アンチオケの聖イグナチオ(35~107年頃) 小アジアのアンチオケの司教
『エフェソの信徒への手紙』
神に感謝する祭儀を行い、神を賛美するために、より頻繁に集まるように努めてください。あなたがたがしばしば集まるとき、サタンの力は滅ぼされ、皆さんが心を合わせて信じることによって、サタンの災いは消されるのです。平和にまさるものはありません。平和によってこそ、天上の者達や地上の者達によってしかけられる一切の闘争は無にされます。
もし皆さんが、イエス・キリストに対して完全な信仰と愛をもっているならば、これらのことは何一つ皆さんに隠されてはいません。信仰と愛とは命の初めと結びです。すなわち、初めは信仰で、結びは愛です。この二つが一つになったもの、それが神です。高貴な善と美に導く他の一切のものは、それについてきます。だれでも信仰を宣言する者は罪を犯さず、愛を持つ者は人を憎みません。「木の善し悪しは、その結ぶ実でわかる※1」のです。そのように、キリストに属していると公言する者は、その行いによって知られるのです。今求められていることは信仰宣言ではなく、最後まで信仰を実践する者となることなのです。
空論より不言実行の方がまさっています。口にすることを実行するなら、教えることは良いことです。それゆえ、教師はただ一人です。すなわち、「彼かま゛仰せられると、そのとおりになった※2」と言われている方、一人だけです。彼が黙して行ったことも、父にふさわしい業です。イエスの言葉を真に把握する者は、イエスの沈黙をも聞き取ることができます。こうして、その人は完全な者となり、語りつつ実行し、黙しつつ知られるようになります。主に隠されているものは何一つなく、私たちの隠し事も主の近くにあります。したがって、私たちは一切のことを、主が私たちの中に住んでおられると思って行うようにしましょう。こうして、私たちは主の神殿となり、主も私たちの中において、私たちの神となられます。それは確固たる事実であり、もし私たちが主を正しく愛するならば、私たちの面前で明らかにされることでしょう。
兄弟の皆さん、「思い違いをしてはいけません。※3」家庭を汚す者は「神の国を受け継ぐ事ができないのです。※4」体をもってこのようなことを行った人達が死刑に処せられたのです。まして、悪い教えによって神への信仰を汚す者はどうなるでしょうか。イエス・キリストはこの信仰を確立するために十字架についたのです。信仰を汚す人は汚れに染まって、消えることのない火へと向かいます。この人に耳を貸す者も同様です。
主が頭に香油をそそがれたのは※5、教会に不滅性の香りを吹き込むためでした。この世の君の教えという悪臭を放つ油を塗られてはなりません。この世の君が皆さんをとりこにして、すぐ目の前にあるいのちから遠ざけるようなことがありませんように。私たちは皆、神の知恵であるイエス・キリストを受けて賢者とならなくてもよいのでしょうか。主が本当に送ってくださる賜物を認めず、愚かにも滅びてしまっても良いのでしょうか。
私の霊は、十字架にささげられたものとなっています。十字架は、信じない者にとってはつまずかせるものですが※6、私達にとっては救いであり、永遠の命なのです。
年間第二月曜日 読書
第一朗読 申命記4:1-40
第二朗読 アンチオケの聖イグナチオ 『エフェソの信徒への手紙』
※1 マタイ12:33
木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。
※2 詩編33:9
主が仰せになると、そのように成り、主が命じられると、そのように立つ。
※3 1コリント6:9
※4 1コリント6:10
正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。
※5 マタイ26:7参照
一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。
※6 1コリント1:23参照
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
アンチオケの聖イグナチオ(紀元35~107年頃)
イグナチオはイエスの弟子ペトロの二代後の司教としてアンチオケの教会を治めた。野獣の餌食となる刑を受けるためにローマに護送され、107年にトラヤヌス帝の治世のもとで殉教した。ローマに向かう旅の途中で、各地の教会に七通の手紙を送り、キリスト、教会の構造、キリスト者の生活などについて優れた教えを説いた。アンチオケではすでに四世紀から、10月17日に彼の記念日として祝っていた。
正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。使徒を直接知っていた、使徒教父の一人。70年~殉教する107年まで、シリアのアンティオケの司教をつとめた(第三代。初代は聖ペトロ)。(Wikipediaではアンティオキアのイグナティオス)
イグナチオは、約二千年ほど前に生まれた使徒教父で、その生涯の中で色々なことがありました。紀元35年生まれで、殉教は107年です。今の時代に時間をシフトして考えると、1935年生まれで、2007年に殉教したという感じでしょう。イグナチオが生まれた頃は、イエスの死と復活の何年か後でまだユダヤ教の一教派だったでしょう。そして、二十代のころには(55~64年)パウロが活躍しはじめ、パウロは手紙を書きはじめます。四十代くらい(75~84)には共感福音書が書かれ、六十代くらい(95~104)に使徒ヨハネが福音書を書きました。この頃、イエスの弟子達はユダヤ教と袂を分かちました。イグナチオは、使徒ヨハネの弟子であるポリカルポと交わりがあり、彼に手紙を書いています。まだ新約聖書が書かれなかった時代に生まれ、使徒から直接信仰を学んだ世代の弟子です。
Laudate 聖人カレンダー(女子パウロ会)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=101701
そよかぜカレンダー(サンパウロ)
http://www.sanpaolo.or.jp/column/kaze/back/0510.html
