<ゾンヴェントシュタインのパノラマ・ルートとマリア・シュッツ>
あなたがウィーンに滞在していて、予報で翌日天気がよく、しかも格段の予定がないか、あっても別な日に変更できる場合、そしてどこかウィーン近郊の山を歩いてみたい気持ちがすでにあなたの心に湧いてきているとしたら、迷わずゾンヴェントシュタインにお出かけになることをお勧めします。一度その素晴らしさを体験すると、ゼメリングの魅力の虜になること間違いなしです。
今までご紹介してきたシュネーベルク、ラックスは登山に比重がかかったハイキングコースでしたが、ゾンヴェントシュタインは誰でも手軽にハイキングが楽しめるスポットです。しかも、すでに下車するゼメリング駅が海抜896メートルにあります。プフベルクは海抜577m、ラックス・ロープウェイの谷側駅が528m地点だったことを思い出してみてください。ゼメリングは幹線鉄道を利用しながら、下車駅が登山鉄道に乗ってきたような標高の高い所にあるのです。
シュネーベルク、ラックスに比べると、ゼメリングはウィーンからはより遠くに位置していますが、鉄道を使えば、むしろここが一番便利な場所です。なにより最大の利点は、ここには午前中一本、特急が停まってくれるのです。
ゼメリングに停まる特急は土日か平日かによって時間がことなりますが、調べてみたところ、現在土日だと、ヴィーン・マイトリング9時3分発の特急がゼメリングに10時14分に到着します。平日だと8時3分発になります (したがってゼメリング到着は9時14分です)。わずか1時間11分の乗車時間です。そこから先バスに乗り継ぐ必要がない分、自分のペースで行動できますし、また帰りの時間も終バスを気にしなくて済みます。ゆっくり夕食を楽しんで帰ることも、暗くならないうちにウィーンに戻ることもできるわけです。
(*ゼメリングの見どころはたくさんあります。最初にここではゾンヴェントシュタインのパノラマコースに絞ってご紹介します)

地図①
ハイキングの出発点は地図① 画面右のロープウェイ乗り場です。駅からそこに行くには、駅を出て先ず目の前に Stefanie ( 以前はホテルだったようですが、今はSeniorenheim老人ホームになったようです ) という建物が見えていますから、そのわきの道をあがり、車の通る道に出たら、しばらく左に歩いて、Hochstrasse方面という標識がありますから、それに従って小道を上がっていきます。登り切ると ホホシュトラーセに出ます。それをまた、左に折れ、つまり下っていくわけですが、そこからは国道が見えています。それがニーダーエスタライヒとシュタイアーマルクの州境パスヘーエ Passhöhe (海抜 984m) です。駅からおよそ20分くらいでしょうか。ここまでくればロープウェイ乗り場は直ぐ分かります。
近年アウトバーンのトンネルが完成したことによって、シュタイアーマルク側に出るトラック、乗用車の多くはもはや峠にあがってこなくなり、その分さびれてしまいましたが、ゼメリングにヴィラを持つ人々にとっては、静けさが手に入ったとも言えます。いずれにしても、このパスヘーエ界隈が街の中心で、インフォメーション、銀行、スーパー (日曜はもちろん開いていません)、レストランなどが集まっています。スーパーでサンドウィッチでも調達すれば、パノラマコースにあがって、好みの場所で絶景を目の前にお昼をすることも可能です。
ロープウェイは運転しない曜日があるので注意が必要ですが、土日はもちろん動いています。終点が写真のリヒテンシュタインハウスというレストランです (標高1,340m)。ここからの眺めもすでに爽快です。

