goo blog サービス終了のお知らせ 

毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖ヨハネ・クリゾストモ モーセとキリスト

2014-03-17 22:51:54 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ司教(349-407) コンスタンチノープルの司教
『教話』
 ユダヤ人たちは奇跡を目にしました。あなたも今、かつてユダヤ人たちがエジプトを脱出したとき以上に偉大で、はるかに輝かしい奇跡を目にするでしょう。あなたは武器と共に溺死するファラオを目にしませんでしたが、武器と共に海中に沈められる悪魔を目にしました。ユダヤ人達は海を通り過ぎましたが、あなたは死を通り過ぎました。彼らはエジプトから解放されましたが、あなたは悪魔から解放されました。ユダヤ人達は他国人への隷属を免れましたが、あなたはそれよりはるかに苦しい罪への隷属を免れました。

 あなたこそ一層優れた恵みを与えられたことを、ある別の考察からも学びたいというのでしょうか。かつてユダヤ人たちは、栄光に輝くモーセの顔を見つめることはできませんでした。そのモーセは彼らの同胞であり、同じ主に仕えるしもべでした。ところが、あなたは栄光に輝くキリストの顔をみたのです。パウロは声高らかに言います。「私たちは、顔の覆いを除かれて、主の栄光を熟視しています。※1」

 かつてキリストはユダヤ人たちについて来られましたが、それ以上に、今キリストは私たちについて来られます※2。というのも、モーセの恵みのゆえに主は彼らについて来られましたが、私たちについて来られるのは単にモーセの恵みのゆえではなく、あなたたちの従順のゆえでもあります。彼らにはエジプトの後に荒れ野が待ち受けていましたが、あなたには脱出の後に天が待っています。彼らにはモーセという優れた指導者、指揮官がいましたが、私たちにはもう一人のモーセとして、私たちを導き、指揮してくださる神ご自身がいるのです。

 かつてのモーセを特徴づけていたものは何だったのでしょう。「モーセという人はこの地上のだれにもまさって柔和であった」※3と聖書は言っています。間違いなく、同じことを私たちのモーセについて言うことができるでしょう。それは、親密で同じ本質をもっている、いとも柔和な聖霊がこの方と共におられたからです。かつてモーセは手を天に伸べ、天使たちのパンであるマナを降らせました。私たちのモーセは手を天に伸べ、永遠の糧をもらたします。前者は岩を打ち、水の流れをほとばしらせました。後者は食卓に手をかけ、霊的な食卓を打って霊の泉を湧き出させます。このため、泉のようなものとして食卓[すなわち祭壇]は[聖堂の]中央に据えられています。それは、羊の群れが四方八方から泉に近づくことができ、救いをもたらす水の流れから飲むことができるためです。

 ここにはこのような泉、このようないのちがあり、食卓が計り知れない祝福で満ちており、私たちのために霊の賜物を湧き出させているのですから、恵みを受け、時宜にかなった援助を恵まれるために、真実な心、清い良心で近づきましょう。御ひとり子、私たちの主、救い主イエス・キリストの恵みと人間に対する愛によって、キリストを通してキリストと共に御父に、また、命の与え主である聖霊に、栄光と誉れと力が今もいつも世々にありますように。 アーメン。


四旬節第二月曜日 読書
第一朗読 出エジプト14:10-31
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ司教の『教話』
 古代教会のミサの雰囲気が少し書かれています。典礼聖歌 325/賛美歌21 81 「マラナタ」の、「主の食卓を囲み、いのちのパンをいただき、救いのさかずきを飲み、・・・」ですね。

※1 2コリント3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

※2 1コリント10:4
皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。

※3 民数記12:3(12:1-12:10)
ミリアムとアロンは、モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難し、「モーセはクシュの女を妻にしている」と言った。
彼らは更に言った。「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか。」主はこれを聞かれた。
モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。
主は直ちにモーセとアロンとミリアムに言われた。「あなたたちは三人とも、臨在の幕屋の前に出よ。」彼ら三人はそこに出た。
主は雲の柱のうちにあって降り、幕屋の入り口に立ち、「アロン、ミリアム」と呼ばれた。二人が進み出ると、主はこう言われた。「聞け、わたしの言葉を。あなたたちの間に預言者がいれば主なるわたしは幻によって自らを示し夢によって彼に語る。
わたしの僕モーセはそうではない。彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。
口から口へ、わたしは彼と語り合うあらわに、謎によらずに。主の姿を彼は仰ぎ見る。あなたたちは何故、畏れもせずわたしの僕モーセを非難するのか。」
主は、彼らに対して憤り、去って行かれ、雲は幕屋を離れた。そのとき、見よ、ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。アロンはミリアムの方を振り向いた。見よ、彼女は重い皮膚病にかかっていた。


