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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

エルサレムの聖チリロ 聖霊を受け入れるために器を清めて準備しなさい

2014-03-18 07:00:00 | エルサレムの聖チリロ
エルサレムの聖チリロ(315~386年)エルサレムの司教、教会博士
教話
 「天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ※1。」ヒソプの枝で水をかけられる者たち※2。ご受難のときに、ヒソプと葦の棒で飲み物を与えられたキリストの恵みにより、霊的なヒソプによって清められた者たちの故に、天にいる力ある者たちも喜びますように。そして、霊的な花婿に一致しようとしている魂たちよ、準備しなさい。「荒れ野で叫ぶ肥えがする。『主の道を整えよ※3。』」

 ですから、義の子らよ、ヨハネに従いなさい。ヨハネは勧めて言っています。「主の道をまっすぐにせよ。※4」まっすくに歩いて永遠のいのちに着くために、つまずかせる石と妨げをすべて除きなさい。聖霊を受け入れるために、真心からの信仰によってあなたたちの魂の器を清めて準備しなさい。花婿の部屋に招かれるときに、清い者であるために、悔いあらためによってあなたたちの服を洗いはじめなさい。

 恵みは寛大に与えられるので、花婿はだれをも招きます。伝令者たちは、大きな声をあげてすべての人を集めます。そして、婚礼の部屋に入る人を花婿ご自身が選びます。

 洗礼を希望して申し出ている人の中で、今になって「友よ、どうして礼服を着ないでここに入ってきたのか※5」という言葉を聞く不幸な目にだれも遭いませんように。

 そうではなく、あなたたち皆が、「忠実良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ※6」と言う言葉を聞くことができますように。

 これまであなたは戸口に立っていましたが、あなたたちが皆、次のような言葉を言うことができますように。「王は私を奥の間に連れて行かれた※7。」「私の魂は主にあって喜び躍る。主が救いの衣を私に着せ、喜びの晴れ着をまとわせてくださった。花婿のように輝く冠をかぶらせ、花嫁のように宝石で飾ってくださった※8。」

 あなたたち皆の魂に、しみやしわや、そのたぐいにものは何一つありませんように※9。あなたたちが恵みを受け取る前にそうなるようにとは言いません。あなたたちは罪のゆるしを受けるために招かれるから、ゆるしを受ける以前にそのようなものにはなりえません。私が言いたいのは、恵みを受けるときにあなたたちの良心にはとがめられるところが少しもなく、あなたたちが恵みと強力するようにということです。

 兄弟たちよ、洗礼は真に偉大なことがらです。大きな注意を払ってそれに近づかなくてはなりません。皆さん一人ひとりは、かみの御前で、数知れない天使たちの面前に立てられます。聖霊はあなたたちの魂に証印を押します。あなたたちは偉大な王の軍団に加えられるのです。

 ですからよく準備をし、身を整えなさい。きらめく衣を着ることによってではなく、正しい良心と敬虔さによって、魂を飾りなさい。


3月18日 聖チリロ(エルサレム)司教 教会博士 任意
第一朗読 当週当曜日
第二朗読 当週当曜日
第三朗読 エルサレムの聖チリロ司教の教話

※1 イザヤ49:13
天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ。山々よ、歓声をあげよ。主は御自分の民を慰め その貧しい人々を憐れんでくださった。
※2 詩編 51:9
ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください わたしが清くなるように。わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように。

※3 マルコ1:3
荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」

※4 ヨハネ1:23
ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」

※5 マタイ22:12
王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。

※6 マタイ25:21
主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』


エルサレムの聖チリロ
 315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。386年に帰天。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801

エルサレムの聖チリロ 十字架を喜びとしなさい

2014-02-06 00:00:00 | エルサレムの聖チリロ
エルサレムの聖チリロ(315-386) エルサレムの司教
教話
 キリストのすべての行為を普遍の教会は誇りとしますが、何よりも誇りとしているのは十字架です。パウロはこのことをよく知っていて、「わたしには、キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません※1」と言っています。

