そらはなないろ

俳句にしか語れないことがあるはずだ。

誰に向けて俳句を作るか

2008-03-31 09:07:08 | Weblog
 僕は、表現活動が誰に向けて行なわれるか、ということは非常に大事な問題だと思っている。それは、表現活動というものが、常に自己から他者へのなんらかのアプローチであり、自分の胸の中に他者を招き入れることで自分を世界へ開いてゆく手段として、あるいは、逆に世界の描像を更新してしまうかもしれないものとして存在すると考えるからである。誰が自分を見ていてくれるのか、ということはさびしさの気流に巻かれながら言葉を吐き出してゆく僕らにとって大変重要な問題と言わざるを得ない。

 誰に向けて書くか、と問う場合、「一人でも多くのいろいろな人に」と考える人もいるだろうし、「たった一人の尊敬あるいは信頼あるいは愛情を持っている人に」と言う人もいるだろう。俳句の場合には、僕の身の回りを見渡した結果、主に2パターンの考えがありそうだ。「俳句をやっていない人にも開かれた俳句を」という考え、「俳句を読める人にいいと思われる俳句を」という考えの2つである。

 こんなことが起こるのも、「俳句を作る人」=「俳句を読む人」という図式が(ごくごく一般的な話として)成り立つからである。俳句を作らないけど読んでいる人、を見つけるのは、小説を読んでいるけど作らない人、を見つけるよりは確実にむつかしい。そして俳句を作るけど他の人の作品を一切読まない人、というのも、やや考えづらい。

 つまり、世間一般の人々を俳句の観点で二分すると、「俳句に携わる(読みもするし、書くこともする)人」と「俳句に興味を持たない人」に大きく分けることができ、そして圧倒的大多数を占めるのは後者であろう。このどちらをターゲットにしたいか、で先に述べたような2パターンの考えが生まれてくると言えそうである。

 なぜ俳句は小説のようには多くの人に読まれないのか。おそらく、俳句というものに世間一般の人が考えるドラマツルギーが通いづらいからではないだろうか。僕は世間一般に好まれる流行歌が嫌いではないが、みなが感動するというその歌詞に、何かが新しく発見された手触りを感じることは大概困難であることが多い。

さくらさくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って(森山直太郎『さくら(独唱)』)

 俳句は十七音の短さに閉じ込められているものだから、そこに使われている言葉の組み合わせ自体に新しいにおいがなければならない。歌は手垢まみれの言葉でもメロディーに載せることで新しく再発見されるところがある。森山直太朗の声で聞けば、桜に対する最大公約数的な固定観念を述べたに過ぎない上記の歌詞も、説得力を持つ。小説やドラマは人間関係を描くことになるから、全ての言葉にこまごまと注意を払わなくても共感しやすくなる(それでも三島由紀夫などはめちゃくちゃ細部の言葉遣いにこだわっているように見えるが)。

 俳句は、十七音の言葉、それっきりである。そこに言葉の新しい関係性を見出すものだ。つまり、ほかの一般に受け入れられている文藝がこちらの胸に飛び込んでくるところがあるのに比べて、俳句はこちらからまずは飛び込んでいって言葉をかみ締めたり舐めまわしたりしなければ、胸襟を開いてくれないのだ。ある程度言葉そのものに興味を持つ人でなければ、わざわざそんな面倒なことをしようとも思わないだろう。

 だから、俳句を読まない人からすると、虚子の
防風のここ迄砂に埋もれしと
という防風そのものを描き、それを通じて防風の埋まっていた場所に思いをめぐらす句よりも、単に類想的で分かりやすい
囀りや風少しある峠道
という句の方がいい、ということになるのだ。(桑原武夫「第二藝術」より)

 では、俳句を読む人に認められるのがいいのか。そう言い切ってしまうのも、どこか硬直した印象を与える。俳句を読む人の中にある定まった評価軸に自分の身を任せるべきかどうか(ただし、多くの俳人は結社に属し、主宰の選を受けるという形で俳句を読む人に認められようとしている)。

 僕自身は、俳句を読む人に認められるか、俳句をしない人に好かれるか(この二つは両立しないわけではないが、ここまでの議論からすると両立することを前提としないほうが良さそうだ)、ということは実はどちらでもいいような気がしている。ただし、誰かの俳句を評価するとき、「俳句をしない人にも分かるから」という理由で評価しようとは思わない。大高翔の『キリトリセン』について、そのような評価があるようだが、僕自身は、このブログでこの句集を扱うとき、全く違う評価の方向性を見出すことに腐心したのをおぼえている。

