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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖クレメンス一世 悔い改めなさい

2014-03-05 21:50:54 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(紀元30~101年)
『コリントの信徒への手紙』
 キリストの御血を見つめ、御父にとってどれほど値の高いものであるかを理解しましょう。その血は私たちの救いのために流され、全世界に悔い改めの恵みをもたらしたものだからです。

 あらゆる時代に思いを馳せて、主が各時代にそのつど、主のもとに戻ろうとしている人々に「悔い改めの機会をお与えになった」※1ことを学びましょう。ノアは悔い改めを説き、それに聞き従った人達は救われました。ヨナはニネベの人々に破滅を説きました。そこで彼らは自分たちの罪を悔い改め、祈りによって神の怒りを和らげて、神から離れていた異邦人であったにもかかわらず救いを得ました。※2

 神の恵みに仕える人たちは、聖霊に動かされて悔い改めについて語りました。万物の主ご自身も、悔い改めについて誓いをもってこう語られました。「私は生きている、と主は言われる。私は罪人が死ぬのを望まない。むしろ罪人が悔い改めることを望む※3。」そして優しい宣言を付け加えておられます。「イスラエルの家よ、あなたたちの不法を悔い改めよ※4。我が民の子らにこう言いなさい。たとえあなたたちの罪が地から天に達するほどであっても、緋色より赤く、粗布より黒くても、もし真心から私に立ち帰り、『父よ』と言うならば、私はあなたたちの声を聖なる民の声として聞こう※5。」

 神は、その愛する者たちが悔い改めにあずかることを望み、全能の意志をもってこのように定めてくださったのです。

 それゆえ、神の偉大な栄光である意志に従い、そのあわれみといつくしみに祈ってひれ伏し、その慈愛に立ち帰って、むなしい業、闘争心、また死に導く妬みを捨てるようにしましょう。

 兄弟の皆さん、心の謙遜な者となって一切の尊大な心、高慢、愚行、怒りを捨て、聖書に記されていることを実践しましょう。聖書はこう仰せになります。「知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。むしろ、誇る者は、主を求め、正しい裁きと義とを行って主を誇れ※6。」特に、主イエスが優しさと忍耐を教えて語られたことばを思い起こしましょう。

・・・


灰の水曜日 読書
第一朗読 イザヤ58:1-12
喉をからして叫べ、黙すな/声をあげよ、角笛のように。わたしの民に、その背きを/ヤコブの家に、その罪を告げよ。
彼らが日々わたしを尋ね求め/わたしの道を知ろうと望むように。恵みの業を行い、神の裁きを捨てない民として/彼らがわたしの正しい裁きを尋ね/神に近くあることを望むように。
何故あなたはわたしたちの断食を顧みず/苦行しても認めてくださらなかったのか。見よ、断食の日にお前たちはしたい事をし/お前たちのために労する人々を追い使う。
見よ/お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし/神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような断食によっては/お前たちの声が天で聞かれることはない。
そのようなものがわたしの選ぶ断食/苦行の日であろうか。葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと/それを、お前は断食と呼び/主に喜ばれる日と呼ぶのか。
わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて/虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと。
そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で/あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し/主の栄光があなたのしんがりを守る。
あなたが呼べば主は答え/あなたが叫べば/「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと/呪いの言葉をはくことを/あなたの中から取り去るなら
飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。
主は常にあなたを導き/焼けつく地であなたの渇きをいやし/骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。
人々はあなたの古い廃虚を築き直し/あなたは代々の礎を据え直す。人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び/「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。

第二朗読 聖クレメンス1世 『コリントの信徒への手紙』

※1 知恵の書 12:9~10
 神を信じない者たちを戦いのさなかに、神に従う人々の手に渡し、獰猛(どうもう)な獣や厳しい言葉で即座に滅ぼすことも、あなたにとって不可能ではなかった。
 しかし、あなたは徐々に罰を加えながら、悔い改めの機会を与えておられた

※2 ヨナ 3:4-10
 ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」
すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。
「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる。人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」
神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。