 確かにシロアムの池で生まれつきの盲人が視力を回復させられたことは驚くべきことでした※2。しかし、世界中の盲人の数と比べると、それはわずかな助けにすぎなかったのです。また、ラザロが四日経って復活したことも偉大なことであり※3。、自然の力を超えたことです。しかし、この恵みは彼一人だけに与えられたものです。しかもそれは、罪の故に死んだも同然の状態にあった世界中の人々の数と比べると、わずかなことです。五つのパンが泉のようになって、五千人のための食事となったことも驚くべき事です※4。しかし、これは無知という飢えに苦しんでいる世界中の人々の数と比べると、取るに足りないことです。十八年もの間サタンに縛られていた女性を、束縛から解放したことも驚くべき事でした※5。しかし、罪の絆によって縛られている私たち皆と比べると、それは小さな事です。

 だから、十字架の勝利は、無知が盲目にしてしまった人々を照らし、罪にとらわれていたすべての人々を解放し、全世界を贖ったのです。

 したがって、私たちは救い主の十字架を恥じてはなりません。むしろ、それを誇りとしましょう。十字架の言葉は、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが※6、私たちには救いです。それは滅んでいく者にとっては愚かなものですが、救われる私たちにとっては神の力です※7。事実、私たちのために死なれたのは、ただの人間ではなく、神の子、人となられた神なのです。

 モーセの時代に、小羊は滅ぼす者を遠ざけましたが※8、はるかにまして世の罪を取り除く神の小羊※9が、私たちを罪から解放してくださるのです。理性の無い小羊の血は救いをもたらしましたが、はるかにましてひとり子の血は、私たちを救ってくださいます。

 ・・・

 平和なときにだけ十字架を喜んではなりません。迫害の時にも同じ信仰を保ちなさい。平和の時にイエスの友でありながら、戦いの時にその敵となってはなりません。今あなたは罪のゆるしを受け、王である方が豊かに与えて下さる賜物を受けています。戦いが始まるとき、あなたの王のために勇敢に戦いなさい。

 罪のないイエスは、あなたのために十字架につけられました。それなのに、あなたのために十字架につけられたイエスのために、あなたは十字架につけられようとはしないのですか。あなたがイエスを恵むのではありません。先に恵みを受けたからです。あなたは恩を返すのです。ゴルゴタであなたのために十字架につけられた方に負債を払うのです。


年間第四木曜日 読書
第一朗読 2テサロニケ 1:1-12
第二朗読 聖チリロ 教話
聖チリロは紀元315年に生まれましたが、奇しくもローマ帝国における十字架刑が廃止された年にあたります。聖チリロの十字架についての教話です。

※1 ガラテヤ6:14
しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。

※2 ヨハネ9:1-12参照
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。」
こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。
そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。
「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。
そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」
人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。

※3 ヨハネ11:39-44参照
イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。
イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。
人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」
こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。

※4 マタイ14:13-21参照
イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。
夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」
イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」
弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。
すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

※5 ルカ13:11-13参照
そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。
イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。

※6 1コリント1:23参照
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、

※7 1コリント1:18参照
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

※8 出エジプト 12:23
主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。

※9 ヨハネ1:29参照
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。・・・」



エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801

ベネディクト十六世が、連続講話で「エルサレムのチリロ」について解説しました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message224.htm

エルサレムの聖チリロ イエス・キリストの二つの到来

2013-12-01 00:00:00 | エルサレムの聖チリロ
エルサレムの聖チリロ(315-386年) エルサレムの司教
教話
私たちはキリストの到来を告げます。ただ一つの到来ではなく、第2の到来も告げ知らせます。この第2の到来は、先のものより遙かに輝かしいものです。第一の到来は忍耐を示すものでしたが、第二の到来は、王としての支配を表す冠を帯びて来るキリストの到来です。

 私たちの主イエス・キリストに関する出来事は、ほとんどの場合、二通りの仕方で起こります。二つの誕生、すなわち、世界が始まる前の[父なる]神からの誕生と、時が満ちたときの処女[マリア]からの誕生があります。到来にも二つあり、一つは羊の毛の上に降る雨のように※1、音もなく目立たない到来であり、もう一つは将来起こる輝かしい到来です。

 第一の到来では、キリストは布にくるまれて飼い葉桶に寝かされ※2、第二の到来では、光を衣として身にまとっておられます※3。第一の到来では、恥をもとわずに十字架を担われ※4、第二の到来では、栄光を帯びた者として天使達の大群を従えておいでになるのです※5。

