そらはなないろ

俳句にしか語れないことがあるはずだ。

卒業旅行

2008-03-24 15:41:22 | Weblog
 旅に出ると、確かに俳句を作りたくなる。しかし、所詮は観光客なので、芭蕉の漂泊、山頭火の放浪のような、あるいは故郷喪失という演劇的な再構成を施された寺山俳句の憂愁のようなものは一向に浮かび上がってこない。

 最近、あるホトトギス系の俳人の句集を読んだとき、「旅」という言葉がたくさん使われていたが、その割に迫ってくるものがなかったのは、彼女にとっての旅も、観光でしかなかったからではないのか、と今にして思う。

春光を観光客として歩く

 観光なら観光でもかまわない。下手にかっこつけて旅情に凭れない旅の句が作りたい、と思う。それは日常の延長であり、非日常の空隙だ。

 学科の友達と卒業旅行に行ってきた。レンタカーを借りて4泊5日、近畿・四国地方を回る旅だ。おおまかな行動を覚書のメモ程度に示しておくと、次のとおり。

20日
 本郷をレンタカーで出発。渋谷・横浜でメンバーを拾い、一目散に神戸へ向かう。神戸には6時過ぎに着。先に旅館の風呂に入ってから、お好み焼き・明石焼きのお店に行く。帰りがけに夜の海と明石大橋を見て、ブランコを漕ぎ、木登りをする。夜3時まで酒盛り。

21日
 明石大橋を渡り、淡路島に入る。地学を専攻している学生らしく、阪神大震災で生じた断層が保存してある記念館に寄る。渦潮を見ながら徳島に入り、友人からの情報で教えてもらった徳島ラーメンのおいしい店で昼飯。日和佐で温泉に入って、室戸まで一気に駆け抜ける。お遍路さんをよく見かける。メンバーの一人が室戸から途中参加。室戸岬の先端にある民宿でビリヤードをしたり、漫画に読み耽ったり、月を見たり、酒を飲んだり、東大生について語ったりする。

22日
 室戸を出て桂浜へ。浜辺で何かがぼこぼこ噴き出している。大歩危でうどんを食べて、金毘羅山の石段を頂上まで登る。瀬戸大橋をわたって本州に帰り、岡山の繁華街にある安宿に宿泊。夕飯は、友人情報で瀬戸内の魚がいいと聞いていたので、魚料理を食べに行く。

23日
 姫路城。天守閣に登る。甲子園。2-0で負けていたチームが9回表でソロホームラン2発打って同点に追いつくものの、延長10回裏でセンターがフライを落球するという痛恨のエラーによってサヨナラ負けする試合を観戦。奈良公園。鹿に迷惑がられたり、大仏に無視されたりしながらお散歩。奈良を出てすぐ、スタンドなど一軒も見当たらない山村でガソリンが切れ掛かってひやひやするが、無事、満タンにして名古屋へ。名古屋で味噌カツの有名店に入る。

24日
 なにはともあれ帰ってくる。雨、雨、雨。

 まあ、ざっとこんなところである。高知の室戸岬では、なんと宿のおばさんが俳句を趣味としている人で、某有名結社に所属していた。折角なので、二人で句会のようなものを。

すかんぽを甘く煮る国へ来たりけり

 僕は、この室戸ですかんぽというものを初めて食べた。蕗に似たすがたかたちをしているが、蕗ほどえぐみはない。やわらかく煮てあったので、大変食べやすく、派手ではないが春を感じさせる、良い出会いであった。

 宿のおばさんによれば、すかんぽは全国どこにでも自生しているが、元は高知でしか食べないものだったとか。それで、昔は高知県内のものを採り尽くすと他県に採りに行ったものだが、最近では他県の人も食べるようになったらしく、なかなか採れないという。

 僕はその真偽のほどはよく分からないので、詳しい方がいれば聞いてみたい。しかし、すかんぽを食べるのは自分たちだけだ、こんなにおいしいものを、と自負している国、というのは、いずれにしろ、好きである。

 太平洋に春の月が出る。旅館は岬の突端にあるので、海の上の月があらわに見える。灯りのほとんどない岬から見ると、ぼってりと海に落ちた月の光が、まっすぐにこちらへ向かって伸びながら漣にたゆとうているのが見える。これが、室戸岬なのだった。食べ物と出会う、人と出会う、海と出会う。

 そして、今まで知らなかった自分に出会ってゆく。

 旅は出会いだ。旅は「こんにちは」と言い続けることだ。それについてくることのできる俳句を歓迎したい。

行く春を近江の人と惜しみける 芭蕉