
 一番驚いたのが、1976年の映画と同じ市川崑監督がメガフォンを取ったことだ。映画界の巨匠が同じものを二度作るのも珍しい。たぶん、30年前の『犬神家の一族』がとても評判が良かったので、その味が忘れられなかったのか。人生の最後に(これが市川監督の遺作となった)、夢よ再びと思ったのかもしれない。
 それはともかく、第1作は「日本映画の金字塔」と呼ばれたぐらい評判が良かった。もちろん私も見たが、主役の私立探偵・金田一耕助に石坂浩二が扮し、女優陣では犬神松子役に高峰三枝子、野々宮珠世役に島田陽子が扮した。あの「角川映画」の第1作とあってボルテージが上がっていたのか、実に見応えがあって面白かった。
 石坂浩二もむろん良かったが、高峰三枝子には“華”があり、何とも言えないオーラが漂っていた。息子を守るためには何でも(殺人も)厭わないという母親の執念が伝わってきた。また、その息子の恋人役を演じる島田陽子はまことに美しかった。記念すべき第1作だから、余計に印象に残ったのだろうか。
 
ところが、2作目は同じ石坂浩二が主役を演じながらも、ストーリーはもちろん変わらないし、いろいろ工夫はしているようだが、どうも物足りない感じがするのだ。松子役の富司純子は、息子役の尾上菊之助と“実の親子”で熱演していた。演技は見事だったと思う。また、珠世役は人気のある松嶋菜々子が演じていた。しかし、第1作の高峰三枝子らのイメージが強すぎるのか、どうしても物足りなく感じるのだ。
 そこで思ったが、リメイクされた映画はとても難しいということだ。若い人は初めて見るから良いだろうが、第1作を見た者はどうしても比較してしまう。そうすると、第1作が素晴らしければ素晴らしいほど、2作目が見劣りしてしまうのだ。これは仕方がないだろう。
 最初の映画が成功すると、製作者は“2匹目のドジョウ”を狙うのかもしれない。しかし、それが難しい。「柳の下にいつもドジョウはいない」ということだ。しかし、製作者は第1作に味を占めて、ついつい2作目を狙うのだろう。
 古い話だが「ターザン」も「鞍馬天狗」も「007」なども、1作目が当たると次々に新作を出した。魅力的な主演俳優が変わらないのだから、それは良いだろう。しかし、主演俳優が変わってリメイクすると、とたんに味気ない映画になってしまう。よほど新鮮な企画で、思い切った演出をしないとすぐに飽きられてしまうのだ。
 
とにかく、リメイクで成功するのはとても難しいと思う。例えば、松本清張原作の映画やドラマも、次々にリメイクされてきた。しかし、どれほど成功しただろうか。若い人は初めて見るから、「ああ、こんなものか」と思うかもしれない。しかも、主役はだいたい当代きっての人気俳優が演じる。だから、それで満足するかもしれない。
 しかし、松本清張の作品をずっと見続けてきた我々“年寄り”は、「何だ、こりゃ~~」と落胆することが多い。だから、清張作品のリメイクはもうあまり見ないことにしている。大抵がっかりするからだ。映画会社は「年寄りを相手にしているのではない。若い人に見てもらえれば良いのだ」と思っているかもしれない。それも一理あるだろう。
 しかし、くどいようだが、リメイクにあまり頼るなと言いたい。リメイクそのものが安易なのだ。これは名作だからとか、過去に成功したからだとか、そんな安易な考えで映画製作をするなと言いたい。
 新作を次々に発表するのは良いが、リメイクほど難しいものはないのだ。どうしてもリメイクが必要なのは、日本人なら「忠臣蔵」程度である。
 今日はどうも、年寄りの“繰り言”みたいになってしまった。失礼。しかし、オールド映画ファンなら、そう思っている人が多いのではないか。


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