 俳句に対して僕が持っている評価軸は、僕にとって新しいかどうか、僕が好きかどうか、ということしかないと思うのだ。誰に向けて俳句を書くか。それは、結局、僕自身に向けて。僕が楽しいと思える句を。・・・なんていうふうに言うと、聞こえが良すぎて恥ずかしいが、実際にそう思っているので仕方がない。僕自身は「俳句をする人」なので、俳句をする人に向けて句を書いている、ということにもなるであろう。

 しかし、ここで一つ問題がある。自分自身だけが楽しくて、他の人に通じないような句ならば、それは表現活動である意味がないということだ。ジレンマである。このジレンマを克服するために、僕は、俳句に対する自分の鑑賞を言語化し、人目にさらすことを思いついた。自分がどういうものが好きなのか、どういうふうに好きなのか、自分自身を発見することになるし、俳句に対するさまざまな観点を自分の中に用意することにもなる。それをほかの人に伝えることで鑑賞を交流させることができる。

 それを狙って書かれているのがこのブログにおける「句集を読む」シリーズなのだ。どこまでうまく行っているかは分からないが、とりあえず前回の「菊子」を読んだ時点で20回を数えたので、一応、僕が何を考えているのかをここらで示しておくことにした。

 四月以降は大学院に進むこともあって、あまりこれまでのように頻繁に更新することはできないかと思うが、それでも最低週に一回は「句集を読む」の鑑賞文を書こうと思うので、おつきあいいただければ幸い。

『菊子』を読む

2008-03-29 08:51:08 | Weblog
覚めてなほ車窓に秋の渚かな

 世の中には伝統を受け継いでいることに価値のある句集や、現代を切り取ったことに価値を置いた句集はあるが、この句集はどちらでもなく、伝統(あるいは、時代)の連なりの上に現代を感じさせるところがある。

無花果や虚子先生はやさをとこ
金色に塗りたる爪やうたかるた
たらの芽の天麩羅くちのかるきひと

 虚子のことを詠み込んだ句はいくらもあるが(そうして、おおむね凡庸な上に気取りが鼻について、読んだことを後悔するのだが)、この句は実におもしろい。虚子がやさおとこだったかどうか。「をとこ」というのは「おとこ」とは違って若い男性を指す。虚子の若いころと言えば明治時代、まだ子規が生きていて、誰も彼も時代を作っていこうと必死だったころのはず。実際の人柄は僕の知るところではないが、明治の男・虚子に、無花果から想起される女性のイメージを取り合わせることによって、今まで思っていたのと違う彼の一面が浮かび上がってくる。それは歴史上の人物という重々しくしつらえられた虚像に対する現代的で血の通った楽しい想像だ。

 あるいは、つめを金色に塗るようなうら若い女性が歌留多取りをしていたり(下五にうたかるたを持ってくることで予想を裏切る巧みさ)、風流な料亭などでたらの芽を食べながら「ここだけの話」をついつい広めてしまうような人がいたり(くちのかるきひと、という平仮名の吹けば飛ぶような軽さ)、これまで培われてきた伝統とか時代とかそういったものを受け止めながら飄々と現代に生きる自らの感覚を取り込んでいるのである。

 たとえば次のような句も、そのうちの一つだ。

東風吹かば吾をきちんと口説きみよ

 ここまで来ると若干、歴史との取り合わせ(つまり、「東風吹かば」からすぐ思われる道真のこと)があざとく見えてしまうのは否めないが、道真の歌の本歌取りとして意外性があって楽しい。平安時代の男と平成時代の女。この二人にとって「東風」は、キラキラの光が見えていることに変わりはないのに、なんと異なったイメージとして心の中を吹くものであろうか。

 時代の終着駅としての現代、あるいは時間の終点としての現在。そして、現在・現代の中心にいるのは自分、中心にあるのは自分の身体的な感覚。だからこそ、時間性と身体感覚が心地よく混ざり合う余地が生まれる。

鳥の巣の中をさらして育てけり
ぞんぶんに人待たせゐて磯菜摘み
永日や線香束のまま灰に
手花火の火の点きたるを貰ひけり

 どの句も、一瞬を切り取ったものというよりは、時間の流れの中にモノを置いてその移り変わりを五感いっぱいに感じている。身体感覚を忘れないから、時間の流れが論理や理性に回収されてしまわない、詩としての強さがある。

 彼女の中で、時間は大変ゆっくり流れているように思える。変化が緩慢なのだ。それはひな鳥が風を浴びながらじっくり育ってゆく様子だとか、墓参りに行ったときに供えた線香がだんだん灰になってゆく様だとかによく表れている。

