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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖グレゴリオ1世 私たちを生かす神秘

2014-03-28 21:30:26 | 聖グレゴリオ一世
聖グレゴリオ1世(540~604) ローマ司教、教会博士
『ヨブ記についての教訓的注解』
 聖なる教会のかたどりである聖ヨブは、時としてキリストの体である教会が語ってることを表し、時として教会の頭であるキリストが語っていることを表しており、しかもキリストの体の肢体として語りながら、突然その頭であるキリストの崇高なことばを用いる。次に続く、「私の手には不義が無く、神に向かって清い祈りを唱えたとき、それらの苦痛を忍んだ※1」という言葉は、その一例である。

 事実、罪を犯したことが無く、その口には何の偽りもなかった※2にもかかわらず、私たちを贖うために十字架の苦痛を忍ばれた方こそ、手には不義が無く、苦痛を忍んだのである。この方のみが、だれにもまして清い祈りを神に唱えたのである。受難の苦痛のさなかでさえ、ご自分を迫害する者たちのために、「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです※3」と祈られたからです。

 自分に苦痛を耐えさせている者たちのためにいつくしみ深くとりなすこと以上に清い祈りが考えられるであろうか。こうして、彼らが迫害者として残酷にも流させた私たちの救い主の血を、後に信者になって飲み、主こそ神の子であると宣べ伝えるようになったのである。

 この血についてヨブは次のように言っている。「土よ、私の血を覆うな。私の叫びに隠れ場を与えるな※4。」神は罪を犯した人祖に、「お前は土であり、土に帰る※5」と言われたのである。

 この土は、私たちの贖い主の血を隠さなかった。事実、各々の罪人が自分の贖いの代価であるこの血を拝領しながら主の御血をほめたたえ、できるだけ多くの人にそれを知らせるのである。

 土が主の血を覆うこともなかった。事実、聖なる教会は自分の贖いの秘義を、すでに世界のあらゆる地域に宣教しているのである。

 ヨブの言葉の後半に注目しよう。「私の叫びに隠れ場を与えるな。」拝領される贖いの御血こそ、私たちの贖い主の叫びなのである。そのためにパウロも、「アベルの血よりも立派に語る注がれた血※6」と言っている。神は昔、アベルの血について、「お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる※7」と言われた。

 しかし、イエスの血はアベルの血よりも立派に語る。アベルの血は弟殺しの兄の死を求めたのだが、主の血は迫害者たちのためにいのちを勝ち得たからである。

 それで、主の受難の秘跡が私たちにとって無益なものとならないために、私たちは拝領するものを模倣し、また敬うものを他の人々に宣べ伝えなければならない。

 もし心で信じていることを口で黙っているなら、主の叫びに隠れ場を与えてしまうことになる。そこで、主の叫びが私たちの中で隠れてしまわないために、各自が能力に応じて、自分を生かしている神秘を他の人々に告げ知らせなければならないのである。


四旬節第三金曜日 読書
第一朗読 出エジプト記 35:30~37:9
第二朗読 グレゴリオ一世『ヨブ記についての教訓的注解』
 信仰を宣べ伝える 信じていることを伝えるとは、「各自に与えられた能力に応じて、自分を生かしている神秘」を告げ知らせること。
ところで、正教会の時報などみると、旧約の聖人も崇敬しているようですが、ローマ教会も、グレゴリオ一世が「聖ヨブ」と呼んでいるように、昔は旧約の聖人も崇敬されていたようです。現在のカトリック教会は、旧約の聖人という考え方はあまりないと思います。ただ、洗礼名で、旧約の聖人をつけられた方がいるので、私も含め、一般信徒には余り知られていないだけなのかも知れません。

参考 正教時報(2008年7月~2012年3月まで PDFファイルとして掲載されています)
http://www.orthodoxjapan.jp/jihou.html

※1 ヨブ16:17
わたしの手には不法もなく、わたしの祈りは清かったのに。

※2 イザヤ53:9
彼は不法を働かずその口に偽りもなかったのにその墓は神に逆らう者と共にされ富める者と共に葬られた。

※3 1ペトロ2:22
「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。」

※4 ヨブ16:18
大地よ、わたしの血を覆うな、わたしの叫びを閉じ込めるな。

※5 創世記3:19
お前は顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。

※6 ヘブライ12:24
新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。

※7 創世記4:10
主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。


聖グレゴリオ一世
 540年頃、ローマに生まれる。帝国の高位公務員となり、ついにローマの市長に任命されたが、やがてその職を退いて修道生活に入り、助祭に叙階されて駐コンスタンチノープル教皇大使となった。590年9月3日にローマ司教に選ばれ、優れた牧者として公務に励み、貧しい人々を助け、キリスト教信仰をはぐくみ、広めるために力を注いだ。道徳と神学に関する多くの著作を残し、604年3月12日に帰天(死去)。
(ローマ司教 在位590-604) (Wikipediaではグレゴリウス1世) カトリック教会、正教会で聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダー より
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=090301

