相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

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『あゞ、野麦峠』に魅せられて・その2「野麦峠を降りて」

2008-07-13 21:32:40 | その他の非鉄ネタ



とりあえず、野麦峠を降りようと思いましたが、その前に周辺施設でも・・・


まず、「お助け小屋」でも↓
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前回もそうでしたが、営業している雰囲気ではなかったです。


「お助け小屋」から撮影、時間帯(18時撮影)かも知れませんが寂しいですね↓
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奥にあるのは自分の車です。


「みねの茶屋」ですが・・・↓
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今年は営業しているのでしょうか?



「旧 野麦街道」の峠側からの入口です↓
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ここから前回で紹介したところへ出ます。


その案内版です↓
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こんな感じです。



ここに「水準点」があります。(一番高いところらしいのですが・・)↓
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これが「水準点」です。
(なお、ここでみねさんが亡くなった説がありますが、ここからでは野麦集落は見えない)




ここから岐阜県側にある「野麦集落」をめざして行きます。
途中、野麦集落が見えるポイントを探しましたが、道が急なのと木などで見えませんでした。


・・・でいつの間にか「野麦集落」へ着いていました。(何かの施設みたいですが・・)↓
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結構、小さな集落です。


そこから「野麦峠」の場所を見てみます↓
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ここからでは見えませんね。


そして、「野麦集落」を出ました↓
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さらに進んだら、見えなくなりました。
亡くなったみねさんを自分の背中に乗せて歩いていった兄の辰次郎さんが、どのような気持ちで「野麦」を離れたのでしょうか? 今では、わかるすべはありません。



しばらく道なりに進みましたが、次の集落らしいところがなかなか見つかりません。
ナビを見てみると・・・「寺坂峠」とあります↓
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つまり「野麦集落」は峠と峠に挟まれた集落とわかりました。(集落の過疎化が進んでいるとの事でした)


その「寺坂峠」の場所です↓
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何もありませんでした。「看板」などもありませんでした。(ナビが無ければ、そのまま通過していました)



「寺坂峠」から出てしばらくしてナビを見てみました↓
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野麦集落の次の集落に着きました。



それからしばらくして、国道361号線へ出ました。(当時はこんな橋はなかったはず)↓
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高山側から撮影しました。左側が野麦峠ですが、「野麦街道」はここから国道に沿って高山方面へ続きます。



そのまま361号を走ると「美女峠」へ向かいます↓
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しばらく行くとひらけたところに出ました。「美女高原」とありますが・・・↓
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これを見る限りでは、この周辺全体が「美女峠」のような感じでした。(ナビも「美女峠」は検索できなかった)


あとは下りが続くだけです↓
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・・・とこのように「急カーブ」と「細い道」が続いていました。


しばらくしてゲートが見えました↓
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ここで「美女峠」は終わりみたいです。


あとはこのまま真っ直ぐに行けば「高山市街」です↓
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平成の大合併で「市町村」自体が訳わからん状態になっています。(ここも一応、高山市ですが・・・)



・・・と言うわけで、兄・辰次郎さんがみねさんを背負っていったルートを車で走ってみました。
その後、高山から古川(飛騨古川)、そして故郷の「角川集落」へ続きます。


それについては「その3・みねさんが眠る、角川へ」でお送りいたします。それでは・・・






            Written by トンマノマント



『あゞ、野麦峠』に魅せられて・その1「やはり野麦峠から」

2008-07-13 16:49:06 | その他の非鉄ネタ
以前、「旧 神岡鉄道」の関係でついでに行った「野麦峠」ですが、その時はそのまま長野県側へ引き返しました。


しかし、その記事の最後に『「野麦峠」についてはまた行きたいと思います。今度は鉄道ネタから離れてですが・・・』・・・とあるように、今回は「あゞ、野麦峠」の舞台を訪ねました。
(当然、鉄道はありませんので車です。リッター180円台・・・高い!!でもこのままだと200円は確実なので・・・orz)



前回は、「旧神岡鉄道」を訪ねる関係で富山県から入りましたが、今回は長野県から入りました。


長野市→白馬村・・・・→松本市へ着きました。広域合併したので、野麦峠まで松本市です。



だいぶ遠回りしましたが・・・やっと「野麦街道」へ着きました。(左右の道がそれです)↓
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この左側へ曲がります。



しばらく行くと「旧 野麦街道(長野県史跡)」へ着きました↓
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ここから野麦峠までの区間が当時のまま残っていました。


「旧 野麦街道」の説明がある看板です↓
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この1300mの区間が、当時の面影を残しているのですね。