聖イグナチオに関するベネディクト16世の講話です。使徒を直接知る使徒の弟子達の時代、まだ新約聖書が成立する前の、一世紀の教会の様子が伝わってきます。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message196.htm
『エフェソの信徒への手紙』

もし皆さんが、イエス・キリストに対して完全な信仰と愛をもっているならば、これらのことは何一つ皆さんに隠されてはいません。信仰と愛とは命の初めと結びです。すなわち、初めは信仰で、結びは愛です。この二つが一つになったもの、それが神です。高貴な善と美に導く他の一切のものは、それについてきます。だれでも信仰を宣言する者は罪を犯さず、愛を持つ者は人を憎みません。「木の善し悪しは、その結ぶ実でわかる※1」のです。そのように、キリストに属していると公言する者は、その行いによって知られるのです。今求められていることは信仰宣言ではなく、最後まで信仰を実践する者となることなのです。
空論より不言実行の方がまさっています。口にすることを実行するなら、教えることは良いことです。それゆえ、教師はただ一人です。すなわち、「彼かま゛仰せられると、そのとおりになった※2」と言われている方、一人だけです。彼が黙して行ったことも、父にふさわしい業です。イエスの言葉を真に把握する者は、イエスの沈黙をも聞き取ることができます。こうして、その人は完全な者となり、語りつつ実行し、黙しつつ知られるようになります。主に隠されているものは何一つなく、私たちの隠し事も主の近くにあります。したがって、私たちは一切のことを、主が私たちの中に住んでおられると思って行うようにしましょう。こうして、私たちは主の神殿となり、主も私たちの中において、私たちの神となられます。それは確固たる事実であり、もし私たちが主を正しく愛するならば、私たちの面前で明らかにされることでしょう。
兄弟の皆さん、「思い違いをしてはいけません。※3」家庭を汚す者は「神の国を受け継ぐ事ができないのです。※4」体をもってこのようなことを行った人達が死刑に処せられたのです。まして、悪い教えによって神への信仰を汚す者はどうなるでしょうか。イエス・キリストはこの信仰を確立するために十字架についたのです。信仰を汚す人は汚れに染まって、消えることのない火へと向かいます。この人に耳を貸す者も同様です。
主が頭に香油をそそがれたのは※5、教会に不滅性の香りを吹き込むためでした。この世の君の教えという悪臭を放つ油を塗られてはなりません。この世の君が皆さんをとりこにして、すぐ目の前にあるいのちから遠ざけるようなことがありませんように。私たちは皆、神の知恵であるイエス・キリストを受けて賢者とならなくてもよいのでしょうか。主が本当に送ってくださる賜物を認めず、愚かにも滅びてしまっても良いのでしょうか。
私の霊は、十字架にささげられたものとなっています。十字架は、信じない者にとってはつまずかせるものですが※6、私達にとっては救いであり、永遠の命なのです。
年間第二月曜日 読書
第一朗読 申命記4:1-40
第二朗読 アンチオケの聖イグナチオ 『エフェソの信徒への手紙』
※1 マタイ12:33
木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。
※2 詩編33:9
主が仰せになると、そのように成り、主が命じられると、そのように立つ。
※3 1コリント6:9
※4 1コリント6:10
正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。
※5 マタイ26:7参照
一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。
※6 1コリント1:23参照
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
アンチオケの聖イグナチオ(紀元35~107年頃)
イグナチオはイエスの弟子ペトロの二代後の司教としてアンチオケの教会を治めた。野獣の餌食となる刑を受けるためにローマに護送され、107年にトラヤヌス帝の治世のもとで殉教した。ローマに向かう旅の途中で、各地の教会に七通の手紙を送り、キリスト、教会の構造、キリスト者の生活などについて優れた教えを説いた。アンチオケではすでに四世紀から、10月17日に彼の記念日として祝っていた。
正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。使徒を直接知っていた、使徒教父の一人。70年~殉教する107年まで、シリアのアンティオケの司教をつとめた(第三代。初代は聖ペトロ)。(Wikipediaではアンティオキアのイグナティオス)
イグナチオは、約二千年ほど前に生まれた使徒教父で、その生涯の中で色々なことがありました。紀元35年生まれで、殉教は107年です。今の時代に時間をシフトして考えると、1935年生まれで、2007年に殉教したという感じでしょう。イグナチオが生まれた頃は、イエスの死と復活の何年か後でまだユダヤ教の一教派だったでしょう。そして、二十代のころには(55~64年)パウロが活躍しはじめ、パウロは手紙を書きはじめます。四十代くらい(75~84)には共感福音書が書かれ、六十代くらい(95~104)に使徒ヨハネが福音書を書きました。この頃、イエスの弟子達はユダヤ教と袂を分かちました。イグナチオは、使徒ヨハネの弟子であるポリカルポと交わりがあり、彼に手紙を書いています。まだ新約聖書が書かれなかった時代に生まれ、使徒から直接信仰を学んだ世代の弟子です。
Laudate 聖人カレンダー(女子パウロ会)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=101701
そよかぜカレンダー(サンパウロ)
http://www.sanpaolo.or.jp/column/kaze/back/0510.html
聖イグナチオに関するベネディクト16世の講話です。使徒を直接知る使徒の弟子達の時代、まだ新約聖書が成立する前の、一世紀の教会の様子が伝わってきます。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message196.htm