Liechtensteinhaus (2006年撮影)
もちろん地図画面の白線で描かれた道を歩いて登ってくることも可能です。車も通るので、必ずしも快適とは言えませんが、ロープウェイで上がって、下りはこの道を歩くことにするか、二度目に訪れた時には歩いて登ってみることをお勧めします。この山がヒルシェンコーゲルです。
頂上に木造の展望塔があります。わたしたちも一度のぼったことがありますが、眺望に大きな変化はありませんでした。
ロープウェイの山頂駅から。ゾンヴェントシュタインに向かって白い線が左に伸びています。ロープウェイの下車駅からは従って、最初少し下る形になります。麓から歩いて登ってくる白線と山頂駅から下ってくる白線が交わる地点がパノラマコースの登山口 Brandstattです。そこから3つのルートがあることが分かると思います。一番右が Kammweg、真ん中がパノラマコースのHochalmweg、左は舗装道路です。すべてめざす目的地は同じですが、今はパノラマコースを進みます。森の中を歩いていくわけです。いきなり急な登りです。結構汗をかきますが、とても楽しいコースです。およそ30分で頂上にでます。

地図②
ここからHochalmweg、直訳すれば「高い所にあるアルムを歩く道」、です。麓のゼメリングからもよく見えています。木が生えていない、若草山のような場所で、稜線をゾンヴェントシュタインに向けて、およそ一時間、左手にゼメリングのヴィラ、駅、そして、ラックス、シュネーベルクを眺めながら、また、右手にシュトゥールエック、前方にエルツコーゲルの山頂十字架 (1,501m)、さらにもちろんORFの電波塔を山頂にいただくゾンヴェントシュタイン (1,523m) といったパノラマを楽しみながらのハイキングです。
しばらく歩いて振り返るとロープウェイ山頂駅がどんどん小さくなっています。

パノラマコースからヒルシェンコーゲルを振り返る (2007年撮影)
アルムですから、あちらこちらに牛が放牧されています。このあたりの眺望のいい草地に座って、スーパーの対面販売でつくってもらったサンドウィッチでお昼としゃれこむなんか、ヨハンには最高に贅沢な時間と思えます。

パノラマコースからの眺め、正面にポレロス・ヴァントが見える (2006年撮影)

パノラマコースからの眺め、ホテル・パンハンス、背後の山はラックス (2006年撮影)
ただ、平日ご案内の特急に乗り、なおかつロープウェイであがって来てしまうと、このあたりではまだまだお昼には早すぎてしまいます。それほどにゼメリングはウィーンから近いのです。そんなときは、目的地まで、あと少し、歩いて行くことにしましょう。前方にエルツコーゲルの山頂十字架が見えるあたりで、道がまた分かれたりしますが、先に行けば合流します。
BrandstattからKammweg (一番右側のルート) を歩いてきたハイカーもエルツコーゲルで合流します。

ゾンヴェントシュタインの電波塔 (2006年撮影)
やがて少し道を下ったところあたりでポレレスヒュテが見えてきます。

ポレレスヒュテはもう直ぐそこ (2006年撮影)
最後の坂を上がり切れば、ゾンヴェントシュタインです。

ゾンヴェントシュタイン (2007年撮影)
ここでは、ポレレスヒュテがハイカーたちを出迎えてくれます。テラスでビールを傾けながら、左にラックス、シュネーベルクの山並み、右前方下にグログニッツの街並みも見えます、そしてはるかかなたがハンガリーです。日常のつまらないことにめげていた心も、すでに雲散霧消、気分は爽快になっていることでしょう。おいしい料理を召し上がれ!

ポレレスヒュテ (2006年撮影、この日はゼメリング駅で i のおじさんと話し込んでしまったり、あちこち道草して、ゆっくり歩いて登ってきたので、たしか17時まで営業しているとせっかく i のおじさんが教えてくれたのに、到着したのがそれより遅くなってしまい、小屋は店じまいしていました )

これは昨年2009年に撮影したものです
ゾンヴェントシュタインからは、谷間に開けたショットヴィーンの街をまたぐようにかけられたアウトバーンの長い陸橋が見えます。逆に言えば、ウィーンから鉄道で来る時、クラム・ショットヴィーンの駅あたりから、陸橋、マリア・シュッツ巡礼教会、ゾンヴェントシュタインが額縁におさめられた絵画のように見えます。

ゼメリング駅とシュネーベルク (2005年撮影)