 ですから、第一の到来だけにとどまらず、第二の到来を待ちましょう。第一のウライのときに、私たちは「主の名によって来られる方に、祝福があるように※6」と言いました。第二の到来のときにも同じことを繰り返すことになるでしょう。それは、天使達と共に主を出迎え、ひれ伏して、「主の名によって来られる方に、祝福があるように」と言うためです。

 救い主は、もう一度裁きを受けるために来られるのではありません。ご自分を裁いた人々を裁きに来られるのです。初めに裁かれたときに沈黙を守られた主は、ご自分を十字架につけ、悪行をはたらいた者たちにこのことを思い起こさせて、「お前達はこのようなことをしたが、わたしは沈黙した※7」と言うでしょう。

 初めに主は人々を説得し、教えて、救いの計画を果たすために来られました。第二の到来では、主の支配を認めようとしない人々も必然的に主の支配下に置かれるでしょう。

 預言者マラキはこれら二つの到来について、次のように語っています。「あなたたちが待ち望んでいる主は、突如その神殿に来られる。※8」これは第一の到来です。

 第2の到来について預言者は続けて語っています。「あなたたちが喜びとしている契約の使者、見よ、全能の神から来られる。だが、この方の来るに日にだれが耐えられようか。この方の現れるとき、誰が耐えられようか。まことに、この方は精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。この方は、精錬する者、清める者として座に着く。※9」

 パウロもテストにあてた手紙の中で、これら二つの到来について次のように書き記しています。「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは私たちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。※10」)パウロがまず第一の到来について語り、そのために感謝し、次に、私たちが待っている第二の到来について語ったということがおわかりになったでしょう。

 それで、私たちが宣言する信仰は、今の形で伝えられ、私たちが信じるのは、天に昇って、父の右の座におられる方。その方は栄光のうちに再び来られ、生者と死者を裁き、その支配は終わることがありません、と言うのです。

 ですから、私たちの主イエス・キリストは天から来られます。この世の終わりに、その最後の日に、栄光を帯びて来られるのです。事実、この世はいつか終わり、造られたこの世は新たにされるのです。


待降節第一主日 読書
第一朗読 イザヤ1:1-18
第二朗読 エルサレムの聖チリロ 教話

※1 士師記6:36-38参照
ギデオンは神にこう言った。「もしお告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その羊の毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。そうすれば、お告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっていることが納得できます。」
すると、そのようになった。翌朝早く起き、彼が羊の毛を押さえて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢は水でいっぱいになった。

※2 ルカ2:7
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

※3 詩編104:2
光を衣として身を被っておられる。天を幕のように張り

※4 ヘブライ12:2
信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。

※5 マタイ25:31
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。

※6 マタイ21:9
そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」

※7 詩編50:21
お前はこのようなことをしている。わたしが黙していると思うのか。わたしをお前に似たものと見なすのか。罪状をお前の目の前に並べてわたしはお前を責める。

※8 マラキ3:1
見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者 見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。

※9 マラキ3:1-3
見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は 突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者 見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。
だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。
彼は精錬する者、銀を清める者として座し レビの子らを清め 金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を 正しくささげる者となるためである。

※10 テトス2:11-13
実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。
その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、 また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。


エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801

ベネディクト十六世が、連続講話で「エルサレムのチリロ」について解説しました。
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エルサレムの聖チリロ 信条について

2013-11-07 00:00:21 | エルサレムの聖チリロ
エルサレムの聖チリロ(315-386年) エルサレムの司教、教会博士
教話
 信仰を学ぶにせよ信仰を告白するにせよ、教会によってあなたに伝えられたものだけを獲得し、保ちなさい。この信仰こそ、聖書全体によって裏付けられています。ところで、皆が聖書を読むことができるわけではありません。ある人は読み書きができないから、またある人は忙しくて時間がないから、聖書の知識を身につけることができません。それで、この無知のために人の霊魂が滅びないよう、私たちはわずかの言葉の中に信仰の教義全体をまとめています。

 生涯、この信条を旅路の糧のように保ち、他のどんな信条も受け入れてはなりません。たとえ私自身が考えを変えて、今教えている信条と違う信条を教えるようなことがあっても、あるいは悪い使いが光の天使を装って※1、あなたを信仰に関する誤りに導こうとしても、受け入れてはなりません。「たとえ私たち自身であれ、天使であれ、私たちが今あなたがたに告げたものに反する福音をづけ知らせようとするなら、呪われるがよい※2」からです。