隣には「あゞ、野麦峠」の一部分が載っている碑があります↓
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この超ビンボケ写真・・お約束ですね・・(もう、あほかと・・・orz)



さらに進むとこの看板が・・・↓
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そして、車のナビを見てみたら・・・↓
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距離的にはもうすぐ「野麦峠」です。



「野麦峠」に到着しました。ここから「岐阜県高山市」になります↓
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ここまでは「長野県松本市」でした。(双方とも『平成の大合併』でこのようになった)


「野麦県立自然公園」とあります↓
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ここから見る山の風景はきれいです。(乗鞍岳ではないようです)



ここで亡くなった「政井みね」さんとそのみねさんを背負う兄・辰次郎さんの像です↓
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二人の像のアップです↓
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「ああ、飛騨が見える」それがみねさんの最後の言葉でした。
(実際は、この峠から見えた野麦集落を見ての言葉だったとの事)


この像の紹介なのでしょうか?(文字が消えかかっているので、わからない)↓
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さて、ここに「峠の森」と言う看板を見つけました↓
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さらに、前回での断念地点です。(ちなみに「みねの墓」とありますが、『碑』の誤りです)↓
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ここで引き返したんだな・・・・



しかし!!ここはやはり、「飛騨が見たい!!」との思いにかられ、展望台まで行く事に・・・


この急な石段を登ります↓
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結構、登りましたが・・・まだ何も見えない・・・疲れた・・・orz


ついに、展望台へ・・・↓
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休憩所と菩薩様でしょうか?


その菩薩様です↓
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みねさんだけではなく、この峠で命を落とした人たちへのメッセージでしょうか?


また「峠の森」の看板です↓
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近くに「政井みねさんの碑」がありました↓
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これがそうです。


一応、ズームにして撮影しましたが、文字が削れて読めませんでした↓
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これも読めません。


この碑について調べて見ました。
なんとこの碑の後ろには「贈 吉永小百合」と記されているとの事でした。(実際、確認できませんでした。風化してしまったのでしょうか?)
当初『あゝ野麦峠』の映画化は日活が早々と企画して、主人公のみね役にあの「吉永小百合」さんでした。しかも彼女自身、下見にこの地に足を運んだとの事でした。(結構、意気込みを感じていたのですね。今の女優にないものを持っていたのでしょう)
しかし、日活の企画はさまざまな理由(くわしくはよくわかりませんでした)で流れて吉永小百合主演は実現ませんでした。その記念に彼女がこの碑の資金を贈り、岐阜県の村がこの碑を建てたのだという。碑には昭和四十五年五月の日付けがあります。(兄・辰次郎さんも承諾したとの事)


それから9年後の昭和54年に大竹しのぶ主演で映画『あゝ野麦峠』(製作:新日本映画)が公開されました。(なお、2008年現在もDVDはおろか、ビデオ化もされていません。版権などの問題が複雑にからんでいるのでしょうか?ぜひ、見てみたいですね)



話を戻しましょう。


近くに「合掌燈籠」がありました↓
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実際、わかりずらい場所にありました。



自分は、てっきり「みねさん」が亡くなったのがここだと思って、ここから野麦集落を見ようとしましたが・・・↓
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   あぁ、飛騨が見え・・・ない!? あれ?




実は、インターネットで調べて見ると「野麦峠」で亡くなったみねさんについてですが、「野麦峠」のどこで亡くなったのか?についていろんな説があるみたいです。


①「みねさんの碑」のあたり→実際、草木でそこからは見る事はできませんでした。
              (もしかしたら、当時は整備されていて見る事ができたのかも?)
②現在の峠の近くにある「水準点」のあたり→場所的にはひらけていますが、①よりもなおさら見えないです。
③岐阜県側に進んだ「旧 野麦街道」(自動車進入不可)の途中にある地蔵堂付近
 →今現在、そこからは見る事ができます。(しかし、峠の頂上よりはだいぶ下がったところですが)


・・・時間があったら、調べてみます。



ここで断念し、引き返しました。途中で・・・↓
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平成の大合併の前は「高根村」でした。(現:高山市)



みねさんが亡くなったあと、兄の辰次郎さんは夜中に人目を避けるように「仏」となったみねさんを担いで故郷の河合村角川集落へ向かいます。(昼間は、納屋などを借りて、みねさんを置かして貰ったらしいとの事でした)



次からは兄がみねさんを担いで、故郷へつれて帰った足跡をたどっていきます。
(最終的には、みねさんが眠るお墓までいきます)


とりあえず「その2・野麦峠を降りて」に続きます。それでは・・・





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