 あるいは、虚子先生をあたかも自分のまわりにいる人のようにやさをとこと言う感覚、うたかるたを現代的な派手ななりの女性がやっているという情景、これらに見られるように時代を自分にひきつけて捉えてしまうことができるのは、緩慢な変化を追ってゆっくりゆっくり時代の糸を自分の方へ手繰り寄せることができるからなのかもしれない。

 それが極まってゆくと、冒頭に挙げた句のようになる。いったい列車はどこを走っているのだろう。うとうととする前も、そして目が覚めた後も車窓には渚が広がっている。それは永遠というものの一諸相なのかもしれない。まだ夢を見ているようなセピアがかった感覚。車窓の向こうにある景色はいつまでも変わらず、そして自分はいつまでも車窓のこちら側の人間として、ただおそろしい夢のようにどこまでも広がる渚を見つめるしかない。胸を締め付けられるような、秋。

 この句集では彼女は自分の身体感覚で時代を、そして時間を捉えなおし、再生させることに成功させている。しかし、そこに彼女自身の行動・営為はほとんど見えないことは注目に値する。つまり、それは未来に開いてゆくものではなく、現代でぽつんと途切れてしまう。秋の渚はいつまでも車窓の向こうにある。

 あるいは、それが彼女の時間感覚なのかもしれない。

ぢきに来る夕立雲や夏期講座

 夕立雲を止めるすべはなく、夏期講座をあきらめるすべもない。

作者は如月真菜(1975-)

卒業旅行

2008-03-24 15:41:22 | Weblog
 旅に出ると、確かに俳句を作りたくなる。しかし、所詮は観光客なので、芭蕉の漂泊、山頭火の放浪のような、あるいは故郷喪失という演劇的な再構成を施された寺山俳句の憂愁のようなものは一向に浮かび上がってこない。

 最近、あるホトトギス系の俳人の句集を読んだとき、「旅」という言葉がたくさん使われていたが、その割に迫ってくるものがなかったのは、彼女にとっての旅も、観光でしかなかったからではないのか、と今にして思う。

春光を観光客として歩く

 観光なら観光でもかまわない。下手にかっこつけて旅情に凭れない旅の句が作りたい、と思う。それは日常の延長であり、非日常の空隙だ。

 学科の友達と卒業旅行に行ってきた。レンタカーを借りて4泊5日、近畿・四国地方を回る旅だ。おおまかな行動を覚書のメモ程度に示しておくと、次のとおり。

20日
 本郷をレンタカーで出発。渋谷・横浜でメンバーを拾い、一目散に神戸へ向かう。神戸には6時過ぎに着。先に旅館の風呂に入ってから、お好み焼き・明石焼きのお店に行く。帰りがけに夜の海と明石大橋を見て、ブランコを漕ぎ、木登りをする。夜3時まで酒盛り。

21日
 明石大橋を渡り、淡路島に入る。地学を専攻している学生らしく、阪神大震災で生じた断層が保存してある記念館に寄る。渦潮を見ながら徳島に入り、友人からの情報で教えてもらった徳島ラーメンのおいしい店で昼飯。日和佐で温泉に入って、室戸まで一気に駆け抜ける。お遍路さんをよく見かける。メンバーの一人が室戸から途中参加。室戸岬の先端にある民宿でビリヤードをしたり、漫画に読み耽ったり、月を見たり、酒を飲んだり、東大生について語ったりする。

22日
 室戸を出て桂浜へ。浜辺で何かがぼこぼこ噴き出している。大歩危でうどんを食べて、金毘羅山の石段を頂上まで登る。瀬戸大橋をわたって本州に帰り、岡山の繁華街にある安宿に宿泊。夕飯は、友人情報で瀬戸内の魚がいいと聞いていたので、魚料理を食べに行く。

23日
 姫路城。天守閣に登る。甲子園。2-0で負けていたチームが9回表でソロホームラン2発打って同点に追いつくものの、延長10回裏でセンターがフライを落球するという痛恨のエラーによってサヨナラ負けする試合を観戦。奈良公園。鹿に迷惑がられたり、大仏に無視されたりしながらお散歩。奈良を出てすぐ、スタンドなど一軒も見当たらない山村でガソリンが切れ掛かってひやひやするが、無事、満タンにして名古屋へ。名古屋で味噌カツの有名店に入る。