聖ヨハネ・クリゾストモ
 349年頃、アンチオケに生まれる。父は軍人で、キリスト者の母によって、一流の教育を受けることができた。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送る。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げた。397年にコンスタンチノープルの司教に選ばれ、聖職者と信者の生活を改める優れた牧者として活躍した。また、皇帝一族やその他の反対者の憎しみをかい、2度に渡って追放された。追放中の虐待の結果、407年9月14日にトルコのポントス州のコマネ近郊で帰天。キリスト教を解説し、キリスト者としての正しい生活を教えるために多くの説教を行い、著作を著した。このことから、「クリゾストモ」すなわち「金の口」と呼ばれている。
正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。

女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm

聖ヨハネ・クリゾストモ 祈りは魂の光

2014-03-07 21:28:13 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ司教(349年-407年) コンスタンチノープルの司教、教会博士
説教
 至高の善とは、神に祈り、神と親しく話すことです。それは神と交わることであり、神と一つになることです。光を目にするとき、肉眼が照らされるように、神に専念する魂も神の名伏しがたい光によって照らされます。うわべに表される祈りを言っているのではありません。心からの祈りを言っているのです。一定の時期に、そして一定の時間に限られた祈りではなく、日夜絶え間なく行われる祈りです。

 実に祈ろうとするときに、あわてて思いを神に向けるだけでは不十分です。何らかの役務に従事しているときにも、あるいは貧しい人々を世話しているときにも、またその他のことに心を配っているときにも、あるいは、その他の有益な善行を行っているときにも、神へのあこがれと神への追憶を混ぜ合わせねばなりません。塩で味をつけように※1、それらの仕事が神への愛によって味付けされ、万物の主にささげられる食物となるためです。多くの時間を祈りのために割くなら、私たちは生涯を通じて、そこから絶大な益を得ることができるでしょう。

 祈りは魂の光、神を真に知る事、神と人々とを仲介するものです。祈りを通して天に引き上げられた魂は、言い尽くしがたい抱擁で神を抱きしめます。まさに、幼子が涙を流して母親を呼び求めるように、魂は神的な乳を求めるのです※2。自ら欲するものを求め、目に見えるいかなる本性よりも優れた賜物を得るのです。

 実に、祈りは高貴な使節のようなものであり、心を喜びで満たし、魂に安らぎを与えます。私は祈りについて話していますが、それが言葉にあるとは考えないで下さい。祈りとは神へのあこがれ、言葉に表せない愛、人間の側から生ずるものではなく、神の恵みの働きによるものです。これについて使徒パウロも述べています。「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって取りなして下さいます。※3」

 主がこのような祈りを恵みとして与えて下さるのであれば、それは奪われることのない富であり、魂を満ち足りたものにする天の糧です。それを味わった者は、燃えさかる火がその心に火を付けるように、永遠に続く神へのあこがれをかき立てられます。

 主(おも)にこのような祈りを実践しながら、優しさと謙遜な心であなたの家を彩りなさい。義の光でそれを照らしなさい。正真正銘の大理石で飾りたてるように、よい行いであなたの家を飾り、壁面やモザイクに代えて信仰と寛容で美しく装いなさい。すべてにまして家の建築が完成するために、天上のように祈りを据えなさい。こうして、あなたの完成された家を主のために準備し、華麗な王宮に迎えるかのようにそこに主を迎え、主の恵みによって神殿の中に像が据えられているように、魂の神殿に主を受け入れることになるでしょう。


灰の式後の金曜日 読書
第一朗読 出エジプト 2:1-22
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ 説教

※1 コロサイ4:6 参照
いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。

※2 1ペトロ2:2参照
生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。

※3 ローマ 8:26
同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。


聖ヨハネ・クリゾストモ
 349年頃、アンチオケに生まれる。父は軍人で、キリスト者の母によって、一流の教育を受けることができた。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送る。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げた。397年にコンスタンチノープルの司教に選ばれ、聖職者と信者の生活を改める優れた牧者として活躍した。また、皇帝一族やその他の反対者の憎しみをかい、2度に渡って追放された。追放中の虐待の結果、407年9月14日にトルコのポントス州のコマネ近郊で帰天。キリスト教を解説し、キリスト者としての正しい生活を教えるために多くの説教を行い、著作を著した。このことから、「クリゾストモ」すなわち「金の口」と呼ばれている。
正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。