ショットヴィーンにかかるアウトバーンの陸橋 (2008年撮影)
<Bergkircherl>
ポレレスヒュテの脇を5分ほど登ったところにベルクキルヒェルル (山の小さな教会) があります。出来たのは1930年代ですが、大戦で損傷され、その後修復されました。内部のガラス窓は芸術的に価値のあるもので、見学できます。以前は鍵をリフト山頂駅でお借りするようになっていましたが、今はリフトそのものがなくなり、山頂駅も閉鎖されてしまいましたので、おそらくポレレスヒュテで鍵を借りることになるのではないかと思いますが、小屋で尋ねてみてください。しかし教会の内部に入ることが出来なくても、ここまであがれば更に眺望が楽しめます。
<ゾンヴェントシュタインのリフト>
今は影も形もなくなってしいました。わたしが貼った地図② にはまだ描かれています。1956年に建設され、ニーダーエスタライヒでも最初期の、また、東アルプス地域で最大規模のリフトでした。登るときには、山側を向いて座りますが、下る時は谷側を向くので、とても楽しいリフトでした。これに乗れば、ショットヴィーンの街並み、シュネーベルクの山並みなど、そのパノラマに歓声を上げているうちに、マリア・シュッツ巡礼教会のわきに降りることが出来、楽ちんに巡回コースがとれました。なくなってしまい本当に残念です。
そういうわけですから、ここからゼメリングに戻る方法は、二つです。
来た道を帰るか、マリア・シュッツ側に歩いて降りるか、です。
―先ずは来た道を戻る、です。
前回書きましたが、ここまで来るのにも、いろいろなヴァリエーションがありました。それを組み合わせると、なかなか飽きません。ですから、帰りは舗装道路を使うのも一つの手です。パノラマコースに比べると、眺望は劣りますが、無理のない下り道で、ひざを痛める心配もありません。歩いていると、上を歩くパノラマコースの家族連れの話し声が聞こえてきます。Brandstattでパノラマコースと合流します。そこからロープウェイ乗り場への道を登らずに、まっすぐ下っていけばパスヘーエに出ます。途中に山小屋エンチアーンヒュテがありますから、天気のいい日ならば、そこの庭で元気づけにコーヒーでも飲みながら一休みが可能です。

Enzianhütte (2006年撮影)
―マリア・シュッツ巡礼教会側に降りる
しかし、十分時間に余裕があるようでしたら、是非マリア・シュッツ巡礼教会側に降りることをお勧めします。
これも大きく二つのルートがあります。
ひとつはかつてのリフトの下を縫うように降りていくGebirgsjägersteig (山の狩人の小道) です。シュタイク、ですからね、前に書きましたように、とても急峻です。わたしたちは、2007年に、ゼメリングから先ずマリア・シュッツへ出て、そこからリフトで上がろうと予定していましたが、リフトが動いていなかったので、やむなくこのゲビルクスイェーガーシュタイクを登ることにしました。標高差およそ800m 近くの登りでしたから、まったくいっぺんにシェイプアップ出来ました。
下りですと、時間的にははやく降りることが可能だと思いますが、ひざが笑ってしまうことは間違いないでしょう。(*こんな山の中でと思うかもしれませんが、若者にとってはこの一帯格好のマウンテンバイクのコースとなっているようで、突然マウンテンバイクが下ってくることがあります。)
もうひとつはもっとゆるやかな道で、これは、いったんヒルシェンコーゲル方面に戻り、標識に従って左手に降りて行きます。このコースもわたしたちは歩いてみましたが、ゾンヴェントシュタインの東側の山の腹を巻くように徐々に降りていくので、急峻な感じは全くありません。ただ、とても時間はかかりました。

マリア・シュッツ順礼教会へ (2007年撮影)

マリア・シュッツ順礼教会、手前はクロスター・レストラン (2005年撮影)
教会のとなりがクロスター・レストランで食事が可能です。しかし、なんといってもここの名物はクロスター・クラプフェンです。

