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ウィーンわが夢の街

ウィーンに魅せられてはや30年、ウィーンとその周辺のこと、あれこれを気ままに綴ってまいります

ゼメリングのハイキングコース  (1)

2010-03-25 03:35:15 | ウィーン
<ゾンヴェントシュタインのパノラマ・ルートとマリア・シュッツ>
あなたがウィーンに滞在していて、予報で翌日天気がよく、しかも格段の予定がないか、あっても別な日に変更できる場合、そしてどこかウィーン近郊の山を歩いてみたい気持ちがすでにあなたの心に湧いてきているとしたら、迷わずゾンヴェントシュタインにお出かけになることをお勧めします。一度その素晴らしさを体験すると、ゼメリングの魅力の虜になること間違いなしです。

今までご紹介してきたシュネーベルク、ラックスは登山に比重がかかったハイキングコースでしたが、ゾンヴェントシュタインは誰でも手軽にハイキングが楽しめるスポットです。しかも、すでに下車するゼメリング駅が海抜896メートルにあります。プフベルクは海抜577m、ラックス・ロープウェイの谷側駅が528m地点だったことを思い出してみてください。ゼメリングは幹線鉄道を利用しながら、下車駅が登山鉄道に乗ってきたような標高の高い所にあるのです。
シュネーベルク、ラックスに比べると、ゼメリングはウィーンからはより遠くに位置していますが、鉄道を使えば、むしろここが一番便利な場所です。なにより最大の利点は、ここには午前中一本、特急が停まってくれるのです。
ゼメリングに停まる特急は土日か平日かによって時間がことなりますが、調べてみたところ、現在土日だと、ヴィーン・マイトリング9時3分発の特急がゼメリングに10時14分に到着します。平日だと8時3分発になります (したがってゼメリング到着は9時14分です)。わずか1時間11分の乗車時間です。そこから先バスに乗り継ぐ必要がない分、自分のペースで行動できますし、また帰りの時間も終バスを気にしなくて済みます。ゆっくり夕食を楽しんで帰ることも、暗くならないうちにウィーンに戻ることもできるわけです。

(*ゼメリングの見どころはたくさんあります。最初にここではゾンヴェントシュタインのパノラマコースに絞ってご紹介します)



地図①

ハイキングの出発点は地図① 画面右のロープウェイ乗り場です。駅からそこに行くには、駅を出て先ず目の前に Stefanie ( 以前はホテルだったようですが、今はSeniorenheim老人ホームになったようです ) という建物が見えていますから、そのわきの道をあがり、車の通る道に出たら、しばらく左に歩いて、Hochstrasse方面という標識がありますから、それに従って小道を上がっていきます。登り切ると ホホシュトラーセに出ます。それをまた、左に折れ、つまり下っていくわけですが、そこからは国道が見えています。それがニーダーエスタライヒとシュタイアーマルクの州境パスヘーエ Passhöhe (海抜 984m) です。駅からおよそ20分くらいでしょうか。ここまでくればロープウェイ乗り場は直ぐ分かります。

近年アウトバーンのトンネルが完成したことによって、シュタイアーマルク側に出るトラック、乗用車の多くはもはや峠にあがってこなくなり、その分さびれてしまいましたが、ゼメリングにヴィラを持つ人々にとっては、静けさが手に入ったとも言えます。いずれにしても、このパスヘーエ界隈が街の中心で、インフォメーション、銀行、スーパー (日曜はもちろん開いていません)、レストランなどが集まっています。スーパーでサンドウィッチでも調達すれば、パノラマコースにあがって、好みの場所で絶景を目の前にお昼をすることも可能です。

ロープウェイは運転しない曜日があるので注意が必要ですが、土日はもちろん動いています。終点が写真のリヒテンシュタインハウスというレストランです (標高1,340m)。ここからの眺めもすでに爽快です。



Liechtensteinhaus (2006年撮影)

もちろん地図画面の白線で描かれた道を歩いて登ってくることも可能です。車も通るので、必ずしも快適とは言えませんが、ロープウェイで上がって、下りはこの道を歩くことにするか、二度目に訪れた時には歩いて登ってみることをお勧めします。この山がヒルシェンコーゲルです。

頂上に木造の展望塔があります。わたしたちも一度のぼったことがありますが、眺望に大きな変化はありませんでした。
ロープウェイの山頂駅から。ゾンヴェントシュタインに向かって白い線が左に伸びています。ロープウェイの下車駅からは従って、最初少し下る形になります。麓から歩いて登ってくる白線と山頂駅から下ってくる白線が交わる地点がパノラマコースの登山口 Brandstattです。そこから3つのルートがあることが分かると思います。一番右が Kammweg、真ん中がパノラマコースのHochalmweg、左は舗装道路です。すべてめざす目的地は同じですが、今はパノラマコースを進みます。森の中を歩いていくわけです。いきなり急な登りです。結構汗をかきますが、とても楽しいコースです。およそ30分で頂上にでます。



地図②

ここからHochalmweg、直訳すれば「高い所にあるアルムを歩く道」、です。麓のゼメリングからもよく見えています。木が生えていない、若草山のような場所で、稜線をゾンヴェントシュタインに向けて、およそ一時間、左手にゼメリングのヴィラ、駅、そして、ラックス、シュネーベルクを眺めながら、また、右手にシュトゥールエック、前方にエルツコーゲルの山頂十字架 (1,501m)、さらにもちろんORFの電波塔を山頂にいただくゾンヴェントシュタイン (1,523m) といったパノラマを楽しみながらのハイキングです。

しばらく歩いて振り返るとロープウェイ山頂駅がどんどん小さくなっています。



パノラマコースからヒルシェンコーゲルを振り返る (2007年撮影)

アルムですから、あちらこちらに牛が放牧されています。このあたりの眺望のいい草地に座って、スーパーの対面販売でつくってもらったサンドウィッチでお昼としゃれこむなんか、ヨハンには最高に贅沢な時間と思えます。



パノラマコースからの眺め、正面にポレロス・ヴァントが見える (2006年撮影)



パノラマコースからの眺め、ホテル・パンハンス、背後の山はラックス (2006年撮影)

ただ、平日ご案内の特急に乗り、なおかつロープウェイであがって来てしまうと、このあたりではまだまだお昼には早すぎてしまいます。それほどにゼメリングはウィーンから近いのです。そんなときは、目的地まで、あと少し、歩いて行くことにしましょう。前方にエルツコーゲルの山頂十字架が見えるあたりで、道がまた分かれたりしますが、先に行けば合流します。
BrandstattからKammweg (一番右側のルート) を歩いてきたハイカーもエルツコーゲルで合流します。



ゾンヴェントシュタインの電波塔 (2006年撮影)

やがて少し道を下ったところあたりでポレレスヒュテが見えてきます。



ポレレスヒュテはもう直ぐそこ (2006年撮影)

最後の坂を上がり切れば、ゾンヴェントシュタインです。



ゾンヴェントシュタイン (2007年撮影)

ここでは、ポレレスヒュテがハイカーたちを出迎えてくれます。テラスでビールを傾けながら、左にラックス、シュネーベルクの山並み、右前方下にグログニッツの街並みも見えます、そしてはるかかなたがハンガリーです。日常のつまらないことにめげていた心も、すでに雲散霧消、気分は爽快になっていることでしょう。おいしい料理を召し上がれ!



ポレレスヒュテ (2006年撮影、この日はゼメリング駅で i のおじさんと話し込んでしまったり、あちこち道草して、ゆっくり歩いて登ってきたので、たしか17時まで営業しているとせっかく i のおじさんが教えてくれたのに、到着したのがそれより遅くなってしまい、小屋は店じまいしていました )



これは昨年2009年に撮影したものです

ゾンヴェントシュタインからは、谷間に開けたショットヴィーンの街をまたぐようにかけられたアウトバーンの長い陸橋が見えます。逆に言えば、ウィーンから鉄道で来る時、クラム・ショットヴィーンの駅あたりから、陸橋、マリア・シュッツ巡礼教会、ゾンヴェントシュタインが額縁におさめられた絵画のように見えます。



ゼメリング駅とシュネーベルク (2005年撮影)



ショットヴィーンにかかるアウトバーンの陸橋 (2008年撮影)

<Bergkircherl>
ポレレスヒュテの脇を5分ほど登ったところにベルクキルヒェルル (山の小さな教会) があります。出来たのは1930年代ですが、大戦で損傷され、その後修復されました。内部のガラス窓は芸術的に価値のあるもので、見学できます。以前は鍵をリフト山頂駅でお借りするようになっていましたが、今はリフトそのものがなくなり、山頂駅も閉鎖されてしまいましたので、おそらくポレレスヒュテで鍵を借りることになるのではないかと思いますが、小屋で尋ねてみてください。しかし教会の内部に入ることが出来なくても、ここまであがれば更に眺望が楽しめます。

<ゾンヴェントシュタインのリフト>
今は影も形もなくなってしいました。わたしが貼った地図② にはまだ描かれています。1956年に建設され、ニーダーエスタライヒでも最初期の、また、東アルプス地域で最大規模のリフトでした。登るときには、山側を向いて座りますが、下る時は谷側を向くので、とても楽しいリフトでした。これに乗れば、ショットヴィーンの街並み、シュネーベルクの山並みなど、そのパノラマに歓声を上げているうちに、マリア・シュッツ巡礼教会のわきに降りることが出来、楽ちんに巡回コースがとれました。なくなってしまい本当に残念です。

そういうわけですから、ここからゼメリングに戻る方法は、二つです。
来た道を帰るか、マリア・シュッツ側に歩いて降りるか、です。

―先ずは来た道を戻る、です。
前回書きましたが、ここまで来るのにも、いろいろなヴァリエーションがありました。それを組み合わせると、なかなか飽きません。ですから、帰りは舗装道路を使うのも一つの手です。パノラマコースに比べると、眺望は劣りますが、無理のない下り道で、ひざを痛める心配もありません。歩いていると、上を歩くパノラマコースの家族連れの話し声が聞こえてきます。Brandstattでパノラマコースと合流します。そこからロープウェイ乗り場への道を登らずに、まっすぐ下っていけばパスヘーエに出ます。途中に山小屋エンチアーンヒュテがありますから、天気のいい日ならば、そこの庭で元気づけにコーヒーでも飲みながら一休みが可能です。



Enzianhütte  (2006年撮影)

