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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖アンブロジオ 唯一の真の善である神に密着しよう

2014-03-22 00:08:52 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340~397年) ミラノの司教、教会博士
『世からの逃亡について』
 人の心がある所には、その人の宝もある。※1 主は願う人々には良い贈り物を与えることを拒まないのが普通だからである。

 したがって、主は良い方であり、特に忍耐強く主を待ち望む者に対して良い方であるので、私たちは主に密着し、全霊、全身、全力をあげて主と共にあるように努めよう※2。そうすれば、私たちが主の光の中にとどまって、その栄光を眺め、天上の主の幸福の恵みにあずかるようになる。それゆえ、あらゆる考えと理解を超え、永久の平和と静寂の内におられるあの善に私たちの精神を向けて高め、その善のうちにとどまり、そのうち生き、それに密着しよう。その平和はあらゆる知識と理解を超えるものである。※3

 それはすべてに行き渡る善であり、私たちは皆その中に生き、それに依存する。※4 それを超えるものは何もない。それは神という善である。「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」※5からである。したがって善は神であり、神は善である。だから聖書は「み手を開かれれば、すべてはよいものに満ち足りる※6」と言っている。事実、すべてのよいものは当然、善である神から私たちに与えられている。これらのよいものには悪が混入されていないのである。

 聖書は信者たちにこれらのよいものを約束して、「あなたがたは大地のよい実りを食べることができる※7」と言う。

 私たちはキリストと共に死んだ。キリストのいのちがこの私たちに現れるために、私たちはキリストの死を体にまとっている※8。したがって、もはや私たちの命ではなく、キリストのいのちを生きるのであり※9、潔白ないのち、清潔ないのち、素直ないのち、すべての徳に満ちたいのちを生きるのである。私たちは、キリストと共に復活したのだ。だから、キリストのうちに生き、キリストと共に天に昇るように努めよう。そうすれば、地上で蛇に見つかってかかとをかまれることは無いだろう※10。

 ・・・


四旬節第二土曜日 読書
第一朗読 出エジプト 20:1-17 十戒
第二朗読 聖アンブロジオ司教の論述『世からの逃亡について』
※1 マタイ6:21参照
あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。
※2 マルコ12:30,ルカ 10:27 参照
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。

※3 フィリピ4:7参照
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
【そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。】

※4 使徒17:28参照
神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。
これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。
【皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』 『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。】

※5 マルコ10:18
イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。

※6 詩編104:28
あなたがお与えになるものを彼らは集め御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。

※7 イザヤ1:19
お前たちが進んで従うなら/大地の実りを食べることができる。

※8 2コリント4:10 参照
わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。

※9 ガラテヤ2:20 参照
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。

※10 創世記3:15 参照
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」



聖アンブロジオ
 340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンプロジオ 神の言葉にあなたの口を開け

2014-02-20 00:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ司教(340-397年)ミラノの司教、教会博士
『詩篇解説』
 私たちは心と口で常に知恵を瞑想しよう。あなたの舌は正義を告げ、あなたの心に神の掟を抱くように※1。聖書はあなたに言う。「家に座っているときも、道を歩くときも、眠っている時も起きているときも、それらについて語りなさい※2。」したがって、主イエスについて語ろう。主は知恵であり、言葉であり、神のみ言葉であるから。

 事実、「神の言葉にあなたの口を開け※3」とも記されている。主の話しを響かせ、主の言葉を黙想する者は、主を息吹く。いつも主について語ろう。
私たちが知恵について語るとき、それは主のことである。
徳について語るとき、それは主のことである。
正義について語るとき、それは主のことである。
平和について語るとき、それは主のことである。
真理といのちと贖いについて語るとき、それは主のことである。

 「神の言葉にあなたの口を開け」と書かれている。あなたは口を開け、主が話す。それためダビデは、「主がわたしのうちで言われることを、わたしは聞こう※4」と言い、神の御子ご自身は「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう※5」と言われる。しかしながら、すべての人が、ソロモンやダニエルのように知恵を完全に獲得できるわけではない。けれども、すべての人に、それぞれの能力に応じて知恵の霊が吹き入れられる。これはもちろん、信者であるすべての人について言われることである。信じるならば、あなたは知恵の霊をもつのである。

 したがって、家の中に座って常に神のことを瞑想し、そして語れ。「家」とは教会とることもできるし、私たちが自分の中で話すための私たちの中の内的な家ととることもできる。罪を避けるために慎重に語れ。口数が多いことによって罪を犯さないようにせよ※7。判決を告げる者のように「座って」自分自身と語れ。無為に過ごさないために、道を歩きながら語れ。キリストに結ばれて語るならば、それは道を歩きながら語ることになる。キリストは道だからである※8。道を歩きながら自分に語り、キリストに語れ。どのようにキリストに語るかを聞け。「わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることである※9」と記されている。人よ、眠りながらも語れ。死の眠りに突然襲われることがないように。眠りながら、どのように語るかを聞け。「わたしの目に眠りを与えず、まぶたにまどろむことを許すまい。主のために一つの場所を見いだし、ヤコブの神のために住まいを見いだすまでは※10」


