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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖バルナバ 光の道

2013-08-07 00:00:00 | 聖バルナバ
バルナバの手紙 紀元140年以前
 さて、光の道は次の通りです。もし誰かが定められた場所に行き着くまで、この道を歩み通したいなら、その道の業に励みなさい。この道を歩むために私たちに与えられた知識はこれです。

・あなたをお造りになった方を愛しなさい。
・あなたを形づくってくださった方を畏れなさい。
・あなたを死から救ってくださる方を賛美しなさい。
・心の素朴な者、霊に富む者となりなさい。
・死の道を歩いている人たちと交際してはなりません。
・神のお喜びにならない一切のことを憎みなさい。
・一切の偽善を憎みなさい。
・主の掟をなおざりにしてはなりません。
・慢心せずに、すべての点で謙虚でありなさい。※1
・栄誉をわが物顔にしてはいけません。
・隣人に対して悪い企てをしては成らず、また、向こう見ずであってはなりません。

・あなた自身よりも、あなたの隣人を愛しなさい。
・堕胎をしたり、新生児を殺してはなりません。
・あなたの息子や娘を放任せず、むしろ若い頃から主を畏れることを教えなさい。
・隣人の持ち物を欲しがってはなりません。
・貪欲にならず、高ぶる人々と親しくならず、むしろ謙虚な人々、正しい人々と交わりなさい。

・神無しには何一つ起こらないことを認識して、あなたの身に起こることはどんなことでも、良いこととして受け入れなさい。
・裏表があったり、二枚舌を使ってはなりません。二枚舌は死の罠だからです。

・・・
・おしゃべりにならないようにしなさい。口は死の罠だからです。※3
・あなたの魂のために、できるだけ身を清く保ちなさい。
・・・

・施す事をためらったり、施しながら不平をこぼしてはなりません。
・報いを寛大にお与えになる方がだれであるかを良く知りなさい。
・あなたが受けた教えを大切に守りなさい。それに「何一つ加えたり、減らすことがあってはなりません※4」
・悪を徹底的に憎みなさい。
・正しく裁きなさい。※5
・分裂を引き起こさず、むしろ相争う人たちを一カ所に集めて和解させなさい。
・自分の犯した罪を告白しなさい。
・やましい良心を抱いたまま、祈りに赴いてはなりません。

以上が光の道です。


年間第十八水曜日 読書
第一朗読 アモス 9:1-15
第二朗読 バルナバの手紙

古代教会が教える光の道。

※1マタイ23:12
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

※2ローマ12:16
互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。

※3箴言18:21 ヤコブ3:8
死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう。
しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。

※4申命記13:1
あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。

※5申命記1:16 箴言31:9
わたしはそのとき、あなたたちの裁判人に命じた。「同胞の間に立って言い分をよく聞き、同胞間の問題であれ、寄留者との間の問題であれ、正しく裁きなさい。
あなたの口を開いて正しく裁け、貧しく乏しい人の訴えを。


聖バルナバ
 初代キリスト教会のメンバー。正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人。バルナバ書簡はシナイ写本に含まれています。

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖バルナバ使徒
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=061101

ベネディクト十六世が「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の中で「聖パウロの協力者たち」について解説しましたが、その中でバルナバについても解説しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message184.htm

聖バルナバ 新しい創造

2013-08-06 07:00:00 | 聖バルナバ
バルナバの手紙 紀元140年以前
 主は、私ちが罪のゆるしによって清められるようにと、ご自分のからだを滅びに渡すことをお忍びになりました。罪のゆるしとは、主の血の注ぎかけを受けることによるのです。主については、あることがらはイスラエル人に向けて、あることがらは私たちに向けて記されたものですが、こう言っています。「彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。彼の受けた傷によって私たちは癒された。彼は、屠り場に引かれる羊のようであり、毛を切る者の前に物を言わない子羊のようであった。※1」それで、私たちは、主に深く感謝しなければなりません。主は、私たちに過去のことを教え、現在について知恵を得させ、また、今後起きることについても無知のままでいないようにという恵みをくださったからです。聖書に次のように記されています。「鳥の前に、網を仕掛けるのは不正なことではない。※2」これはつまり、義の道について知識を持っていながら、自分から進んで暗闇の道へ向かっていくような人が滅びてしまうのは正統である、という意味です。