―マリア・シュッツ巡礼教会側に降りる
しかし、十分時間に余裕があるようでしたら、是非マリア・シュッツ巡礼教会側に降りることをお勧めします。
これも大きく二つのルートがあります。
ひとつはかつてのリフトの下を縫うように降りていくGebirgsjägersteig (山の狩人の小道) です。シュタイク、ですからね、前に書きましたように、とても急峻です。わたしたちは、2007年に、ゼメリングから先ずマリア・シュッツへ出て、そこからリフトで上がろうと予定していましたが、リフトが動いていなかったので、やむなくこのゲビルクスイェーガーシュタイクを登ることにしました。標高差およそ800m 近くの登りでしたから、まったくいっぺんにシェイプアップ出来ました。
下りですと、時間的にははやく降りることが可能だと思いますが、ひざが笑ってしまうことは間違いないでしょう。(*こんな山の中でと思うかもしれませんが、若者にとってはこの一帯格好のマウンテンバイクのコースとなっているようで、突然マウンテンバイクが下ってくることがあります。)

もうひとつはもっとゆるやかな道で、これは、いったんヒルシェンコーゲル方面に戻り、標識に従って左手に降りて行きます。このコースもわたしたちは歩いてみましたが、ゾンヴェントシュタインの東側の山の腹を巻くように徐々に降りていくので、急峻な感じは全くありません。ただ、とても時間はかかりました。



マリア・シュッツ順礼教会へ (2007年撮影)


マリア・シュッツ順礼教会、手前はクロスター・レストラン (2005年撮影)

教会のとなりがクロスター・レストランで食事が可能です。しかし、なんといってもここの名物はクロスター・クラプフェンです。



マリア・シュッツ順礼教会レストランのクロスター・クラプフェン (2005年撮影)

<マリア・シュッツ巡礼教会>
マリア・シュッツ巡礼教会を有名にしているのは、ここに湧き出る泉によってもたらされた奇跡によるもので、Liebfrauenbründll (リープフラウエンブリュンドゥル、聖母マリアの泉) と呼ばれるその泉は今も教会内部の祭壇の後ろに湧き出ていて、マリア像とともにこの地を訪れる人々の信仰の対象となっています。
ショットヴィーンのマリアンネ・フェルベリンという盲目の女性が泉の力で視力を得たことにはじまり、とくに1679年にペストが猛威をふるったときには、人々はマリア様に救いを求め、癒されました。その感謝の気持ちから、ここにカペレを建てることが誓われたのです。実際にカペレが完成するのは1722年でした (1794年の教会記録)。その後も何人かの人の前にマリア様があらわれ、評判がここを訪れる人々を増やし、まもなくカペレでは小さいということになって、1739年立派な教会に建て替えられたのです。
そのときの屋根はたまねぎの形をしていました。しかし1826年に火災で教会は焼失、直ちに再建されましたが、屋根は普通の形になりました。
それが1995年11月に修復され、もとのたまねぎにもどったのです。



マリア・シュッツ順礼教会内部 (2005年撮影)



マリア・シュッツ順礼教会奇跡の泉 (2005年撮影)

わたしたちがウィーンからのバス・ツアーでここを初めて訪れた1990年は、おそらく教会の屋根が修復されたことから人々の関心を集めるものと、そうしたツアーが企画された旨、ラックスの記事で書きましたが、その後調べてみて、屋根の修復が完成したのは1990年ではなくて、1995年だったことがわかりました。また、教会が戦争によって破壊されたように書きましたが、これも間違いでした。
わたしたちが2005年に訪れた時に写真 (↑) に収めている教会を見れば、たしかにすでに屋根はたまねぎ形になっています。
1990年に訪れたときの屋根がどうなっていたか、いろいろ資料を調べましたが、どうやら写真は撮影しなかったのか、今のところ見つかっていません。ビデオは撮影しましたが、劣化して、これも再生できないために確認できませんでした。面目ござらん。
記憶を呼び戻してみると、たぶんツアーがここに立ち寄ったのは、屋根修復の寄進を兼ねていたのではないかと思われます。そしてそのときの屋根は修理中で足場に覆われていたように思われます。



火災で焼失する前のマリア・シュッツ順礼教会 (ショットヴィーンから眺めた図、このときの屋根はたまねぎ形です)


再建されたマリア・シュッツ順礼教会 (1880年、屋根は普通の形になってしまいました)

<ショットヴィーン>


ショットヴィーン (2003年撮影)

ショットヴィーンはゼメリング街道の宿場町として重要な役割を果たしてきましたが、1805年のナポレオン戦争によって荒廃し、その後はゼメリング鉄道の開通 (1854年) によって宿場町としての役割を終え、その後さらにアウトバーンがショットヴィーンをまたぐように高架橋かけたことで車も素通りしてしまうことになり、今はまったく閑散としています。

― マリア・シュッツからはゼメリング行きのバスが出ていますので、バスで戻ることが可能です。
しかし、できればゾンヴェントシュタイン山麓のハイキングコースを歩いて帰ることをぜひお勧めします。最初に貼りました地図② では、マリア・シュッツから右に赤い線で描かれているルートです。眺望がいいわけではありませんが、森の中の道で、とても魅力的、パノラマ・ルートと同じくらいお勧めのコースです。およそ1時間半で、ヒルシェンコーゲルのロープウェイ谷側駅の横に出ていきます。

 <パラス・ホテル>
マリア・シュッツから歩いてセメリングに戻るコースの途中で、このホテルの正面玄関前を通り過ぎることになります。

1912年にこのホテルを建てた人物、ウィーン生まれのヨーゼフ・ダイジンガーは、若い頃ロンドンのホテルでピコロ ( オペレッタ『白馬亭』でボーイ長レーオポルトの下で働いている若者もピコロと呼ばれます ) という見習いをしていました。彼がパラス・ホテルを建てた時、まだ30を越えたばかりの若さでした。設計建築を任された人物も同様に若い人で、モダンな建物にしようというふたりのコンセプトそのままに、ホテルはコンクリートの機能重視のそっけない建物に仕上がることになりました。
新参者がゼメリングの景色に不調和なホテルを建てると聞いて、公然と地元の反発いやがらせがおこなわれ、建築資材を運ぶための道路が封鎖されてしまいました。そのため、ダイジンガーは写真 (↓) で見るように、崖下の道からリフトを通して資材を運ばなくてはなりませんでした。
ちなみにこのホテルはわたしたちがゼメリングを訪れたときには、OMVパラス・ホテルと名乗っていましたが、昨年訪れた時には代替わりしたのか、Artis Hotelと名前が変わっていました。



パラス・ホテル

以上ご紹介しました巡回コース、逆に先ずパラス・ホテルの前を通り、森の中をマリア・シュッツに向かって歩き、午前中の元気なうちにゲビルクスイェーガーシュタイクを登ってポレレスヒュテに出て、それからパノラマコースを歩いて、ヒルシェンコーゲルを降りるという形にすることも可能です。

ヨハン

ラックスの魅力 (下)

2010-03-14 00:26:48 | ウィーン
○ オットーハウスからゼーヒュテへ

初めてラックスを訪れる場合には前回のA-1の周回ルートで十分楽しいし、帰りの時間を気にしないでゆっくり過ごすことができると思います。ただ地図の上ではほとんど移動していないことになります。で、今回は、オットーハウスから先に進むコースのご紹介です。ルートAと書いているのは全く私の整理の便でしているだけです。



登山ルートA-2 またはB

地図が見にくいのはお許しください。オットーハウスの所在地は ③ ですね。そこから ④ のゼーヒュテ (Seehütte) を目指します。④ は地図では、真上にルートが枝分かれしている場所です。枝分かれした道を地図上の真上に進んでいくと ⑤ のポイントです。これは別途紹介します。

オットーハウスからゼーヒュテに行くには二通りのルートがあります。ここにわたしが貼った地図では、赤い数字の他は読みづらいかもしれませんが、崖になっているところに描かれたルートを進んでいくのを A-2 とします。B は地図では記されていないのですがオットーハウスからプラーターシュテルン方向に少しだけ戻ったわきの道を上がり、しばらく森の中を通っていくコースです。現地に行けばルート801 の表示があってゼーヒュテ方面と記されているので間違うことはありません。
どちらのルートを進んでいっても最後に合流してゼーヒュテに到着します。
B の方を先にご紹介すると、多少のアップダウンはありますが、基本的に森の中のハイキングコースです。 背後にシュネーベルク、そして森を抜けると右手にレヒナーマウアーの崖が見えてきます。それを見ながら歩いていくルートで、ゼーヴェーク (Seeweg) と言います。


ゼーヴェークのお花畑 (2009年撮影)

A-2 は前回ご紹介したオットーハウスの展望台からさらに先へと登っていくコースです。したがって、ずっと左手が崖で、その点パノラマを楽しんで歩いて行くことになります。展望台からしばらく登っていくと右手に十字の鉄塔が見えてきます。このあたりエーデルワイスが自生していますから、足元をよく見てみることをお勧めします。アルペン・ガルテンにもちろんエーデルワイスはありますが、なんてったって自生しているエーデルワイスを発見するととても幸せな気持ちになります (写真)。
十字の鉄塔 (写真) はヤーコブスコーゲル (Jakobskogel) 山頂 (1737m) の印です。


パノラマ・ルートからゼーヒュテを目指す
(オットーハウスを眼下に眺める、向こうに見えるのはシュネーベルク、2006年撮影)


自生するエーデルワイス (2006年撮影)


ヤーコブスコーゲル (2006年撮影)

鉄塔からまた下って A-2 のコースに戻ります。左手にはゾンヴェントシュタイン (Sonnwendstein) の電波塔が確認できます。以前毎朝 ORF がここからの景色とオーストリア音楽を流していましたが、最近は山の気象情報を兼ねて、あちこちの景色を流すようになりました。電波塔から稜線を右方向にたどっていくと、うり、みたいな、すいか、みたいな縦じまの円い山が見えます。女子アルペン・スキーの大会が行われるヒルシェンコーゲルで、その麓がゼメリングです。

A-2 のこのコースは背の高い樹木はありません、崖っぷち、はい松のなか (写真) を歩いて行くうちに、また、鉄塔が見えてきます (写真)。これはプライナー・ヴァントの崖の上に立つこのコースでのビュー・ポイントです。





プライナー・ヴァント・クロイツ (1783m、2009年撮影)