ベネディクト十六世の「教父に関する講話」で聖グレゴリオを紹介しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message313.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message315.htm

聖グレゴリオ一世 神から幸福をいただいたのだから不幸もいただこうではないか

2014-03-03 00:00:00 | 聖グレゴリオ一世
聖グレゴリオ一世(540-604) ローマ司教、教会博士
『ヨブ記についての教訓的注解』
 パウロは自分自身のうちに内面的な知恵の富があるのを知り、自分自身が外面的には朽ち果てる体であることを見て、「私たちは、このような宝を土の器の中に納めています※1」と言った。聖なるヨブの場合、この土の器は外面的には皮膚病の傷で悩まされたが、彼の内面的な宝は無傷のままであった。外では傷によって皮膚が裂けたが、内では絶えず生まれつつある知恵の宝が、聖なる教訓の言葉を通して現れた。それは次の言葉である。「私たちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。※2」 ヨブが「幸福」と呼んでいるのは現世での、あるいは永遠における神の賜物のことであり、「不幸」と呼んでいるのは、現世での災いのこしとである。主は預言者を通してこの「不幸」について、「わたしが主、他にはいない。光りを造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。わたしがこれらのことをするものである※3」と言っておられる。

 主は、「光りを造り、闇を創造される。」すなわち、災いによって外面的に苦痛の闇が造られるとき、内面的には教訓によって精神の光が燃え上がるのである。また主は、「平和をもたらし、災いを創造される。」すなわち、神が善いものとして創造されたものを人間がよこしまにむさぼるなら、そこから私たちにとって悪いものである災いが生じるが、神との平和が私たちに返されるのである。私たちは罪過によって神と不和な者となった。だから災いを受けて神との平和へ戻るようになるである。それは、神がよいものとして創造されたおのおののものが、私たちにとって苦痛の種に変えられるとき、矯正された者の精神が創造主との平和に謙虚に戻るように刷新されるためである。

 ところで、ヨブの言葉の中で特に注目すべきは、彼が妻の説得に反対して、どれほど優れた考えを持って気力を奮い起こしたかということである。実際、彼は「私たちは、神から幸福をいただいたのだから不幸もいただこうではないか」言ったのである。私たちが逆境にあるとき、私たちの創造主から受けた賜物を思い起こすのは、確かに艱難の際の大きな慰めである。神から受けた賜物の喜びを早いうちに思い出すなら、苦痛が心を打ちのめしてしまうことはない。だからこそ聖書に、「幸福なときには不幸を忘れず、不幸の時には幸福を忘れないようにせよ※4」と書かれているのである。

 一方で賜物を受けるが、賜物を受けているときに災いのことを全く心配しない者は皆、喜びのあまり高ぶって堕落する。他方、災いによって悩まされ、災いを受けているときに、自分が以前受けた賜物のことを考えて慰められることの決してない者は、全く失望して懐疑的な精神状態に陥ってしまう。

・・・


年間第八月曜日 読書
第一朗読 ヨブ 2:1-13 皮膚病にかかったヨブのもとに友人が訪れる
第二朗読 聖グレゴリオ一世 『ヨブ記についての教訓的注解』
※1 2コリント4:7
ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。

※2 ヨブ2:10
ヨブは答えた。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。

※3 イザヤ45:5-7
私が主、ほかにはいない。私をおいて神はない。私はあなたに力を与えたがあなたは知らなかった。日の昇るところから日の沈むところまで人々は知るようになる私のほかは、むなしいものだ、と。私が主、ほかにはいない。
光を造り、闇を創造し平和をもたらし、災いを創造する者。私が主、これらのことをするものである。

※4 シラ書11:27 ウルガタ訳
不幸に遭うと、すべての楽しみを忘れるが、人の行いの評価は、その最期に明らかになる。(新共同訳)