マリア・シュッツ順礼教会レストランのクロスター・クラプフェン (2005年撮影)
<マリア・シュッツ巡礼教会>
マリア・シュッツ巡礼教会を有名にしているのは、ここに湧き出る泉によってもたらされた奇跡によるもので、Liebfrauenbründll (リープフラウエンブリュンドゥル、聖母マリアの泉) と呼ばれるその泉は今も教会内部の祭壇の後ろに湧き出ていて、マリア像とともにこの地を訪れる人々の信仰の対象となっています。
ショットヴィーンのマリアンネ・フェルベリンという盲目の女性が泉の力で視力を得たことにはじまり、とくに1679年にペストが猛威をふるったときには、人々はマリア様に救いを求め、癒されました。その感謝の気持ちから、ここにカペレを建てることが誓われたのです。実際にカペレが完成するのは1722年でした (1794年の教会記録)。その後も何人かの人の前にマリア様があらわれ、評判がここを訪れる人々を増やし、まもなくカペレでは小さいということになって、1739年立派な教会に建て替えられたのです。
そのときの屋根はたまねぎの形をしていました。しかし1826年に火災で教会は焼失、直ちに再建されましたが、屋根は普通の形になりました。
それが1995年11月に修復され、もとのたまねぎにもどったのです。

マリア・シュッツ順礼教会内部 (2005年撮影)

マリア・シュッツ順礼教会奇跡の泉 (2005年撮影)
わたしたちがウィーンからのバス・ツアーでここを初めて訪れた1990年は、おそらく教会の屋根が修復されたことから人々の関心を集めるものと、そうしたツアーが企画された旨、ラックスの記事で書きましたが、その後調べてみて、屋根の修復が完成したのは1990年ではなくて、1995年だったことがわかりました。また、教会が戦争によって破壊されたように書きましたが、これも間違いでした。
わたしたちが2005年に訪れた時に写真 (↑) に収めている教会を見れば、たしかにすでに屋根はたまねぎ形になっています。
1990年に訪れたときの屋根がどうなっていたか、いろいろ資料を調べましたが、どうやら写真は撮影しなかったのか、今のところ見つかっていません。ビデオは撮影しましたが、劣化して、これも再生できないために確認できませんでした。面目ござらん。
記憶を呼び戻してみると、たぶんツアーがここに立ち寄ったのは、屋根修復の寄進を兼ねていたのではないかと思われます。そしてそのときの屋根は修理中で足場に覆われていたように思われます。

火災で焼失する前のマリア・シュッツ順礼教会 (ショットヴィーンから眺めた図、このときの屋根はたまねぎ形です)

再建されたマリア・シュッツ順礼教会 (1880年、屋根は普通の形になってしまいました)
<ショットヴィーン>

ショットヴィーン (2003年撮影)
ショットヴィーンはゼメリング街道の宿場町として重要な役割を果たしてきましたが、1805年のナポレオン戦争によって荒廃し、その後はゼメリング鉄道の開通 (1854年) によって宿場町としての役割を終え、その後さらにアウトバーンがショットヴィーンをまたぐように高架橋かけたことで車も素通りしてしまうことになり、今はまったく閑散としています。
― マリア・シュッツからはゼメリング行きのバスが出ていますので、バスで戻ることが可能です。
しかし、できればゾンヴェントシュタイン山麓のハイキングコースを歩いて帰ることをぜひお勧めします。最初に貼りました地図② では、マリア・シュッツから右に赤い線で描かれているルートです。眺望がいいわけではありませんが、森の中の道で、とても魅力的、パノラマ・ルートと同じくらいお勧めのコースです。およそ1時間半で、ヒルシェンコーゲルのロープウェイ谷側駅の横に出ていきます。
<パラス・ホテル>
マリア・シュッツから歩いてセメリングに戻るコースの途中で、このホテルの正面玄関前を通り過ぎることになります。
1912年にこのホテルを建てた人物、ウィーン生まれのヨーゼフ・ダイジンガーは、若い頃ロンドンのホテルでピコロ ( オペレッタ『白馬亭』でボーイ長レーオポルトの下で働いている若者もピコロと呼ばれます ) という見習いをしていました。彼がパラス・ホテルを建てた時、まだ30を越えたばかりの若さでした。設計建築を任された人物も同様に若い人で、モダンな建物にしようというふたりのコンセプトそのままに、ホテルはコンクリートの機能重視のそっけない建物に仕上がることになりました。
新参者がゼメリングの景色に不調和なホテルを建てると聞いて、公然と地元の反発いやがらせがおこなわれ、建築資材を運ぶための道路が封鎖されてしまいました。そのため、ダイジンガーは写真 (↓) で見るように、崖下の道からリフトを通して資材を運ばなくてはなりませんでした。
ちなみにこのホテルはわたしたちがゼメリングを訪れたときには、OMVパラス・ホテルと名乗っていましたが、昨年訪れた時には代替わりしたのか、Artis Hotelと名前が変わっていました。