そして、すこし足元に気をつけないといけませんが、急ながれ場を下っていくと、先ほどのB のコースに合流します。ここまで来るともう、ゼーヒュテもすぐそこに見えています。

○ ゼーヒュテ

ゼーヒュテは標高 1,648メートルにありますから、オットーハウス (1,644m) とほとんど変わらないことになります。現地の案内パンフレットの説明ではラックス・ロープウェイ山頂駅からゼーヒュテまでの距離は 6km、およそ 1時間半の行程と記されています。
オーストリアの人々は確実にパンフレットに記載された時間で歩いています。なにしろ彼らは老若男女を問わず、忍者のように速く歩いていきます。
しかし、しかーーし、私たちはもう一度繰り返しますが、パンフレットに記された時間で歩けたためしがありません。2時間以上はかかると思います。ですから、日帰りでラックス登山をしてゼーヒュテまで周回 (行きに A-2 で帰りは B というように) しようとされる方は、オットーハウスを出発する時点で、十分往復の時間を計算に入れておくことが肝心です。A-2 のルートは景色がいいですが、最高地点 1,783メートルのプライナー・ヴァント・クロイツを経由しますから、標高差およそ 140メートルのアップダウンがあることを忘れて近道だと思って突入していくと、逆に体力を消耗して、動きも悪くなって、結果、終バスに間に合わないとなりかねませんので、くれぐれもご注意あれ。


A-2 と B のルートが合流するあたりでゼーヒュテが見えてくる、向こうに見える山はシュタイアーマルク州です、そして右の山上にカール・ルートヴィヒ・ハウスの姿も確認できます (2009年撮影)


ゼーヒュテ (2007年撮影)

私たちは 2007年、ゼーヒュテを経由して、更にプライナー・グシャイトに降りようと計画を立て、ここまでやってきましたが、プライナー・ヴァント・クロイツ辺りで雲行きが怪しくなったかと思ううちに、雷、雨、そして、ここにたどり着いたころにはすっかり本降りになってしまっていました。
ひとまずゼーヒュテで雨宿りをかね、おやつにケーキを食べながら雨が上がるのを待ちました。


セーヒュテのトップフェン・シュトゥルーデル (2007年撮影)

ここから先は、写真 (↓) の下側に見えている道を歩いていくわけですが、山の中腹を少しずつ下っていく形で、しばらく左手にプライナー・ヴァントの迫るようなカルク・アルペン独特の岩山を眺めながらのハイキング、天気が良ければ本当に爽快です。



以前歩いたことのあるこのルートを、2007年に、もう一度日帰りプランで歩いてみようと、やってきたのです。しかし、あいにくの雨です。いまさらロープウェイの山頂駅に戻るのは、先に進むルートより時間がかかるかもしれません。かと言って、これから先は雨の中を歩くのはとても危険なコースです。最終バスの時間を気にしながら、戻るか、先に行くか、本当に時計とにらめっこの状態で雨が上がるのを待ちました。結局、雨はすっかりあがってはくれませんでしたが、小ぶりになってきたので、先のルート C へと出発しました。


 <シュトゥルーデル豆知識>


(資料写真)

シュトゥルーデルというのは渦という意味です。我が家にウィーンから O 嬢がやってきたとき、目の前でつくって見せてくれました。タイクをこの写真のように、ピザ生地をつくるときのように、空中で回しながらどんどん薄くしていき、最後は両手の甲にのっけながら、むこうが見えるくらいの薄さにまでのばしていきます。食卓ほどの大きさに引き伸ばされたタイクの上にりんごをのせ、下の敷物をもちあげ、くる、くる、くるくるくるくるーー、っと巻き込んでいったときは、ビデオ撮影しながら、おもわず「wunderbar!」と叫んでしまいました。
この最もオーストリアを代表するデザート・ケーキ、ポピュラーなのはもちろんリンゴを巻き込んだアップフェル・シュトゥルーデルです。おいしいアップフェル・シュトゥルーデルに出会うと、一日中幸せな気分が持続します。モーツァルトのディベルティメントを食べ物にしたらこんな感じになるのではないでしょうか。
でもクワルクを巻き込んだトップェン・シュトゥルーデルも上品で、おいしいトップフェン・シュトゥルーデルは、一口のど元を過ぎていくと、まるでモーツァルトの弦楽四重奏曲第17番《狩り》が体全身に響きだすかのような感動の世界に誘われます。
調べてみますと、アラビアに起源をもち、トルコからハンガリーを経由して、15世紀頃、ウィーンに入ってきたもので、もとは単純、質素な貧しい人々の食べ物だったと説明されています。もちがいいので行軍に際しての食糧として携行されたと書いてあります。16、17世紀のトルコの侵攻の時代に今日のタイクを薄く延ばす方式がはいってきたようです。文献としてはウィーンの国立図書館に Puech (ピュヒ? と発音するのでしょうかね) という料理人の自署つきの手書きレシピ (1696年) が残っているのが、もっとも古い言及とされています。やがてマリーア・テレージアを通して貴族の間にも広がっていきました。

 <ゼーヒュテ豆知識>

1876年二人でスタートした樵のアルペン協会 (die Alpine Gesellschaft D’Holzknecht) はたちまち会員を増やしていきましたが、会独自の小屋を持たなかったため、1894年8月15日、なかに会員独自のクラブルームを持つゼーヒュテを建設したのです。しかし戦後になって、小屋一帯の土地をウィーン市が入手し、水源保護の理由から小屋は取り壊されることになってしまいました。1946年のことです。会はその間新たな土地を探し、解体された古い小屋を移築したのです。1954年に営業許可もおり、その後今日の形に修復されていきました。今の小屋はしたがって新ゼーヒュテ (Neue Seehütte) と呼ぶこともあります。
周辺の見どころに、自然保護下にある Eishöhle (氷の洞窟) があるようですが、私たちはまだ訪れていません。ゼーヒュテから往復一時間と記されているので、例によって見物時間を含めると2時間はみたほうがよいと思われます。ゼーヒュテから私たちが次に目標とする C ルートに降りていく十字路を左に曲がらず、右手にとった方角に進んでいくと氷の洞窟にたどり着きます。

なお、現在ご紹介しているシュネーベルク、ラックス一帯はウィーンの重要な水資源の供給地となっています。このウィーンの水、については別に書くことにしていますが、このあたりでは、日本の尾瀬と同じですね、自然に対してハイカーにも特別の気配りが求められています。エーデルワイスはもちろんのこと、どんな高山植物も絶対にとってはいけません。

 <アルプスの高山植物>

オーストリアのアルプス登山の楽しさは、美味しい料理、そのあとのデザートケーキ、そして高山植物、動物たち、人々との出会いです。ここでは山そのものがオーケストラ会場、そこに縁あって居合わせた者皆すべてが演奏者となるのです。
ですから、ほかの演奏者の楽器をとりあげてしまったら、演奏会はぶちこわしです。きれいな花をみつけたら、心が豊かになります。しかし持って帰ってしまうと、山もわたしたちの心もさみしくなります。

ここで、もっともポピュラーな高山植物をご紹介しておきます。


リッターシュポルンと言います。意味は騎士の拍車です。



これはエンツィアーンといいます。

ラックスをハイキングしているときにおばあちゃんとお孫さんの二人連れと出会いました。道には花がいっぱい咲いていました。そそっかしいわたしが、ロザーリウムに「リッターシュポルトだ!!」って、知ったかぶりして言いました。一緒に歩いていたおばあちゃんが、たちどころに顔を真っ赤に染めて、笑いをこらえています。
リッターシュポルト、って、もちろん花の名前なんかじゃなくて、有名なチョコレートの名前ですもんね。面目ござらん。


○ ゼーヒュテからプライナー・グシャイトへ



登山ルートC

さて、今回はゼーヒュテ ④ から、⑦ のヴァクスリーゲル・ハウスを経由して、⑧ のプライナー・グシャイトを目指します。ここまで降りてくると、バス停があり、前に説明しましたが、そこからバスに乗れば、いったんヒルシュヴァント (ロープウェイ乗り場) を経由しますが、更にパイエルバッハの駅まで行きますから、ウィーンにその日のうちに帰ることが出来ます。

ゼーヒュテからプライナー・グシャイトまではおよそ4.5kmの行程です。
ゼーヒュテから南に進んでいくことになるわけです。とにかくこのルート天候に恵まれていれば、ずっと下りで、しばらく視界を遮るものもなく、左手にプライナー・ヴァントの威圧するような岩塊 (写真) を仰ぎ見ながらのハイキング、ほんのしばらく前には、あの岩山のてっぺんからはるかかなたのパノラマを楽しんだんだな、って思い出しながらのハイキングで、とても楽しいです。


プライナー・ヴァント (2008年撮影)

しかし、天候が悪く、雨が降ったりでもすれば、下りである分、一転して危険になります。次の目的地のヴァクスリーゲル・ハウスは標高 1,361m ですから、287 メートル下ることになります。このルート、公式にはヴァクスリーゲル・シュタイクと言って、801A の表示で示されるルートです。シュタイクというのは、大体私たちにとってはきついなあ、と感じるほどに急で、また、狭い道です。階段のように急な坂だと思って間違いありません。
雨に降られてしまった 2008年は、このルートを下るのは、二度目でしたが、前回天気が良かった時に比べると、とてもヴァクスリーゲル・ハウスが遠く感じられたものです。コースの半分ほど進んだころから、道は森の中にはいっていきます。森に入ればもうすぐ小屋だ、と思ったのですが、とくにそこから先が長く感じました。十分時間的なゆとりをもっていることが何しろ肝心です。




ヴァクスリーゲル・ハウス (2008年撮影)

というわけで、ヴァクスリーゲル・ハウスに到着です。ここはすでにシュタイアーマルクです。2008年は天気が良くないせいもあったのか、お客さんは誰もいないようでした。その分小屋の人に親切にしていただき、ロザーリウムとふたりで、写真を撮ってもらうこともできました。ここからは、右手の頭上高く、山上からカール・ルートヴィヒ・ハウスが見降ろしています。「今日はここまで登ってこないで、帰ってしまうのか?」と言いたげです。しかし、終バスに乗り遅れたら大変なことになりますから、私たちは早々にプライナー・グシャイトを目指しました。