※3 エゼキエル 33:11
 彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。

※4 エゼキエル 18:30
 それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。

※5 イザヤ1:16-20
 洗って、清くせよ。悪い行いをわたしの目の前から取り除け。悪を行うことをやめ善を行うことを学び裁きをどこまでも実行して搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り やもめの訴えを弁護せよ。
論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる。
お前たちが進んで従うなら大地の実りを食べることができる。かたくなに背くなら、剣の餌食になる。
主の口がこう宣言される。

※6 エレミヤ 9:22-23
主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。
むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい 目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事 その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。



聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
 初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れた手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマのクレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代までは、信者の集会でクレメンスの手紙が読まれていたようです。(アレクサンドリア写本に入っています)
https://www.cbcj.catholic.jp/2007/03/07/3537/

聖クレメンス一世 神の愛の絆を、誰が説明し尽くせるであろうか

2014-01-21 00:00:00 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(紀元30~101年) ローマ司教、殉教者
『コリントの信徒への手紙』
 キリストと結ばれて愛をもっている人は、その命令を実行してください。神の愛の絆(きずな)を誰が説明し尽くせるのでしょうか。その崇高な美しさを誰が表現できるでしょうか。愛が導き入れる高みは、言い表すことはできません。愛は私たちを神と一致させ、「愛は多くの罪を覆います。※1」愛はすべてのことに耐え、すべてのことに辛抱強いのです。愛には卑しいところは何一つなく、高ぶるところもありません。愛は分裂を知らず、愛は反抗せず、愛は人々の心を一つにして万事を行うようにさせます。神によって選ばれた全ての人は、愛によって完成され、愛が無ければ神に喜ばれるものは何一つありません。主が私たちをご自分の方に引き寄せて下さったのも、愛によってでした。私たちの主イエス・キリストが、神のみ心のままに、私たちのためにその血を流し、私たちの体のためにその体を、私たちの命のためにその命を渡してくださったのも、私たちに対する愛ゆえのことです。

 愛する皆さん、愛がどれほど偉大で驚くべきものであるかをご覧なさい。その完全さは説明し尽くせるものではありません。愛を心に抱いている人とみなされる人はだれでしょうか。神がそれにふさわしい者としてくださった者たちだけではないでしょうか。それゆえ、人間的な党派心をなくして汚れの無い者となり、愛を心に抱いている者とみなされるよう、神のあわれみに祈り求めましょう。アダムから今日に至るまで、一切の世代が過ぎ去っていきましたが、神の恵みによって完全な愛の境地に達した人たちだけが、敬虔な人たちの占める場所にとどまります。この敬虔な人たちこそ、キリストの国が現れるとき、明らかにされるのです。このように書き記されています。「私の激しい怒りが通り過ぎるまで、しばらくの間、穴に入っていなさい。私は祝いの日を思い出し、墓からあなたたちを起き上がらせるだろう※2。」

 愛する皆さん、愛によってもろもろの罪のゆるしを得るため、愛に結ばれて神の命令を実践するなら、なんと幸いなことでしよう。次のように書き記されています。「いかに幸いなことでしょう、不法がゆるされ、罪を覆っていただいた人は。いかに幸いなことでしょう。主に咎を数えられず、口に欺きのない人は※3。」この幸いは、主イエス・キリストを通して神に選ばれた人々の上に降ります。神に栄光が世々にありますように。アーメン


年間第二火曜日 読書
第一朗読 申命記6:4-25
第二朗読 聖クレメンス一世 『コリントの信徒への手紙』
※1 1ペトロ4:8
何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

※2 イザヤ26:20、エゼキエル37:12-13参照
・さあ、わが民よ、部屋に入れ。戸を堅く閉ざせ。しばらくの間、隠れよ 激しい憤りが過ぎ去るまで。
・それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。

※3 詩編32:1-2
【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。


聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
 初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れた手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマのクレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代までは、信者の集会でクレメンスの手紙が読まれていたようです。(アレクサンドリア写本に入っています)
https://www.cbcj.catholic.jp/2007/03/07/3537/