パラス・ホテル
以上ご紹介しました巡回コース、逆に先ずパラス・ホテルの前を通り、森の中をマリア・シュッツに向かって歩き、午前中の元気なうちにゲビルクスイェーガーシュタイクを登ってポレレスヒュテに出て、それからパノラマコースを歩いて、ヒルシェンコーゲルを降りるという形にすることも可能です。
ヨハン
あなたがウィーンに滞在していて、予報で翌日天気がよく、しかも格段の予定がないか、あっても別な日に変更できる場合、そしてどこかウィーン近郊の山を歩いてみたい気持ちがすでにあなたの心に湧いてきているとしたら、迷わずゾンヴェントシュタインにお出かけになることをお勧めします。一度その素晴らしさを体験すると、ゼメリングの魅力の虜になること間違いなしです。
今までご紹介してきたシュネーベルク、ラックスは登山に比重がかかったハイキングコースでしたが、ゾンヴェントシュタインは誰でも手軽にハイキングが楽しめるスポットです。しかも、すでに下車するゼメリング駅が海抜896メートルにあります。プフベルクは海抜577m、ラックス・ロープウェイの谷側駅が528m地点だったことを思い出してみてください。ゼメリングは幹線鉄道を利用しながら、下車駅が登山鉄道に乗ってきたような標高の高い所にあるのです。
シュネーベルク、ラックスに比べると、ゼメリングはウィーンからはより遠くに位置していますが、鉄道を使えば、むしろここが一番便利な場所です。なにより最大の利点は、ここには午前中一本、特急が停まってくれるのです。
ゼメリングに停まる特急は土日か平日かによって時間がことなりますが、調べてみたところ、現在土日だと、ヴィーン・マイトリング9時3分発の特急がゼメリングに10時14分に到着します。平日だと8時3分発になります (したがってゼメリング到着は9時14分です)。わずか1時間11分の乗車時間です。そこから先バスに乗り継ぐ必要がない分、自分のペースで行動できますし、また帰りの時間も終バスを気にしなくて済みます。ゆっくり夕食を楽しんで帰ることも、暗くならないうちにウィーンに戻ることもできるわけです。
(*ゼメリングの見どころはたくさんあります。最初にここではゾンヴェントシュタインのパノラマコースに絞ってご紹介します)

地図①
ハイキングの出発点は地図① 画面右のロープウェイ乗り場です。駅からそこに行くには、駅を出て先ず目の前に Stefanie ( 以前はホテルだったようですが、今はSeniorenheim老人ホームになったようです ) という建物が見えていますから、そのわきの道をあがり、車の通る道に出たら、しばらく左に歩いて、Hochstrasse方面という標識がありますから、それに従って小道を上がっていきます。登り切ると ホホシュトラーセに出ます。それをまた、左に折れ、つまり下っていくわけですが、そこからは国道が見えています。それがニーダーエスタライヒとシュタイアーマルクの州境パスヘーエ Passhöhe (海抜 984m) です。駅からおよそ20分くらいでしょうか。ここまでくればロープウェイ乗り場は直ぐ分かります。
近年アウトバーンのトンネルが完成したことによって、シュタイアーマルク側に出るトラック、乗用車の多くはもはや峠にあがってこなくなり、その分さびれてしまいましたが、ゼメリングにヴィラを持つ人々にとっては、静けさが手に入ったとも言えます。いずれにしても、このパスヘーエ界隈が街の中心で、インフォメーション、銀行、スーパー (日曜はもちろん開いていません)、レストランなどが集まっています。スーパーでサンドウィッチでも調達すれば、パノラマコースにあがって、好みの場所で絶景を目の前にお昼をすることも可能です。
ロープウェイは運転しない曜日があるので注意が必要ですが、土日はもちろん動いています。終点が写真のリヒテンシュタインハウスというレストランです (標高1,340m)。ここからの眺めもすでに爽快です。