年間第六木曜日 読書
第一朗読 箴言10:6-32
第二朗読 聖アンプロジオ 『詩編解説』

※1 詩編37:30-31参照
主に従う人は、口に知恵の言葉があり、その舌は正義を語る。神の教えを心に抱き、よろめくことなく歩む。

※2 申命記6:4~7 より
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、「家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。」

※3 詩篇81:11 参照
わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。

※4 詩編85:9(本文は、古ラテン語訳)
わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます ご自分の民に、主の慈しみに生きる人々に、彼らが愚かなふるまいに戻らないように。

※5 詩編81:11
わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。

※6 列王記上3:28 参照
王の下した裁きを聞いて、イスラエルの人々は皆、王を畏れ敬うようになった。神の知恵が王のうちにあって、正しい裁きを行うのを見たからである。

ダニエル1:17参照
この四人の少年は、知識と才能を神から恵まれ、文書や知恵についてもすべて優れていて、特にダニエルはどのような幻も夢も解くことができた。

※7 箴言10:19 参照
口数が多ければ罪は避けえない。唇を制すれば成功する。

※8 ヨハネ14:6 参照
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

※9 1テモテ2:8
だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。

※10 詩編132:4-5
わたしの目に眠りを与えず まぶたにまどろむことを許すまい
主のために一つの場所を見いだし ヤコブの勇者である神のために 神のいますところを定めるまでは。」



聖アンブロジオ
 340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ 私たちは神の相続人

2014-02-12 21:26:14 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340-397) ミラノの司教、教会博士
手紙
 使徒パウロは、霊によって体の仕業を絶つ人は生きると言っています※1。その人が生きるとしても不思議ではありません。神の霊を持つ人は、神の子となるからです。その人は奴隷としての霊ではなく、神の子とする霊を受けるほどに、神の子となったのです。それは、私たちが神の子供であることを、聖霊が私たちの霊に対して証してくださるほどです。ガラテヤの信徒の手紙に記されているように、聖霊ご自身が私たちの心の中で、「アッバ、父よ※2」と叫んでおられることは聖霊の証です。また、私たちが神の子であることの他の一つの偉大な証は、私たちが「神の相続人であり、キリストと共同の相続人※3」であることです。キリストと共同の相続人は、キリストとともにその栄光を受ける人です。キリストとともににその栄光を受ける人は、キリストのために苦しみを受けて、キリストとともに苦しむ人なのです※4。

パウロは苦しみを受けるように私たちを励ますために、次のように付け加えています。私たちの苦しみなどは、皆合わせても小さなものであって、苦難に耐える者に与えられる大きな報いとは比べものになりません※5。その報いは、私たちが神の似姿に変えられて、顔と顔を合わせるように目の前に神の栄光を仰ぎ見るとき※6、私たちに現されます。

また、この未来の現れの偉大さを協調するために、パウロは付け加えて、被造物も神の子たちのこの現れを待ち望んでいるのだと書いています。被造物は今は虚無に服していますが、それ自体、意志によるものではありません。しかし、その被造物は希望を持っています。それというのも、キリストからその奉仕の業の恵みを期待し、あるいは滅びへの隷属から解放されて、神の子ども達の栄光に輝く自由にあずかることを望んでいるからです。こうして、神の子どもたちの栄光が現されるとき、被造物の自由と神の子どもたちの自由とは、同じ一つの自由となります。しかし今、このような現れが延期されている間は、全被造物は私たちが神の子どもとされ、贖われることの栄光を期待しつつ、ともに嘆き、すでに今、救いの霊を生む苦しみを味わって、虚無への隷属からの解放を待ち望んでいるのです。※7

・・・


年間第五水曜日 読書
第一朗読 ガラテヤ3:15~4:7 律法の目的
第二朗読 聖アンプロジオ 手紙

※1 ローマ8:13-16参照
肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。
神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。

※2 ガラテヤ4:6
あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。

※3 ローマ8:17
※4 ローマ8:17参照
し子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

※5 ローマ8:18参照
現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。

※6 1コリント13:12参照
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

※7 ローマ8:19-22参照
被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。
つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。



聖アンブロジオ
 340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)
聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ 苦しめられるには若すぎたが、勝利を得るにはすでに十分大人になっていた