聖クレメンス一世 神は世の初めからすべての人を信仰によって義とされた

2014-01-18 00:00:00 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(紀元30~101年) ローマ司教、殉教者
『コリントの信徒への手紙』
 私たちは神の祝福に心を留め、祝福の道がどのようなものであるか見ることにしましょう。初めからの出来事を想起しましょう。私たちの父アブラハムはなぜ祝福されたのでしょうか※1。アブラハムが信仰によって義とまことを実践したからではありませんか。イサクは起こる事を知りながら、信頼を持って喜んでいけにえとして連れて行かれました※2。ヤコブはへりくだって、兄の故に故郷を後にしてラバンの所へ行き、彼に仕えました。そして彼にイスラエルの十二の笏(しゃく)が与えられました※3。

 もしある人が、神の賜物一つひとつを偏見無く熟考するならば、それらの賜物の偉大さを理解することでしょう。事実、神の祭壇に奉仕するすべての祭司とレビ人がヤコブの子孫であり、主イエスも肉によれば彼の子孫であり、また王たち、君主たち、指導者たちも、ユダを通してもうけられた彼の子孫です。そして、ヤコブの他の笏も、「あなたの子孫は天の星のようになる※4」という神の約束の通り、決して小さな栄誉を得たのではありません。それで、彼らがすべて栄光に満たされて偉大な者とされたのは、自分自身によるのでも、その業によるのでも、あるいは自分が行った業の正しさによるのでもなく、ただ神の意志によるのです。したがって、神の意志によってキリスト・イエスのうちに招かれた私たちも、自らによって義とされるのでも、私たち自身の知恵や理解や敬虔や、清い心で行った業によって義とされるのでもなく、信仰によって義とされるのです。全能の神は、世の初めから全ての人を信仰によって義とされたのです。神に栄光がありますように。 アーメン

 それで、兄弟の皆さん、私たちはどうしたら良いのでしょうか。善行をやめ、愛を放棄すべきなのでしょうか。いいえ、そのようなことが私たちの間に起こるのを、主が決しておゆるしになりませんように。むしろ、ありとあらゆる善行を献身的に、また熱心に行うべきです。創造主であり、一切のものの主である神も、ご自分の行われた業をお喜びになるからです。神はその至高の力によって諸々の天を固め、把握しがたい叡智によってその秩序を整えられました。周りにある水から陸を分け、ご自分の意志という堅い土台の上にお据えになりました。また、自らの命令によって、陸の上を歩いている種々の動物を存在するように呼び出し、ご自分の力によって海とその中に生きる物をあらかじめ備えておられ、それらの境を定められました。

 これらすべてに越えて最も崇高で傑出した人間を、神はご自分の姿の像として、尊く汚れのない手でお造りになりました。神はこう言われたのです。「『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』神は人を創造された。男と女に創造された。※5」神はこれらすべてのものを完成されたとき、これらをよしとされ、祝福して仰せになりました。「産めよ、増えよ※6。」ごらんなさい。すべての正しい人は善い業で飾られ、主ご自身もよい業で自らを飾り、それをお喜びになったのです。このような模範にならって、私たちも神の意志をたゆまず果たすようにしましょう。全力を尽くして、義の実践に励むことにしましょう。



年間第一土曜日 読書
第一朗読 シラ書44:1-45:5
第二朗読 聖クレメンス一世 『コリントの信徒への手紙』

※1 創世記12:2参照
わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。

※2 創世記22:7参照
イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」

※3 創世記28-29章参照

※4 創世記15:5,22:17,26:4参照
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」

あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。

わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。

※5 創世記1:26-27
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

※6 創世記1:22,28
神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」


聖クレメンス一世
(紀元30~101年 在位 91~101年)
 初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れた手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマのクレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代までは、信者の集会でクレメンスの手紙が読まれていたようです。(アレクサンドリア写本に入っています)
https://www.cbcj.catholic.jp/2007/03/07/3537/

聖クレメンス1世 知恵の泉は、いと高き所におられる神のみことば

2014-01-13 00:00:00 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(紀元30~101年)
『コリントの信徒への手紙』
 熱心な祈りと嘆願を重ねて、万物の造り主がその愛するしもべ、私たちの主イエス・キリストを通して、全世界にわたって、その選ばれた人々の数を減らさずに保ってくださるよう祈り求めましょう。神はこのイエス・キリストを通して、闇から光へ※1、無知からみ名の栄光の知恵に私たちを招いてくださったのです。それは、全被造物の根源であるあなたのみ名に、私たちが希望をかけるようにするためでした。あなたは私たちの心の目を開いて※2、あなたを知るようにしてくださいました。あなただけがいと高き所におられるいと高き方、聖者たちの中で憩う聖なる方です※3。高ぶる者のおごりを卑しめ※4、国々の企てを砕き※5、低い者を高くし、高い者を低くされます※6。人を富ませ、また貧しくし※7、殺し、また生かし※8、あなただけが諸々の霊に恵みを施し、一切の肉なる者の神※9、地下の大海を見通し※10、人々の行いを見守る方です。あなたは、危険に臨む者たちの助け手、「希望を失った者の救い主※11」、一切の霊の創造者にして監督者、地上の諸々の民を増やし、あなたの愛するしもべイエス・キリストを通して私たちを教育し、聖化し、私たちに栄誉を与えてくださいました。

 主よ、あなたにお願いいたします。私たちの助け手、また保護者となってください※12。私たちの中で艱難にある者を救い、倒れた者を立ち上がらせ、乏しい者にみ姿を示し、病める者をいやし、あなたの民の迷っている者を正道に立ち帰らせてください。飢えた者に食べ物を十分に与え、私たちのうちの捕らわれの身となった人々を救い出し、病気にかかった人を起き上がらせ、小心な人を励ましてください。あなただけが唯一の神であること※13、そしてイエス・キリストがあなたの僕であり、「私たちはあなたの民、あなたに養われる羊の群れ※14」であることをすべての民に知らせてください。

 あなたは力ある業によって、宇宙の永遠の秩序をあらわにしてくださいました。主よ、あなたは人の住む大地を造り、世々にわたって忠実な方です。あなたの裁きは正しく、力と威厳は感嘆すべきものです。知恵をもって世を創造し、お造りになったものを思慮深く確立し、目に見えるものに対しては善良さを示し、あなたに信頼する者に対しては情け深い方です。あなたはあわれみ深く、同情に満ちておられます。私たちのもろもろの不法、不義、罪、過ちをおゆるしください。

 あなたのしもべたちとはしためたちの一切の罪を数えることなく、あなたの真理の清さで私たちを清めてください。私たちをしっかり歩ませて、私たちが無垢な心で進み、み前と私たちの治世者の前で、立派な業、その意に適う業を行わせてください。

 そうです、主よ、平和のうちに良いことが起こるように私たちにみ顔の光を注ぎ※15、力あるみ手によって私たちを守り、いと高きみ腕によって私たちを一切の罪から救い、私たちを不当に憎む人々から救い出してください。

 私たちの祖先が、信仰とまことをもって敬虔にあなたを呼んだとき※16、彼らに心の一致と平和をお与えになったのと同様に、私たちにも、またこの地上に住むすべての者にも、心の一致と、平和をお与えください。これらのこと、あるいは、さらに偉大なよいことがおできになるのは、あなたおひとりです。私たちの魂の大祭司であり、保護者であるイエス・キリストを通して、私たちはあなたを賛美します。イエス・キリストを通して、あなたに栄光と威厳が今も世々永遠にありますように。 アーメン


年間第一月曜日 読書
第一朗読 シラ書1:1-25 神の知恵の神秘
すべての知恵は、主から来る。主と共に永遠に存在する。
浜辺の砂、雨の滴、永遠に続く日々、だれがこれらを数え尽くしえようか。
天の高さ、地の広さ、地下の海、知恵の深さ、だれがこれらを探りえようか。
知恵は、他のすべてのものに先立って造られ、その悟る力も、永遠の昔から存在している。
 〔知恵の泉は、いと高き所にいます神の言葉、知恵の歩みは、永遠の掟。〕
 知恵の根源が、だれに示されたであろうか。その巧みさを、だれが知りえたであろうか。
 〔知恵がもたらす知識を、だれが見たであろうか。知恵がもたらす豊かな経験を、だれが理解したであろうか。〕
知恵ある方はただひとり、いと畏き方、玉座に座っておられる主である。
主御自身が知恵を造り、これを見て、価値あるものとされ、造られたすべてのものの上に知恵を注がれた。
主は、すべての人々に分に応じて知恵を与え、主を愛する者には惜しみなくそれを与えられた。〔主を愛することこそ、輝かしい知恵。主は、御自分を示すために、知恵を分け与え、こうして彼らは主を見るようになる。〕