24日
 なにはともあれ帰ってくる。雨、雨、雨。

 まあ、ざっとこんなところである。高知の室戸岬では、なんと宿のおばさんが俳句を趣味としている人で、某有名結社に所属していた。折角なので、二人で句会のようなものを。

すかんぽを甘く煮る国へ来たりけり

 僕は、この室戸ですかんぽというものを初めて食べた。蕗に似たすがたかたちをしているが、蕗ほどえぐみはない。やわらかく煮てあったので、大変食べやすく、派手ではないが春を感じさせる、良い出会いであった。

 宿のおばさんによれば、すかんぽは全国どこにでも自生しているが、元は高知でしか食べないものだったとか。それで、昔は高知県内のものを採り尽くすと他県に採りに行ったものだが、最近では他県の人も食べるようになったらしく、なかなか採れないという。

 僕はその真偽のほどはよく分からないので、詳しい方がいれば聞いてみたい。しかし、すかんぽを食べるのは自分たちだけだ、こんなにおいしいものを、と自負している国、というのは、いずれにしろ、好きである。

 太平洋に春の月が出る。旅館は岬の突端にあるので、海の上の月があらわに見える。灯りのほとんどない岬から見ると、ぼってりと海に落ちた月の光が、まっすぐにこちらへ向かって伸びながら漣にたゆとうているのが見える。これが、室戸岬なのだった。食べ物と出会う、人と出会う、海と出会う。

 そして、今まで知らなかった自分に出会ってゆく。

 旅は出会いだ。旅は「こんにちは」と言い続けることだ。それについてくることのできる俳句を歓迎したい。

行く春を近江の人と惜しみける 芭蕉

新作五句26 土佐日記

2008-03-22 07:48:23 | Weblog
いつせいに揺るる吊革うららけし
何食ふか考へてをり花菜畑
すかんぽを甘く煮る国へ来たりけり
旅の夜は鉄路響けり落椿
潮騒の中春月の通りけり

上野吟行

2008-03-19 19:50:32 | Weblog
3月18日

13時半、JR上野駅公園口集合。来るのは8人の予定だったが、1人は40分くらい遅れると連絡があったし、1人は連絡つかないので、結局6人で行動開始。

この日は、関西から学会のために東京に来たクルシマさんを迎えて、吟行会を行なったのである。妖怪とハイロウズが好きなクルシマさん、とっても気配り上手な方なので、京都限定のお菓子を参加したみんなに持ってきてくれた。さらに、幹事の僕には地震予知をする草の種をくれた。

まずは西洋美術館。初来日というウルビーノのヴィーナスに会いに行く。

今回の吟行、実はちょっと普通のものとは異なる趣向を取り入れてみた。美術館に入る前に、みんなに短冊を一枚ずつ配り、中で句を作ってもらって、美術館を出たところで回収。普通の吟行とは異なり、吟行のポイントごとに句を出してもらうことで、強制的にネタを絞る、というのと、考える時間を与えずその場で作る、というのを試してみたかったのである。短冊一枚では足りないという人には、何句でも出句してもらう形にした。

ウルビーノのヴィーナスの前に立ったら、ついつい彼女と目が合ってしまって、そうしたら目を背けることができなくて、ちょっと誘惑される。

個人的には、アドニスという男にすがりつくすっぱだかのヴィーナスや、その瀕死のアドニスをかき抱いて悲しみに頬をまっ白にしたヴィーナスの姿が胸に沁みた。

美術館を出るころには40分遅れてきた人とも合流できて、7人で移動。美術館を出たら、上野の山をくだり、アメ横に入る。その入口でも短冊を渡す。みんなでパインやらメロンやら串刺しのカットフルーツをほおばりながら歩く。7500円と表示された鮪の切り身が1000円で売られていた。

御徒町から湯島へは、歩いて10分もかからない。三回目の短冊を手渡したのは、梅の散りかけの湯島天神の前だった。美術館よりアメ横より梅や神社のある方が俳句を作りやすかったらしく、一人平均二句以上出していた。

受験期直後の天神様、さすがに絵馬がどどどっと大量に吊り下げられていた。中学受験、大学受験、さらには資格試験や就職活動、定期考査に至るまで実にさまざまなお願いが書かれてある。

湯島駅近くの喫茶店で句会。みなさんに丁寧に句評を言ってもらっていたら少々予定時間をオーバーしてしまったが、集まったメンバーがみんな一癖二癖ある方々で、いろんな視点から鑑賞してくれるので、大変楽しい句会となった。

句会も終わるころ、連絡のつかなかったもう一人の参加者から連絡が。今起きた、と言う。時刻は夕方の6時半。まあ、春ですから、そういうこともありますよ。とりあえず二次会から参加、ということになる。

×××

二次会で飲んだあとは、残ったメンツでカラオケに繰り出す。またもやオール。夜な夜な、クルシマさんたちと俳句の鑑賞について議論を交わす。文学とは、文藝とは、感動とは、第二芸術とは。そして、俳句とは、なんなのか。

あんなに俳句について熱く語ったのはここ半年くらいなかった。午前五時、解散。

季語は動くのか

2008-03-18 09:55:23 | Weblog
 季語が動く、という指摘は、さまざまな句会の場で用いられる。誰も彼も無意識に使っている俳句用語の一つだが、無批判にこの言葉を濫用してもいいものだろうか?