 兄弟の皆さん、さらにこのこともお話ししておきましょう。私たちの魂のために苦しむことを忍ばれた主は、全世界の主であり、世の初めのとき、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう※3」と神から言われた方でありながら、どのようにして人間の手にかかって苦しむことに耐えられたのでしょうか。この点をよく学びなさい。預言者たちは、主から恵みを受けて、主について預言をしましたが、主ご自身は、司を滅ぼし、死者のうちからの復活を示すために、肉を持っている者として現れなければならなかったので、苦しみを忍ばれたのです。それは、先祖になされた約束を果たすため、また自らご自分のために新しい民を備え※4、自らが復活して世界をお裁きになることを、この地上におられる間にお示しになるためでした。さらに、主はイスラエルに教え、沢山のしるしと奇跡を行って宣教し、イスラエルを深く愛されたのです。

 それで、主は罪のゆるしを与えることによって私たちを新たにし、私たちを別の形に作り直されました。いわば、私たちを再創造してくださったので、私たちは幼子のような魂を持つようになったのです。聖書は、神が御子に向かって語られることとして、私たちについてこう言っています。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして地の獣、空の鳥、海の魚を支配させよう※5。」次いで、主は私たちの美しい姿をご覧になると、こう言われました。「増えよ、数を増やせ、地に満ちよ※6。」


年間十八火曜日 読書
第一朗読 アモス7:1-17
第二朗読 バルナバの手紙 新しい創造

主の御言葉は、あることがらはイスラエル人にむけて、あることがらは私たちに向けて記されました。

※1 イザヤ53:5,7
彼が刺し貫かれたのは私たちの背きのためであり彼が打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって私たちに平和が与えられ彼の受けた傷によって、私たちはいやされた。
苦役を課せられて、かがみ込み彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように毛を切る者の前に物を言わない羊のように彼は口を開かなかった。

※2 箴言1:17(七十人訳)
翼あるものは見ている。網を仕掛けるのは徒労だ。(新共同訳)

※3 創世記1:26
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

※4 ルカ1:17参照
彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。

※5 創世記1:26
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

※6 創世記1:28
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」



聖バルナバ
 初代キリスト教会のメンバー。正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人。バルナバ書簡はシナイ写本に含まれています。

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖バルナバ使徒
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=061101

ベネディクト十六世が「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の中で「聖パウロの協力者たち」について解説しましたが、その中でバルナバについても解説しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message184.htm

聖バルナバ 私たちの新しい掟

2013-08-05 23:11:22 | 聖バルナバ
バルナバの手紙 紀元140年以前
 神は、これら[旧約の種々の犠牲]を廃止されました。強制という軛のない、私たちの主・キリストの新しい掟が、人間によって作り出された供え物を持たないようにするためでした。主は重ねて彼ら[イスラエル人]に仰せになります。「エジプトから脱出したお前たちの先祖に、『焼き尽くす犠牲やいけにえをささげなさい』と言って私が命じたことがあるだろうか。私が命じたのはこれである。※1 お前達の内の一人でも、隣人に対して心の中で悪をたくらんではならない。また、偽りの誓いを好んではならない。※2」

 それで悟りの鈍い者ではなく、私たちの父の慈しみに満ちた心をよく悟らなければなりません。神は、私たちが彼らと同じような誤りに陥ることなく、どのようにしてご自分に近づくことができるかを捜し求めるようにとお望みになって、このように語っておられるからです。主はこう仰せになります。「主の求める生贄は打ち砕かれた心。主のもとめる良い香りは、自分の造り主を賛美する心。※3」 それで兄弟の皆さん、私たちは自分の救いについて厳しい注意を払わなければなりません。悪しき者が誤りをもたらして、私たちの命から私たちを突き放すことがないようにするためです。