プライナー・グシャイトのバス停、ちょうどニーダーエスタライヒとシュタイアーマルクの州境にあります。グシャイトというのは、追分、というような意味ですね。バス停の目の前にエーデルワイス・ヒュテ (シュネーベルクにも同じ名前の山小屋がありましたが、もちろん別物です) があり、バス時間を待ちながら、コーヒーでも飲むことができます。ここが標高 1,070m。今回の最高地点プライナー・ヴァント・クロイツから 713m 下ってきたことになります。とくに最後のヴァクスリーゲル・ハウスからプライナー・グシャイトまでは標高差 291m、ただひたすら草地を直線的に降りてきますから、バス停に着いた時には足が完全にわらっています。

今回ご紹介しましたこのルート、A-B-C、もちろん逆にすることも可能です。713m 登って、最後はロープウェイで降りる形です。いろんな組み合わせが可能で、飽きない山です。上級登山者にはロック・クライミングの場所もあります。

(*以前わたしたちは、鉄道でミュルツツーシュラークまで行き、そこからバスでアルテンベルクを訪れ、帰りはプライナー・グシャイトからバスに乗って、パイエルバッハに戻る、という計画をたて、出かけたこともありましたが、なにしろバスの便が少なくて、とくにプライナー・グシャイトからシュタイアーマルク側に出るバス (あるいはその反対) はないので、アルテンベルクからプライナー・グシャイトのバス停まで全行程歩いて行ったことを思い出します。ミュルツツーシュラークは特急が停車する駅で、都会なので、そこをラックス登山の基地に出来ればいいのですが、バス便がないので、やはり、ラックスを堪能するにはパイエルバッハに宿をとるのがベストという結論です。)

○ プライナー・グシャイトからカール・ルートヴィヒ・ハウスへ



次にヴァリエーション・ルートとしてヴァクスリーゲル・ハウスからカール・ルートヴィヒ・ハウスを目指し、さらにそこから、ゼーヒュテに降りていくコースをご紹介します。
このルートは、最初前回の逆コースを歩きます。プライナー・グシャイト ⑧ までバスで来て、そこから歩いてヴァクスリーゲル・ハウス ⑦ を目指しますが、途中で目標のカール・ルートヴィヒ・ハウス ⑥ に行く道は分かれます。
カール・ルートヴィヒ・ハウスは標高 1,804m にありますから、バス停からだと、734メートルずっと登りです。ヴァクスリーゲル・ハウスの手前で左に入り、しばらく行くと、シュランゲンヴェーク (へびの道、という意味ですね) が見えてきます。イロハ坂の登山者バージョンといったところでしょうか、とにかくひたすら 500メートルほどの標高差をじぐざぐ、じぐざぐと登っていきます。シュネーベルクのファーデンシュタイクのように、岩場をよじ登る、といった感じではないので、安全ですが、きついことに変わりはありません。私たちが登ったのはもう 7年も前のことなので、まだまだ若かったし、体力もあり、最後はへとへとでしたが、なんとか登り切りました。


カール・ルートヴィヒ・ハウス (2003年撮影)

ラックス山塊としての最高地点は、ここからしばらくさらに登ったホイクッペ、標高 2,007m です。この一帯はシュタイアーマルクです。ホイクッペに行く途中に写真の遭難者慰霊教会があります。


遭難者慰霊教会 (2003年撮影)

このカール・ルートヴィヒ・ハウスはカール・ルートヴィヒ大公 (オットー大公の父、フランツ・ヨーゼフの弟でしたね) の要請に基づき、オーストリア・ツーリスト協会によって建てられることになり、1876年9月10日厳かに大公自ら礎石を置き、一年後の 1877年に完成したものです。ここは通年営業していて、宿泊もできますし、また、緊急宿泊も受け入れているところです。パンフレットでは、バス停からここまで 5.5km、およそ 2 時間半の行程とされています (ということは 4 時間近くはみておいたほうがいいかもしれませんね)。なにしろこのカール・ルートヴィヒ・ハウス、結構どこからでも見られるように、逆にとても見晴らしのいいところです。登った分だけはかならず報われます。

私たちはここから、801 のルートを歩いて、左手かなたにハープスブルク・ハウス ⑤ をみながら、Trinksteinsattel (トリンクシュタインザッテル、写真↓― 船の形をして面白いですが、石造りの水飲み場です) を経由して、ゼーヒュテ ④ に降りて行きました。この山頂にあがってからは、ほとんどアップダウンはなくなり、山の上にいることを忘れるくらい、広大な草原で、登りさえもう少し時間短縮できれば、とても素晴らしいところだと思いました。本当ならばハープスプルク・ハウスまで行って見たかったのですが、時間がなくて、断念せざるを得ませんでした。ハープスプルク・ハウスに行く場合は目標をこれだけに絞り、寄り道をしないか、山の上に宿をとるしかないと思います。


Trinksteinsattel (2003年撮影)

そんなことで、わたしたちは周回コースをとり、ゼーヒュテから、ヴァクスリーゲル・ハウス、更にプライナー・グシャイトへと降りてバスで帰りました。
もちろん時間に余裕があれば、オットー・ハウスを経由して、ロープウェイでヒルシュヴァングに出ることも可能です。

(*このカール・ルートヴィヒ・ハウスに登るルートは 2003年、パイエルバッハに宿泊していたときに歩きました。時間に余裕はあったわけですが、それでもぎりぎり終バスに乗って帰った記憶があります。また、まだデジカメを持っていない頃でしたし、たぶん写真をパチパチ撮るゆとりもなかったのかもしれません。そんなことで山頂の広々した草地のハイキングコースをご紹介できないのが残念です)

ヨハン

ラックスの魅力 (上)

2010-03-14 00:10:08 | ウィーン
私たちが初めてラックスを訪れたのは 1990年でした。1983年一年間ウィーンに滞在したときの大家さんが、ラックスはいいところだから、いってみなさい、と勧めてくれていたのに、再三書きましたが、私にはオーストリアを旅行しようというよりは、これから先ヨーロッパに来られる機会がまたそんなに訪れるとは思ってなかったので、どちらかと言えば、国外に旅行する方が多かったためです。
1990年になってなぜ突然ラックスに行ったかと言うと、ウィーンの国立歌劇場前から出ている例の観光バス、そのコースの一つに、ラックス一日コースがあるのを見つけたためと、大家さんの言葉を思い出したからです。今はこのコースはなくなっていると思います。なぜ当時このコースがあったかと推測すれば、マリア・シュッツ巡礼教会の屋根が修復されたばかりで、その教会訪問をツアーに組み込めばお客が集まると考えたからでしょうね。

バスはマリア・シュッツを訪れたのち、ゼメリングを通りぬけ、鉄道橋をくぐりぬけながら、ラックスに向かって行きました。当時はようやく小型ビデオが普及してきた時代で、私も日本から持参したビデオカメラでずっと車窓風景を撮り続けていましたが、この Viadukt (鉄道橋)、実はそのときの私は、水道橋だとばっかり思っていました。ゼメリングについては、また機会をあらためて書くことにします。

ラックスでは、もちろん団体としてロープウェイに乗り、上に上がりましたが、素晴らしい景色に感動するよりも、なんだかとても寒かった (調べてみましたが 8月9日でした) という印象が強く、それから再びラックスを訪れたのは、また10年以上も過ぎた 2002年になってからでした。
以後は、その魅力にとりつかれ、毎年のようにラックスに登ります。

最初に、前回のシュネーベルクと同じように、この山の魅力を堪能する上では、やはり一度は宿を近くにとって、バス便をあまり気にしないで行動出来るようにしておいた方がよいと思いますので、お勧めのホテルを紹介しておきます。

Payerbacherhof と Marienhof (Reichenau) です。どちらもインターネット時代の今、gooで名前を入力すれば情報をとることが出来ます。(*ただ、マリーエンホーフはあちこちにありますから、検索では Reichenau も打ちこまないとでてきません)
わたしたちは 2002年は、まったく予備知識もなしで、いきなりパイエルバハに出かけ、かけこみで駅のちょうど真下にある川端のパイエルバッハーホーフに行って、部屋を貰いました。
荷物があったので、あちこち探し回らなくて宿が見つかり、ほっとしたものです。このときはなおかつ内庭に面したベランダ付きの部屋を貰うことが出来ました。ホテルにはプールもあります。ご主人はハインツといい、金曜だったか、夜は内庭でグリル・アーベントをします (写真)。併設レストランはなかなかおいしい料理を出します。「シュネーベルクに登ろう」で私たちはバウムガルトナーからパイエルバッハに下っていった話を書きましたが、もちろんハインツに会うためと、おいしい夕食を食べるためでした。


パイエルバッハーホーフのグリル・アーベント (2003年撮影)



パイエルバッハーホーフ、1910年頃

ライヒェナウまでは歩いて20分ほど、散歩しているときにマリーエンホーフを見つけました。立派なホテルです。次回泊まってみたい気もしましたが、やはり荷物のことを考え、ロケーションとしてはパイエルバッハーホーフは申し分なく、翌年 2003年も結局同じところにとまりました。

○ ハイキング・ルート

今回は最初に、地元で手に入るパンフレットを写真撮影したものを掲載して、ラックスのハイキング・ルートをご紹介します。

先ずその前に、バスのことですね。
宿を確保した場合は、パイエルバッハーホーフからですと、ホテルを出て川沿いに右手直ぐに郵便局があって、そこがバス停です。バスの時間は前日散歩のついでに調べておけば、時間をロスすることなくバスに乗ることが出来ます。マリーエンホーフがあるのはゼメリング鉄道最長の Viadukt (鉄道橋) をくぐり抜けて行った先にありますが、バス路線に面しているホテルですから、基本的には同じです。目の前の公園から出ます。

乗るのはヒルシュヴァング (Hirschwang) 行きか、プライナー・グシャイト (Preiner Gscheid) 行きです。後者はヒシュヴァングを通って更に先まで行く形です。
ウィーンから日帰り登山する人は、パイエルバッハ駅前のバス停広場から乗ることになりますが、バスはグログニッツ方面からやってきて、駅に立ち寄らずに、ずっとシュヴァルツァ川沿いに走っていくものもあり、また、パイエルバッハ駅での接続も良いとまでは言えないので、もし、余りに待ち時間が多いようでしたら、下に降りて郵便局前のバス停を見てみるか、そこでも接続が良くないようでしたら、―わたしたちの経験から、どうもマイカーにおされてバスはどこも不便になっていく一方です― ヴィアドゥクトを見物しながら、ライヒェナウまで川沿いに散歩して、ライヒェナウから乗るという形にするのも悪くはありません。

帰りの最終バスはプライナー・グシャイト発で、ヒルシュヴァングに立ち寄ってパイエルバッハ駅まで行きます。登山ルートでプライナー・グシャイトに降りるルートを選んでも、帰りもロープウェイで降りて、ヒルシュヴァングから戻ることにしても同じバスに乗ります。ウィーンから日帰りで行く場合も、バスは駅まで戻りますから、ゆうゆう電車に乗ることが出来ます。




◎ 登山ルートA-1 オットーハウス周回コース

バスを案内図の ① で降りると、目の前がロープウェイ乗り場です。これであがったところが ② となるわけです。かならず、バス停で最終バスの時間をメモしておくことを勧めます。たしか 17:35 が最終だったと思いました。いずれにしてもロープウェイの最終谷行きより先に終バスが出てしまいます。

ロープウェイの山側駅は、ホテルになっています。目の前のパノラマに魅了されることでしょうから、しばらく絶景を楽しんでください。そして近くにハイキング・ルートを示した案内板がありますから、コースを確認します。
③ が最初の目的地、オットーハウスです。
右手にシュネーベルクをずっと眺めながら歩いていきます。しっかり見れば、キルヒェルルも確認できます。

しばらくして、左側にコースをとりながら坂を登る形になります。


向こうにシュネーベルク (2006年撮影)

登り切るとオットーハウスが遥か前方に見えてきます。


(2006年撮影)

そして、登山ルート標識のあるプラーターシュテルンに着きます。この標識で、行き先を確認します。ヘレンタールはここから右に進んでいくわけです。オットーハウスは左手です。


(2006年撮影)

ここまで一時間歩いてオットーハウスに到着です。下に降りたところにアルペン・ガルテンがあります。高山植物が名前表示されて咲き誇っているので、それを眺め、オットーハウスでお昼を取るというのが無理のないプログラムじゃないでしょうか。また、ちかくに展望所 (写真↓) がありますから、そこにあがって遥かノイジートラーゼーまで見渡せるパノラマを楽しんで、ゆっくりロープウェイ乗り場に戻って、岐路に着くと言う形が最短コースです。



オットーハウス近くの展望所 (2006年撮影)


○ オットーハウス

ラックス山上に避難小屋を建設しようという計画が持ち上がったのは1890年でした。費用とか土地所有権の問題など片付けなければならない困難がありましたが、なによりいかにして建築資材をここまで運ぶか、という大きな問題を克服しておかなくてはなりませんでした。
そのために岩場をくり抜きトンネルを造って麓からの道、テルル道 (Törlweg) がつくられました。「テルル」というのは小さな門、という意味です。
こうして 1893年6月25日避難小屋は完成、オーストリア登山の庇護者であったオットー大公の名を戴き、オットーハウスが開業しました。1909年には増改築もされました。
最初のペヒターはカミッロ・クローニヒという人でしたが、60年の長きにわたって小屋を守り、訪れる登山者をもてなしたのみならず、そこかしこの道を整備し、標識を設置した人で、今でも登山者から感謝の気持ちをもってその名を思い出される人物です。
また、近年このオットーハウスと精神分析のフロイトの関わりが発見され、外壁にその旨を記したプレートが貼られるようになりました。このことをここで出会ったウィーン工科大学の先生から教えてもらいましたが、すでにプレートの文字が読みづらくなっています。中に入ると、同じ説明が部屋に掲げてありますので、昨年行ったときに書きうつしてきましたので概要をご紹介しておきます。

「ジークムント・フロイトとラックス
フロイト (1856-1939) が山歩きを愛好したことはよく知られている。何年にもわたって家族を連れ避暑にライヒェナウを訪れた。山登りとプラトー散策はしばし彼を仕事の疲れから癒してくれた。1893年夏彼はここでオットーハウス、ペヒターの娘アウレーリア・クローニヒと出会い、「ヒステリーの研究」の中で「カタリーナの事例」として取り上げている。この著述は精神分析の萌芽とみなされる研究で、1895年同僚で友でもあったヨーゼフ・ブロイアーとの共同執筆として刊行された。「この紳士はお医者さまなのですか?」とその時アウレーリアはフロイトに救いを求めるように、自分を苦しめている不安を語り出した。まさにオットーハウスはフロイトの最初の分析をその場で見届けたオリジナル舞台なのである。」

ところで私たちが出会った工科大の先生、同じロープウェイで登ってきたわけですが、そのとき「奥さんは?」と尋ねると、「家内は歩いて登ってくるよ」と言っていました。そりゃあ、大変だ。と思ったものでしたが、わたしたちがオットーハウスに到着したときには、もうご夫妻そろっていたのです。やれやれ、若者の健脚ぶりに負けるのは致し方ないとしても、これは年齢には関係ないようです。奥さんに敬意を表して脱帽!!!

これは2006年のことでしたが、その同じ時に、オットーハウスの中では「バーデンへ行こう」に書きましたウドが働いていたのです。ウドは以前ツール・ド・フランスにも出た自転車選手でしたが、体を壊して選手を引退、今は写真を趣味として、チェコで知り合った女性を連れて、この山小屋に来て、働きながら自然を相手に写真を撮っています。日本製のカメラを持っており、「最高だ!!」と、嬉しそうに見せてくれました。彼女の方は、というと、まだそのときは全くドイツ語はしゃべれませんでした。2008年にオットーハウスを訪ねたときに、ウドはもう姿を消していました。ドイツ語をしゃべれなかった彼女はオットーハウスに置き去りにされたのです。しかし、という説明を彼女はすでに覚えたドイツ語でしてくれたわけです。そして昨年 2009年には、わたしたちは前年彼女を撮影した写真を届けにオットーハウスを訪れると、もうアルバイト仲間の若者に仕事の指示を出し、てきぱきてきぱき働いていました。彼女の前向きな人生に敬意を表して、脱帽!!!!!!


 <オットー大公豆知識>

オットー大公フランツ・ヨーゼフ・カール・ルートヴッィヒ・マリーア・フォン・エスタライヒという寿限無のように長ったらしい名前の人です。1865年4月21日グラーツ生まれ。フランツ・ヨーゼフ1世の弟カール・ルートヴィヒの次男で、兄はサラエヴォで暗殺されたフランツ・フェルディナント大公です。フランツ・ヨーゼフ1世からすると、大事に育てたつもりの皇位継承者の長男ルードルフは心中してしまう (1889年) し、ねえさんとお見合いしたはずが、自ら妹に一目ぼれして恋愛結婚した妻エリーザベトとは生涯うまくいかず、あげくにエリーザベトも暗殺され (1898年)、皇位継承者となった甥までも暗殺されたのです (1914年)。エリーザベト (シシー) は近年ミュージカルの影響で美化されていますが、可哀そうなのは晩年孤独の世界を耐えたフランツ・ヨーゼフ1世ですな。やりたくもない戦争でしたが、列強のバルカン支配をめぐる思惑の中、まさか自国の皇位継承者が暗殺されて黙っているわけにもいかず、イシュルで宣戦布告書にサインするのです。で、それが事実上何百年と続いてきたハープスブルク家にとっての破産宣告書にもなったわけです。敗戦も、その後の革命も知ることなく亡くなることが出来たのがせめてもの幸せでした (1916年)。今でも、オーストリアの人々はこの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世についてだけは、悪く言う人は少ないです。
で、皇位をついだ最後の皇帝がオットー大公の息子、カール1世でした。カール1世の父、オットー大公自身は 1906年11月にウィーンでなくなっています。41年という短い生涯でしたが、「麗しのオットー」とあだ名され、女性好きだったようです。それが原因で早死に?? ヨハンにはそれがどう結びついているのか、因果関係は分かりません。

 <ラックス・ロープウェイ豆知識 >

20世紀の初めにはラックス登山の人気は大いに高まっていましたが、なにしろ登るのは時間がかかります。そこで登山鉄道を走らせようというアイデアが浮かびましたが、やはり巨額の予算がかかるので、実現にいたりませんでした。
ロープウェイにしたらという案が最初に出てきたのは 1913年です。これも急峻な岩場からなるラックスでは雪崩対策が不可欠で、設置場所をどこにするかも大きな問題でした。
現在の場所が一番安全適切と判断されて、建築許可が降りたのは 1925年のことでした。一本目のザイルは 3週間もの時間をかけてようやく張り終えることができました。そして翌年、1926年6月9日、ロープウェイが完成、連邦大統領 (オーストリアはこの間に共和国になっていましたからね) 他、多数の政府要人、来賓を招いて式典が催されました。

ラックス・ロープウェイは全長2,160メートル、谷側駅は標高 528m、山側駅は標高 1,547mにあり、標高差は 1,019メートルあります。よほどの悪天候、嵐でもなければ通年営業しています。
登り切ればそこは 25平方キロのプラトー、ハイカーのみならず、スキーヤーにも春先までスキーが楽しめる別世界です。私たちが 3月に登った時には、スキーヤーが歩いている私たちの目の前を滑りすぎていくのに、いささか驚かされました。


開業 5周年を祝うラックス・ロープウェイ


○ オットーハウス周辺のハイキング・ポイント

オットーハウスから斜面を下ったところに前にも書きましたアルペン・ガルテンがあります。また、真正面にはテルルが見えます。少し迂回して行かなければならないのですが、私たちも 2003年はテルルをくぐり抜けてみました。その道をずっと歩いていけば麓まで行くことが出来ますが、これがなかなか、結構険しい道です。工科大の先生の奥さんは、ここを登ってきたのかと、今書いていてもあらためて敬服します。テルルを通り抜けてしばらく散歩していると、またまたここでも動物 (Gemse アルプスカモシカ) の姿です。これって、インスブルックのホテルで高級料理として食べたことがあるので、私たちは姿を見かけるたびに、「仲間を食べたの、ごめんね」と謝ります。


オットーハウスの下にアルペン・ガルテン、先にテルルが見えている (2006年撮影)


テルル (2006年撮影)


テルルをくぐり抜け、オットーハウスを眺める (2003年撮影)


テルルの中にオットーハウス (2003年撮影)


