YAMAKOME

気まぐれ山・旅日記

大山10(大山寺紅葉2)

2014-11-21 10:32:26 | Weblog
大山10(大山寺紅葉2)
H26.11.19 晴れ
 大山の紅葉観光とともに歴史をちょっぴり勉強した。ときには心を遊ばせることが大切だ。それが命の洗濯というものかなあ。紅葉観光に限らず、脳からドーパミンの発生が活性化、NK細胞が増加するような生活に心がけたいものだ。また、権田直助など現代に影響深い人物も注視してみるのもいいものだ。それにしても筋肉痛が大変。でも早々に下山し、帰宅。近くの老人福祉センターで筋トレだ。(写真:大山寺の紅葉。夜のライトアップはさぞ綺麗だろう)

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大山9(大山寺紅葉)

2014-11-21 10:01:39 | Weblog
大山9(大山寺紅葉)
H26.11.19 晴れ
大山寺は、明治6年に現在の大山寺の場所(女坂の中腹)に設置された。大山ではやはり昔からの神様の方が優位なようだ。が、大山寺は信者の寄進等により立派な佇まいになっている。現在では厄除け(瓦投げ)、紅葉等で訪問客が多い。(写真:大山寺の紅葉。階段付近は紅葉の天井のようだ。今度の3連休当たりが見頃か?かなり混雑するので、観光するならば早朝に出掛けるべし)
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大山8(江ノ島&房総)

2014-11-21 09:04:50 | Weblog
大山8(江ノ島&房総)
H26.11.19 晴れ
 明治3年「大教宣布の詔」が出され、日本は天皇を神格とした神道を国の教とする国家方針が出された。この時代、後から入ってきた仏教を区別する、あるいは廃するのが狙いだ。神仏分離、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)がその表れである。全国で仏教関係の寺院、重要物が壊されるなど弾圧を受けた寺が数多くある。大山寺もその一つである。(写真:大山寺からの江ノ島。彼方は三浦半島、房総半島だが・・・)
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大山7

2014-11-21 09:00:13 | Weblog
大山7
H26.11.19 晴れ
 大山寺を目指して女坂を下りた。下り始めてすぐのところは急斜面である。高齢のおばさま方は「下を見ると怖い!」といいながら両手を使いながら下りている。登ってくるおじ様は「これで女坂かよ?看板に偽りありだ!」と文句をタラタラ、汗タラタラ。オラの足は下りならば比較的元気だ。バサマ・ジサマをどんどん追い越し、大山寺にたどり着いた(写真:女坂。一番の急坂で難所  )

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大山6(紅葉と相模湾)

2014-11-21 08:50:13 | Weblog
大山6(紅葉と相模湾)
H26.11.19 晴れ
 今でも日本人は神様を拝んだり、仏様を拝んだりする風習がある。何かと都合が悪くなると「この世には神も仏もない!」と言う。「困ったときの神頼み」は聞いたことがあるが「困ったときの仏頼み」は聞いたことがない。「仏様は頼まれた覚えはない!」と、ある僧が言っていた笑い話を思い出した。(写真:下社からの紅葉。彼方は相模湾だが・・・)
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大山5(権田直助)

2014-11-21 08:43:09 | Weblog
大山5(権田直助)
H26.11.19 晴れ
 神仏習合の時代、建物は現在の阿夫利神社下社付近にあった。明治元年、神仏分離令により大山寺を廃し、阿夫利神社が公に示されたそうだ。医師であり、国学者である権田直助が、阿夫利神社の宮司となり神仏分離の整理事業をした。これは後に全国に広がったのだそうだ。権田直助という名前はあまり耳にしないが、日本語の歴史には重要な役割を果たしている。彼は埼玉県入間郡の良家に生まれ、優れた才能を持っていた。現在の日本語の句読点法は、権田直助の研究によるものが大きいそうだ。(写真:権田直助の像。勤皇の志士でもあり、多難な人生をあゆみ、またいろいろな改革を成している。阿夫利神社下社境内にある)
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大山4(阿夫利神社)

2014-11-21 08:36:26 | Weblog
大山4(阿夫利神社)
H26.11.19 晴れ
 大山の歴史は古い。縄文時代から地域の住民の信仰の山とされていた。山頂付近からは祭りに使ったとみられる土器が多数出土している。日本に仏教が伝来してからは、神仏習合の山となった。所謂神様と仏様が同居するようになったのだ。明治の初めの神仏分離令までこの同居が続いたことになる(写真:阿夫利神社)
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