Liechtensteinhaus (2006年撮影)
もちろん地図画面の白線で描かれた道を歩いて登ってくることも可能です。車も通るので、必ずしも快適とは言えませんが、ロープウェイで上がって、下りはこの道を歩くことにするか、二度目に訪れた時には歩いて登ってみることをお勧めします。この山がヒルシェンコーゲルです。
頂上に木造の展望塔があります。わたしたちも一度のぼったことがありますが、眺望に大きな変化はありませんでした。
ロープウェイの山頂駅から。ゾンヴェントシュタインに向かって白い線が左に伸びています。ロープウェイの下車駅からは従って、最初少し下る形になります。麓から歩いて登ってくる白線と山頂駅から下ってくる白線が交わる地点がパノラマコースの登山口 Brandstattです。そこから3つのルートがあることが分かると思います。一番右が Kammweg、真ん中がパノラマコースのHochalmweg、左は舗装道路です。すべてめざす目的地は同じですが、今はパノラマコースを進みます。森の中を歩いていくわけです。いきなり急な登りです。結構汗をかきますが、とても楽しいコースです。およそ30分で頂上にでます。

地図②
ここからHochalmweg、直訳すれば「高い所にあるアルムを歩く道」、です。麓のゼメリングからもよく見えています。木が生えていない、若草山のような場所で、稜線をゾンヴェントシュタインに向けて、およそ一時間、左手にゼメリングのヴィラ、駅、そして、ラックス、シュネーベルクを眺めながら、また、右手にシュトゥールエック、前方にエルツコーゲルの山頂十字架 (1,501m)、さらにもちろんORFの電波塔を山頂にいただくゾンヴェントシュタイン (1,523m) といったパノラマを楽しみながらのハイキングです。
しばらく歩いて振り返るとロープウェイ山頂駅がどんどん小さくなっています。

パノラマコースからヒルシェンコーゲルを振り返る (2007年撮影)
アルムですから、あちらこちらに牛が放牧されています。このあたりの眺望のいい草地に座って、スーパーの対面販売でつくってもらったサンドウィッチでお昼としゃれこむなんか、ヨハンには最高に贅沢な時間と思えます。

パノラマコースからの眺め、正面にポレロス・ヴァントが見える (2006年撮影)

パノラマコースからの眺め、ホテル・パンハンス、背後の山はラックス (2006年撮影)
ただ、平日ご案内の特急に乗り、なおかつロープウェイであがって来てしまうと、このあたりではまだまだお昼には早すぎてしまいます。それほどにゼメリングはウィーンから近いのです。そんなときは、目的地まで、あと少し、歩いて行くことにしましょう。前方にエルツコーゲルの山頂十字架が見えるあたりで、道がまた分かれたりしますが、先に行けば合流します。
BrandstattからKammweg (一番右側のルート) を歩いてきたハイカーもエルツコーゲルで合流します。

ゾンヴェントシュタインの電波塔 (2006年撮影)
やがて少し道を下ったところあたりでポレレスヒュテが見えてきます。

ポレレスヒュテはもう直ぐそこ (2006年撮影)
最後の坂を上がり切れば、ゾンヴェントシュタインです。

ゾンヴェントシュタイン (2007年撮影)
ここでは、ポレレスヒュテがハイカーたちを出迎えてくれます。テラスでビールを傾けながら、左にラックス、シュネーベルクの山並み、右前方下にグログニッツの街並みも見えます、そしてはるかかなたがハンガリーです。日常のつまらないことにめげていた心も、すでに雲散霧消、気分は爽快になっていることでしょう。おいしい料理を召し上がれ!