ラックスのアルプスカモシカ

○ オットーハウス周辺のハイキング・ポイント2

オットーハウスからいったんプラーターシュテルンに戻り、標識に従ってヘレンタール展望所を目指して歩くことにしましょう。標高差は余りない平坦な楽しいハイキングコースです。見物と往復の道のりをあわせて 1時間半みておけば大丈夫でしょう。貼りました地図の ③ のポイントから真上に進んでいくと、山と山が切れているところがありますね。そこに行くわけです。
バーデンの記事で触れたのはヘレーネンタールでした。ここはヘレンタールです。日本語では紛らわしく同じように聞こえるかも知れませんが、こっちのほうは Höllental と綴り、意味は「地獄谷」です。このあたり山が切れ込んでじぐざぐしていて、あちこちに底深い谷があります。早春のまだ雪がたくさん残っているときに出かけたときは、一面吸い込まれるような銀世界でしたが、美しいなあと心躍らせて近づいていくと直ぐ間近が何百メートルもの深い崖っぷちだったりして、一つ間違うととても危険だということがよくわかりました。
ラックスのハイキングは平たん部 (プラトー) でのアルプスの花々、そして動物たちとの出会いなど楽しい限りですが、一つだけ、命にかかわり、絶対に守らなくてはならないことがあります。それは、霧です。霧が出た時は、絶対に動きまわってはいけません。また、この一帯雷雲がでたな、と思うとあっという間に近づいてきて、本当に頭の真上で雷が鳴ります。天気のよくないときは山小屋に避難することです。


眼下に大地獄谷 (2006年撮影)


目を前方に向ければ、シュネーベルクです (2006年撮影)

シュネーベルクとラックスを分けている深い谷、その間に流れるシュヴァルツァ川、ここはロープウェイ乗り場だったヒルシュヴァングから更にバスに乗って行くことができ、カイザーブルンはその途中にあります。私たちも一度バスではなくてヒルシュヴァングからカイザーブルンまでハイキングしたことがあります。コースも整備されていて楽しいところですが、往復ハイキングするには多少きついかな、と思われます。バスの本数が何しろ少ないので、事前に十分調べていくことをお勧めします。カイザーブルンについては、また別に書くことにします。

ヨハン


シュネーベルク周辺のハイキング

2010-03-13 19:22:00 | ウィーン
○ ローゼンハイムへ

登山鉄道やバスの最終時間を気にしないで、シュネーベルク周辺の魅力を満喫するためには、やはり一度はプフベルクに宿をとるのも悪くはないかと思います。そこで、わたしたちが実際に 1993年、2002年の二度泊まったことがある宿をご紹介しておきます。
結構山の宿という感じで雰囲気もいいし、庭が広く、清潔でした。夕食はこの宿の近くに夏場、モストをだし、Bio のハム、ソーセージをつまみに出してくれる農家直営のガーデン・レストランにいきました。今でもやっていると思います。
宿は駅から歩いて 10分くらいの場所でしょうか。最初は i で紹介してもらったのだと思いますが、当時はまだインターネットもありませんでした。現在はメールで問い合わせることが可能です。

e-メール: stadlmann@bruckerhof.at


プフベルクの宿ブルッカーホーフ

駅から公園側に出てくるとバス停があります。そこからご紹介するローゼンハイムのリフト乗り場に行くバスが出ます。セバスチャンの滝はこの路線の途中で降ります。降車バス停からセバスチャンの滝までハイキングを楽しんで、帰りに、おいしい食事をして、ウィーンに日帰りすることも可能です。


セバスチャンの滝 (2007年撮影)

レストランは滝に行く手前にあります。


レストラン Wasserfallwirt (2007年撮影)

ここではなによりマス料理をおためしあれ!!!


ます料理 (2007年撮影)


ます料理 (2009年撮影)

食事のあと、ロザーリウムはデザートにカイザーシュマルンを食べました。よくこんなに沢山の量、おなかに入るものだと、感心します。


カイザーシュマルン(2007年撮影)

セバスチャンの滝は帰りに寄るという人は、とりあえずバスの終点リフト乗り場 (Losenheim Sessellift) まで行くことにしましょう。バスの所要時間はプフベルクの駅から 20分くらいでしょうか。
そこからリフトに乗るわけですが、歩いて上がっていくのも楽しいコースです。道は一本道なので迷子になる心配はありません。
リフトであがった場合、リフトの山側駅の前に大きなハイキングコース案内板がありますから、時間と相談しながら無理のないコースを選びます。そして、歩きだすとまずは写真(↓)の場所に出てきます。


プッツヴィーゼからシュネーベルクを望む (2007年撮影)

前回ファーデンシュタイクを降りてくる話を書きましたが、ここに出てくるわけです。ここからの景色はシュネーベルクが間近に迫り、本当に素晴らしいの一言です。

ここからフィッシャー・ヒュテを目指してファーデンシュタイクを登っていく登山家をたくさん目にすることだと思います。案外彼ら、彼女たちが軽装なのに驚きますが、がれ場、岩場を 500m上がっていくのは、私からすれば、完全に登山です。しかも中の上級です。体力がない人、装備していない人は滑落の危険大です。登り口にエーデルワイス・ヒュテという通年営業の山小屋がありますから、そこで休憩するくらいにとどめることをお勧めします。
登山ガイドブックには、こうした登りコースと別に、シュネーベルクの山腹を周回するコースについての案内もありますが、樹木もなく、水場もなく、長いコースで真夏の炎天下、引き返すことが出来ないことを考えると、よほどの経験、計画の上でするようにと書いてありますので、ハイキング気分は禁物です。


○ マウマウヴィーゼへ

さて、わたしたちのお勧めはここからマウマウヴィーゼにハイキングするコースです。
ファーデンシュタイクとは反対方向に歩いていきます。このあたりのアルムには牛がいっぱい放牧されています。最初しばらくは、岩場を登る形になりますが、振り返るとどこからでもシュネーベルクの堂々たる姿が見えています。ファーデンシュタイクを登る体力はもうなくなったというお年寄り、家族連れが見はらしいのいい、そこかしこの場所で持参したサンドウィチで食事をしていたりします。昼食はマウマウヴィーゼでゆっくりしようと言うのであれば、ここでは素晴らしい景色を楽しみながら果物でも食べて元気をつけましょう。

岩場を登り切ると、そこからは森の中のハイキングです。雨上がりなどはきのこがあちこちに顔をだしています。森の中なのでパノラミックな景色を楽しむことはできませんが、オーストリアらしい森の散歩が楽しめます。そして山の背を歩いていますから、ときどき、木々のない岩場からすでにマウマウヴィーゼが眼下に姿を現してきます。
コースの最後は、いっきに麓に降りていくことになりますから、何にしてもしっかりした靴と出来ればストックは持っていったほうがいいと思います。全行程およそ一時間くらいで麓に降りて行くと、プフベルクからのアスファルト道路にでます。

したがって帰りは、その道を戻ればいいわけです。プフベルクまで戻らずに、ひとまずセバスチャンの滝まで戻って、それからヴァッサーファルヴィルトで夕食ということも考えられます。その場合、途中で道が分かれますから、標識に注意していないといけません。

さて、マウマウヴィーゼに出てくると、とても牧歌的で、ここが家族連れに人気のスポットであることが直ちに納得されます。


マウマウヴィーゼとシュネーベルク(1) (2007年撮影)


マウマウヴィーゼとシュネーベルク(2) (2007年撮影)

たくさん歩いた自分たちへのご褒美に、ヴィルシュというレストランでおいしい食事を楽しみましょう。


レストランFamilie Wilsch (2007年撮影)

わたしたちは2007年には、このマウマウヴィーゼからプフベルクに戻らず、さらにグーテンシュタインを目指して歩きました。前年の 2006年にウィーンからグーテンシュタインに日帰りしたときに、町を散歩していて案内表示でマウマウヴィーゼ、シュネーベルク方面、というのを目にしたので、その逆コースをやってみたわけです。

結論から言って、このときもとても長時間のコースで、おまけに途中で道に迷ってしまい、さんざんでした。はたしてグーテンシュタインに着いても最終電車に間に合うかというくらいの情けない状態のなか、とぼとぼ疲れた足を引きずるように歩いていたのですが、一台の車がわたしたちの横に停まると、ウィーンからの若いご夫婦がさきほど山で私たちを見かけた、ウィーンに帰る途中なので、駅まで送ってくれるといってくれたのです。おかげで電車に間に合いました。

これで、わたしたちとしては、パイエルバッハ、シュネーベルク、グーテンシュタインの縦のラインの全行程を歩いたことになりました。
ただ、ロザーリウムは、周回コースはいいけど、こういうように知らない場所にあてどなく延々歩いて行くコースは、二度とご免こうむる、とずいぶんご立腹でした。


グーテンシュタイン(2006年撮影)

2007年はグーテンシュタインに着いたものの、写真を撮るこころのゆとりもなくなっていたのか、ありませんので、この写真は前年 2006年に取ったものです。グーテンシュタインはビーダーマイアー街道の起点にもなっていて、自転車でツーリングしている家族連れを見かけます。また、ここには有名な巡礼教会がありますが、写真はそれとは違います。
ヨハン


シュネーベルクに登ろう

2010-03-13 19:02:58 | ウィーン
ウィーン南駅から特急でヴィーナー・ノイシュタットまで行き、そこでプフベルク行きのローカル線に乗り換え、さらに終点のプフベルクでシュネーベルク登山鉄道に乗り換えます。登山鉄道は定員制なので、駅で番号をもらって乗車します。
ちなみに現在は南駅の改造にともない、南部鉄道の列車はヴィーン・マイトリングから出ます。

調べてみたところ、
ヴィーン・マイトリング 08:57発 (特急)、ヴィーナー・ノイシュタット 09:28着
ヴィーナー・ノイシュタット09:37発、プフベルク・アム・シュネーベルク 10:23着
が一番利用しやすい接続です。
ウィーンからはこの特急の前に普通電車が出ますが、結局ヴィーナー・ノイシュタットで 09:37発を待つことになるので、意味はありません。
わたしたちは、そうは言いつつも、結構一本前の普通電車でヴィーナー・ノイシュタットまでいって、駅のキオスクで飲み物とか、サンドウィッチとかを買ったりしたものですが。

さて、登山鉄道のほうですが、これが悩ましいのです。

わたしたちが初めてシュネーベルクに登ったのは、1984年の夏でした。そのときはすべての登山鉄道がまだSLでした (写真)。



しかし、森林地帯を走っていくので、山火事の危険性があり、現在はザラマンダーというディーゼルカーになりました。ただ、どうやら日に一本だけ、現在もSLを運行しているようです。どうせなら、それに乗りたいですよね?

その発車時刻はプフベルク・アム・シュネーベルク 10:15発です!!!!!!!
かりにウィーンをうんと早く出発してきて、間に合ったとしても、乗車整理券の窓口はシーズンの天気のいい日などは、黒山の人だかりですからね、ほとんど絶望的です。(*したがって、どうしてもSLに乗りたいと思う人は、プフベルクに前日泊まることをお勧めします。)

で、先ほどの行程で到着した場合の接続ですが、
プフベルク・アム・シュネーベルク11:00発のザラマンダーに乗ることになります。これも土日などは乗れないことがあるものと覚悟しておかなくてはなりません。
座席予約券が手に入ったら、気持ちが落ち着いてようやく駅構内に目を向けるゆとりが出てきます。SLがザラマンダーに代わって、しばらく駅構内にはまだ、SLが展示してありました(写真)。しかし、これもどうやらいつの間にか撤去されてしまいました。


プフベルク駅に展示されていたSL (2005年撮影)

 <シュネーベルク登山鉄道豆知識>

オーストリアに現在も残るラック式登山鉄道4路線 (Achenseebahn, Erzbergbahn ―この路線は季節運行です, Schafbergbahn, Schneebeergbahn) のひとつ。

全長9.7kmで、ラック式鉄道としてはオーストリア国内最長路線です。また、終点のホホシュネーベルク駅は標高 1,795メートル地点にあり、オーストリアで最も標高の高いところにある駅です。麓のプフベルク駅の標高は 577メートル、標高差 1,218メートル、最大勾配19.7パーセントを現在SLは72分、ザラマンダーは53分で登っていきます。

シュネーベルクに登山鉄道を走らせる計画はすでに1872年、ウィーン万博の前年に持ち上がりました。当時すでにシュネーベルクを自力で登山して山小屋を訪れる人は年間1万人をかぞえたと言い、シュネーベルク登山はブームでした。鉄道はパイエルバハ側から敷設される予定でしたが、ウィーン万博の開催時期、オーストリアは経済恐慌に見舞われ、登山鉄道の計画は廃案となりました。
1885年になってあらためて登山鉄道計画 (現在のヴィーナー・ノイシュタットからプフベルクを経由してホホシュネーベルクに至る路線) にようやく認可が下り、1895年プフベルク駅の建設が始まり、1897年6月1日に中間地点のバウムガルテンまでの路線が、そして同9月25日に山頂駅までの全路線が完成、営業を始めました。

なお、ザラマンダーが走り出したのは1999年7月24日からです。
また、2003年からはインターネットで座席券も予約できるようになりました。

ただ、山頂はなにしろ標高1,795メートルにありますから、真夏でも悪天候だととても寒くなります、その上周辺にガスが立ち込め何も見えませんからね。わたしたちも強行して登ったこともありましたが、ゆっくり過ごす気にはならずに、早々に降りたことがあります。せっかく座席を予約していても、当日天気がよくないと落胆することになりますから、やはり現地で並んで切符を買ったほうがベターかもしれません。

では登山鉄道の旅を開始しましょう。

列車は右手にシュネーベルクの切り立った山壁を望みながら走り、まず標高 613メートルの停車駅シュネーベルク・デルフルに到着します。ここから急こう配を上がりはじめ、眼下にプフベルク谷の美しい風景がひろがっていきます。ハウスリッツザッテル停車場 (826m) を出発すると今度は左手南方に 1352m のガーンスの広々としたパノラマ、そして西のシュトゥールエックから東のヴェクセルへと連なる山々のパノラマが展望され、さらに右手前方にヴァクスリーゲルが姿を現し、山頂 (1884m) にはエリーザベト・キルヒェルルの姿も確認できます。ヘングストヒュテ、テルニッツァー・ヒュテを経て、ひとまず標高 1,395 メートルのバウムガルトナー駅に到着です。

ここはSL時代、機関車に水を補給したり、また、下り列車を待ち合わせる上からも、今でも、しばらく停車します。そしてお客さんの最大の楽しみは、車外に出て、売店の名物ブフテルンを買い求めます。長蛇の列が出来ると、発車時間に間に合わない恐れも出てきますが、車掌さんも、売店の売り子さんもそのへんは心得ており、あきらめなければ、手に入れることが出来るはずです。



ブフテルン (2005年撮影)



ブフテルン (2006年撮影)

ただ、まだゆっくり並んでいる人がいるなあと安心していると、その人たちはこのバウムガルトナーで下車して、そこから先はハイキング、という場合があるので、車掌さんがせかし始めたら、車内に戻った方が賢明です。
昨年車内で向かい合わせに座ったご婦人づれは、このバウムガルトナーで下車、ここから歩いて下山するのだと言っていました。

わたしたちも 2005年は、ここで途中下車しましたので、ゆっくりとまわりの景色を楽しみながらブフテルンを味わいました。

2005年は、わたしたちはここから歩いてパイエルバハを目指したのです。

そのコース、基本的には下る一方でそんなにきついとは思っていませんでしたが、なにしろゆっくり、ゆっくり景色を楽しみながら歩いて行きましたので、最後は日没との戦いになってしまいました。森の中を歩いていきますからね、夏で日本よりは日没が遅いとは言え、あまりぐずぐずして、本当に日が暮れてしまうと遭難の危険が出てきますから、このときは焦りました。

わたしたちはコースとして、クルムバハシュタインの山越えはきついだろうと回避、山を迂回するようにヴァッサーシュタイクを歩いたのですが、これもそこそこ山道らしい険しさ、アップダウンがあって、楽しいコースでした。そして、ひとまずフリードリヒ・ハラー・ハウスに到着。


フリードリヒ・ハラー・ハウス (2005年撮影)

ここから、コースは大きく、カイザーブルンへと降りる道と、パイエルバハに下る道と二つに分かれます。いつか、カイザーブルンに歩いて降りてみたいと思っていますが、そこから先の交通の不便さを考えると、カイザーブルンに泊まることを覚悟しないといけないので、どうなりますやら。
わたしたちは山小屋でパイエルバハに行く道を尋ねて、歩きだしたのですが、森のなかのコースで最高に楽しいよ、って言われました。しかし、それもゆとりのある間、時間と勝負し始めると、楽しさもいつかすっ飛んで行きますね。やはり山歩きに最も大切なのは計画のゆとりです。
わたしたちが歩いたコースは、シュレーグルミュールの製紙工場に運ぶための木材をこの一帯から切り出して、麓におろす目的でつくられた木道があちこちに残っていて、社会科の勉強のようで興味をそそられるコースでした。そして山の事故をなくそうと道の途中にはマリア像が岩壁に掲げてあったり、オーストリアならではです。

<ブフテルン豆知識>

Buchteln とも Wuchteln とも綴ります。ドイツでは Ofennudeln (オープンで焼き上げるパスタ) と呼んだりします。へーフェ生地のクネーデル (お団子ですね)、またはタッシェ (四角いものです) で、あんこは入っているものも、はいらないものもあるようです。もともとはボヘミア (現在のチェコ) から来たものです。
オーストリアではポヴィードル (プラムムース)、モーン (けし)、トプフェン (クワルク)、マリレン (アプリコット) などなどをあんことして入れます。
5個を円くドーナツ状にくつっけて焼き上げるのがウィーン風で、パウダーシュガーを振りかけて温かいうちに食べます。
温めたヴァニラソースに浸して食べるところもあります (ライヒェナウのマリーエンホーフ・ホテルのレストランではヴァニラソースのなかに浮かんでいるような感じでした)。


(マリーエンホーフのブフテルン、2006年撮影)

ウィーンの芸術家たち、若者に人気のカフェ、ハヴェルカでは、マダムが 2005年に亡くなるまで自らブフテルンを焼いてくれていたそうです。


さて、登山鉄道の旅の続きです。

山麓駅のプフベルクからバウムガルトナーまで、距離にして7.36km、標高差821mをザラマンダーは42分で、SLは62分かけて登ってきます。
バウムガルトナーから山頂駅までは、距離にしてあと2.312km、標高差397mです。これをザラマンダーは11分、SLは20分かけて登っていきます。

ちなみにここから山頂を目指して歩くのも好まれるコースのようです。オーストリアの登山道には標識が完備されていますので、それに従って行けば迷うことはないはずです (と一応もっともらしく書いておきますが、実はわたしはこの標識を直ぐに見失ったり、また地図を読むのがよほど苦手なのか、なんども今まで迷うことがありました。面目ない!!!) ここでは、最初に黄色い標識、そして次に赤い標識に従って登っていくとおよそ一時間ほどで山頂にでられるそうです。

しかし、登山鉄道もここからがハイライトです。せっかくなので、登山鉄道で山頂を目指しましょう。
ここから先、山頂に近付く最も勾配のきついところで列車は二つトンネルを通り抜けていきます。最初のトンネルの長さは 152m、二番目のトンネルは、120mです。カーブしながらトンネルを抜けていくと、突然景色が開けて感動的です。そして、もう樹木の姿もなくなったアルムをゆっくりゆっくり登っていくと、終点のホホシュネーベルク駅に到着です。



キルヒェルルとザラマンダー (2006年撮影)



キルヒェルル (2006年撮影)



眼下にバウムガルトナー駅を望む (2006年撮影)



山上のお花畑 (2006年撮影)



山上に見つけた野生のSteinbock (アルプス・アイベックス、2006年撮影)



山頂ホテルから眼下を望む (2006年撮影)


 <皇妃エリーザベト記念教会 (キルヒェルル) 豆知識 >

オーストリア皇妃エリーザベト、通称シシーは 1898年9月10日、旅先のジュネーブで無政府主義者によって暗殺されてしまいました。直ちにホホシュネーベルク山上に彼女の記念碑を造ろうという案が持ち上がりました。展望塔と献堂を備えた天文台のような形にするという案でした。しかし費用がかかりすぎるということで実現しませんでした。
ならばせめて献堂だけでも建てようとなり、たまたま 1898年プフベルクに休暇を過ごしに滞在していた副司教に人々の希望が伝えられると、そういうことであれば日曜にシュネーベルク登山をする人々の礼拝場所にもなると、計画を後押ししてくれ、一気に実現化に向けて動き出したのです。建築委員会がつくられ、またウィーン2区の「婦人会」も加わって、資金集めがされました。
1899年春に最初の礎石がおかれ、以後建造は急ピッチで進み、1901年9月4日最後の礎石がおかれ、翌日、大きな祝典を催す中、聖別されました。

