そらはなないろ

俳句にしか語れないことがあるはずだ。

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『荒東雜詩』を読む

2008-10-24 03:11:00 | Weblog
麿、変?

 その句集を手に取ったとき、僕は懐かしい景色を手にしていた。これは、詩的な比喩や感傷的な錯誤ではない。また、句集を手にした誰でもが僕と同じように懐かしい気分に襲われるという意味ですらない。実に個人的な感慨に過ぎない。その表紙および裏表紙いっぱいに写された町の風景は、正に僕の生まれ育った町・西葛西だったのである。

 西葛西の駅から北へ歩き、マツモトキヨシの角を左に曲がって少し歩くと、ジャスコ西葛西店がある。裏表紙の写真の公園の奥の方に小さく映っているピンクの看板が、それだ。この公園はジャスコからさらに北へ少し行ったところに広がる行船公園だろう。ここに映っている子供たち同様に、僕もまた、そこで遊んで育った。表紙は、その同じ敷地内にある小さな動物園。

 なぜ、表紙が西葛西なのか。もちろん、作者が住んでいる町なのだ。そしてこの句集全体を通しておそらくもっとも使用頻度の高い言葉は「西葛西」という地名であろう。しかし、奇妙なことに、「西葛西」という言葉は、句集に収められた俳句の中では一度も使われてはいない。これはいったいどういうことか?答えは、前書き、である。

 この句集において、誰もが認めるところであろう最も大きな特徴は、すべての句に前書きが附されていることだ。前書きというのは、普通、俳句の詠まれた文脈を特定するために句の前に書かれる言葉や文である。場所や時間、その時の状況など、五七五の中に盛り切れなかった立ち位置の設定として使われる。

 たとえば、試みに手許の「セレクション俳人 小澤實集」を繙くと、次のような例がある。前書きに「武者小路実篤展」とあり、
西瓜より大きく描きぬ西瓜の絵
と、俳句が続く。つまり、この句では、西瓜より大きな絵を描いたのは、その辺の画家や元気いっぱいの子供などではなく、武者小路実篤であると読ませたいのだ。確かに、彼の描いた絵はその小説作品同様におおらかで、西瓜よりも大きな西瓜の絵もあるのかもしれないと思える(そして、実際にあるのだろう)。西瓜の絵の大らかさは、武者小路によってその絵が描かれたという背景の設定によって、より明快に読者に伝わる。同時に、小澤が書きたいのは西瓜の絵を通して見えてくる武者小路なのであり、その点で、この前書きは作者にとっては必須なのだ。

 芥川龍之介のつける前書きは、単なる舞台設定を越えて味わい深いものが多い。かの有名な
水洟や鼻の先だけ暮れのこる
の句の前書きはただ一言、「自嘲」である。どうにもできない生理的現象がこんなにもさびしいものだったとは、僕はこの句をもって初めて知ったのだった。

 立ち返って、この句集における前書きはどういうものか。たとえば、以下のようなものである。

 聖なる大老って誰さ。
聖大老を馘れば噴く春光よ
 麿ですよ。
たんぽぽのたんのあたりが麿ですよ

 二句並べて抜き出した。一段下がっているところが前書きである。自分で自分の句にツッコミを入れる。そして、それを次の句まで引っ張り、先人の句を使っておどけて見せる(「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」坪内稔典)。前書きによって二句は強引につなげられ、一句が独立してひとつの世界を作るという前提はあえなく崩壊する。首を切られた聖大老はたんぽぽの「たん」のあたりにちょこんと坐り、俳句を書いている「麿」に変身する。いや、あるいは、聖大老とはネンテンのことだったか。

 また、

 ゲイで女優で占ひ師の彼は鎌倉には行けないと言ふが、
 霊感なき俳諧師にはもちろん何の問題もない。
あじさゐの声か梁塵秘抄とは

 このように奇妙なかたちで人物を登場させてみる。ちなみに、鎌倉には紫陽花寺と呼ばれる紫陽花の名所がある。そこで作られた句なのだろう。普通の俳句作者ならば

 鎌倉
あじさゐの声か梁塵秘抄とは

 とでもするところだが、そして、それでも十分鎌倉の歴史の深さを感じることはできるが、「ゲイで女優で占い師の彼」が結局は鎌倉に来なかったのであろうということを介して、鎌倉という歴史、鎌倉という土地の一種異様な恐ろしさ、神聖さが強調される。

 〈ヘンリーⅤ世とかけて機関車トーマスと解く、そのこころ豊旗雲は〉
人面機関車水漬く草むす夏のひばり

 前書きとして短歌や俳句をつけているものも多い。しかも、この句は機関車トーマスがモチーフとしていること自体が常識を逸脱しているが、それをわざわざ「人面機関車」と呼びならわすことでアニメを現実世界に継ぎはぎしたような気持ち悪さを端的に言いとめているところが面白い。中七以降はそれを狙い過ぎな感じもなくはないが。

 しかし、ここまでで紹介した句は、この句集の前書きとしては大変わかり易い部類のものだ。そうではないものとして、たとえば以下のようなものを挙げられる。

 〈西瓜割る麿の怖さにちびるなよ〉
西日の渋谷で生まれたやうな気がするの

 ペア・クラーセン氏にインタヴューする。
 〈黒い森〉からやつて来た老デザイナー。
 ―立方体の哲学、17の神秘、木登り、ゲーテ、母の思ひ出
春の夜のタクシーが来る母のやうに

 〈庭燎の庭をめぐれる妻はそのむかし夢に犯せし女ならずや〉
一卓の雲丹づくしなる攘夷論

 これらの前書きは、本来的な意味での前書きとして読まれることを期待しているとは思えない。

 「西日」の句は、句と前書きをセットにして見ると、二人の人物の対話のように見える。しかも、全くかみ合わない会話。そのすれ違い方が、お互いを目の前に置きながら自分しか見ていない(それぞれ話しているのは自分のことなのだ、しかも、どこかに自己陶酔の匂いがする)うすら寒いやり取りを思わせる。「タクシー」の句は、インタヴュー帰りに老デザイナーをタクシーに乗せたのだろう、と思わせる。つまり、前書きが、舞台設定という従来通りの働きをなしているかのようにみえる。しかし、「母のやうに」という措辞は、実際のタクシーのやってくる情景を思わせるのではなく、前書き中の「立方体の哲学、17の神秘、木登り、ゲーテ、母の思ひ出」とシンクロするように書かれている。前書きが舞台設定なのではなく、前書きの言葉が俳句を引き出しているのだ。「攘夷論」の句になるとさらに状況は混沌とする。妻についての妄想と攘夷論は常識的範囲ではいささかも交わらない。逆に言うと、それを交わらせることそのものが、この句の眼目なのではないか。つまり、前書きと句、なのではなくて、これは二行詩なのである。暴力的な男たちへの挽歌、といったところか。

 このような前書きの中で、唯一シリーズとしてたびたび出てくるのが「西葛西地誌」である。

 西葛西地誌 その五 子供の広場
 〈コンクリートの恐竜ぐわばと口あけて空の深さを讃へてゐるか〉
一本の椎の若葉が数へきれぬ

 西葛西地誌 その二十四 ドン・キホーテ本社
能面をつけて集まる秋の暮

 西葛西地誌 その二十六 ジャスコ葛西店
うどん屋が古きナイルの波止場なり

 「椎の若葉」の句は、まだ分かる。広場に椎があるのだろう。その明るさまで見えてくる。しかし、「能面」と「うどん屋」の句になると、その前書きとの関係は完全に意味不明のものと化す。西葛西という土地にこだわって、句集中に二十以上も「西葛西」が前書きに入る句があるのに、彼は少なくとも俳句においては「西葛西」という土地をほとんど描写しようとしない(ように見える)。西葛西は、それ自体が単なる句集の素材なのだ。それも、描かれる対象ではなく、一句に対してとり合わせられる対象としての素材。

 しかし、なぜ、もうその一句だけで完結している俳句に、わざわざ西葛西がとり合わせられなければならないのか?彼にとっての西葛西とは何なのか、それを探ることが、彼にとっての前書きとは何なのか、を探ることにつながってゆくのではないかと、僕には思える。

 彼にとっての西葛西、それは分からないが、西葛西という土地が与える印象を、実際にそこに住んでいる僕は語ることができる。それは、平板な土地である。故郷と呼ぶにはあまりにつまらない土地である。マンションや団地の並ぶ住宅地。ほとんど何の歴史も、固有性も感じられない埋立地。僕は長い間、山にあこがれていた。山の見える景色の中での生活は、僕には新鮮なものだった。この土地には、坂ひとつありはしなかったからだ。駅前と幹線道路の周りは栄えているが、そこを離れるとあとはただの住宅地が、どこまでも広がっている。なんというつまらない、匿名性の高い土地なのだろう。住むということで消費されるしか能のない街。

 彼が西葛西にこだわったのは、この匿名性のためではないのだろうか?地元民の直感として、僕にはそう感じられる。彼がもしも田園調布や下北沢、高円寺、神楽坂のような、地名を聞いただけで何らかのイメージの浮かぶような土地に住んでいたとしたら、「○○地誌」というような体裁の前書きは、はたして作られていただろうか?