 季語が動く、というのは、主に取り合わせの際、その季語以外にもっといい季語があてはまるのではないか、という指摘である。たとえば、

一月の川一月の谷の中 飯田龍太

 という句があるが、この句の「一月」は本当に「動かない」のか、という議論はやはりあるようだ。三月なら三月なりの、十月なら十月なりの句ができるであろう。あるいは、月である必要がそもそもない。

三月の川三月の谷の中
十月の川十月の谷の中
底冷えの川底冷えの谷の中

 いやー、やっぱり一月は動かないよ、という議論をする人たちは、「一月」という季語の必然性を強調することになる。一月の厳しい寒さ、韻律の良さ、全体的に冬の厳しさの似合う措辞であるということ、「一」という字の直線的イメージなど、「一月」がいいのだ、という主張はいくらでも作り上げることは可能だ。

 しかし、そもそも「季語が動く」「いや、動かない」という議論は、その作者の作家性を無視したずいぶんなやり口だとは思わないだろうか?「季語の必然性」を追って理論武装ばかりしていては、その句に純粋に感動し、鑑賞することができなくなってしまうのではないだろうか?

カリフラワーかざす八月十五日 江渡華子

 この句のカリフラワー、僕は生命力があふれているように思えて好きである。しかし、生命力、というだけなら何もカリフラワーでなくても、ほかにいくらでもありそうなものだ。なぜブロッコリーじゃいけないのか?

ブロッコリーかざす八月十五日

 そこで、カリフラワーの必然性を示すために、「カリフラワーはキノコ雲と似ている」という議論が出てくる。しかし、僕は自分の鑑賞とは離れたそのような文言を安易に受け入れて「だからカリフラワーなんだ!」と言いたくはない。そのように受け取る人がいるのは構わないが、僕自身はやはりこのカリフラワーに生命力を見たいのだ。

 しかし、カリフラワーに生命力を見ているだけでは、カリフラワーの必然性は説明できない。この季語は動くということになる。でも、僕の中では動かないのだ。なぜなら、僕にはこの句は一つの光降り注ぐ確かな景色として胸の中に固定されているものなのだから。ブロッコリーなどという添削例は考えられない。

 つまり、季語が動くとか動かないとか言うけれど、「季語は作者が選んだものとして一句に組み込まれているんだから、ごちゃごちゃ言うな!!!」と、僕は言いたいのである。もちろん、指導、という立場であれば、そのような句作りにまで丁寧に分け入っていくことは必要だろう。しかし、純粋に句を鑑賞する、という立場を取るときには、「季語が動く」という言い方は、ちょっと安易に過ぎないだろうか。

 季語が動かない、ということは、季語の必然性を説明できる、ということである。季語の必然性を説明できる、ということは、句の中に既成概念を持ち込んでそれに沿っているとかいないとか議論することになる。もちろん、そのように季語の動かない句の魅力というものを否定するものではないが、季語が動くかもしれない句だって、季語が動くということで良さが損なわれるということはないのではないだろうか。

いきいきと死んでゐるなり水中花 櫂未知子
いきいきと死んでをるなり甲虫 奥坂まや

 何かと話題になった二句であるが、季語だけ替わっていて成り立つ句、ということは「いきいきと死んで」というフレーズについては、「季語が動く」と指摘することもできよう。しかし、だからと言ってこの二句の価値が下がるというものだろうか?

 季語が動くという指摘は「本質が存在に先行する」という無意識に培われた思想の発露のように思えて仕方がない。しかし、俳句(あるいは、俳句に限らず、文学)においては、存在が本質に先行しているからこそ価値のある作品、というものがあるはずだ。具体的な「存在」を切り取ってくることによって、今まで見えなかった「本質」が見えてくる。

 もちろん、句がそもそも既成概念にもたれていたり、逆に意味が分からず鑑賞不能になったりする場合には「季語が動く」という指摘も無意味ではなかろう。しかし、あまりそういうことばかり言っていると、新しい「本質」は発見されないのではないか、と思う。

三月の甘納豆のうふふふふ 坪内稔典

 どうして三月じゃなくちゃいけないのか(六月ではダメなのか)?どうして甘納豆じゃなくちゃいけないのか(豆大福ではダメなのか)?どうしてうふふふふじゃなくちゃいけないのか(およよよよ、ではいけないのか)?