女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm


聖ヨハネ・クリゾストモ 私は戦いを立派に抜いた

2014-01-26 07:00:00 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ(349~407年)コンスタンチノープルの司教、教会博士
説教
 パウロは獄舎につながれていましたが、彼にとってそれは天にあるかのようでした。他の人々が褒賞を獲得することを喜ぶ以上に、喜々として鞭打たれ、傷を負わされることを甘受しました。褒賞に劣らず、苦労を愛しました。苦労を褒賞であると考えていたからです。このため、苦労を恵みと呼んだのです。注目しましょう。彼にとっては、「この世を去って、キリストと共にいる※1」ことこそ褒賞であり、肉にとどまることは戦いでした。それにもかかわらず、前者よりも後者を選び、それこそ必要なことであると言うのです※2。

 キリストから離れた者※3となることは、戦い、労苦、否むしろそれ以上のことでした。これに対して、キリストと共にあることこそ彼にとって褒賞でした。それでも、パウロはキリストのゆえに、後者よりも前者を選ぶのです。

 しかし、おそらくパウロにとって、これらのことは皆、キリストのゆえに心地良いものであったと言う人もいるでしょう。このことは私も認めます。それは、私たちにとって悲しみの原因となることが、パウロに大きな喜びをもたらしたからです。危険や艱難のことだけではありません。彼は絶えず失意の状態にあったのです。だから、彼は言うのです。「誰かが弱っている、私は弱らないで居られるでしょうか。誰かがつまずくなら、私が心を燃やさないで居られるでしょうか。※4」

 あなた方にお願いします。これほどすばらしい徳行の模範をただ驚嘆するだけでなく、模倣して下さい。そうすれば、私たちも栄冠を彼とともに受けることができるからです。

 誰かがパウロと同じ正しい事をするなら同じ報いを受ける、という私の言葉に驚くのであれば、パウロ自身が言っていることに耳を傾ければよいでしょう。彼は言います。「私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰を守り抜きました。今や、義の冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれを私に授けて下さるのです。しかし、私だけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けて下さいます。※5」

 そこで、パウロが全ての人を、同じ栄冠をともに受けるように招いていることが分かるでしょう。すべての人に同じ栄冠が用意されているのですから、私たちは皆、約束された報いにふさわしい者となるよう熱心に務めましょう。

 パウロの正しい業の偉大さと気高さのみに注目してはなりません。その熱意の熾烈さにも注目しましょう。それによって、彼はあれほどの恵みを得ることができたのです。また、パウロも私たち全く同じ人間であったことにも注目しましょう。彼は、あらゆる点で私たちと本性を同じくしていたのです。このように考えるなら、きわめて困難なことも、私たちも用意で簡単なことに思われるでしょう。ほんのしばしの間、労苦するなら、私たちの主イエス・キリストの恵みと友愛によって、朽ちることなく不滅の栄冠をいただくにいたるでしょう。キリストに栄光と力が今もいつも、世々にありますように。アーメン。


1月26日 聖テモテ、聖テトス司教 記念日(絵は聖テモテ)
第一朗読 当週当曜日
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ 説教

テモテとテトスは使徒パウロの弟子であり、協力者である。テモテはエフェソの教会を、テトスはクレタの教会を指導した。パウロは彼らに「牧会書簡」と呼ばれる手紙を送り、その中で、司牧者と信者たちを育てる上での、すぐれた教えを述べている。

※1 フィリピ1:23
この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。

※2 フィリピ1:24
だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。

※3 ローマ9:3
わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。

※4 2コリント11:29
だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。

※5 2テモテ4:7-8
わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。


ベネディクト十六世の使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の28回目として、「使徒聖パウロの協力者であるテモテとテトス」について解説しました。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message168.htm