 このようなことに関して、主はまた彼ら[イスラエル人]に次のように仰せになっています。「今日、お前たちの叫び声が[私に]聞き入れられようとして、お前たちが私のために断食しているのは、何のためなのか、と主は言われる。こんな断食を私が選んだことはなく、自分の魂を卑しめる人を私が[喜ぶことはない]と主は言われる。※4」他方、私たちには次のように仰せになります。「見よ、わたしの選ぶ断食とはこれではないか、と主は言われる。悪による一切の束縛を断ち、無理強いした過酷な契約を放棄しなさい。うちひしがれている人を解放し、不正な一切の証書を引き裂きなさい。飢えた人にあなたのパンを裂き与え、裸の人に会えば衣を着せかけ、家のない人をあなたの家に招き入れなさい。※5」

 それで、私たちは一切のむなしいことがらを避け、悪い道の業を徹底的に憎みましょう。すでに正しい者と認められたと思い込んで、自分の内に引きこもって孤立せず、むしろ皆が一所に集まって、共通の利益を求めなさい。聖書に次のように記されています。「災いだ。自分の目には知者であり、うぬぼれて、賢い者と思う者は。※6」私たちは霊的な人となり、神のための新しい神殿となりましょう。力のおよび限り神を畏れ、神の掟を守るように心がけましょう。神の正しい業を、喜ぶためです。主は、公平に世界をお裁きになります。※7 各自は、自分が行った業に従って報いを受けるでしょう。もし善人ならば、その正しさが彼の前を進み、悪人ならば彼の前には悪に対する報いが待っています。神の招きを受けた私たちが休息をとって、罪の中に眠りこけることが決して無いように、また、悪しき者が私たち一人一人の上に権力を得て、私たちを主のみ国から突き放す事の無いように警戒しましょう。

 兄弟の皆さん、次のこともよく考えて下さい。イスラエルで行われた多くのしるしや奇跡の後でも、彼らがうち捨てられたのをあなたたちは見たのですから、警戒を厳重にして、万が一にも、「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない※8」と記されているようなことが私たちに起こらないようにしましょう。


年間第十八月曜日 読書
第一朗読 アモス2:4-16 ユダとイスラエルに対する主の裁き
第二朗読 バルナバの手紙 私たちの主の新しい掟

主イエスは 旧約の種々の犠牲を廃止されました。そして、新しい掟を私たちに授けてくださいました。主の求める生贄は、旧約の律法に書かれているような種々の犠牲ではなく、打ち砕かれた心。造り主を賛美する心なのです。何のために律法の教える犠牲を行うのでしょうか。主は、無理強いした過酷な契約を破棄しなさいと言います。

※1 エレミヤ7:22-23
わたしはお前たちの先祖をエジプトの地から導き出したとき、わたしは焼き尽くす献げ物やいけにえについて、語ったことも命じたこともない。
むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」

※2 ゼカリヤ8:17
互いに心の中で悪をたくらむな。偽りの誓いをしようとするな。これらすべてのことをわたしは憎む」と/主は言われる。

※3 詩編51:19
しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません。

※4 イザヤ58:4-5
見よ お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような断食によってはお前たちの声が天で聞かれることはない。
そのようなものがわたしの選ぶ断食苦行の日であろうか。葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくことそれを、お前は断食と呼び主に喜ばれる日と呼ぶのか。

※5 イザヤ58:6-7
わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え さまよう貧しい人を家に招き入れ裸の人に会えば衣を着せかけ同胞に助けを惜しまないこと。

※6 イザヤ 5:21
災いだ、自分の目には知者であり,うぬぼれて、賢いと思う者は。

※7 1ペトロ1:17,ローマ2:11参照
また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。
神は人を分け隔てなさいません。

※8 マタイ22:14
招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。


聖バルナバ
 初代キリスト教会のメンバー。正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖バルナバ使徒
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=061101

ベネディクト十六世が「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の中で「聖パウロの協力者たち」について解説しましたが、その中でバルナバについても解説しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message184.htm

