毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖ヨハネ・クリゾストモ 地の塩、世の光

2011-08-14 07:00:00 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ(349-407年) コンスタンチノープル司教、教会博士
『マタイ福音書講話』
「あなたかたは地の塩である。※1」あなたがた自身の命のためではなく、全地のために、このことばがあなたがたにゆだねられました。「わたしがあなたがたを遣わすのは、二つの町でもなく、十の町、二十の町でもない。かつての預言者のように、一つの民に遣わすのでもない。地に、海に、そして全世界に、しかも悪に浸りきっている全世界に遣わすのである」と主は言われます。「あなたがたは地の塩である」と言われたことで、主は人間の本性がことごとく塩を失った者となり、罪によって腐敗していることを明らかにされました。このため、多くの人を世話するために必要不可欠で、きわめて有益な徳を弟子たちに求めておられるのです。実際、柔和でつつましく、憐れみ深く、正しい人々は自らの内に善行をつむだけにとどまらず、それらのすばらしい泉が他の人々の益のために流れ出るように準備しているのです。また、心の清い人、平和を実現する人、真理を追究する人も、公共の益のために生涯をささげます。

主は言われます。「わたしがあなたを凡庸な戦いにに引き出したとか、あなたがたの仕事は取るに足りないものであるとか、考えてはならない。あなたがたはまさに地の塩なのである。」では、主は何を言わんとしておられるのでしょうか。腐敗したものを弟子達が元に戻し得たでしょうか。断じてそうではありません。すでに腐敗下者の上に塩をふりかけても何の役にも立ちません。弟子達が行っていたのは、このようなことではありませんでした。
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年間第二十主日

※1 マタイ5:13
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。

私たちは、旧約の預言者たちが一つの民に使わされたのとはことなり、全世界に遣わされました。私たちは地の塩なのです。しかし、腐敗したものに塩をふりかけても意味はなく、塩気を失ってしまった人々に、私たちを通して、回復させることにあります。しかし、私たちが塩気を失ってしまえば、何の役にも立ちません。
私たちは塩気を失ってはなりませんが、