聖ヨハネ・クリゾストモ
 349年頃、アンチオケに生まれる。父は軍人で、キリスト者の母によって、一流の教育を受けることができた。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送る。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げた。397年にコンスタンチノープルの司教に選ばれ、聖職者と信者の生活を改める優れた牧者として活躍した。また、皇帝一族やその他の反対者の憎しみをかい、2度に渡って追放された。追放中の虐待の結果、407年9月14日にトルコのポントス州のコマネ近郊で帰天。キリスト教を解説し、キリスト者としての正しい生活を教えるために多くの説教を行い、著作を著した。このことから、「クリゾストモ」すなわち「金の口」と呼ばれている。
正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。

女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm

聖ヨハネ・クリゾストモ キリストの愛のゆえにパウロはすべてを耐え忍んだ

2014-01-25 07:00:00 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ司教(349年~407年) コンスタンチノープルの司教、教会博士
説教
 人間とはいかなるものでしょうか。私たちの本性の気高さはどれほどでしょうか。この生きものは、徳の実践でどれほどの可能性を秘めているのでしょうか。いかなる人にもまして、パウロという人はそれを如実に示しています。パウロは日ごとにより高きを求め、成熟を増し、ふりかかる危険に対して新たなる熱意をかき立てていました。それを、次のようにはっきり言いきっています。「私は、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けています。※1」 そして、死を予期したときに、この喜びをともにするよう呼びかけています。「あなたがたも喜びなさい。私と一緒に喜びなさい。※2」 艱難、侮辱、ありとあらゆる屈辱にさらされているときにも、なお喜び勇み、コリントの人々に手紙を送ってこう述べています。「それゆえ、私は弱さ、侮辱、迫害の状態にあっても、満足しています。※3」 彼はこれらを義のための道具と呼び※4、それによって大いなる収穫がもたらされることを明らかにしているのです。

 敵が四方八方から襲いかかっても、パウロは負けることはありません。あらゆる所で鞭打たれ、侮辱され、ののしられながらも、凱旋行進の中を進み、あらゆる所に凱旋碑を建てるかのようです。こうして神に栄光を帰し、神に感謝し、神をほめたたえて言うのです。「神に感謝します。神は、私たちをいつも勝利の行進に連ならせてくださいます※5。」私たちが栄誉を求める以上に、パウロは宣教のために受ける辱めと侮辱を求めたのです。私たちがいのちを求める以上に、彼は死を求めたのです。私たちが富みを求める以上に、彼は貧しさを求めたのです。他の人々が休息を求める以上に、彼は労苦を求めたのです。彼にとって恐るべき事、避けるべき事はただ一つ、それは神に逆らうことでした。同じように彼の渇望するのは、ほかでもなく神のみ心にかなうことでした。

 さらに、パウロは何よりも価値あるものとして、自分に向けられたキリストの愛を持っていました。これさえあれば、彼は他のだれよりも幸せであると考えていました。キリストの愛なしに、主権や支配や権威にあずかろうとは決してしませんでした。つまり、キリストの愛なしに、主権を持つ者、尊い地位にある者になるよりは、その愛を抱いて最も卑しい人々、こらしめを受けている人々の一人になることを望みました。

 彼にとって責め苦と思われたことはただ一つ、このキリストの愛を失うことです。彼はこれだけをゲヘンナと思い、罰と考え、最大の災いとみなしました。

 これに反して、彼はキリストの愛を享受することを、まさに命、世界、天使、現在と未来、神の国、約束、はかりしれないとみなしました。この世で私たちにふりかかることのうちで以上の二つのことを除けば、これより耐え難いことも、これより心地良いことも考えなかったのです。

 パウロは目に見える全てのものを、枯れかかっている草でもあるかのように軽視したのです。また、暴虐な君主たちも、怒りに猛り狂った民家も、彼の目には蚊のようなものに映ったのです。

 さらに彼にとっては、死も責め苦も極刑も、キリストのために耐え忍ぶものであれば、子どもの遊びのようなものだったのです。


1月25日 聖パウロの改心 祝日
第一朗読 ガラテヤ1:11-24
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ 説教
 キリストの弟子達を迫害していたサウロはダマスコに向かう途中、復活したキリストと出会い、迫害者から信仰者に変わった。パウロの回心をこの日に記念することの紀元は定かではないが、五世紀の「ヒエロニムス殉教録」にはすでに記載されている。