内部は、大理石の祭壇の上に天使に囲まれたマリア像、側壁にはニーダー・エスタライヒ州の守護聖人聖レーオポルト、反対側には聖エリーザベト像が配されています。


キルヒェルル内部の祭壇 (2006年撮影)

1902年6月18日、シシーの夫君、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は登山鉄道に乗ってホホシュネーベルクに到着、1898年に開業した山頂ホテル、並びにエリーザベト教会を訪れました。ホテルは現在なおホホシュネーベルク山の家 (Berghaus) と名乗っています。



ホホシュネーベルク山頂ホテル (2006年撮影)


○ ダムベックハウス

午前11時のザラマンダーで山頂にあがってきた身には、もうおなかがぺこぺこになっているかもしれないでしょうが、もし天気がいいのであれば、ここはもう少し我慢して、ぜひダムベックハウスまで足を延ばしてみましょう。
キルヒェルル、あるいは登山鉄道の山頂駅から 30分も歩けば着きます。途中ラックスをまじかに眺めることもできます。また、ところどころ万年雪が残っていて、アルプスの花もそれぞれにあなたの訪問を歓迎してくれるかのように、にっこり風に頭を揺らしています。
ダムベックハウスは標高 1,810mのところにありますから、そこまではさしたる登りもなく、散歩気分でやってくることが出来ます。
夏場テラスは人でいっぱいです (昨年2009年は今までに経験したことがないくらいテラスは大賑わいでした)。でも、小屋の中に入れば、席は必ずあるし、こういうところでこそ、オーストリアの人々と相席して、いろいろお話するのも山登りの楽しさですからね。
ちなみに、オーストリアでは山にのぼれば、みんな「おれ、お前 ich と du」になるんですよ、って昨年ゴーザウで知り合ったグラーツの男が言っていました。ですから、挨拶も「グリュース・ゴット」だけではなく、「グリュース・ディヒ」と声掛けられることが多いのです。

こういう山小屋にはペヒターという管理人 (経営権を賃借で営業している人) がいます。たいていずっと長年その小屋を営業していて、やってくる登山客も顔なじみ、というか、オーストリアの人たちは前日天気予報を聞いて、天気がいい休日は、それっ、とばかりにでかけるので、年に何度も同じ山に登っては顔なじみのペヒターとあれやこれや、酒をくみかわしておしゃべりして、また、ウィーンに戻っていくのです。
わたしたちは、2006年はこのダムベックハウスのゲスト・デビューの年だったので、親父からシュナップスをごちそうになり、互いに腕を組んで飲み、友達になる、という儀式をすることになりました。


ダムベックハウスの親父 (2006年撮影)

2006年は天気が悪くて、山上は寒くて寒くて、お客さんも少なかったせいもあるんでしょうね。
昨年の夏はいい天気でダムベックハウスは大賑わいでしたから、残念ながら親父とお話しする時間はありませんでした。

ところで、2006年には、こんな写真が小屋の中に貼ってありました。


スペイン国王、カルロス (2006年撮影)

真偽のほどは分かりませんが、確かに写真の顔はカルロス国王のようです。写真の説明を読むと、こう書いてあります。

「スペイン国王フアン・カルロス陛下のご訪問、1998年9月」

昨年いったときには、写真はもうありませんでした。

最初この小屋は登山客、また、牛飼いたちの避難小屋として 1872年に建てられました。バウムガルトナーには今はなくなりましたが、1982年まで、宿泊の出来る山小屋がありました。オーストリア・ツーリスト・クラブ (ÖTK) は、ほどよい間隔で登山客の避難、宿泊施設を整備していきましたが、これもそういう形で、ルートヴィヒ・ダムベックという ÖTK のメンバーでもあった人物が出資して、つくられたものです。やがて 20世紀になり、スキー場としてもシュネーベルクは格好の場所として人気を集め、1919年には大幅な改修もはじまり、さらに 1982年にバウムガルトナー・ハウスが取り壊されたために、一層山登りに訪れる人々にとって大切な交流の場ともなったのです。


ダムベックハウス (2009年撮影)

では、元気がでたところで、さらに標高 2,061m のカイザーシュタインの麓にあるフィシャーハウスを目指して歩いて行くことにしましょう。しばらく歩いていったところから、ダムベックハウス (写真) にお別れです。


○ フィッシャー・ヒュテからファーデンシュタイクへ

ダムベックハウスからしばらくは平坦な道を歩いて行くことになりますが、左手にクロースターヴァッペンの電波塔が見えています。これがニーダーエスタライヒ州の最高地点、標高 2,076m です。オクセンボーデンを電波塔目指して歩いて行くハイカーの姿が何人も見えることと思います。
元気が有り余っているようでしたら、是非その人たちのあとについて最高地点をきわめて見てください。もちろんそこにいけば 360度パノラマが開けます。そして、そこから北側にフィッシャー・ヒュテが見えていますから、迷わず降りて行くことが出来ます。

シュネーベルク山上に現在ある山小屋は、山頂駅のベルクハウス (山頂ホテル)、ダムベックハウスと、このフィッシャー・ヒュテの 3か所。この 3か所が飲み物、食べ物が手に入る休憩所 (もちろん、トイレ休憩できる場所で、また、どこも通年営業していて、宿泊 ok) です。ただ、トイレだけ拝借というのは、嫌がられるので遠慮しましょう。山小屋の経営も楽ではないので、せめてコーヒーくらいは頼んでくださいね。

わたしたちは以前クロースターヴァッペンは行ったことがありますので、昨年 2009年は、オクセンボーデンへと迂回することなく、道なりにフィッシャー・ヒュテを目指しました。多少近道になるわけですが、ダムベックハウスからフィッシャー・ヒュテまでは、近道コースをとっても 200m 以上の登りになりますからね、なかなかいい汗をかきます。およそ一時間は見ておいた方がいいかもしれないですね。


2009年、フィッシャー・ヒュテへの道は新たに整備されている最中でした

小屋はすぐそこに見えていますが、最後のひと登りは、まことに急峻、息がきれます。
ただ、登山鉄道の制服を着た人が、わたしたちのあとからやってきたかと思うと、すいすい、追い越して、忍者のように去って行きました。登り切る最後はがれ場で足元に注意しないと、危ない場所でしたが、なんと、飛び跳ねるように駆け上がっていき、わたしたちが登り切るにはまだまだあるわい、って思っているときに、また前方から彼が現れると、ぴょんぴょん降りてきました。フィッシャー・ヒュテに用事があったのか、ただ休憩時間にひとまわりしているのか分かりませんが、ううむ、向こうの連中は、山に強い。あちこちの山で自転車をかついで山頂に登り、下りは自転車でぴゅーーーって駆け下りていくなんて人たちももう何人目にしたかわかりません。

(*と言うわけで、現地の登山のガイドブックに記されている所要時間はわたしたちには全く参考になりません。今までの経験からいうと最低でも1.5倍の時間はみないといけないと思います)


フィッシャー・ヒュテと後方にクロースターヴァッペン (2009年撮影)

(*フィッシャー・ヒュテ: 1885年に ÖTK によって建てられました。名前はアルピニストのエドゥアルト・フィッシャーにちなんで付けられました。1927年に改築、通年営業となりましたが、冬はスキー客で満員状態になるようです)

(*クロースターヴァッペンはミュルツのノイベルク修道院に属するライヒェナウの僧たちによってこの岩にヴァッペンが掲げられたことから、この名がつきました)

のぼりの疲れがいやされたところで、わたしたちはカイザーシュタインに上がってみました (標高 2,061m)。前回ここを訪れた時は、カイザーシュタインには寄らずに先を急いだので、今回初めてです。もちろんカイザーとはフランツ・ヨーゼフ1世のことですが、ここまで来たのか、確か説明がついていたはずですが、メモしなかったので、分かりません。というのは、3人連れのウィーンの人たちがいて、お互い写真を撮りあったのですが、そのうちのお一人が、むかし日本大使のお子さんにドイツ語を教えた、とかいう人で、その話で盛り上がってしまったからです。でも、ここからの眺めは、その日も下界には雲がかかり、すっきりというわけにはいきませんでしたが、なかなか、すぐそこが断崖絶壁という場所で、ちょっとばかりアルピニスト気分が味わえる素晴らしいところです。

ここから先、ファーデンシュタイクまでは、もう登りはなく、左手にクーシュネーベルクのパノラマを楽しみながらのプラトー散策です。ということで、以前、ただ地図の上だけでコースを確認して、ファーデンシュタイクからローゼンハイム側に降り、そこからプフベルク行きのバスに乗れば、来たコースを戻ることなく、シュネーベルク巡回コースをやりとげられると、一度経験したのですが、そのときは 30分ばかり歩いていったところから急に天候が悪くなり、本当に頭上間近に稲光、雷鳴を聞きながら、もはや後戻りも出来ず、雨のなかファーデンシュタイク降りをしたものでした。

(*ロザーリウムがこの記事を読んで、雨ではなくて、雹が降ってきたんだよ、と今でもその時のことを思い出すと怒り出しますので、つつしんで訂正します、ヨハン)

このファーデンシュタイク、今回2度目。おおよそ 500m の標高差をまっすぐに降りて行きます。前回は雹と雷で、ただただ無我夢中、必死に降りましたが、今回は天気もいいし、一度経験しているから、多少はゆとりを持って降りられるだろうと、実はロザーリウム (わが妻君、つまぎみ、です。サイクンなんて、恐ろしくて呼べません) には事前相談なく、わたしが勝手に決めていたルートです。


ファーデンシュタイク入口付近から眼下にローゼンハイムを望む (2009年撮影)

うーーむ。天気がいいと、この急峻な崖、まわりがくっきり見える分だけ、今回は正直、ヨハンも、こわかったーーー。なにしろ下りで、次の足場となる岩がわたしの足のサイズより離れているので、両手で岩をしっかりつかみながら、おそるおそる足をおろしてやっと届く、ってところの連続です。途中には、つい最近遭難した若い女性のための鎮魂碑が岩に張り付けてあるし。

と言うわけで、2度のファーデンシュタイク体験で、今回を持って卒業宣言です。

ウィーンの人たちに聞くと、このルート、およそほとんどの人が、経験しているようです。よかった、とにかく仲間入りできた。拍手!!!!!

ヨハン