聖グレゴリオ一世
540年頃、ローマに生まれる。帝国の高位公務員となり、ついにローマの市長に任命されたが、やがてその職を退いて修道生活に入り、助祭に叙階されて駐コンスタンチノープル教皇大使となった。590年9月3日にローマ司教に選ばれ、優れた牧者として公務に励み、貧しい人々を助け、キリスト教信仰をはぐくみ、広めるために力を注いだ。道徳と神学に関する多くの著作を残し、604年3月12日に帰天(死去)。
Gregorius Magnus 540頃-604年、(ローマ司教 在位590-604) (Wikipediaではグレゴリウス1世) カトリック教会、正教会で聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダー より
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=090301

ベネディクト十六世の「教父に関する講話」で聖グレゴリオを紹介しています。
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http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message315.htm

聖グレゴリオ一世 単純で正しい人、神を畏れる人

2014-03-02 09:13:37 | 聖グレゴリオ一世
聖グレゴリオ一世(540-606)ローマ司教、教会博士
『ヨブ記についての教訓的注解』
 ある人々はあまりにも単純で、正しいことが何であるかを知らないほどである。こういう人々は正しさの徳を身につけるに至らないので、真の単純さから生じる無邪気さを失っていく。それは、彼らは正しさに助けられて賢明さを守る事ができないので、単純さによっていつまでも無邪気さを守ることが決してできないからである。

 だからパウロは弟子達に忠告して、「善には聡く、悪には単純であることを望みます※1」と言っている。同じ理由でさらに、「者の判断について子供となってはいけません。悪事については幼子となりなさい※2」とも言っている。

 また同じ理由で、真理であるキリスト自ら弟子達に命じて、「蛇のように賢く、鳩のように単純でありなさい。※3」と言われる。主はこの忠告において、以上の二つの心構えを不可分のものとして結びつけられた。それは、鳩のような単純さが蛇のような賢さによって賢明なものに育てあげられ、蛇のような賢さが鳩のような単純さによって和らげられるためである。

 このために聖霊はご自分の到来を鳩の姿だけでなく、火の姿でも人々に現されたのである。実に鳩の姿によって単純さが、火の姿によって熱意が示される。結局、聖霊が鳩と火の姿で示されたのは、だれでも聖霊に満たされた者が、柔和な単純さを保ちながらも、罪人の過ちに反対して正しさへの熱情をもって燃え上がるからである。

 「[ヨブは]単純で正しい人で、神を畏れ悪を退けて生きる人。※4」永遠の祖国を希求している者は、だれでも疑いなく単純で正しい生活を送る。すなわち、その人は行いにおいて単純であり、信仰において正しい。その人は、低い身体的な次元での善行をするにあたっては単純であり、最高のものへと心を向上させるにあたっては正しいのである。しかし、善行をするにあたって単純でない人がいる。そのような人は、善行を行うとき神が授ける内面的な報いよりも人々から外面的な賞賛を求める。ある賢人はいみじく、「二股をかける罪人禍いだ※5」と言っている。実に、罪人は二股をかけている。彼は神によみされる業を行っているが、その意図においては世間的なことを求めているのである。



年間第八主日 読書
第一朗読 ヨブ1:1-1:22
第二朗読 聖グレゴリオ一世 『ヨブ記についての教訓的注解』
※1 ローマ16:19
だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。

※2 1コリント14:20
兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。

※3 マタイ10:16
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。

※4 ヨブ1:1
ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。

※5 シラ2:12
臆病な者、怠惰な者、二またをかける罪人は、禍いだ。


聖グレゴリオ一世
540年頃、ローマに生まれる。帝国の高位公務員となり、ついにローマの市長に任命されたが、やがてその職を退いて修道生活に入り、助祭に叙階されて駐コンスタンチノープル教皇大使となった。590年9月3日にローマ司教に選ばれ、優れた牧者として公務に励み、貧しい人々を助け、キリスト教信仰をはぐくみ、広めるために力を注いだ。道徳と神学に関する多くの著作を残し、604年3月12日に帰天(死去)。
Gregorius Magnus 540頃-604年、(ローマ司教 在位590-604) (Wikipediaではグレゴリウス1世) カトリック教会、正教会で聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダー より
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=090301

ベネディクト十六世の「教父に関する講話」で聖グレゴリオを紹介しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message313.htm
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聖グレゴリオ一世 大きな愛を持っていた者の望みが優先させられた