主を畏れることは、誉れと誇り、幸せと喜びの冠である。
主を畏れることは、心を楽しませ、喜びと、幸福と、長寿をもたらす。〔主を畏れることは、主からの賜物、それによって愛の道を歩むことができる。〕
主を畏れる人は、幸せな晩年を送り、臨終の日にも、主から祝福を受ける。
主を畏れることは、知恵の初めである。知恵は、主を信じる人たちに母の胎内にいるときから与えられている。
知恵は、人々の間に揺るぎない基を据え、人々は、幾世代にもわたってそれに信頼を置く。
主を畏れることは、知恵に満たされること、人々は、知恵の果実に陶酔し、
彼らの家は、すべて望むもので満たされ、そのすべての倉は、知恵の産物で満ちあふれる。
主を畏れることは、知恵の冠、平和の花を咲かせ、健康を保たせる。〔主への畏敬と知恵こそは、平和をもたらす神の賜物、神を愛する者に誇りは増し加わる。
主はこれを見て、価値あるものとされた。〕知恵は、知識と悟りを雨のように注ぎ、知恵を保つ者の栄誉を高める。
主を畏れることは、知恵の根源、そこから生え出る枝は、長寿である。
〔主を畏れることは、罪を退け、その畏れを心にとどめる人は、すべての怒りを遠ざける。〕

不当な憤りには、弁解の余地がなく、理不尽な憤りは、身の破滅を招く。
辛抱強い人は、時が来るまで耐え忍ぶ。耐え忍んだ後には、気分が晴れて壮快になる。
彼は語るべき時が来るまで、口を慎む。そうすると多くの人々は、彼の思慮深さを伝え広める。

知恵の倉には、知識に満ちた箴言がある。しかし罪人は、敬神の心を忌み嫌う。


第二朗読 聖クレメンス一世 『コリントの信徒への手紙』

※1 使徒言行録26:18 第二ペトロ2:9 参照
それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。』」

主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。

※2 エフェソ1:18 参照
心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。

※3 イザヤ57:15参照
高く、あがめられて、永遠にいましその名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは、高く、聖なる所に住み打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にありへりくだる霊の人に命を得させ打ち砕かれた心の人に命を得させる。

※4 イザヤ13:11参照
わたしは、世界をその悪のゆえに逆らう者をその罪のゆえに罰する。また、傲慢な者の驕りを砕き横暴な者の高ぶりを挫く

※5 詩編33:10参照
 主は国々の計らいを砕き諸国の民の企てを挫かれる。

※6 ヨブ5:11 エゼキエル21:31 ルカ1:51-52参照
卑しめられている者を高く上げ 嘆く者を安全な境遇に引き上げてくださる。

主なる神はこう言われる。頭巾をはずし、冠を取れ。これはこのままであるはずがない。高い者は低くされ、低い者は高くされる。

主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、

※7 サムエル上 2:7 ルカ1:53参照
主は貧しくし、また富ませ低くし、また高めてくださる。

飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。

※8 申命記32:39参照
しかし見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わが手を逃れうる者は、一人もない。

※9 民数記 16:22,27:16参照
彼らはひれ伏して言った。「神よ、すべて肉なるものに霊を与えられる神よ。あなたは、一人が罪を犯すと、共同体全体に怒りを下されるのですか。」