バルナバの手紙 いのちへの希望が私たちの信仰の初めであり、その行き着くところである

2013-08-04 00:00:00 | 聖バルナバ
バルナバの手紙 紀元140年以前
 息子、娘たちよ、あなたがたを愛してくださった主のみ名によって、あいさつを送ります。

 あなたがたに対する神の正しいみ業の偉大さと豊かさによって、あなたがたの霊が幸福で輝かしいのを見て、私はこのうえなく喜んでいます。事実、あなたがたは、霊的恵みの賜物を[自分たちの中に]植え付けられたものとして受けています。それゆえ、私は救われることを希望しながら、非常に喜んでいます。主の豊かな泉から、霊があなたがたの上に流れ込んでいるのを、実際にこの目で確かめたからです※1。 かねてからあなたがたと会いたいと強く望んでいましたが、実際に会って驚き、圧倒されてしまいました。

 それで、皆さんの中で話した結果、私は次の確信を抱き、自覚するようになりました。すなわち、主が義の道において私の道連れとなっておられること、また、このために私は自分自身よりも皆さんのほうを一層深く愛する必要があるということです。それは、主のいのちの希望にもとづいて、深い信仰と愛が皆さんの間に宿っているからです※2。それで、私は[神から]いただいたもののある部分を皆さんに分け与えて、このような霊[を持っている皆さん]のお役に立つなら、それは私にとって報いとなるであろうと考え、皆さんが信仰に合わせて完全な知識をもつことができるように、手短に書き送りたいと思い立ったのです。

 主の教えには三つあります。
・命への希望が私たちの信仰の始めであり、その行き着く所であること。
・正しさが裁きの初めであり、その行き着く所であること。
・そして、陽気さと喜びを伴う愛が正しい業の証であることです。

 主は預言者たちを通して、私たちに過ぎ去ったことと現在あることを知らせ、またやがて来ることの初穂を私たちに味わわせてくださいました。主が語られたとおりに一つひとつのことがらが成就していくのを見て、私たちはいっそう豊かに、いっそう高く、主への畏れを目指して進んで行かなければなりません。私は教師としてではなく、あなたがたの一員として、皆さんのお喜びになるようなことがらを、さしあたって教えたいと思いました。

 今は悪い時代ですし※3、[この世を]動かしている者が権力をもっているので、私たちは自ら心して、主の正しい業を求めなければなりません。畏れと堅忍が私たちの信仰の助け手であり、寛容と節制が私たちの味方になって戦うのです。これらの諸徳が主のためのものとして清く保たれているなら、知恵、悟り、理解、知識もともに喜ぶでしょう。

 なぜなら、主はいけにえも、焼き尽くすささげものも、供え物も全くその必要がないことを、すべての預言者を通して、私たちに示してくださいましたから。主はこう言われました。「お前達のささげる多くのいけにえが、私にとって何になろうか、と主は言われる。焼き尽くすささげものに飽いた。たとえ、お前たちが私の顔を仰ぎに来ても、私は、子羊の脂肪と雄牛と雄山羊の血を喜ばない。だれがお前たちの手から、そのようなものを求めたのか。私の前庭を踏みに、もうやってくるな。最上の小麦を持ってきても、無駄である。香の煙は私の忌み嫌うもので、新月祭、安息日に私はもう耐えられない。※4」


年間第十八主日 読書
第一朗読 アモス 1:1-2:3
第二朗読 バルナバの手紙

※1 テトス3:5-6
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。

※2 テトス1:2,3:7
これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。
こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。

※3 エフェソ5:16
時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。

※4 イザヤ1:11-13
お前たちのささげる多くのいけにえが私にとって何になろうか、と主は言われる。雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物に私は飽いた。雄牛、小羊、雄山羊の血を私は喜ばない。
こうして私の顔を仰ぎ見に来るが誰がお前たちにこれらのものを求めたか私の庭を踏み荒らす者よ。
むなしい献げ物を再び持って来るな。香の煙は私の忌み嫌うもの。新月祭、安息日、祝祭など災いを伴う集いに私は耐ええない。


聖バルナバ
 初代キリスト教会のメンバー。正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖バルナバ使徒
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=061101