2014-02-10 07:00:00 | 聖グレゴリオ一世
聖グレゴリオ一世(540~604) ローマ司教(Papa)、教会博士
『対話録』
 聖ベネディクトの妹スコラスチカは、幼少のころから全能の主に身を下げていたが、年に一度、兄を訪ねることを習慣にしていた。神の人ベネディクトは、修道院の所有地内の門からあまり遠くない所にある家まで下って行き、彼女に会うことにしていた。

 ある日、彼女がいつものようにやって来ると、兄聖ベネディクトは弟子達を連れて彼女のもとまで下って来た。一日中、神を賛美したり信心の話をしたりして過ごし、夕闇があたりを包み始めた頃になって一緒に食事を取った。

 食卓を囲んで信心の話をしていると時が経って遅くなったので、修道女である妹は兄に、「お願いですから今晩わたしを残していかないで下さい。朝まで天上の命の喜びについて何か語り合いましょう」と言った。兄は、「妹よ、なんということを言うのだ。修道院の部屋の外で夜を明かすなど、決してできないことだ」と答えた。

 修道女である妹は自分の願いを拒絶する兄の言葉を聞いて、指を組み合わせた手を食卓の上に置き、全能の主に願うために手の上に頭を下げた。頭を食卓から上げるやいなや、強い閃光と雷鳴、豪雨が突然襲ってきた。それはあまりにも激しかったので、聖ベネディクトも一緒にいた修道士たちも、一歩も外に出ることができなくなった。

 そこで神の人ベネディクトは悲しんでつぶやきはじめ、「妹よ、全能の神があなたをおゆるしになるように祈りますが、いったいなんということをしてくれたのか」と言った。妹は答えた。「私はあなたにお願いしたのに、あなたは聞き入れてくれませんでした。そこで私の主にお願いしました。すると聞き入れてくださいました。さあ、今、もしできるなら外に出て、私を残して修道院のお帰りください。」

・・・

 それから3日後、神の人ベネディクトが修道院の部屋にいて目を上げると、妹の魂が体を去って鳩の姿で天国に上がっていくのが見えた。彼は妹がそれほどの栄光を受けたことを喜びながら、聖歌と賛歌を唱えて全能の神に感謝した。そして修道士たちを使わし、遺体を修道院に運ばせ、自分のために準備して置いた墓に葬らせた。

 こうして、神の内にいつも心を一つにしていたこの二人は、遺体も同じ場所に葬られることになったのである。


2月10日 聖スコラスチカ乙女(480年頃~547年) 記念日
第一朗読 当週当曜日
第二朗読 聖グレゴリオ 『対話禄』

 聖ベネディクトの妹として、480年頃ウンブリア(イタリア中部)のヌルシアで生まれる。兄と共に神に身を捧げ、モンテ・歌詞のに赴き、547年に死去。年一度、兄妹が会っていましたが、彼女は自分の死期が近いことを知っていたのでしょう。尊敬する兄と、時の経つのも忘れて天上の命の喜びについて語り合いました。

女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=021001

聖グレゴリオ1世 主はご自分の宣教者たちの後に行かれる

2013-10-18 07:00:00 | 聖グレゴリオ一世
聖グレゴリオ一世(540~604) ローマ司教、教会博士
『福音講話』
 親愛なる兄弟の皆さん、私たちの救い主はあるときには言葉によって、あるときには行いによって勧誘しておられます。それは、主の行いも掟だからです。主は無言の内に行うことで、私達の行うべきことを指し示しています。さて、主は弟子達を二人ずつ宣教に遣わされます。それは愛の掟が神と隣人とに対する二つの掟であって、しかも二人がいなければ愛が成り立たないからです。

 主は宣教のために弟子を二人ずつ遣わされます。主はこうして、他者を愛さない人は、宣教の勤めには決してついてはならないことを、暗黙のうちに教えられたのです。

 さて、「主は、ご自分が行くつもりのすべての町や村に彼らを先に遣わされた※1」とまさに言われています。それは、主がご自分の宣教者たちの後に行かれるからです。


10月18日 聖ルカ福音記者 祝日
第一朗読 使徒言行録9:27-31、11:19-26
第二朗読 聖グレゴリオ一世 『福音講話』
※1 ルカ10:1
その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。


聖ルカ(一世紀)
異教徒の家庭に生まれたが、やがて改宗し、使徒パウロの同志となり、パウロの教えに従って福音書を書き記した。さらに、初代教会について『使徒言行録』と題する書物を書き、パウロが最初にローマに赴くまでの初代教会のさまざまな出来事を書き記した。)
女子パウロ会 聖人カレンダー(聖ルカ福音記者へ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=101801