「主よ、すべての肉なるものに霊を与えられる神よ、どうかこの共同体を指揮する人を任命し、

※10 ダニエル・アザルヤ 31
 ケルビムの上に座し、地下の大海を見通される神よ、あなたは賛美され、代々にたたえられ、あがめられますように。

※11 ユディト9:11
あなたの力は人の数によるものではなく、あなたの主権は強者に頼るものでもありません。あなたは虐げられた者の神、小さき者の助け主、/弱き者の支え、見捨てられた者の守り、希望を失った者の救い主。

※12 詩編115:9参照
イスラエルよ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。

※13 列王記上 8:60参照
こうして、地上のすべての民が、主こそ神であって、ほかに神のないことを知るに至るように。

※14 詩編79:13
わたしたちはあなたの民 あなたに養われる羊の群れ。とこしえに、あなたに感謝をささげ 代々に、あなたの栄誉を語り伝えます。

※15 詩編67:2,80:4参照
神がわたしたちを憐れみ、祝福し御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように〔セラ

神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。

※16 詩編145:18
主を呼ぶ人すべてに近くいまし まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
主を畏れる人々の望みをかなえ 叫びを聞いて救ってくださいます。


聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
 初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れた手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマのクレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代までは、信者の集会でクレメンスの手紙が読まれていたようです。(アレクサンドリア写本に入っています)
https://www.cbcj.catholic.jp/2007/03/07/3537/

聖クレメンス1世 神の賜物は何と驚くべきことか

2013-11-23 00:00:02 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(紀元30~101年) ローマ司教
コリントの信徒への手紙
 愛する皆さん、神の諸々の賜物は、なんとすばらしく、驚くべきことでしょう。それは、不死の生命、正義の輝き、開かれた心で受け入れられた真理、確信ある信仰、聖なる節制です。これらすべてのものを、私たちはすでに知っています。待ち望む者たちに準備されているものは何でしょうか。世々の創造主、父であるいとも聖なる方、その方だけがそれらのもののありさまと美しさを知っておられます。したがって、約束された賜物にあずかるために、私たちも待ち望んでいる者たちの数に加えられるように努力しましょう。

 それでは、愛する皆さん、どのようにすれば以上のことが実現するのでしょうか。もし私たちの思いが神のみもとで確かなものとされるなら、また、神のお望みになること、快く受け入れられることを求めるなら、そして、もし非の打ち所のないそのみ旨にかなうことを成し遂げ、真理の道に従い、一切の不義と悪、貪欲、不和、悪意、悪巧み、陰口、誹謗、神への憎悪、思い上がり、自慢、虚栄、客に対するもてなしの悪さなどを、私たち自身から遠ざけるなら、それは必ず実現するのです。

 愛するみなさん、私たちが救いを見いだす道とは、私たちの奉献の大祭司、私たちの諸々の弱さの保護者であり、また助け手であるイエス・キリストです。キリストを通して私たちは天の高みにじっと目を注ぎ、キリストを通して神の汚れない崇高なみ顔を鏡に映すかのように眺め、キリストを通して私たちの心の目は開かれ、キリストを通して私たちの鈍く暗い精神も再び光りを受け手開花し、キリストを通して主なる神は不死の知恵を私たちに味わわせて下さいました。キリストは、神のみいつの「反映であって※1」、「天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです※2。」

 それで、兄弟の皆さん、日の打ち所のないキリストの命令に従い、全力をあげて、私たちの兵役の務めを果たそうではありませんか。高い身分の人には低い身分の人なしに存在することはできませんし、低い身分の人も高い身分の人なしに存在することはできません。ありあらゆるものには一種の混ぜ合わせがあり、それによって利益がもたらされるのです。私たちの体のことを取り出して見てみましょう。頭は足なしにはどうにもなりませんし、足も頭なしにはどうにもなりません。私たちの体の最も小さい部分でも、全体にとってはかけがえのないものであり、役に立っているのです。体のすべての部分は、全身を健康に保つために、意を合わせ、相互に従いながら奉仕しているのです。


11月23日 聖クレメンス一世 殉教者 
※1 ヘブライ1:3
御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。

※2 ヘブライ1:4
御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。


聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
 初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れて手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。
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ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマのクレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代までは、信者の集会でクレメンスの手紙が読まれていたようです。(アレクサンドリア写本に入っています)
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