 匿名性は、言いかえれば日常性である。今日が明日であっても同じ世界。しかし、その中で生きていかなければならない現代の我々。その代表としての西葛西なのではないだろうか。僕はたまたま知っていたが、そもそも、ふつうの人は西葛西という土地をほとんど知らない。具体的なイメージも持っていないに違いない。その西葛西を前書きで具体化していくことによって、彼はまさに自分のいまいる日常を強調する。

 西葛西地誌 その三 ampm中葛西店1丁目店
 二十世紀の空はもう見えない。
 すごい付け爪の少女が、お茶と新聞を売ってくれる。
 泰山の私有へのあふれの午後。
貝寄風に目のあけられぬ蒙塵や

 だからこそ、こんな前書きが登場する。しかし、日常だけが前書きではない。日常はあくまでベースである。前書きの本当の意味は、もう少し俳句そのものを見てみないと分からない。

 この句集におさめられた句は、上手な句が多い。ためしに、目についたものを句だけピックアップしてみる。

初夢の志士きりもなし鳥の貌
雛の闇みんな煙になつてゐる
あかあかと艦の往きたる寝釈迦かな
七夕や若く愚かに嗅ぎあへる
くだら野に緋の一騎など見えないよ
布団いま剥げば無数の我ならむ

 「ならむ」のような文語も「見えないよ」という口語も使いこなせる多様な文体、「若く愚かに」や「緋の一騎」のような印象鮮明な語の選択、俳句全体から立ち上がってくるイメージの生々しさ…。特に、「七夕」の句は素晴らしい。この一句だけで十分視覚的にも触覚としてもイメージが立ちあがってくるのに、なぜこの句に短歌の前書きをつける必要があるのだろう。

 〈その中ゆいとど亢ぶる鳴ひとつ、昧爽の蝉ぞ秋へ入りゆく〉
七夕や若く愚かに嗅ぎあへる

 前書きなしで並べたら印象鮮明な句たちも、前書きを附すことで、むしろ、僕には混沌の中へほうり込まれるような印象がある。どう読めばいいのか困ってしまうのだ。もちろん、前書きが附されることによって新たな読みが展開することはするのだ。七夕の句だけでは立ちあがってこなかった蝉の声が、前書きによって附されるのだ。しかし、それがなくても句は楽しめる。なのに、彼はせっせせっせと前書きを付け続ける。なぜ?どうして、一句だけでは足りないのか?

 彼にとっての前書きは、おそらく、彼の中の俳句以外の彼、なのではないだろうか。それは日常をベースに立ちあがる。そして、時に詩的な世界を作り出し、時に文芸に対するメタ的な疑問を呈する。彼のすべてから俳句そのものを引いたもの、それが前書きではないのだろうか。この句集は、彼に見えている彼そのものを体現する本なのだ。彼の混沌を表現するために、彼の印象鮮明な俳句はすべて彼自身によって曖昧な自己の内部へ放り込まれ、再読され、読者に提出されている(前書きにも俳句があるじゃないかとは言わないでほしい。それも演出のひとつなのだろう)。

 いつか女も木になる、男も木になる。
手のばせば腋かがやきぬ鳥の恋

 詩的発想で語られた前書き、俳句的発想で語られた俳句。そのすべてが、彼の見た世界であった。それらがまじりあうとき、この句集は生まれた。

 ここで、最後の疑問。なぜ、彼は彼のすべてを語るために俳句のみを弁別する必要があったのか?ここで、冒頭の句に戻る。自由律である。

麿、変?

 おかしな句だ。この句を面白がるだけなら、前書きなしでもいい。しかし、前書きをつけ、句集の中にこの句を置くと、たちどころにその意味は変化する。

 西葛西地誌 その二十五 主婦たち
 筑波嶺の峰から落ちるみなの川のやうに流れ流れて(日常の細部を失なつて)、珈琲がぶ飲みしながら対象を欠いた言葉の戯れに耽つたために暗黒の淵(直径五m)みたく淀んでしまつたことであるよ。
麿、変?

 はっきり言って集中でも随一の意味不明な前書きなのだが、それは麿が変だから、なのである。そしてこの前書きの一番のポイントは、「西葛西地誌」のうちの「主婦たち」という項にあるということだ。主婦たちは、住宅街である西葛西に普通に歩いている。日常の一つの景色として作者は主婦たちをとらえる。そして、主婦たちに向かって、言うのだ。「麿、変?」と。疑問ではない。確認である。

 前書きと俳句の度重なる違和、混沌。これらは、作者が俳句を作るから生じるのだ。日常をベースに作られた作者の世界に俳句が忍び込む。作者は俳句に取り込まれる。日常を裏切り、「変」な方向に走ってゆく。いつまで経っても前書きは俳句と折り合いをつけられない。

 うれしそうにつぶやく「麿、変?」の言葉は、実は、「私は俳人である」という言葉と同義なのだ。なんてことはない、何も難しいことなどなかった。この句集は、彼が、彼の内面世界の全部を振り絞って「私は俳人である」と言いたかっただけだったのだ。

作者は高山れおな(1968-)
コメント (2)
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