※連載ものです。①から順にお読みください。
徳ちゃんのオッチャンから台本を見せてもらったが、達筆すぎて読めない。それで、徳ちゃんに読んでもらったのを皆で紙に書き写すことになった。
晩飯を食べて会所に集まる。本来ならば縄を編んだりして夜なべの作業をしなければならないのだが、「俄の稽古に行ってくるわ」と言うと、親たちも快く許してくれた。
この時点では、まだ配役は決まっていない。祭の花形である奉納俄がしたくて、我こそが主人公の番場の忠太郎だと意気込んでいる者が十人ほど集まった。
一杯機嫌の徳ちゃんがやって来て講義を始めた。
「ええか、忠太郎が別れた母親に会いに来る、料亭水熊の場や!」
昔は、誰もが映画や浪曲で見たり聞いたりしていたから、あらすじどころか結末までわかっていた。
「口に出して覚えながら書きや。母の面影瞼の裏にや」
皆が「ははのおもかげまぶたのうらにや」と口々に言う。
徳ちゃんが「やは、いらんがな!」
皆が「やはいらんがな」
徳ちゃんが「わしの合いの手まで書かんでええのや!」と怒る。
「そやかて、初めて聞くんやさかい、どこまでがセリフか分かりまへんがな」
「しゃーない奴らやなあ。ほな、感情込めて言うたるさかいに!」
徳ちゃんが立ち上がり、本番並みに仕草を入れてセリフを言う。
畳二畳を地車の舞台だと設定して、下手から登場すると、キッと正面を見据えて「母の面影~瞼の裏に~」
天に目をやりつつ「描きつづけて~旅から旅へ~」と首を捻って見栄をきる。
その流ちょうなセリフや踊りのような仕草に皆見とれている。
徳ちゃんは昔を思い出したのか、区切るのを忘れて続ける。
「昨日は東、今日は西~、尋ね尋ねてやって来た。此処はお江戸の柳橋~、人に~知られた~水熊よ。ご免めんなすって~おかみさん」
皆が一斉に拍手をした。
徳ちゃんはますます調子にのって、首を捻るときは軽く「の」の字や「ひ」の字を書くのだとか、顔を右に向ける時は、逆の左手で仕草をつけて大きく見せるのだとか、人を指さす時手の甲をしたにしないと失礼になるのだとか細かなことまで講釈し出した。
万事がこんな調子だったから、一日では終わらず、一週間かかった。
少し長いが、皆が書き写した台本である。
(下手から忠太郎が登場)
忠太郎: 母の面影瞼の裏に、描きつづけて旅から旅へ。昨日は東、今日は西、尋ね尋ねてやって来た。此処はお江戸の柳橋、人に知られた水熊よ。ご免めんなすって、おかみさん。
(上手からお浜が登場)
小浜: 中へ入って、用があるんならさっさと言っておくれ。
忠太郎: ご免なすって。(敷居を越えて下手に坐る)
小浜: 何とか云わないのかい。用があって来たんだろう。
忠太郎: 「おかみさん、失礼な事をお尋ね申しますが、もしやあっしぐらいの男の子を持ったおぼえはござんせんか?
小浜: あっ!
忠太郎: 憶えがあるんだ、顔に出たそのおどろきが。おっ母さん、あっしが伜の忠太郎でござんす。
小浜: 私には、おまえのような子はいないよ。忠太郎という子を生んだが、五歳のときに死んじまったよ。たとえお前が忠太郎だとしても、そんな姿で訪ねて来ても、誰が喜んで迎えるもんかい。母を探しにきたのなら、なんで気質の姿で訪ねてこないんだよ。
忠太郎: それじゃ、どうあっても倅じゃないと!
小浜: うるさいね!
忠太郎: よしやがれ! おい、おかみさん、今なんとか言いなさったねえ。親子の名乗りがしたかったら気質の姿で訪ねて来いと・・・笑わしちゃあいけねえぜ、親に放れた小僧ッ子が、グレて堕ちたは誰の罪。もう一つあらあ、おいらのことをゆすりと言いなすったが、想い焦がれて逢いに来た。たった一人の母親が、無事でいたならよいけれど暮らしに困っている時は、助けにゃならぬと百両を、肌身離さず抱いていた。夢に出て来た瞼の母は、こんな冷たい女(ひと)じゃない。逢わぬ昔が懐しいやい! 御免なすって!
(忠太郎は下手に入る)
(かわりに下手からお登勢が登場)
お登勢: おっかさん、
お浜: お帰り、早かったねえ。
お登勢: おっかさん、今、出て行ったのは、いつもおっかさんが話していた、番場に残した忠太郎兄さんじゃないの?
話は残らず隣の部屋で聞きました。それでもあなたは母ですか。
小浜: おっかさんが悪かった。許しておくれ。お前の事や水熊のことを考えて邪険に帰したおっかさんが悪かった。お登勢、おまえも一緒にきておくれ。
(二人が外に出ると猛吹雪)
小浜: 忠太郎~
お登勢: 兄さ~ん
(二人が下手に入る)
(上手から忠太郎が出てくる)
忠太郎: あの声は、おっかさんと妹だ! 何を言ってやんでえ! 何が今更忠太郎だ。
(奥から 二人が呼ぶ声)
忠太郎: 誰が逢ってやるもんか。逢いたくなったら、俺ア瞼をつぶるんだ。
(奥から 二人が呼ぶ声)
忠太郎: おっ母さんが、あんなに俺を呼んでいる、妹もあんなに一生懸命呼んでいる。
(忠太郎は居ても立ってもおられなくなり)
忠太郎: おっ母さん!忠太郎は此処だよ、おっ母さん!
(上手から二人が出てくる)
小浜: 忠太郎、忠太郎!
お登勢: 兄さん!
(三人がしっかりと抱き合う)
※➆につづく
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