聖ヨハネ・クリゾストモ司教(349-407) コンスタンチノープルの司教
『教話』
ユダヤ人たちは奇跡を目にしました。あなたも今、かつてユダヤ人たちがエジプトを脱出したとき以上に偉大で、はるかに輝かしい奇跡を目にするでしょう。あなたは武器と共に溺死するファラオを目にしませんでしたが、武器と共に海中に沈められる悪魔を目にしました。ユダヤ人達は海を通り過ぎましたが、あなたは死を通り過ぎました。彼らはエジプトから解放されましたが、あなたは悪魔から解放されました。ユダヤ人達は他国人への隷属を免れましたが、あなたはそれよりはるかに苦しい罪への隷属を免れました。
あなたこそ一層優れた恵みを与えられたことを、ある別の考察からも学びたいというのでしょうか。かつてユダヤ人たちは、栄光に輝くモーセの顔を見つめることはできませんでした。そのモーセは彼らの同胞であり、同じ主に仕えるしもべでした。ところが、あなたは栄光に輝くキリストの顔をみたのです。パウロは声高らかに言います。「私たちは、顔の覆いを除かれて、主の栄光を熟視しています。※1」
かつてキリストはユダヤ人たちについて来られましたが、それ以上に、今キリストは私たちについて来られます※2。というのも、モーセの恵みのゆえに主は彼らについて来られましたが、私たちについて来られるのは単にモーセの恵みのゆえではなく、あなたたちの従順のゆえでもあります。彼らにはエジプトの後に荒れ野が待ち受けていましたが、あなたには脱出の後に天が待っています。彼らにはモーセという優れた指導者、指揮官がいましたが、私たちにはもう一人のモーセとして、私たちを導き、指揮してくださる神ご自身がいるのです。
かつてのモーセを特徴づけていたものは何だったのでしょう。「モーセという人はこの地上のだれにもまさって柔和であった」※3と聖書は言っています。間違いなく、同じことを私たちのモーセについて言うことができるでしょう。それは、親密で同じ本質をもっている、いとも柔和な聖霊がこの方と共におられたからです。かつてモーセは手を天に伸べ、天使たちのパンであるマナを降らせました。私たちのモーセは手を天に伸べ、永遠の糧をもらたします。前者は岩を打ち、水の流れをほとばしらせました。後者は食卓に手をかけ、霊的な食卓を打って霊の泉を湧き出させます。このため、泉のようなものとして食卓[すなわち祭壇]は[聖堂の]中央に据えられています。それは、羊の群れが四方八方から泉に近づくことができ、救いをもたらす水の流れから飲むことができるためです。
ここにはこのような泉、このようないのちがあり、食卓が計り知れない祝福で満ちており、私たちのために霊の賜物を湧き出させているのですから、恵みを受け、時宜にかなった援助を恵まれるために、真実な心、清い良心で近づきましょう。御ひとり子、私たちの主、救い主イエス・キリストの恵みと人間に対する愛によって、キリストを通してキリストと共に御父に、また、命の与え主である聖霊に、栄光と誉れと力が今もいつも世々にありますように。 アーメン。
四旬節第二月曜日 読書
第一朗読 出エジプト14:10-31
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ司教の『教話』
古代教会のミサの雰囲気が少し書かれています。典礼聖歌 325/賛美歌21 81 「マラナタ」の、「主の食卓を囲み、いのちのパンをいただき、救いのさかずきを飲み、・・・」ですね。
※1 2コリント3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
※2 1コリント10:4
皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
※3 民数記12:3(12:1-12:10)
ミリアムとアロンは、モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難し、「モーセはクシュの女を妻にしている」と言った。
彼らは更に言った。「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか。」主はこれを聞かれた。
モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。
主は直ちにモーセとアロンとミリアムに言われた。「あなたたちは三人とも、臨在の幕屋の前に出よ。」彼ら三人はそこに出た。
主は雲の柱のうちにあって降り、幕屋の入り口に立ち、「アロン、ミリアム」と呼ばれた。二人が進み出ると、主はこう言われた。「聞け、わたしの言葉を。あなたたちの間に預言者がいれば主なるわたしは幻によって自らを示し夢によって彼に語る。
わたしの僕モーセはそうではない。彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。
口から口へ、わたしは彼と語り合うあらわに、謎によらずに。主の姿を彼は仰ぎ見る。あなたたちは何故、畏れもせずわたしの僕モーセを非難するのか。」
主は、彼らに対して憤り、去って行かれ、雲は幕屋を離れた。そのとき、見よ、ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。アロンはミリアムの方を振り向いた。見よ、彼女は重い皮膚病にかかっていた。
聖ヨハネ・クリゾストモ
349年頃、アンチオケに生まれる。父は軍人で、キリスト者の母によって、一流の教育を受けることができた。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送る。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げた。397年にコンスタンチノープルの司教に選ばれ、聖職者と信者の生活を改める優れた牧者として活躍した。また、皇帝一族やその他の反対者の憎しみをかい、2度に渡って追放された。追放中の虐待の結果、407年9月14日にトルコのポントス州のコマネ近郊で帰天。キリスト教を解説し、キリスト者としての正しい生活を教えるために多くの説教を行い、著作を著した。このことから、「クリゾストモ」すなわち「金の口」と呼ばれている。
