そらはなないろ

俳句にしか語れないことがあるはずだ。

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ちぐはぐ☆30

2008-09-18 23:53:02 | Weblog
蜘蛛を喰む愛犬ダックスフントかな 高崎壮太
公園に鳥居冷たくなってゐる 上田拓史
してもらうつもりの顎や蛇苺 森川大和

 俳句甲子園出身の三人が、毎月30句ずつアップし、その新作を世に問うHP「ちぐはぐ☆30」が先日開設した。

ちぐはぐ☆30 http://a.locoboard.net/?chiguhagu30

 三人の俳句は、それぞれ方向性がばらばら。その自由闊達さがいい。高崎氏は、目に見えないものをどうにか追い回して言葉に固定しようとする。上田氏は、自らの感傷を大事に育てる詩人気質。森川氏は、自在な季語使いと口語と文語の混在によって存在感のある句づくりを実践している。

 蜘蛛を食べている犬、というのもすごいが、このタイミングで「愛犬」という語をさしはさむ絶妙さ。公園なのに鳥居がある、というちぐはぐな事実の発見、そして、意味性を剥奪された鳥居の冷え。何をしてもらうつもりかは分からないが、「してもらうつもりの顎」と言われると、勝気に上を向く若い女性のするりとした口元が見えてくる。この季語の「蛇苺」はどこか暗喩的に使われていると読むことができよう。「苺」では可愛すぎるが、「蛇」の一字が、「こいつは○○してもらうつもりなんだろう」という作者の予想(期待?)を裏切る可能性を秘めていて面白い。

 ただし、各々難点はある。高崎氏は言葉の飛躍を回収しきれない憾みのある句が散見される。上田氏の句は、若干インパクトに欠けるか。森川氏は、句法上のさまざまな技術におぼれがちではある。これらの点が今は僕の眼には難点と映るが、極めればまた違うかもしれない。今後、どう変わってゆくか注目したい。

 コメントすると、他の人にもコメントが公開されるのでこちらの鑑賞眼も試されるというこの企画。まだ始まったばかりだが、初回から各人それぞれなかなか飛ばしており、楽しませてくれそうだ。
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白い足

2008-09-15 23:51:23 | Weblog
土曜日

 渋谷でモツ鍋を食べる。

 隣のカップルの男の腕が太かった。だいぶ酔っている様子で、僕らの斜め後ろに座っているカップルを指さして、「あれは絶対に同伴だよ」とか言っている。言われた女は「同伴」の意味が分からなかったらしく、男がなぜか自慢げに「同伴」の意味を語り始める。

 そっと振り返って「同伴」カップルを見てみると、女の白い両肩が見えていて、確かにそのセクシャルさにはキャバ嬢と見られても仕方のない雰囲気が漂っていた。しかし、男の方はまだ若いようで、僕には、同伴でキャバクラに行くというよりは、キャバ嬢とその情夫のように見えた。

 隣の男は、マクドナルドは関西ではマクドと省略されることについて、またもや自慢げに語っている。「マックじゃ、マッキントッシュと区別つかないじゃん!」と、これまでに百万遍も語られたようなセリフをさも自分の発見ででもあるかのように得意げに話している。

 一緒にモツ鍋を食べていた華子氏によれば、「同伴」カップルはずいぶんすごい量の鍋を食べていたらしい。そういえば、好奇心にかられて振り向く度に、彼らの鍋には入れたてと思われる野菜が山盛りになっていた。

日曜日

 神楽坂での飲み会の前に紀の善でも行こうかと早めに飯田橋へ行ったら、夕暮の前にもう閉まってしまうようで、あてがはずれた。華子氏が不機嫌になる。

 飲み会は、俳句関係者やら現代詩関係者やらが集まるもの。ブログ見てるよ、などと声をかけられてどぎまぎする。

 白ワインの入ったグラスが、自分の不注意で肘にあたり、倒れそうになったが、なんとか寸前ではっしと掴み、倒さずに済んだものの、グラスの中の液体は慣性の法則に従って宙を流れてゆき、目の前に座っていたあみさんにかかった。慌てふためく。両隣からおしぼりや拭くものがわあっと集まってきて、僕はポケットからティッシュを出したが、申し訳程度に机を拭いたくらいで、あとは右往左往した。

 さきさんから「優夢のばかー!」と声が上がって、ほっとする。

 二次会のバーでは二階の窓際から見える神楽坂の風景を横目に、議論を聞いたり質問したりする。夜の神楽坂を、人が通り抜ける気配がする。僕はいつでもぼーっとしている。オリーブとともにマティーニを飲みほした。

 帰ろうとしているみんなを、「まだ帰りたくない!」と、「合コンの女の子のように」呼び止め(うん、確かに、あのときそういうふうにさきさんに突っ込まれた気がする)、マックで少しだけ話してから帰る。やっぱり僕はぼおっとしている。それで楽しいのだから、なおいけない。

月曜日

 華子氏と散歩をする。住宅街をふらふらと歩いていると、ミニスカートの女子高生が目の前に現れて、その足に見入る。ふくらみ方と締まり方に、あ、足だな、と思わせる何かがあった。

 どこへ向かうということもなくふらふらと歩くと、いつの間にかミニスカートを追いかける形になっている。ミニスカ、ずっと前にいるよね。そう言うと、華子氏は、うん、だって追いかけてるもん。こともなげに言う。そっか、そうだよな、と納得して、ぼんやりと追いかけることにするが、こちらは二人、相手は一人、必然的に動きの軽い相手がずんずん歩いていって、そのうちに見失ってしまった。

 偶然見つけた図書館に入り、それぞれ俳句の本をめくる。彼女は僕からレポート用紙を借りると、気に行った本のタイトルのメモをとっている。この図書館で本を借りる気はないらしい。僕は、本を開きながら、少し寝た。

 そろそろ日も暮れかけて、散歩も仕舞いになる。

 帰ってきて、彼女がメモしたレポート用紙を僕のカバンに入れていたことを思い出し、メモがなければ困るだろうと思ってメールしようと思ったら、レポート用紙からはきちんと彼女のメモしたページだけが切り取られていた。

 だから、結局、メールはしていない。
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『森林』を読む

2008-09-13 11:21:44 | Weblog
谷底に日ざしもどらぬきりぎりす

 彼の俳句には声高なところがない。苦悩や歓喜は語られない。主体性はもとより感じさせない。大方は情景描写にとどまる。

 俳句という詩形は、ときにそのような静かな世界を描くことがある(一般的には客観写生と言うのだろうか)から、そのこと自体は彼の独自性を表しはしない。この句集の特徴は、題名通りに「森林」をほぼその主要な舞台としていること、そしてその森林やあるいは山間の村のさまざまな風景が、「みずみずしい詩情をもって」、「五感をいっぱいに使って」、「繊細にあるいは大胆に」描かれているということだろうか。

雪催松の生傷匂ふなり
いちまいの鋸置けば雪がふる
風ゆるむ雪の文目の見ゆるほど
至近より雪の降りくる夕まぐれ
日照のかぎりもの干す斑雪村
トラックが婆拾ひ去る雪間かな
風花や石の小臼を束子置

 試みに、心惹かれた雪の句を引いてみた。雪が降りそうな天気に「松の生傷」を配することでその匂いを立ち込めさせる手腕。「鋸置けば」で軽く一拍置き、「雪がふる」で林の底から空を見上げる視点の鮮やかな切り替え。「雪の文目」という美しい言葉を使い、風のゆるみを触覚ではなく視覚で立ち上がらせる感覚。「夕まぐれ」の設定によって、ふつうはあり得ない「至近から雪の降りくる」の措辞を納得させる言葉の芸の冴え。見たそのままを言いとめているのだが「日照のかぎり」の「かぎり」で明暗の対比をある悠然とした時間性の中に現出させる技。トラックが過ぎた後には婆もいなくなり、「雪間」のみが残る、という一瞬の何気ないさびしい変化を表す季語の選択の確かさ。「風花」の季語に絶妙に呼応する、「石の小臼を」の「を」という助詞の使い方の繊細さ。(ちなみに「束子」は「たわし」と読む)

 実に芸が冴えていると思う。目をつむれば雪のちらつきが眼前にあり、それが凍るような肌寒さを引きだしてくる。つまり、このような山間の村を自分が追体験し得てしまうほどの、言葉の巧みさ。

 しかし、僕は今回の原稿を書くのに大いに苦労している。僕は「鑑賞者」という立場を持ってしてこの「句集を読む」というシリーズに臨んでいるつもりなので、できるだけレトリックの話は持ち出さないことを自分に課してきた。「この作者は上手だ」とレトリックの妙を書いてゆくことで句集の分析や批評を行うことはできると思うし、そのようなアプローチは同じ実作者の立場で言うととても有用だとも思うのだが、僕がここで試みているのはあくまでも鑑賞であり、鑑賞という以上は、句集を通して見えてくる作者の息遣いやその一句に込められた情感、美しさを引き出し、語ってゆくことで作者の独自性を何かしら表すことはできないだろうか、というスタンスで臨んでいる(だからと言ってもちろんまるでレトリックの話をしないというわけではない。レトリックの使い方やその巧拙をもって句集あるいは作者を規定し、描くことを避けてきた、ということだ)。

 その句集に見え隠れする作者の態度や心の在りようを見ようと思ってきたのだ。しかし、この句集について言えば、どうやら僕の力量では彼の心の全貌にまで肉薄することが非常に難しい。そのことがこの句集の独自性、と言えるかもしれない(若干、逃げっぽい言い方だとは思う)。

 「みずみずしい詩情をもって」、「五感をいっぱいに使って」、「繊細にあるいは大胆に」。これらの措辞に全部かぎ括弧を施したのも故のないことではない。全部、手垢にまみれた惹句であることは承知の上なのだ。しかし、なかなかそこから先に踏み込めない。彼が踏み込ませてくれないのである。

みづうみに辺境ありて鴨の陣
後の月養鶏千羽めつむるも
眼力をゆるめてはちす漂はす
水に声あり青胡桃くぐるとき
冬に入る糸引雲の切れて峡
雁ゆきてしばらく山河ただよふも
紅梅や谷隣より雲が来て

 しかし、そのことと彼の句のそれぞれに心惹かれることとは、正直、あまり関係がない。一句一句が素晴らしい山の情景を展開し、正にこういう俳句こそ、僕の思うところの「俳句の王道」ではないかとすら思えてくるのだ。彼の句に通う情感は淡い。彼自身の個性は、彼自身の言葉の中にくるみとられて、どこかに消えかかっている印象がある。だからこそ、我々は彼の俳句を読んで、容易にその情景を「追体験」することができる。言葉の美しさが、追体験する我々の心持を「陶酔」させてくれる。それは、あるいは決して彼を裏切ることのない季語の力によるところが大きいのだろう。つまり、「季語との親和」が、並の俳人に比べてとても高いようだ。
 
「季語との親和」によって「追体験」を可能にし、それが読者をして「陶酔」の境地に呼び込むという「俳句の王道」を進む。個性が希薄であることは咎だとは思わない。淡くても情感は確かに感じられる。もちろん、「みづうみに辺境」を感じる心持は、どこかに寂しさを漂わせるし、「水に声」を感じる心持は、どこかに心の弾みを感じさせる。それが全体と通してひとつの言葉にまとめられないからと言って、それが何だと言うのであろう。

 目をつむって、「ああ、いいなあ」と思うだけで事足りる俳句。人間が描かれることが少ないため、どこか人を避けてひたすら自然と向き合っているような印象もあるが、そこにはさびしさも喜びもいろんな感情が通い得ている。人に向き合うときの生の感情に比べると、それらは淡く思えるのだ。

黒姫に黒の図体のどやかに

 僕も黒姫山に行ったことはあるが、なかなかこうは詠めなかったなあ、と思う。「黒の図体」を目を細めて見ている彼の姿は、人間社会で日々を送るわれわれの目からすると、どこかふわりと浮世離れしているようだ。

 冒頭に挙げた句は、それらの俳句とはまた少し異質のようにも思う。「谷底に日ざしもどらぬ」というのが、まず意味としてつかみづらい。そして、「日ざし」と言っているにも関わらず季語は「きりぎりす」だ。この句に一瞬戸惑ったのち、どうやらこの「もどらぬ」という言い切りは、実景ではなくて、彼の心の襞の暗さをはからずも映し出してしまったものではないかと思われてくる。

 谷底、日暮、暗がり。そこに早々と鳴くきりぎりす。他の句に対するよりもどこか濃い情感として、彼の寂しさが身にしみる思いがした。

 作者は上田五千石(1933―1997)
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『定本 烏宙論』を読む

2008-09-09 08:52:50 | Weblog
又も天のあかずの扉に稲びかり

 端的に言って、「写生」という言葉は俳句をつまらなくしているのではないか、と感じることがある。あるいは、もっと正確には、「写生」という言葉を使うところで思考停止することが、俳句批評あるいは俳句鑑賞をつまらなくしている、と言った方が良いか。

 作句上の方法的理念としての「写生」に相当程度の実効性を認めることは、僕とてもやぶさかではない。「ものをよく見る」というのは、何か言葉を立ち上げてゆく第一段階としては、最も自然な営為のひとつのようにも感じられる。しかし、そうして出来上がった俳句について「写生の目が効いている」とか「これは写生を越えたところに存在している幻想的な世界の魅力を備えた句だ」とか言ってみても仕方がないのではないか。「ものをよく見る」ことと「よく見たものを言葉に置き換える」ことはまるで異なる操作であり、既にして「言葉に置き換えられた」結果として出てきている俳句作品を前にして、それが「ものをよく見る」ことによって作られたかどうかを判断することは容易ではないし、また、それを判断することに意味があるとも思えない(ものをよく見なくても秀句を得られることはあるだろうし)。

 なのに、俳人は、よく「写生」ということを云々する。なぜ、写生によって作られた句、と、そうでない句、という弁別を(それが合っているにしろ間違っているにしろ)各々が判断を下せているのか。それは、俳句の中に使われている言葉から、詠まれている内容があり得ることかどうかということに「常識的判断」を下しているからではないか。

身の中のまつ暗がりの蛍狩
外套やこころの鳥は撃たれしまま
昼干潟天より垂れゐる手も暗し
滝は其の内部で火の粉消しながら

 これらの句を写生句であると考える人は、あまり居ないであろう。「身の中の」「蛍狩」、「こころの鳥」、「天より垂れゐる手」、「滝」の内部の「火の粉」といったものが、常識的には存在しないものだから、それを見たと言い張ることができないのだ。

 しかし、小川軽舟の言うように「俳句は抒情詩である」という考え方を認めるならば、俳人だって詩人である。言葉によって構築された世界に対して常識的判断を持ち込み、これは写生だとか幻想だとか無粋にも勝手な決め付けをして回ることが、詩人のやることであろうか?この自分たちが生きている世界というもののありようを言いとめるのにどんな言葉をもってすればいいのか。問題なのはその一点である。「写生」という本来は無邪気な方法論を表していたはずの言葉を、お題目のように大仰に批評の言葉に持ち込むこと自体、奇妙な話なのだ。

 彼の俳句は、写生からは遠く隔たったところで成立しているように見える。しかし、だからと言って「彼の俳句は写生ではない、そしてその写生を越えたところに強みがあるのだ」などと鑑賞者が勝手に判断してしまうことは、彼の句の魅力を著しく損なうのではないか。「彼にはそのように見えているのだ」そう考えることが、僕には一番面白い。もちろん、それだって本当はどうだかわかりはしない。しかし、どうせそんなことは誰にも分からないのだ。だったら、一番面白い読み方をするのが鑑賞者として誠実な態度と言えるだろう。

 「彼にはそのように見えているのだ」と思える(と言うより、そう思いたい)のは、彼の句に、一貫してながれる彼の視力を感じるからだ。つまり、底流にある価値観や感受性、思いの方向というものが共通している。一言で言えば、それは、おののき、ではないか。

 身の中の蛍を狩ってしまったらあとに残るのは手に負えない自分の闇だけであろう。撃たれたままのこころの鳥は生臭く羽を広げて死んでゆき、何かをこの干潟という不安定な場所にもたらすために天から垂れてきた手は彼にしか見えていない。滝は内部の火の粉を「消しながら」何をやっているのだろう?彼の生きる彼の中の真実は、彼をおののかせてやまない。

秋かぜや耳を覆へば耳の声
夏草を抽けば穴よりけむりかな
夢にまた寒暮の土のひと握り
かへりみれば虚無は菫に未だ跼む
我在りていづこも暗き春の昼

 「耳を覆へば耳の声」という言い回しには気障なものを感じて、最初に見たときには面白みを感じなかったが、もう一度見て「秋かぜ」か、と納得がいく。身を切られるような切ない風しか見えない世界に、彼はいるのだ。「穴よりけむりかな」の不穏さ、寒暮の土を握る夢の遠い切なさ。かと思えば、未練がましそうに菫に屈んだままの「虚無」が居たり、春の昼を「いづこも暗き」と思ってしまうのみならず、それは「我在りて」だからだ、と言ってしまわざるを得なかったり。彼の生きているこの地上の、これが彼に見えているものなのだ。

道よりも天は淋しき鳰
霞草けふは日輪北に病む
瞑ればまた泛かぶ星死ぬべきか

 眼を天に上げてみても、身にしみるのは生きている寂しさ。「天は淋しき」という措辞そのものではなく、「道よりも」という比較が彼の定めなさを思わせる。北に病む日輪というのもすごいが、「瞑れば」の句には舌を巻く。目をつむってそこに星が浮かんでくる、というだけなら、ただロマンチックなだけだ。ここで注目すべきは「また」であろう。また泛かぶ星、というのは、目をつむればいつでもそこに存在している、自分の脳裏に焼き付いて離れない星なのだ。自分を統べるような、あるいは、自分を追い詰めるような、美しい星。そこから「死ぬべきか」というつぶやきはあまりに自然過ぎて、どきっとさせられる。

 冒頭に挙げた句も、視線は天を見上げている。彼には見えるのだ、天の「あかずの扉」が。「又も」という言葉がいみじくも指し示す通り、その扉はこれまで一度も開いたことがなく、彼の頭上に言い知れぬ圧迫感を与えている。それを改めて見せてしまうから、稲びかりは恐ろしいのだ。

 しかし、その扉がもしも開いてしまったなら、そこに彼は何を見るであろうか。

何もなく死は夕焼に諸手つく

 何を見るか?冗談!そこには何もないのだ。彼が慣れ親しんだ、虚無すらも。

 作者は河原枇杷男(1930-)
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出会わなかった人

2008-09-07 21:13:40 | Weblog
 八月、週刊俳句に掲載された十句作品について、今週号の週刊俳句にいくつか鑑賞文が寄せられている。

週刊俳句72号 http://weekly-haiku.blogspot.com/

 拙句(こんな言葉、あったっけ)についても触れていただいていて、うれしく思ったので、とりあえず宣伝。「廊下」の句など、とてもいいように鑑賞していただいており、喜ぶ。この句については、二人の評者の方がそれぞれ、そうは直接書いていないのに「長い廊下」という読みを提示されていて、興味深く思った。そういえば、そうだよな、と。

×××

 先日、八重洲ブックセンターで「田中裕明追悼 ふらんす堂通信 別冊No. 1」という本を発見し、購入。さまざまな媒体に発表された田中裕明の追悼文や句鑑賞などを採録した簡潔な白い冊子である。

 四ツ谷龍の裕明句の頭韻についての議論などの記事が面白かった。前半の追悼記事はどれを読んでも彼の急逝を嘆くもので、やりきれない気分ではあるが、読むほどに胸の締め付けられる思いもしていて、殊に、同じ爽波門だった辻桃子や先述の四ツ谷龍の書いたものは、裕明氏の人となりが見えてくる、いい文章だと思った。

薬罐さげ秋の暑さをわびにけり 裕明

 こんな裕明氏に会ってみたかったな、と思う。あとのまつりではあるのだが。

 他に、坪内稔典の、どうしても一歩距離を置かないと書けない、という感じの文章も、興味深かった。彼は龍太の追悼記事でもそのようなやや戸惑ったような態度を示している。俳句観が異なるうえに、あまり頻繁な交流があったわけではなかったのではないか。議論し尽くせていないのだ。遊び足りない少年が沈む夕日を見送るような、そんなわびしさと戸惑いとかすかな苛立ちを感じる。そのような文章は、僕には、彼なりの賢明で誠実な追悼であると思えるのだった。

 同時代に生きていたのに出会うことのなかった人を思うと、言い知れずさびしい思いがしてくる。2005年にはもう僕も俳句を始めていたのだから、何かのはずみで出会えるチャンスがあってもおかしくなかったはずなのに。そう考えると、同じ時代に生きている人なら、せめて出会っておきたい。

 僕にとって、田中裕明は一冊の本なのだった。「田中裕明全句集」という名の。裕明に出会わなかった者として、僕は裕明の句に出会う。

菜の花や中学校に昼と夜 裕明

 たとえばその本をぱっと開いてこういう句を見つける。彼の句は、彼に会ってみたかったと思わせる句だ。子供のたくさんいる昼の学校だけではなく、誰もいなくなったけれど菜の花は変わらず黄色く明るく息づいている夜の学校をも見つめている彼の視線を、いいなあ、と思う。

裕明に会はずじまひよあらばしり 優夢

 聞けば、若いころは大酒飲みだったと言う。そろそろ新酒の季節だ。
コメント (3)
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『たましいの話』を読む

2008-09-05 08:12:23 | Weblog


忘れちゃえ赤紙神風草むす屍

 僕は、この句と三度出会った。

 一度目の出会いは、この句に喝采した。僕は戦後生まれである。戦後どころか、昭和も末期、1985年の生まれなので、親ですら戦争経験者ではない。そんな僕にとって、あえて正直に言えば、八月が来るたびに太平洋戦争のドラマや映画やドキュメンタリー番組が流れるのは、実にけむったい思いがした。「戦争の記憶を忘れてはいけない」という、あの、誰も逆らいようがない、絶対的に正しい言葉に辟易し、飽き飽きしていた。そうは言っても記憶とは風化してゆくものである。

 戦争の悲惨さを忘れずに語り継いでゆくという欺瞞を僕は信じなかった。それは勿論、戦争は悲惨だったろう。身をもってそれを経験された方たちのご苦労、辛酸、これらは決して軽視してはならないものだと思うし、敗戦を起点にして現代日本の多くが成り立っていることもまた無視できない事実であろう。しかし、戦争はそれを語り継がれる者にとっては、既に薄っぺらな教訓になり下がってしまっていた。「嘘をついたら地獄で閻魔さまに舌を抜かれる」というのと同じである。「戦争をしたら多くの人が死ぬ」そう言って、見知らぬ、絵空事の戦争の恐怖だけが毎夏毎夏、空転する。僕らが一体何を覚えているというのか。

 そういう投げやりな戦争観を抱いていた僕の目に、「忘れちゃえ」という見事な言い切りは、むしろ大変好ましく、美しく、潔く映ったのである。それに、勢いが良い。「忘れよう」「忘れましょう」そんな穏やかな、大人ぶった言い回しでは、この欺瞞を超克できないのだ。稚気をさえ感じさせる、「忘れちゃえ」と言うあっけらかんとした言い回し。戦争を語り継ぐ正当な行為への批判として、この句はかつてないほど衝撃的だった、と僕は喝采を惜しまなかった。

 二度目に出会ったとき、僕は慄然とした。かすかに震えた。ただ阿呆のように喝采した自分を呪わしく思った。この句の裏で凄絶に微笑む彼女の様子に気づいたからだ。「忘れちゃえ」と書く彼女は決して忘れていないし、この句を読んで本当に忘れてしまう人もいない。本当にそんなもの忘れてしまえばいいと思っているのならば、こんなこと書きはしないだろう。書かなければ忘れられてゆくものなのだから。むしろ、「赤紙」「神風」「草むす屍」のことを考えすぎて考えすぎて、どうにも先へ進めなくなってしまっている人に向けての、それは優しいメッセージだったのかもしれない。自分が覚えているから、あなたは遠慮なく忘れなさい。それは確か、「世界の中心で愛を叫ぶ」での誰だったかの台詞と同じだ(僕は、あの作品はこれっぽっちも良いと思っていないが、あの台詞だけは、真実の優しさだったかもしれない)。

 わざと幼く「忘れちゃえ」なんて言い放つことで、彼女は少女のように残酷に微笑むことが出来る。その眼底に、彼女が見た様々のものが腐りかけながらもまだずっと沈澱してゆくのだとしたら、もしかして、「忘れちゃえ」と呼びかけられているのは、彼女自身、であったかもしれない。俳句は無論、教訓などではない。戦争の悲惨さを伝えるだけが戦争俳句ではない。しかし、教訓に反発し、批判するだけの句も、もとより浅い。この句は、正に反語だったのだ。忘れられないからこそ、忘れちゃえ、と言うのだ。何もかもが失われた静かな世界で、彼女の混沌とした不思議な微笑の中から、感情の底なし沼をつかみだしてくる。その恐ろしさに気づいたとき、僕は震えるしかなかったのだ。

 三度目の出会いでは、僕は呻いていた。「忘れちゃえ」という上五のみに注目して、教訓への批判だとか反語だとか考えていたが、忘れる内容について、ついぞ考えてこなかった。「赤紙」「神風」「草むす屍」。この三つが時系列順に並んでいることに、遅まきながら気がついたのだった。赤紙が来て、万歳で送り出されて、神風を信じて、あるいは無理矢理思いこんで、果ては草むす屍。ここにあるのは、日本軍の兵士の永劫回帰。赤紙、神風、草むす屍。赤紙、神風、草むす屍。何度呟いても足りない、大勢の日本人兵士たちの末路。この三つは独立に並んでいるように見えて、実はつながっていたのだ。これで一人分なのである。

 つまり、何を「忘れちゃえ」と言っているのか、と言えば、赤紙でも、神風でも、屍でもない。死んでいった者たちのことを。戦争を忘れてしまえ、と言っているのではなく、赤紙や神風に嘲弄されて死んでいった兵士たち一人一人のことを、忘れてしまえ、と言っていたのだ。「草むす屍」には、墓もない。家族のもとに戻ることもなく、ただ土に還るだけの死者たち。はたして、墓を持たぬ死者というのは、忘れられやすいものだろうか、それとも、墓がない故に、忘れられにくいものだろうか。人の死、あるいはその死体は、ある衝撃をもって迎えられるため、短期的には非常に忘れられにくいが、赤紙や神風のように一つの象徴として記憶されることがないため、長期的に見れば忘れられやすいような気もする。

 だが、たとえばこう考えてみたらどうだろうか。我々にとって大事なことは、ある人物の「死」を忘れないことではなく、その人物が「生きていた」ことを忘れない、ということではないか。そう思うと、この句の新しい読みが自分の中で立ち上がってくるのを感じた。「赤紙」→「神風」→「草むす屍」、という、この恐ろしくも悲しい、避け得なかった奔流をこそ、彼女は忘れてしまいたいのではないだろうか。彼女が覚えていたいのは、その人に「赤紙」が来る前の、あの、幸せな日々。それを覚えていたい、そしてそのために、赤紙以降のことは忘れてしまいたい、そういうことではなかったのか。それは、戦争のことを語り継がなければならないという倫理観にはもとるかもしれないが、しかし、僕は、そのような彼女の、身も蓋もない悲しみに切り裂かれてやまない痛切な心情の表明こそが、どんな政治的文句よりも一途に反戦の思いにつながるのではないかと思われてならない。それに思い至ると、僕は、呻いてしまうのだった。

 一句に、あまりにも言葉を尽くし過ぎた。彼女には、

前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル
泉ありピカドンを子に説明す
戦争がいつも何処かに青いか地球
戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ

 のように、印象的な戦争詠があるが、句集全体で見ると、それほど数が多いわけではない。むしろ、戦争関連の句は、上に挙げたものの他は二、三句しかない。こうして他の句を見てみると、むしろ彼女は、戦争を語り継ぐということに積極的であることが分かる。いや、むしろ、それは「語り継ぐ」というよりも、戦争という禍々しい魔物の正体を見てやろうという必死のあがきのようにも思える。原爆というよりは、より肌ざわりに近い「ピカドン」という言葉を選び、それを子に説明しようとしている彼女は、実は自分もそのことを経験していないというもどかしさを感じながら「語り継いで」いるのではないか。泉という平和な光、そこにピカドンの強烈な光を思い、教訓ではなく、真摯にそのことに向き合おうとする彼女の姿が見える。それは「近眼鏡」の句にも共通する態度だ。

 「戦争がいつも何処かに」というフレーズには驚かないが、「青いか地球」という収め方には瞠目する。「戦争」と「地球」のスケールを誤認させ、くらくらと眩暈を起こさせるに十分な措辞だ。地球は青い。それは当り前のことだ。しかし、彼女の句は、常にその当たり前のことを当たり前だという認識で済ましておいてはくれない。常識には常に揺さぶりがかけられる。「赤紙神風草むす屍」を忘れないのが当たり前だと思っていたのを覆したように。



知る限りいずこもこの世立つ蚊柱
明石から淡路島まで日陰なし
けしからぬ地動説かな初日の出
七生の七度絶命梅の花

 どこもかしこもこの世だし、海の上には日陰がないし、けしからぬと言っても地球はまわる。どれも当たり前だ。しかしそれにしても、「七生の七度絶命」とは身も蓋もない。いつの世も梅の花が香っていたのだと思うと、救われるよりも、なんだかそれが当たり前に思えず、逆に不思議な気分に襲われる。そして、彼女は、このように時間の推移とともに何かが変わる、あるいは、何かが変わらない、ということに、大いに興味を抱いているらしいのだ。

フルーツポンチのチェリー可愛いや先ずよける
洗う指のまず糊を拭き牡丹雪
啓蟄や中座の先ずはほほえんで
光あり家を出てまず春の泥
再建の先ずは壊しぬ梅の花

 「まず」という語の多用は、何らかの行動が行われる際のさきがけに彼女が注目していることを示して興味深い。つまり、何かある状態が別の状態へ移行する第一波のようなものを、彼女は敏感に捉えるのである。「中座の先ずはほほえんで」、本当にそのとおりだ。日常の中で人間関係を円滑に運ぼうとする意思、つまり、人間がどれだけ他人のことを恐ろしく感じているか、という一面がよく表れていて、すごく面白い。つまり、この句は、単に中座するという行為のさきがけとして微笑みをとらえているだけではなく、円満な人間関係をなるべくそのまま維持しようといういじらいしい心持のさきがけとして微笑みを描いているのだ。

夕月やしっかりするとくたびれる
たたみいわし雪の話にまた戻る
玄関に何度行っても冬深し
逢いに行けば多分疲れる片しぐれ
枯園でなくした鈴よ永久に鈴
売り切れの鶯餅のあった場所

 物事の変化に敏感なのは、むしろ、変化してゆくことに対する恐れのようなものを、彼女が常に抱いているからではないだろうか。「しっかりする」ことは、つまり、何か物事を動かすことで、それによって何かが変わってゆく、ということ。それはなんとなく困る。「雪の話にまた戻」ったり、「玄関に何度行っても」変わらなかったりすることは、そのこと自体の良し悪しを越えて、不変であるというその一点で、彼女を安心させる。「逢いに行けば多分疲れる」のも、自分と相手の関係が何らかの意味で変化するのを恐れる気持ちが垣間見えるし、「枯園でなくした鈴」は、園の風景がいくら変わってもずっと鈴であることに変わりはなく、そのことに奇妙な安心感を覚える。売られている「鶯餅」は、そこにとどまることはない、誰かに買われてそこからなくなってしまうものだとは分かっていても、それを惜しんでしまう。

 本質的に、何かが変化してゆくことを彼女は耐えがたく思っているのだと感じる。しかし、だからと言って、彼女は時がとまってしまうことを望むほど幼くはない。「くたびれる」「多分疲れる」と言ってはいるものの、だからと言ってしっかりしないわけではないし、逢いにも行くのだ。それがこの世、なのだから。

死に順は突然決まる葉付き柚子
先生の逝去は一度夏百夜

 この世における変化、そのうちでもっとも避けがたいもの、悲しいものは、身近な人間の死。それを受け入れ、進む強さを彼女が持っているのは、むしろ、物事が変わらないでほしいと思ってしまう自分の業のような弱さをしっかりと見据えているからであろう。

震度2ぐらいかしらと襖ごしに言う

 この有名な句も、そうした文脈の中で捉えることが可能だ。大地震が起きたら、自分も夫も死んでしまうかもしれない。大地が揺れ始めた時にはその可能性をいやでも思わせて、彼女は心細くなったに違いないのだ。しかし、まあ、震度2くらいで済んだ。そのことの安心感が、特に襖をあける必要もない、というほぼ無意識の判断につながる。わざわざ襖をあけるという変化は必要ないと見切った、その安心感が、この句の核をなすものだろう。「襖ごしに言う」のは、地震という非日常の予感から日常へ無事に帰ってきたことを確認する作業なのだ。考えてみれば、襖をあけるときの、あのぎしぎしという音は、特に、何の前触れもなく急にやられたらとてもびっくりするし、おののきもしてしまうだろう。

 当たり前のことを当たり前と思って看過しないこと、そして、物事の変化を恐れる気持ちを素直に表出すること、この二つは、表裏一体となって、彼女の句の核をなす。「忘れちゃえ」と言うのは、そんなふうに言わなければ当たり前に忘れてしまいそうになる人間の弱さを恐れ、叱咤激励しているとも言える。彼女が戦争詠にこだわるのも、戦争というものが、破壊、というよりは、大きな変化のうねりをいやおうもなく可視化してしまうものだからだろう。

幸彦忌顔を洗った手がきれい
バナナジュースゆっくりストローを来たる

 もちろん、彼女の句は変化を恐れるあまり無気力になったりなどしない。むしろ、そういう恐れを乗り越えても何らかの行為を起こそうとするとき、何か素敵なことが起こるのだ。そう思うと、「幸彦忌」と「バナナジュース」の句は、なんだかとってもきらきらと美しい。

 作者は池田澄子(1936-)
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『朝の岸(沖積舎版)』を読む

2008-09-04 10:30:26 | Weblog
桜のころだな 孤島みたいな朝の勃起

 男子諸君には朝勃ちの経験が誰しもあると思う。性的興奮に見舞われたわけでもないのに、朝起きたときに勃起が生じている、あの現象である。生理学的にはどのようなメカニズムで起こるのか知らないが、足の付け根に鬱勃とマグマがたまっているような閉塞した生理には、閉口するばかりである。それを「孤島」に譬えることで詩にした手柄もさることながら、ここではむしろ、「桜のころだな」という切り出し方に注目したい。

 この、明確な主語を持たない半端な文の切片に、もしも仮想的に「あれは」「これは」「それは」「どれは」のうちから一つを選んで主語を補うとしたら、どれが適しているだろうか。「どれは」は論外として、「あれは」だとしたら「桜のころだったな」という過去形でなければ据わりが悪い。「これは桜のころだな」というのもおかしな話だ。この場合、今、現在が「桜のころ」ということになるが、「だな」という言葉には、「今、何かを見て桜のころだと気づいた」という感じがある。しかし、それなら、「ころ」なんて曖昧なぼかした言い回しではなく、「桜」と言い切るはずではないか。「桜時」という季語は、「だな」という気付きを許容するようには思えない。

 と、するならば、この片言の主語にふさわしいのは「それは」である。何故に、こんな瑣末な言葉遊びみたいなことに言を尽くしているかというと、「それは」が主語になるような言い回しが俳句に入り込むこと自体、僕にはとても奇妙に思えるからだ。「あれ」が表す、自分がこれまでに潜り抜けた過去でもなく、「これ」が表す、自分が今置かれている状況でもなく、彼が言おうとしていることは、自分とはすこしよそよそしい距離を持った「それ」のことなのである。この、世界との奇妙な距離感は、まだ世界が自分に向かって開かれていないという感覚をてこにして、童貞的な世界観に似てくる。

日暮バラ道 孤独は父のペニス色
鳥達 目覚める 花びらほどの肉の舌
盗品目録 これだ 貴女とナイフと野の焚火

 「ペニス」や「舌」といった肉体が再三描かれるにも関わらず、ここにあるのは孤独な官能のみで、性愛の高みやそれゆえの疲労、愛することの苦悶も愛されることの憂愁も、まるで登場しない。時折、愛情の対象となるような女性が出てきたかと思えば「ナイフ」や「野の焚火」と同列に、「盗品目録」の中にその名があるのみ。彼を理解し、愛情を注ぎ、性愛のあれこれを教え込んでくれる女性は、彼が生まれる以前からすでに奪われているのだ。彼が大人になって発見するのは、奪われた女性の存在と、丸腰でしらけた自分。彼女を奪い返す気力すら持ち合わせない。

 そもそも、なぜ「孤独」は、自分のペニスではなく、「父のペニス」の色をしているのか。「父」は、童貞ではない。自分とは違って。女を知るという贅沢で美しい行為があって初めて、日暮のバラのように甘美な、孤独という背徳が得られる。彼は孤独をも知らない。しかし、不幸なことに、自分が孤独を知らないことだけは知っているのだ。だから「孤独は父のペニス色」と、孤独について書くことができる。そして、そのように書き表したとき、自分の女を奪ったのは父であることは、もはや彼の中では自明のことになっている。

枯野行く母の名「つる」は妙だなあ
髪梳く母 失明以後も海に坐り
日常そのまま鶏絞めている おはよう、母

 童貞である彼は、エディプスコンプレックスをももてあまし、「母」はどうしても戯画化されてしまう。事実として女を知っているかどうかではなく、自分の中から世界に向かって扉を開け放っていない状況を童貞と呼ぶのなら、この句集における彼ほど、俳句において童貞である者はいないのではないか。

泥棒来る樅一本に鳥を刺し
喉刺す桜たそがれの水ひび割れ
釘の一本乳くさい樹下を刺す
身籠りの庭の木が刺す北極星
ひまわりへ乗せて瞳に指を刺す

 なぜ彼がこんなにも「刺す」という行為にこだわるのか。これらは、明らかに女を刺し貫けない彼の代償行為であって、そのぶんだけ身を焦がす煩悶やあせりをどろどろとこちらに伝えてしまう(これらの句は実際の景には成り得ない以上、「刺す」という言葉を反復して使用してしまうところに性的な暗喩を読みとるしかなくなってしまう。そこに読みを集中させてしまうところが、これらの句の弱点であると、むしろぼくは考えてもいるのだが)。これらの句の中では、「喉刺す桜」に構築された言語世界に、魅力的な絶望感がある。どこまで行っても、世界は彼に閉ざされているのだ。

口あけて死者来る朝の犬ふぐり
芭蕉よ秋は天文台の目が亡ぶ
痰状の桜水っぽい首群れる

 死者の虚無的な口の中に飲み込まれてゆく、かわいらしい朝の犬ふぐり。天文台の目が滅びたら、宇宙の広がりを身をもって感じることはできなくなる。その閉塞感。そして、日本的な美の象徴である桜を見てさえ、生理的に嫌悪を呼び覚ます痰に譬えざるを得ない、暗い視線。冒頭の句の「桜のころだな」の「桜」が、このように認識されたものなのだとしたら、この呟きは、まるで呪詛そのものである。世界はこれほどまでに冷たかったのだ。もう絶望である。

 しかし、この絶望の「孤島」の中で唯一、しずかに笑う者がある。彼本人だ。絶望の深淵に待っているのは、それを受け入れ、露悪的に表現することによって自らをさらしものにすることである、と、彼は気づいたのだ。それこそが、

桃、桜、レンゲ咲いた お世辞を言いました

 こんな気弱い彼の、自分を守る最後の手段だったのである。童貞的な自分をさらけ出すことでひとつの安心を得ようという行為。その結果としての俳句。そして皮肉なことに、それ自体の幼さをもってして、彼の童貞性は完成を見るのである。

ふいに駈けて ある日 砂丘の大きな拒否

 おさめられた俳句そのものは、やや大味で、賞頑に足るものは少ないが、そのような童貞性の記録として、この書は貴重とも言えよう。

 作者は坪内稔典(1944-)
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『辛酉小雪』を読む

2008-09-02 01:33:52 | Weblog
著莪のなか墓を濡らしてかへりけり

 クールなロマンチスト、とでも言おうか。彼の用いる端正な言葉には、決して人を驚かせようというような気負いは見られない。しずかなたたずまいでありながらその詠みぶりには美しいものを一番美しい姿でとどめておきたいという熱い美学が通っている。

春の雪ピアノの蓋に映りては
水に手を浸けては見上ぐ花辛夷
蝶生るることに木挽の身のほとり
菜の花の失せし近江をまのあたり

 「映りては」という言いさしの下五の、うつくしい調べ。とうとうと音もなく降り注ぐ春雪のしずけさを見事に表現している。「映りけり」と言い切ってしまいそうになるところを、ぐっとこらえてふんわりとやさしいふくらみを持たせたところが、この句の美学だ。

 辛夷の花の、しんとした白さがひえびえとした切れそうな水と響きあう。春の季語で「水温む」があるが、この「水」は、もう少し寒い。手を漬けることで水は実在のものとして実感されるが、それまで水面に映っていた辛夷は、乱され、輪郭を失う。そこで辛夷を見上げるのは、世界の実在をいちいち確かめずにはいられない、詩人のさびしさによるのだろうか。

 蝶が生まれたり、菜の花が全部失せてしまったり、めぐる季節をつぶさに感じながら、時間の流れを自らに刻み込んでおこうとする彼は、やはり美を自分の手に抱き締めずにはいられない、業の深い詩人なのだ。自分の業の深さをきちんと書き表す術を、美学と言うのではないか。

田を植ゑしはげしき足の跡のこる
冷酒の氷ぐらりとまはりけり
なんの絮灯籠売りのゐしところ

 ひとの気配さえ、彼には大地や空や水を介して伝えられる。人間が直接描かれない分だけ、人間の息遣いが濃厚に浮かび上がる。残された足跡のはげしさほど、田植えとははげしかったのだろうか。そこには、実際は、時間的密度の誤認がある。しかし、わざと誤認することで、そこで動き回っていた人間の労働が逆に見えてくる。ぐらりとまわった氷に目を見張る男、灯籠売りのなごりのような絮、五七五の中にとらわれた世界だからこそ、人間が誰でも持つ何でもない一瞬のことが、永久に繰り返されていることを知る。

雛段に置き忘れたる貝釦
からつぽの蜂の巣ながれ秋の水

 このような句にたどりつくと、もうすでに目に眩しき美しさはない。それでも、ピアノの蓋に映る春の雪と、これらを同じ目で、同じ美意識で眺めることができるようになっている。これこそが、ロマンチストの面目躍如たるところで、ロマンチックというイメージの付着していなかったものをも、ロマンチシズムの中に溶け込ませることに成功しているのだ。それは、雛壇と貝釦というまるで異なる質感の出会いであったり、ひんやりした秋の水にからめとられたくらい蜂の巣という光と影の競演であったりする。彼は、恍惚としてこれらを眺めている。そのうっとりとした様子は、春の雪を眺めている様と少しも変るところが無い。しかし、その情景を描く筆致は、あくまでもクールであり、そこが一見、彼をロマンチストとは異なる人種に見せている。

 冒頭の句、「墓を濡らして」帰った、という言い切り方、至極クールである。それは普通、墓にお参りした、と表現すべき行為であるはずだが、確かに、お参りする、というのはある文化的慣習に照らし合わせた場合に出てくる単なる儀礼的文句に過ぎないのに対して、濡らして帰った、というのは、過不足のない、確かな事実の把握である。ここには死者に対する挨拶、といった感傷は一切登場せず、自らの行為をそのように徹底して外面的に表現できるというのは、すでにクールという域を超えてニヒルですらある。

 しかし、そんな彼の横顔は、ただただ虚無的なのでは、もちろん、ない。このようにしか表現し得ないところに、彼のロマンチシズムがあり、隠された感傷が息づいている。彼にとって、非常に大事な人の墓を見舞っているのだろう。墓を濡らして帰ることしかできない彼自身への諦念やもしかしたら苛立たしさ、ひとの世界の定めなさに、彼は呆然としている。その表情は、恍惚としたときのものと酷似していることに、われわれは気づかされる。それは、著莪の花の、あの少し不気味な開き方への陶酔につながってゆくのだろう。

 生き物と生き物の出会いに陶酔し、にもかかわらずそれをクールに描くことで、読者をも陶酔にいざなう。これは生命賛歌なのだ。死の象徴たる墓を描いてさえ生命の美しさに昇華してしまえる手腕は、見事なものだ。世界は、その隅っこの細かいところまで、うつくしい。

ででむしの殻ころげをり貝割菜

 作者は飴山實(1926-2000)
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