六月の豆大福のおよよよよ

 このような問い方は、ほとんど作家性に対する冒涜としか思えない。

『檻』を読む

2008-03-17 20:56:17 | Weblog
髭剃つて坐りて秋の風待てり

 朝、髭を剃る。鼻の下、頬、顎の線、首筋、丁寧に髭剃りを這わせる。剃り終わって、鏡を見る。剃り残しがないか確認する。

 髭を剃る、という所作は、男の身だしなみの一つだ。外に出て、どこかへ行って、誰かと会う、という社会的な行動の最初の一歩として、まずは身だしなみを整える、という行動がある。

 ところが、この句では髭を剃ったあと、「坐りて」さらに「秋の風待てり」となってしまう。もちろん、現実にそういうこともあるだろうが、折角髭を剃ってさっぱりしたのに、ただ座ったまんま秋風を待っている、というのではどうにも身だしなみを整えた甲斐がない。

 さてこれはどういうことだろう、と思って見てみると、その前後にはこのような句が並んでいる。

一一三号とわが名を呼ばれ夜の秋
そこにあるすすきが遠し檻の中
秋澄むや十歩に余る運動場
獄中の畳を歩く秋遍路

 つまり、この句集の作者は投獄されているのだということが分かる。身だしなみを整えて行くところなど、そもそもありはしないのだ。

 それにしても、彼は一体どうして捕らえられているのだろう?この句集を読む限りではそれは分からない。

イカロスのごとく地に落つ晩夏光

 投獄された折に詠まれたと思われるこの句の前に並んでいるのは、

越後いま刈田に水の音ばかり
曲り屋の鴨居も艶の時雨かな

 このように、日本各地を旅してその中でできたような、風土性の強い句ばかりである。これらのどこにも罪のにおいはない。罪は描かれていないのだ。

 作者は、あとがきでこう書いている。

「刑務所は、徹底的に人間の心や魂を痛めつけるシステムである。陰湿な「いじめ」や精神的な虐待は常に黙認されているからである。
 刑務所の中で、私の精神が崩壊しなかった理由は三つある。一つは自分の獄中体験を俳句として表現したこと。二つには宗教書を熟読することによって魂の浄化に勉めたこと。三つには膨大な量の読書である。特に読書は、刑務所の中で、唯一の娯楽であった。」

 お分かりになるだろうか?ここには罪がなくて罰のみが存在している。あるいは、罪を犯したという意識がなくて、罰を受けている意識だけが存在している。僕は首を捻る。彼は冤罪だったのだろうか?

 彼は「獄中体験」を俳句に表現したと言っている。僕は、投獄されるという、個人的のみならず社会的に見ても大きな出来事であるはずのことが「獄中体験」などという軽い言葉で表されていることに疑問を感じる。それは「体験」などという一歩後ろに引いて物事を見ているような言葉遣いで表されるものではないはずだ。

 犯罪であれば被害者がいる。被害者に悔い、自分自身の来し方を振り返り、更生に努めるのが、刑務者の一番にやらなくてはならないことではないのか。彼の言葉にはそのような態度は少しも表れていない。宗教書による魂の浄化すら、彼自身が自分の精神を崩壊させないために行なっていることで、罪を悔いるためのものでは、どうやらないらしい。

 なぜ、今回は俳句そのものではなく、あとがきに対して批判を行なっているかというと、ここで言った批判はそのまま彼の俳句にもあてはまることだからである。

 たとえば、「イカロス」は、背に翼をつけて飛び立つが、太陽に近づきすぎたためにその熱で翼を貼り付けていたロウが解け、まっさかさまに墜ちてしまう。注目すべきは、「イカロス」はなんの罪もおかしていない、ということだ。

 落ちたイカロスに、投獄された自分自身を重ねてみているというこの時点で、既に彼の関心は自分の罪による被害者ではなく、栄光から墜ちてしまった自分自身を嘆くことにあるということが分かる。

短日や囚徒かたまり黙しをり
悴みて囚徒に髪を刈られけり

 あるいは、自分も囚徒であるにも関わらず、「囚徒」という言葉でほかの囚人を表すという、一歩距離を置いた言葉遣い。この二句のどちらの「囚徒」も、彼自身を含んでいないのだ。自分のことを「イカロス」になぞらえるような高いプライドが、自分自身はほかの囚徒とは違うものだという意識を生むのだろうか。