※1 フィリピ3:13
兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、

※2 フィリピ2:18
同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。

※3 2コリント12:10
それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

※4 ローマ6:13
また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。

※5 2コリント2:14
神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。

聖ヨハネ・クリゾストモ キリストの十字架を宣べ伝える

2013-11-30 00:00:00 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ(349~407年)コンスタンチノープルの司教、教会博士
『ヨハネ福音書講話』
 アンデレはイエスのもとに留まり、多くのことを学びましたが※1、宝を自分のために隠すことなく、自分で得た宝を分け与えるために、急いで自分の兄弟のもとに走って行きます。彼がその兄弟に何と言っているか注目してください。「私たちはメシア、訳して言えば『油注がれた者』に出会った※2」と言うのです。ごく短い間に偉大なことを学んだということが、どのようにしてここに示されているか分かりますか。実に、彼らを確信させた師の力も示されていますし、初めからそのことに専心していた彼ら自身の熱意も示されます。この言葉は、この方の到来を待ち焦がれ、上からの到来を大望していた人の言葉であり、しかも大望しいた方の出現に浴して喜び、それほど偉大な知らせを分かち与えるために、他の人々のもとに急ぐ人の言葉です。霊的な面で成長するために互いに手を差し伸べて熱心に助け合うこと、兄弟間の愛、同胞間の親交、純粋な真心の業でした。

 そもそも初めから、ペトロは従順で柔軟な精神を持っていたことに注目して下さい。実に何のためらいも無しに、直ちに駆けつけているのです。「アンデレは彼をイエスの所に連れて行った※3」と述べられています。たいして吟味もせずにアンデレの言葉を受け入れたからといって、ペトロの柔軟性をだれも避難してはなりません。おそらく兄弟アンデレは、非常に詳細に、長々とペトロに語ったのでしょう。ところが福音記者たちは簡潔に述べるのを旨としているので、多くの事を省いているのです。いずれにしても福音記者は、ペトロが直ちに信じたとは言わず、「アンデレは彼をイエスのところに連れて行った」と言っています。それは、イエスから全てを学ぶよう、ペトロをイエスにゆだねるためです。また、そこにはもう一人の弟子も居合わせましたが、彼もそれに加わっています。

 さて洗礼者ヨハネは、「小羊だ※4」、「聖霊によって洗礼を授ける人である※5」と言ったとき、このことについてのより明確な教えを、キリストご自身から説明していただくようにゆだねたのです。ましてや、アンデレはなおさらそうしたのです。彼自身、完全に説明できるとは思っていなかったからです。彼は一瞬たりとも躊躇したり、引き延ばしたりすることがなかったほどに、喜び勇んで兄弟ペトロを、光の源そのものに導いたのです。


11月30日 聖アンデレ使徒 祝日
ガリラヤのベトサイダ出身。初め洗礼者ヨハネの弟子であったが、後にキリストに従い、ペトロをキリストのもとに連れていた(ヨハネ1:40-42)。イエスにお目にかかりたいと申し出たギリシャ人の願いを、フィリポとともにイエスに取り次ぎ(ヨハネ12:22)、また、イエスが五千人に食べ物を与えた奇跡の前には、わずかなパンと魚を持っている少年がそこにいることをイエスに告げた(ヨハネ6:8-9)。聖霊降臨の後、多くの地方に福音を宣教しギリシャ南部のアカイアで十字架につけられたと伝えられている。
第一朗読 1コリント1:18~2:5
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ 『ヨハネ福音書講話』

女子パウロ会 教会カレンダー 11月30日 聖アンデレ
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle0/festa1130.php

正教会の聖人暦では、「初召命使徒聖アンドレイ」(?~62年) 12月13日です。

※1 ヨハネ1:39
イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。

※2 ヨハネ1:41
彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。

※3 ヨハネ1:42
そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

※4 ヨハネ1:29
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。

※5 ヨハネ1:33
わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。



聖ヨハネ・クリゾストモ
 349年頃、アンチオケに生まれる。父は軍人で、キリスト者の母によって、一流の教育を受けることができた。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送る。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げた。397年にコンスタンチノープルの司教に選ばれ、聖職者と信者の生活を改める優れた牧者として活躍した。また、皇帝一族やその他の反対者の憎しみをかい、2度に渡って追放された。追放中の虐待の結果、407年9月14日にトルコのポントス州のコマネ近郊で帰天。キリスト教を解説し、キリスト者としての正しい生活を教えるために多くの説教を行い、著作を著した。このことから、「クリゾストモ」すなわち「金の口」と呼ばれている。
正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。

女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm