JUNKO THE WORLD

天使と幼妻の甘さを兼ねそなえた歌声を持つ歌姫 八神純子を綴ります

83年当時の米国進出に関しての正直な私の感想

2006-06-17 23:01:15 | 独り言
八神純子の声量、音域の広さ、音程の確かさ、表現力はここで確かめてみて下さい 


音楽ダウンロードサイトーMySound[マイサウンド]


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今回のアンケートは出足が低調で現時点で11票の投票しかありません。
通常の投票数が30票程度なので、少し心配。
まあ、今日、明日とありますのでこれから盛り返すと思いますが・・

今回のアンケートのアルバムを聴くと、いろいろと思うことがあるわけ。
最愛の歌姫に対して悪いことは書きたくないが、私の思ったことをほんの少しだけ書いてみたい。
このアルバムの誕生は三つの要素が合わさってできたアルバムであること。
一つ目は、ヤマハという会社のソフト部門が八神純子を米国デビューさせることによって世界戦略を描くこと。
二つ目は、八神純子自身が望んだこと。
三つ目は、米国の著名プロデューサーが興味を持ったこと。

その三つの要素が合わさって、このアルバムが生まれた。

そしてこのアルバムは成功したのか?
もう、結果は出ているのでハッキリ書くが失敗と言っていいのだろう。
私は、このアルバムを聴くと、米人の感性と日本人の感性の差を埋めることができなかったことが結果に現れていると思う。
八神純子という歌姫はヤマハ前期においては、恋する女性の憂いを表現する事によって人気を勝ち取ってきたと思う。
それは、日本語の発音であり、憂いを表現するメロディーであろう。
そういう意味においては、この米国進出アルバムは、日本人の若い女性としての心情を歌うことができたのか?
そこが問われるのだと思う。
思い出の部屋 の英語バージョンは、オリジナルの憂いを表現することができたかと言えば疑問符を付けざるおえない。
このアルバムにおいて私が、八神純子を感じることができるのは Broadway Kisses だけだ。

そんな彼女の持ち味を生かすことが成功への一つの条件だったと思う。
しかし、米人の世界に合わせたことで(?)一つの条件をクリアーすることはできなかった。
米国に合わすべきか、日本をもっと出すべきか?
この選択はとてもジレンマがある。

結局、どの道を進んでもいいことはなかったのかもしれない。
米国という国は自分の世界が一番であって、他の世界を肯定することができない国なのだから・・

                            END

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