2014-01-21 07:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340~397年) ミラノの司教、教会博士
『おとめについて』
 本日、一人のおとめの天上への誕生日にあたり、その純潔を学ぼう。一人の殉教者の誕生日にあたり、いけにえをささげよう。実に、今日は聖アグネスが殉教した日である。彼女は十二歳で殉教したと伝えられている。このような幼い命をも容赦しなかったとは、なんと残酷なことか。しかしながら、このような年齢の中にも証を見いだすことのできる信仰の力は、なんと偉大なことか。

 そのような小さい体に、傷を受けるほどの場所があったのだろうか。彼女は刀傷を受けるほどの体をもっていなかったが、刀に打ち勝つ力をもっていた。一般にこの年齢の少女たちは、小さな針が刺さっても大きな傷を受けたように泣き出してしまう。

 ところが、アグネスは死刑執行人たちの残酷な手の中で少しも恐れず、重い鎖のきしむ音に動じることもなく、今や怒り狂う兵士の刀に我が身を差し出すのである。彼女はまだ死とは何であるかを知らないが、死の準備はできていた。力ずくで神々の祭壇に連れて行かれたときに、燃えさかる火の前でキリストに向かって手を伸ばし、冒瀆的な火が燃えているところで主の勝利のしるしである十字を切るのである。人々は彼女の首と両腕に鉄の手かせをかけようとしたが、どんな手かせもあまりに小さい彼女の体を縛ることができなかった。

 これは新しい殉教の仕方だろうか。苦しめられるには若すぎたが、勝利を得るにはすでに十分に大人になっいた。彼女に残虐な行為を加えることは難しかったが、勝利の栄冠を獲得することはやさしかった。年齢では不利であったが、美徳を教える完全な教師となった。花嫁が結婚の部屋に急ぐときよりも、おとめアグネスはもっと喜び勇んで死刑の場に足早に向かった。彼女の頭を飾るのはカールの髪型ではなくキリストであり、花の冠ではなく諸徳の冠である。


1月21日 聖アグネスおとめ殉教者 記念日
三世紀後半にローマで殉教した。ダマソ教皇は彼女の墓に碑文をささげ、聖アンプロジオをはじめ多くの教父たちが、アグネスをたたえている。


聖アンブロジオ
 340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ 聖なる処女マリアの訪問

2013-12-21 00:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340頃から397年)ミラノの司教、教会博士
『ルカ福音書注解』
 天使は処女(おとめ)マリアに隠れた神秘を告げるにあたり、一つの例によって信仰が固められるよう、神にとってはお望みになることがすべて可能であることを示すために、年老いたうまず女が子を宿したことを告げた。

 これを聞いたマリアは、山里に向かって出かけていった。彼女がそうしたのは、託言を信じなかったり、お告げをいぶかったり、示された例を疑ったりしなかったからではなく、希望に胸を踊らせて、奉仕の務めを果たそうとして、喜びにかられて急いで旅立ったのである。

 すでに満たされていたマリアは、急いで高い所を目指していくとしか考えられないからである。聖霊の恵みは、ためらいも遅れも知らないのである。マリアの到着と主の現存の効果はすぐに現れた。事実、「マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどり、聖霊に満たされた※1」のである。

 一つ一つの言葉の選択とその意味に注意せよ。エリザベトは先に言葉を聞いたが、ヨハネは先に恵みを感じ取った。エリザベトは自然に言葉を聞いたが、ヨハネは神秘の力によっておどった。エリザベトはマリアの到来を、ヨハネは主の到来を感じ、女は女の到来を、子供は子供の到来を感じた。女達は受けた恵みについて語り、子供たちは胎内で母たちのためにいつくしみの神秘を実現しはじめ、母たちは二重の奇跡によって子供たちの霊感のもとに預言する。

 子は喜びおどり、母は満たされた。子よりも先に母が満たされたのではなく、子が聖霊に満たされたので、母をも満たしたのである。ヨハネは喜んでおどった。そしてマリアの霊も喜んだ。ヨハネがおどるときにエリザベトは満たされるが、マリアについてはその霊で満たされたとは言われておらず、その霊は喜んだと言われている。把握しがたい方が、把握しがたいしかたで母の中に働いたからである。また、エリザベトは子を宿した後に満たされたが、マリアは子を宿す前に満たされた。エリザベトは、「信じたあなたは幸いだ※2」と言った。

 しかし、聞いて信じたあなたがたも幸いである。すべて信じた魂は、神の言葉を宿して産み、その業を認めるからである。


待降節 12月21日 読書
第一朗読 イザヤ48:12-49:13
第二朗読 聖アンブロジオ 『ルカ福音書注解』

※1 ルカ1:41
マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。

※2 ルカ1:45
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」


聖アンブロジオ
 340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
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ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm