聖ヨハネ・フィッシャー(1469~1535年) イギリスのロチェスターの司教、枢機卿、殉教者
『詩篇注解』
イエス・キリストは私たちの大祭司であり、その尊い体は、主がすべての人のために十字架の祭壇でささげてくださった私たちの生け贄である。
また、私たちの贖いのために流された血は、旧約時代のように、若い雄牛や雄山羊の血ではなく※1、罪のない子羊、私たちの救い主イエス・キリストの血である。
私たちの大祭司が生け贄をささげた神殿は、人間の手で造られたものではなく、ただ神の力だけで建てられたものである。事実、キリストは世界の面前で血を流されたが、世界は神の手だけで造られた神殿なのである。
この神殿には二つの部分がある。一つは私たちの住んでいるこの大地であり、もう一つは私たちが地上にいる間は知ることのできないところである。
まずキリストは、あの痛ましい死を身に受けられたとき、この地上で生け贄を捧げられた。次に、不死性という衣を身にまとい、ご自分の血によって至聖所、すなわち天に入られた。そして全ての罪人のために七度流されたあの限りなく尊い御血を、天の御父の玉座の前でおささげになったのである。
この生け贄はこの上なく神に受け入れられ、神はこれをご覧になると、真に悔い改める全ての人に、あわれみを示さずにはおられないのである。
この生け贄はまた永遠のものである。ユダヤ人の元で行われたように毎年一度しかささげられないものではなく、私たちの慰めのために毎日、いや毎時毎分ささげられ、私たちの最大の慰め、支えとなっている。そのために使徒パウロは、キリストは「永遠の贖いを成し遂げられた※2」と加えている。
この永遠の、聖なる生け贄にあずかるのは、自らの罪を真に悔い、犯した罪の償いを果たし、以後罪を再び犯すまいと決心し、歩み始めた徳の道を最後まで追求することを固く決心したすべての人である。
このことを聖ヨハネは次のように述べている。「私の子たちよ、これらのことを書くのは、あなた方が罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償う生け贄です※3。」
四旬節第五月曜日 読書
第一朗読 ヘブライ2:5-18
第二朗読 聖ヨハネ・フィッシャー 『詩編注解』
※1 ヘブライ9:12
「雄山羊と若い雄牛の血」によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って「永遠の贖いを成し遂げられた」のです。
※2 ヘブライ9:12
※3 1ヨハネ2:1-2
わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。
聖ヨハネ・フィッシャー
カトリック教会、聖公会の聖人。(Wikipediaでは、ジョン・フィッシャー)
聖務日課の読書をしていると、500年前のヨハネ・フィッシャーは「教会の祈り(聖務日課)」の読書では最近の人という感じがします。東西教会がともに聖人としている、教会が一つであった頃の読書(書簡)が多いからでしょう。ところで、ヨハネ・フィッシャーは、ヘンリー八世によって斬首された聖人ですが、聖公会でも認められているのですね。少し意外でした。(そして、トマス・モアもカトリック、聖公会の双方で聖人なのですね。)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖ヨハネ・フィッシャー
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=062201
『詩篇注解』

また、私たちの贖いのために流された血は、旧約時代のように、若い雄牛や雄山羊の血ではなく※1、罪のない子羊、私たちの救い主イエス・キリストの血である。
私たちの大祭司が生け贄をささげた神殿は、人間の手で造られたものではなく、ただ神の力だけで建てられたものである。事実、キリストは世界の面前で血を流されたが、世界は神の手だけで造られた神殿なのである。
この神殿には二つの部分がある。一つは私たちの住んでいるこの大地であり、もう一つは私たちが地上にいる間は知ることのできないところである。
まずキリストは、あの痛ましい死を身に受けられたとき、この地上で生け贄を捧げられた。次に、不死性という衣を身にまとい、ご自分の血によって至聖所、すなわち天に入られた。そして全ての罪人のために七度流されたあの限りなく尊い御血を、天の御父の玉座の前でおささげになったのである。
この生け贄はこの上なく神に受け入れられ、神はこれをご覧になると、真に悔い改める全ての人に、あわれみを示さずにはおられないのである。
この生け贄はまた永遠のものである。ユダヤ人の元で行われたように毎年一度しかささげられないものではなく、私たちの慰めのために毎日、いや毎時毎分ささげられ、私たちの最大の慰め、支えとなっている。そのために使徒パウロは、キリストは「永遠の贖いを成し遂げられた※2」と加えている。
この永遠の、聖なる生け贄にあずかるのは、自らの罪を真に悔い、犯した罪の償いを果たし、以後罪を再び犯すまいと決心し、歩み始めた徳の道を最後まで追求することを固く決心したすべての人である。
このことを聖ヨハネは次のように述べている。「私の子たちよ、これらのことを書くのは、あなた方が罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償う生け贄です※3。」
四旬節第五月曜日 読書
第一朗読 ヘブライ2:5-18
第二朗読 聖ヨハネ・フィッシャー 『詩編注解』
※1 ヘブライ9:12
「雄山羊と若い雄牛の血」によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って「永遠の贖いを成し遂げられた」のです。
※2 ヘブライ9:12
※3 1ヨハネ2:1-2
わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。
聖ヨハネ・フィッシャー
カトリック教会、聖公会の聖人。(Wikipediaでは、ジョン・フィッシャー)
聖務日課の読書をしていると、500年前のヨハネ・フィッシャーは「教会の祈り(聖務日課)」の読書では最近の人という感じがします。東西教会がともに聖人としている、教会が一つであった頃の読書(書簡)が多いからでしょう。ところで、ヨハネ・フィッシャーは、ヘンリー八世によって斬首された聖人ですが、聖公会でも認められているのですね。少し意外でした。(そして、トマス・モアもカトリック、聖公会の双方で聖人なのですね。)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖ヨハネ・フィッシャー
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=062201