ポレレスヒュテ (2006年撮影、この日はゼメリング駅で i のおじさんと話し込んでしまったり、あちこち道草して、ゆっくり歩いて登ってきたので、たしか17時まで営業しているとせっかく i のおじさんが教えてくれたのに、到着したのがそれより遅くなってしまい、小屋は店じまいしていました )

これは昨年2009年に撮影したものです
ゾンヴェントシュタインからは、谷間に開けたショットヴィーンの街をまたぐようにかけられたアウトバーンの長い陸橋が見えます。逆に言えば、ウィーンから鉄道で来る時、クラム・ショットヴィーンの駅あたりから、陸橋、マリア・シュッツ巡礼教会、ゾンヴェントシュタインが額縁におさめられた絵画のように見えます。

ゼメリング駅とシュネーベルク (2005年撮影)

ショットヴィーンにかかるアウトバーンの陸橋 (2008年撮影)
<Bergkircherl>
ポレレスヒュテの脇を5分ほど登ったところにベルクキルヒェルル (山の小さな教会) があります。出来たのは1930年代ですが、大戦で損傷され、その後修復されました。内部のガラス窓は芸術的に価値のあるもので、見学できます。以前は鍵をリフト山頂駅でお借りするようになっていましたが、今はリフトそのものがなくなり、山頂駅も閉鎖されてしまいましたので、おそらくポレレスヒュテで鍵を借りることになるのではないかと思いますが、小屋で尋ねてみてください。しかし教会の内部に入ることが出来なくても、ここまであがれば更に眺望が楽しめます。
<ゾンヴェントシュタインのリフト>
今は影も形もなくなってしいました。わたしが貼った地図② にはまだ描かれています。1956年に建設され、ニーダーエスタライヒでも最初期の、また、東アルプス地域で最大規模のリフトでした。登るときには、山側を向いて座りますが、下る時は谷側を向くので、とても楽しいリフトでした。これに乗れば、ショットヴィーンの街並み、シュネーベルクの山並みなど、そのパノラマに歓声を上げているうちに、マリア・シュッツ巡礼教会のわきに降りることが出来、楽ちんに巡回コースがとれました。なくなってしまい本当に残念です。
そういうわけですから、ここからゼメリングに戻る方法は、二つです。
来た道を帰るか、マリア・シュッツ側に歩いて降りるか、です。
―先ずは来た道を戻る、です。
前回書きましたが、ここまで来るのにも、いろいろなヴァリエーションがありました。それを組み合わせると、なかなか飽きません。ですから、帰りは舗装道路を使うのも一つの手です。パノラマコースに比べると、眺望は劣りますが、無理のない下り道で、ひざを痛める心配もありません。歩いていると、上を歩くパノラマコースの家族連れの話し声が聞こえてきます。Brandstattでパノラマコースと合流します。そこからロープウェイ乗り場への道を登らずに、まっすぐ下っていけばパスヘーエに出ます。途中に山小屋エンチアーンヒュテがありますから、天気のいい日ならば、そこの庭で元気づけにコーヒーでも飲みながら一休みが可能です。

Enzianhütte (2006年撮影)
―マリア・シュッツ巡礼教会側に降りる
しかし、十分時間に余裕があるようでしたら、是非マリア・シュッツ巡礼教会側に降りることをお勧めします。
これも大きく二つのルートがあります。
ひとつはかつてのリフトの下を縫うように降りていくGebirgsjägersteig (山の狩人の小道) です。シュタイク、ですからね、前に書きましたように、とても急峻です。わたしたちは、2007年に、ゼメリングから先ずマリア・シュッツへ出て、そこからリフトで上がろうと予定していましたが、リフトが動いていなかったので、やむなくこのゲビルクスイェーガーシュタイクを登ることにしました。標高差およそ800m 近くの登りでしたから、まったくいっぺんにシェイプアップ出来ました。
下りですと、時間的にははやく降りることが可能だと思いますが、ひざが笑ってしまうことは間違いないでしょう。(*こんな山の中でと思うかもしれませんが、若者にとってはこの一帯格好のマウンテンバイクのコースとなっているようで、突然マウンテンバイクが下ってくることがあります。)
もうひとつはもっとゆるやかな道で、これは、いったんヒルシェンコーゲル方面に戻り、標識に従って左手に降りて行きます。このコースもわたしたちは歩いてみましたが、ゾンヴェントシュタインの東側の山の腹を巻くように徐々に降りていくので、急峻な感じは全くありません。ただ、とても時間はかかりました。