正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。
女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm
『教話』

あなたこそ一層優れた恵みを与えられたことを、ある別の考察からも学びたいというのでしょうか。かつてユダヤ人たちは、栄光に輝くモーセの顔を見つめることはできませんでした。そのモーセは彼らの同胞であり、同じ主に仕えるしもべでした。ところが、あなたは栄光に輝くキリストの顔をみたのです。パウロは声高らかに言います。「私たちは、顔の覆いを除かれて、主の栄光を熟視しています。※1」
かつてキリストはユダヤ人たちについて来られましたが、それ以上に、今キリストは私たちについて来られます※2。というのも、モーセの恵みのゆえに主は彼らについて来られましたが、私たちについて来られるのは単にモーセの恵みのゆえではなく、あなたたちの従順のゆえでもあります。彼らにはエジプトの後に荒れ野が待ち受けていましたが、あなたには脱出の後に天が待っています。彼らにはモーセという優れた指導者、指揮官がいましたが、私たちにはもう一人のモーセとして、私たちを導き、指揮してくださる神ご自身がいるのです。
かつてのモーセを特徴づけていたものは何だったのでしょう。「モーセという人はこの地上のだれにもまさって柔和であった」※3と聖書は言っています。間違いなく、同じことを私たちのモーセについて言うことができるでしょう。それは、親密で同じ本質をもっている、いとも柔和な聖霊がこの方と共におられたからです。かつてモーセは手を天に伸べ、天使たちのパンであるマナを降らせました。私たちのモーセは手を天に伸べ、永遠の糧をもらたします。前者は岩を打ち、水の流れをほとばしらせました。後者は食卓に手をかけ、霊的な食卓を打って霊の泉を湧き出させます。このため、泉のようなものとして食卓[すなわち祭壇]は[聖堂の]中央に据えられています。それは、羊の群れが四方八方から泉に近づくことができ、救いをもたらす水の流れから飲むことができるためです。
ここにはこのような泉、このようないのちがあり、食卓が計り知れない祝福で満ちており、私たちのために霊の賜物を湧き出させているのですから、恵みを受け、時宜にかなった援助を恵まれるために、真実な心、清い良心で近づきましょう。御ひとり子、私たちの主、救い主イエス・キリストの恵みと人間に対する愛によって、キリストを通してキリストと共に御父に、また、命の与え主である聖霊に、栄光と誉れと力が今もいつも世々にありますように。 アーメン。
四旬節第二月曜日 読書
第一朗読 出エジプト14:10-31
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ司教の『教話』
古代教会のミサの雰囲気が少し書かれています。典礼聖歌 325/賛美歌21 81 「マラナタ」の、「主の食卓を囲み、いのちのパンをいただき、救いのさかずきを飲み、・・・」ですね。
※1 2コリント3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
※2 1コリント10:4
皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
※3 民数記12:3(12:1-12:10)
ミリアムとアロンは、モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難し、「モーセはクシュの女を妻にしている」と言った。
彼らは更に言った。「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか。」主はこれを聞かれた。
モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。
主は直ちにモーセとアロンとミリアムに言われた。「あなたたちは三人とも、臨在の幕屋の前に出よ。」彼ら三人はそこに出た。
主は雲の柱のうちにあって降り、幕屋の入り口に立ち、「アロン、ミリアム」と呼ばれた。二人が進み出ると、主はこう言われた。「聞け、わたしの言葉を。あなたたちの間に預言者がいれば主なるわたしは幻によって自らを示し夢によって彼に語る。
わたしの僕モーセはそうではない。彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。
口から口へ、わたしは彼と語り合うあらわに、謎によらずに。主の姿を彼は仰ぎ見る。あなたたちは何故、畏れもせずわたしの僕モーセを非難するのか。」
主は、彼らに対して憤り、去って行かれ、雲は幕屋を離れた。そのとき、見よ、ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。アロンはミリアムの方を振り向いた。見よ、彼女は重い皮膚病にかかっていた。
聖ヨハネ・クリゾストモ
349年頃、アンチオケに生まれる。父は軍人で、キリスト者の母によって、一流の教育を受けることができた。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送る。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げた。397年にコンスタンチノープルの司教に選ばれ、聖職者と信者の生活を改める優れた牧者として活躍した。また、皇帝一族やその他の反対者の憎しみをかい、2度に渡って追放された。追放中の虐待の結果、407年9月14日にトルコのポントス州のコマネ近郊で帰天。キリスト教を解説し、キリスト者としての正しい生活を教えるために多くの説教を行い、著作を著した。このことから、「クリゾストモ」すなわち「金の口」と呼ばれている。
正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。
女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm