5月13日から10日間、北京に行ってくることになった。僕は大学院で惑星科学の研究をしている。今回の北京行はその関係だ。
と言っても、別に本格的に惑星科学の調査をしに行く、とかいうわけではない。調査しに行くとしたら、ロケットに数年は乗らなくちゃいけないし(火星には一度行ってみたいものだが)。指導教官が、北京の精華大学で惑星科学の展示を行うので、そのお手伝いだ。ついでに、向こうの大学生との交流、というのも兼ねている。
一応、この前購入したノートパソコンを持っていくつもりなのだが、これは論文を書く作業用なので、向こうでネットが使えるかどうかはまだちょっと分からない(たぶん使えるだろうが)。なので、もしもネットにつながらなかった場合は、新作五句を一回分お休みすることになるが、ご承知おきいただきたい。
久しぶりの海外である。と言っても、以前に海外に行ったのはたった一度、二年前に学科の巡検で行ったオーストラリアだけなのだが。折よく、今週の週刊俳句の特集は「海外詠」。僕も大いに張り切って詠んでみようかと。
たんぽぽや長江濁るとこしなへ 山口青邨
掌に枯野の低き日を愛づる 山口誓子
誓子の句は満州・朝鮮旅中の句と言うから、中国と言っていいかは微妙かもしれないが、まあ、しかし中国と言えばこのような句が思い起こされるところであろう。偶然、みんな山口だ。
海外詠については、僕は一度オーストラリアに行ったときに試みたことがある。そのときに大変困ったのが、週刊俳句で触れていた方もあったが、季語の取扱いである。なにしろ窮してしまったのは、日本を出たときには秋だったのが、オーストラリアに着いてみたら春だった、という現実である。南半球の季節は北半球とは半年ずれるもの。昨日まで秋の句を作っていたのを急に春の句にしろ、と言われても実感が湧かないし、なんともやりづらいことこの上ない。
しかも、たとえば「春の風」とか「春雨」とか「おぼろ月」とかいう季語を使ってみようと思っても、なんとなく感じが日本とは異なる。オーストラリアでは春なのだからいいだろうと思って、春の風、と使ってみても、湿り気具合とか、そこに感じる時期的な象徴だとかが日本とは変わってしまって、季語が合わないのである。あるいは、オーストラリアにはオーストラリアの四季があるのだから、そこで作ったことを前提に読者に読んでもらうような句ということでいいじゃないか、と思っても、季語を用いた時点で、日本にいる読者の思い描く「春風」と僕が書いている「春風」との間に齟齬が生まれてしまうことは必然なのである。春だから春の季語で、というわけにもいかないよなあ、とまた悩んでしまった次第だ。
そのとき、僕は俳句というものが、あるいは、季語というものが、いかに日本という足かせに、よくも悪くも結びついて存在してしまっているか、を痛感した。このジレンマを振り切って俳句を書く方法は、次の二つではないだろうか。一つは、現地の歳時記を作るつもりで現地の季節感を積極的に取り入れて詠んでいく。季語の更新を試みるということだ。ただし、これは数日という短い旅行ではなく、現地に数年は住むつもりの長いスパンでなければ成り立たない作業だろう。俳句という短い文芸だからこそ、数の集積がものを言うこともあるのではないかと僕は考える。
いま一つは、僕がオーストラリアで結局やったことだが、季語を無視する、無季の句を作る、ということだ。季語というのが所詮日本の四季に基づいて作られた体系である以上、日本からかけ離れた地で俳句を詠むならばこの二つの方法のどちらかで現行の季語体系を振り切る必要があるように僕には思われる。
日本の中においてだって地域差から生まれる差異があるじゃないか、という声はあるかもしれない。たとえば「しぐれ」というのは、本来は京都盆地におけるものなのに、わりと今ではそんなこと関係なく使っているじゃないか、という声もあるかもしれない。だが、やはり言語圏が同じか違うか、ということはこの際かなり大きく効いてくるように僕には思う。同じ言語を使っている日本の中では、東京にも愛媛にも「しぐれ」が降るかもしれないが、オーストラリアで降る雨を「しぐれ」と表現することはない。オーストラリアにはオーストラリアの言葉があるのだから。
そんなわけで、僕がその当時現地で詠んだ句はこういう無季の形になった。
おやすみのあとの淋しき灯を消しぬ
誰とゐてもさびしくベッド使ひけり
トレッキングシューズで南十字星
骨になるまで飛び跳ねるカンガルー
スパークリングワインのやうな出会ひかな
光る丘真白く太き骨点々
あまーーいい!本当に甘い句ばかりで恐縮だが、こんな感じ。下手っぴなのは置いておいて(それでも、最後の句は一応、自分のお気に入り)、一応、無季の句を作ってみようと思った、これが最初の機会になった。そういう無季俳句との出会いも面白いな、と感じたり。
無季の句は、季語という約束事を廃した分、人間くさいところが多くなるのかもしれない。それは、二十歳そこそこの青年にとっては甘さをますます誘発する結果となったのであろう。と、いうのはただの言い訳だが、今のところ無季の句で僕が一番好きなのは、たとえばこのような作品だ。
見えぬ目のほうの眼鏡の玉も拭く 日野草城
ぼくはセカチューなどの作品に対して「泣ける」という感想を述べるのは大変イヤなのだが、この句はなんだか「泣けてくる」。しみじみしてしまう。こういうのが無季俳句の真骨頂だ(決めつけてしまった)。
北京では無季の句を作るか、それとも季語を更新するつもりで作っていくか、まだ決めてはいない。おそらく、行ってみないとわからないだろう。
なんにしても、向こうでいったいどんなできことが待っているのか、どんな人が待っているのか、そして、どんな俳句が待っているのか、楽しみにして行ってこようと思っている。
最後に、「海外詠」特集で気に入った句をあげる。
娼婦等は首から老ゆる春の午後 対馬康子
枯枝に身をおおわれている産後 対馬康子
ギリシア人夜の魚を食べにけり 小野裕三
ペーパーバック海の匂いの信号機 小野裕三