 俳句というのは、あるいは言葉というのは、こわいな、とこの句集を読むと思う。人は自分の感じた以上のことを伝えることはできないのだ。何も取り繕うことはできない。

そこにあるすすきが遠し檻の中

 確かに、彼が刑務所の中で精神的に辛い生活を送ってきたのだろうということは伝わる。すすきをこういうふうに詠んだ人もいないだろう。あるいは、これは刑務所ということを抜きにして考えれば、動物園の景色を想像することもできる。その解釈のほうが個人的には感情移入しやすくて好きだ。

膝抱いてをり秋晴の日だまりに
笑ひたるあとのとぎれて夜の秋
獄中の畳に日脚伸びにけり

 彼の句には、獄中における自分の辛さを訴えるものが多い。そんな句を読むたび、僕は素直にそれを可哀そうだと同情することはできない。ただ、だからと言って彼が辛い経験をしたのだということを否定することはできない。

 問題なのは、俳句形式には一体どこまで吹き込むことができるのか、ということである。少なくともこの句集には思想性の欠片も見ることはできない。俳句に詠むことのできるのが本当に「いま・ここ・われ」だけなのだとしたら、多面的な視点から物事を捉え、誰かの心を思いやるということはできない、ということになる。

 自分にとっての真実しか描けない文学。誰かにとっての真実を忖度することのできない文学。果たしてそうなのだろうか?俳句という形式は。この句集を読むとやや暗い気持ちになる。

 あるいは、それはウソをつかないという意味では素晴らしい態度なのかもしれない。つまり、下手に分かったふりをして、実際に思っている以上に罪を悔いるような句を作ったとしたら、それはもはや文学ではない。

 俳句という形式にはもはや手に負えないことがこの世にはあるのだろうか?俳句は詠めることだけ詠んでいればいいのだろうか?そうは思いたくない。唯一、「髭剃つて」の句のみが、この句の持つしずかな矜持のみが、「いま・ここ・われ」をしずかに越えてゆく力を持っているように、僕には感じられた。

作者は角川春樹(1942-)

※角川春樹氏は、1993年8月29日、いわゆる「コカイン密輸」事件で麻薬取締法違反・関税法違反・業務上横領被疑事件で千葉県警察本部により逮捕され、その後、千葉刑務所に勾留された。(Wikipedia)

『汀子第二句集』を読む

2008-03-15 09:34:30 | Weblog
これほどに降れば秋めくこと期待

 この句集は、ある女性が身ほとりのことを主観的に綴っていった日記風の大掛かりな連作、といった趣きである。その1450句の中で僕が一句選ぶとしたら、上記の一句。

 おそろしく隙だらけの句である。「これほど」がどれほどかも分からないし、「期待」というのは作者の勝手な心情で、ここに落とし込んだということはこの一句になんの具象性もないことの証左である。

 さらに、この句における「秋めく」は、「秋めくこと期待」と使われているので、実際に秋めいていることを詠んでいるとは言えない。よく句会などに行くと、たとえば絵の中に描かれた花などは季感がないから季語として機能していないと言われるが、それと同じ論理で行けば、この句の「秋めく」は、絵の中の花よりは現実性があるものの、季語としての機能を果たしているかどうかはかなり怪しい。(もちろん、大事なのは季語が入っていることであり、季感は関係ない、という山本健吉のような立場もあるだろうが)。

 つまり、俳句はモノで語らせるものであり、主情が前面に出てしまうようなものはまだまだ素人なのだ、という(少なくとも僕のまわりで)よく言われるような議論にあてはめると、この句にいいところは少しもない。

 ところが、俳句の鑑賞の軸を一つしか持ち得ないと言うのはややお粗末であろう。この句は最初から客観性とか具象性とかそういうものを捨てたところに存在している。「これほど降ったなら秋めいてきたっていいのにねえ」という呟きを五七五に押し込めている、この感覚。大変、分かりやすい。そして、たとえばかなしみとかよろこびとかそういうものを大上段に振りかぶって話しをしているのではなく、もっと些細な日常における心の動きを掬い上げているところに、月並なドラマ性とは異なる価値を見出すものである。

 そもそも、モノで語らせるというのは、一見自分の外の世界を描いているように見せて、結局は自分自身が描かれている、というねじれ方に宿命的なイヤラシサを抱え込む。巧みな句だが、そこに動いている感情は散文などでも散々語りつくされたことであるということも少なくない。そのうまさを芸として味わうことはできるだろうが、所詮、芸は芸どまりだ。