 今のところ、言葉で告げられた信条を聞いて、その信仰の言葉を記憶に留めなさい。時が来れば、それぞれの箇条についての聖書の裏付けを教えられることになります。この信条は、人間の気まぐれによって信仰の内容をまとめたものではなく、聖書全体の中から、最も重要な点を選んで、信仰の教えを一つに要約してものですから。ちょうど、小さなからし種の中に数多くの枝が含まれているように、この信条は、わずかな言葉の中に、旧約聖書と新約聖書に含まれている敬神の知識を全て包み込んでいます。

 兄弟たちよ、注意を払い、今伝えられた教えを固く保ち※3、それを心の板に書き記しなさい※4。

 敵である悪魔が来て、怠惰になった人から持っている物を奪い取らないように、また、だれか異端者があなたがたに伝えられた教えをゆがめることのように、細心の警戒をしなさい。信仰を教えることは、銀行にお金を預けることに比べることができます。私は今、このことをしたのです。そして神は、預けた物の決済をあなたがたに要求なさるでしょう。使徒パウロが言うように、「万物にいのちをお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前ですばらしい宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます※5。」主イエス・キリストが現れるときまで、あなたがたに伝えられたこの信仰を汚れなく守りなさい※6。


年間第三十一木曜日 読書
第一朗読 1マカバイ記4:36-59
第二朗読 エルサレムの聖チリロ 教話

※1 2コリント 11:14参照
だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。

※2 ガラテヤ1:8
しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。

※3 2テサロニケ2:15
すから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。

※4 箴言7:3参照
それをあなたの指に結び、心の中の板に書き記せ。

※5 1テモテ6:13
万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。

※6 1テモテ6:14
わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。



エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801
ベネディクト十六世が、連続講話で「エルサレムのチリロ」について解説しました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message224.htm

エルサレムの聖チリロ 信仰の力は人間の力を超えて働く

2013-11-06 00:28:29 | エルサレムの聖チリロ
エルサレムの聖チリロ(315-386年) エルサレムの司教、教会博士
教話
 信仰という言葉はただ一つのものでしかありませんが、二つの違った事実を表しています。

【教義】
 第1の種類の信仰はは教義に関係するものであり、あることに霊魂が同意することを意味しています。この信仰は、霊魂にとって有益なものです。主は仰せになりました。「わたしの言葉を聞いて、わたしがお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることはない。※1」さらに言われます。「御子を信じる者は裁かれない※2。その者は死から命へと移っている※3。」

 人々に対して神がもっておられる愛は、なんと大きいことでしょう。[旧約の]正しい人々は、神によしとされる者となるのに長い時間がかかりました。彼らが真剣に長い年月をかけて努力して得たものを、イエス・キリストは一時(いっとき)のうちにあなたに授けてくださいます。実際、イエス・キリストは主であり、神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるならば、あなたは救われ※4、強盗を楽園に入れられた方によって楽園に移されます。それは可能なことであると確信してください。ゴルゴタの上で、一時の間、信じていた強盗を救われた方は、信じているあなたをも救ってくださるのです。

【霊的賜物】
 もう一つの種類の信仰があります。これは霊的な賜物としてキリストからある人に分け与えられるものです。「ある人には霊によって知恵の言葉、ある人には同じ霊によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ霊によって信仰、ある人にはこの唯一の霊によって病気を癒す力が与えられます。※5 」

【信仰】
 この聖霊によって賜物として与えられる信仰は、ただ教義に関するものだけではなく、人間の力を超えることを実現します。この信仰をもっている人が、「この山に向かって、『ここから、あそこに移れ※6』」と命じれば、山は移ります。このことを少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じる信仰をもって言うならば※7、奇跡の恵を受けるのです。


年間第三十一水曜日 読書
第一朗読 1マカバイ 3:1-26 ユダ・マカバイについて
第二朗読 エルサレムの聖チリロ 教話
※1 ヨハネ5:24
はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
※2 ヨハネ3:18
御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

※3 ヨハネ5:24
はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。

※4 ローマ10:9参照
口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。

※5 1コリント12:8-9
ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、
ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、

※6 マタイ17:20
イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」

※7 マルコ11:23参照
はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。


エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801

ベネディクト十六世が、連続講話で「エルサレムのチリロ」について解説しました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message224.htm