ベネディクト十六世が「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の中で「聖パウロの協力者たち」について解説しましたが、その中でバルナバについても解説しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message184.htm

聖バルナバ 光の道

2012-08-08 07:00:00 | 聖バルナバ
バルナバの手紙 紀元140年以前
さて、光の道は次の通りです。もし誰かが定められた場所に行き着くまで、この道を歩み通したいなら、その道の業に励みなさい。この道を歩むために私たちに与えられた知識はこれです。

・あなたをお造りになった方を愛しなさい。
・あなたを形づくってくださった方を畏れなさい。
・あなたを死から救ってくださる方を賛美しなさい。
・心の素朴な者、霊に富む者となりなさい。
・死の道を歩いている人たちと交際してはなりません。
・神のお喜びにならない一切のことを憎みなさい。
・一切の偽善を憎みなさい。
・主の掟をなおざりにしてはなりません。
・慢心せずに、すべての点で謙虚でありなさい※1。
・栄誉をわが物顔にしてはいけません。
・隣人に対して悪い企てをしては成らず、また、向こう見ずであってはなりません。

・あなた自身よりも、あなたの隣人を愛しなさい。
・堕胎をしたり、新生児を殺してはなりません。
・あなたの息子や娘を放任せず、むしろ若い頃から主を畏れることを教えなさい。
・隣人の持ち物を欲しがってはなりません。
・貪欲にならず、高ぶる人々と親しくならず、むしろ謙虚な人々、正しい人々と交わりなさい※2。

・神なしには何一つ起こらないことを認識して、あなたの身に起こることはどんなことでも、良いこととして受け入れなさい。
・裏表があったり、二枚舌を使ってはなりませんん。二枚舌は死の罠だからです。

・あらゆるものをあなたの隣人と共有し、これは自分のものだとは言ってはなりません。朽ちないものを共有しているのなら、朽ちる者についてはなおされのことです。
・おしゃべりにならないようにしなさい。口は死の罠だからです。※3
・あなたの魂のために、できるだけ身を清く保ちなさい。
・物をもらうために手を差し出すが、物を与えるためには手を引っ込めるような人にはなってはいけません。
・あなたに主のことばを語ってくれるすべての人を、目の瞳のように大切にしなさい。

・昼夜を問わず、裁きの日を覚えなさい。
・また、日ごとに聖徒たちの顔を追い求めなさい。
・言葉によって労し、励ましを与えるために出かけて行き、言葉によって人の魂を救うように努力するか、もしくは、あなたの罪の購いのためにあなたの手で働きなさい。

・施すことをためらったり、施しながら不平をこぼしてはなりません。
・報いを寛大にお与えになる方がたれであるかをよく知りなさい。
・あなたが受けた教えを大切に守りなさい。それに「何一つ加えたり、減らすことがあってはなりません※4」
・悪を徹底的に憎みなさい。
・正しく裁きなさい。※5
・分裂を引き起こさず、むしろ相争う人たちを一カ所に集めて和解させなさい。
・自分の犯した罪を告白しなさい。
・やましい良心を抱いたまま、祈りに赴いてはなりません。

以上が光の道です。


年間第十八水曜日
第一朗読 アモス9:1-15 正しい者の救い
第二朗読 バルナバの手紙

古代教会が教える光の道。今の私たちにも通じる教えです。

※1マタイ23:12
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

※2ローマ12:16
互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。

※3箴言18:21 ヤコブ3:8
死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう。
しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。

※4申命記13:1
あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。

※5申命記1:16 箴言31:9
わたしはそのとき、あなたたちの裁判人に命じた。「同胞の間に立って言い分をよく聞き、同胞間の問題であれ、寄留者との間の問題であれ、正しく裁きなさい。
あなたの口を開いて正しく裁け、貧しく乏しい人の訴えを。


聖バルナバ
初代キリスト教会のメンバー。正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人。
ベネディクト十六世が「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の中で「聖パウロの協力者たち」について解説しましたが、その中でバルナバについても解説しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message184.htm