 それに比べて、彼女の句はおそろしいほど素直だ。素直、というのは無邪気、というのとは違う。むしろ、素直でありすぎるために人間の心の中の陰翳も彼女が意識せずに出してしまっていることもあるほどだ。

そばに居ることが看取りよ明易し
夫病むはこんな残暑の頃よりと
爽やかな涙となりてゆくことも

 肉親の死、という大きなドラマを詠むとき、かなりきつく言ってしまえば、彼女の悲しみそのものよりも、悲しんでいる彼女の姿が見えてきてしまう。そこに、「悲しんでいる自分」に対する自己満足がひらめいていると見てしまうのは、僕だけのうがった見方だろうか?

 大きな感情の動きを見せられると、なんだか鼻についてしまうのである。それは、むしろ彼女の素直さゆえであろう。それはそれで、真実の人間の姿が垣間見えているという点において価値のある句と言えるかもしれない。

 ただ、僕が好きなのは、些細なことを言いながら、それがふとしたところで、叙情というか、淡くても新鮮な景色に届いている句である。全体から言えば決して数は多くないが、たとえば以下のようなものを挙げられる。

遠山に雪来し寒さかと思ふ
端居してゐれば砂丘へさそはるる
割箸に血の色残り小鳥焼く
香水がどこかに入れてある鞄
波光るとき鴨いづこ鳰いづこ
雲迅し時雨こぼすも日こぼすも

 それぞれ、なんと些細なところに、と思えるような淡い発見がある。こういうところに彼女の句の本領があるのではないか。

 しかし、これら以外の1000句以上の句が全く無駄、というわけではない。彼女の句集は一句一句取り出すというよりは、句集として続けて読むことによって価値が出てくるように思う。

 彼女の句の下五に注目すると、「頃よりと」「ゆくことも」「さそはるる」「日こぼすも」というふうに、ゆるいものが多いのが分かると思う。これらは、一句一句が断絶しながら屹立している様ではなく、なんとなく前後の句とゆるゆる結びつき、似た雰囲気の中で連続している様子を思ってしまう。

 たとえば、少々長くなるが次に昭和五十四年十月の章の句をそのまま抜いてみる。

夏負けてゐし夫のふと気弱なる
長き夜の街の灯見つつ看取妻
秋を病む夫に添ふ日々惜しげなく
病人の居て遅れたる冬支度
秋晴も雨もかかはりなく病める
気弱ふと見しより秋を病める夫
関西の秋は如何にと蝦夷の客
主病んで盛ともなく萩終る
鉦叩忘れずに来て留守の庭
鉦叩昼を淋しくすることも
秋惜む心にも似て淋しさは
夕影をまとふ霧濃き街に着く
野分にも耐ふることより野の草は
父の死に秋冷ゆる夜となりにけり

 全体を通して読むことで、彼女がどんな境遇にあって、何に心を引かれて、どれだけがんばって、何が楽しかったのか。よく分かるようになっている。雰囲気の統一感も見逃せない。

 これは、正に日記だ。

 日記だから悪い、ということはない。むしろ、一人の人間が生きているその様子をまざまざと伝えてくれるものであり、生の人生をその手で差し出してくれる、という意味ではとても面白い。また、日記というのは生の人生を垣間見るという楽しみと、それを彼女自身がどのように見せようとしているのか、を見る楽しみがある。

 彼女はいつでも心落ち着いて、どんな事態にも穏やかに処している(ように見える)。いや、むしろ、彼女自身の感慨はよく詠われているが、彼女自身の行動は余り目に付かない。その受動性は、冷ややかな(あるいは、時にあたたかい)世界の波に揉まれるしか術のない人間の哀れさに通じるとも思える。

 このような文脈の中での「秋めくこと期待」なのである。期待はするが、それがその通り行くかどうかは判らない。こんなに降っても、やはりしばらくは秋めいてこないのかもしれない。それは自然が決めることで、彼女には分からないし、どうしようもないことなのだ。彼女はかすかに嘆息しながらも、前向きに穏やかに身を処してゆくだろう。そしていつかは、必ず秋めく日がやってくるのだ。

 彼女の句の中で一句だけ取り上げて面白いものは数えるほどしかなく、「期待」の句はその中の一句とは言いがたいが、句集、あるいは彼女自身の1ピースとして考えると、ある場面での彼女の素直な心の動きを表しているところが面白いと言える。それはたとえば、次の句も同様であろう。

どちらかと云へば麦茶の有難く

作者は稲畑汀子(1931-)