ニッサの聖グレゴリオ司教(330年~394年) カッパドキアのニッサとセバステの司教、教会博士
コヘレト書についての説教
「生まれる時と、死ぬ時がある※1」と聖書は言っています。著者は、話の始めに誕生と死を結び合わせて、この必然的な結びつきを言葉でみごとに著しています。それは誕生の後には死が必ずやって来て、生まれたあらゆるものは腐敗して消えていくからです。
「生まれる時と、死ぬ時がある。」私もふさわしい時に生まれ、ふさわしい時に死にたいものです。著者がここで、自由意志によらない陣痛のことや自然に起こる死のことを、徳による正しさでもあるかのように語っているとは考えられません。事実、陣痛の時は女性の意志によって起こるのでもなく、死の時は世を去る人の自由意志によって決まるのでもありません。人間の自由な選択によらないことを、だれも徳や悪徳とみなすことはないでしょう。したがって、ふさわしい時の誕生とふさわしい時の死はなんであるかということを、よく理解しなければなりません。
私が思うには、早産ではなく時が満ちて起こる誕生とは、イザヤが言っているように、人が神に対する畏れからはらみ、魂の陣痛によって自分の救いを生み出すということです※2。私たちが正しい選択によって自分自身を形作り、産み、光のもとに出すとき、私たちは自分自身にとってある意味で生みの親なのです。
私たちがこのことを行うのは、自分自身の中に神を受け入れて、神の子、力の子、いと高き者の子となる※3ということによってです。反対に、私たちが早産で生まれ、自分を不完全で空虚なものにするのは、使徒パウロが言ったように、キリストの形が私たちの中に形づくられる※4ということがないときです。事実、神の人は完全な者でなければなりません。
年間第七火曜日 読書
第一朗読 コヘレト3:1-22 すべてに時がある
第二朗読 ニッサの聖グレゴリオ司教 コヘレト書についての説教
※1 コヘレト3:2
3:1何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
3:2 生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時
※2 イザヤ26:18
わたしたちははらみ、産みの苦しみをしました。しかしそれは風を産むようなものでした。救いを国にもたらすこともできず地上に住む者を産み出すこともできませんでした。
※3 ルカ6:35参照
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
ニッサの聖グレゴリオ
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人。(Wikipediaではニュッサのグレゴリオス)
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話のなかで、二回にわたってニッサのグレゴリオを解説しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message240.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message241.htm
コヘレト書についての説教

「生まれる時と、死ぬ時がある。」私もふさわしい時に生まれ、ふさわしい時に死にたいものです。著者がここで、自由意志によらない陣痛のことや自然に起こる死のことを、徳による正しさでもあるかのように語っているとは考えられません。事実、陣痛の時は女性の意志によって起こるのでもなく、死の時は世を去る人の自由意志によって決まるのでもありません。人間の自由な選択によらないことを、だれも徳や悪徳とみなすことはないでしょう。したがって、ふさわしい時の誕生とふさわしい時の死はなんであるかということを、よく理解しなければなりません。
私が思うには、早産ではなく時が満ちて起こる誕生とは、イザヤが言っているように、人が神に対する畏れからはらみ、魂の陣痛によって自分の救いを生み出すということです※2。私たちが正しい選択によって自分自身を形作り、産み、光のもとに出すとき、私たちは自分自身にとってある意味で生みの親なのです。
私たちがこのことを行うのは、自分自身の中に神を受け入れて、神の子、力の子、いと高き者の子となる※3ということによってです。反対に、私たちが早産で生まれ、自分を不完全で空虚なものにするのは、使徒パウロが言ったように、キリストの形が私たちの中に形づくられる※4ということがないときです。事実、神の人は完全な者でなければなりません。
年間第七火曜日 読書
第一朗読 コヘレト3:1-22 すべてに時がある
第二朗読 ニッサの聖グレゴリオ司教 コヘレト書についての説教
※1 コヘレト3:2
3:1何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
3:2 生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時
※2 イザヤ26:18
わたしたちははらみ、産みの苦しみをしました。しかしそれは風を産むようなものでした。救いを国にもたらすこともできず地上に住む者を産み出すこともできませんでした。
※3 ルカ6:35参照
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
ニッサの聖グレゴリオ
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人。(Wikipediaではニュッサのグレゴリオス)
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話のなかで、二回にわたってニッサのグレゴリオを解説しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message240.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message241.htm