マリア・シュッツ順礼教会へ (2007年撮影)

マリア・シュッツ順礼教会、手前はクロスター・レストラン (2005年撮影)
教会のとなりがクロスター・レストランで食事が可能です。しかし、なんといってもここの名物はクロスター・クラプフェンです。

マリア・シュッツ順礼教会レストランのクロスター・クラプフェン (2005年撮影)
<マリア・シュッツ巡礼教会>
マリア・シュッツ巡礼教会を有名にしているのは、ここに湧き出る泉によってもたらされた奇跡によるもので、Liebfrauenbründll (リープフラウエンブリュンドゥル、聖母マリアの泉) と呼ばれるその泉は今も教会内部の祭壇の後ろに湧き出ていて、マリア像とともにこの地を訪れる人々の信仰の対象となっています。
ショットヴィーンのマリアンネ・フェルベリンという盲目の女性が泉の力で視力を得たことにはじまり、とくに1679年にペストが猛威をふるったときには、人々はマリア様に救いを求め、癒されました。その感謝の気持ちから、ここにカペレを建てることが誓われたのです。実際にカペレが完成するのは1722年でした (1794年の教会記録)。その後も何人かの人の前にマリア様があらわれ、評判がここを訪れる人々を増やし、まもなくカペレでは小さいということになって、1739年立派な教会に建て替えられたのです。
そのときの屋根はたまねぎの形をしていました。しかし1826年に火災で教会は焼失、直ちに再建されましたが、屋根は普通の形になりました。
それが1995年11月に修復され、もとのたまねぎにもどったのです。

マリア・シュッツ順礼教会内部 (2005年撮影)

マリア・シュッツ順礼教会奇跡の泉 (2005年撮影)
わたしたちがウィーンからのバス・ツアーでここを初めて訪れた1990年は、おそらく教会の屋根が修復されたことから人々の関心を集めるものと、そうしたツアーが企画された旨、ラックスの記事で書きましたが、その後調べてみて、屋根の修復が完成したのは1990年ではなくて、1995年だったことがわかりました。また、教会が戦争によって破壊されたように書きましたが、これも間違いでした。
わたしたちが2005年に訪れた時に写真 (↑) に収めている教会を見れば、たしかにすでに屋根はたまねぎ形になっています。
1990年に訪れたときの屋根がどうなっていたか、いろいろ資料を調べましたが、どうやら写真は撮影しなかったのか、今のところ見つかっていません。ビデオは撮影しましたが、劣化して、これも再生できないために確認できませんでした。面目ござらん。
記憶を呼び戻してみると、たぶんツアーがここに立ち寄ったのは、屋根修復の寄進を兼ねていたのではないかと思われます。そしてそのときの屋根は修理中で足場に覆われていたように思われます。

火災で焼失する前のマリア・シュッツ順礼教会 (ショットヴィーンから眺めた図、このときの屋根はたまねぎ形です)

再建されたマリア・シュッツ順礼教会 (1880年、屋根は普通の形になってしまいました)
<ショットヴィーン>

ショットヴィーン (2003年撮影)
ショットヴィーンはゼメリング街道の宿場町として重要な役割を果たしてきましたが、1805年のナポレオン戦争によって荒廃し、その後はゼメリング鉄道の開通 (1854年) によって宿場町としての役割を終え、その後さらにアウトバーンがショットヴィーンをまたぐように高架橋かけたことで車も素通りしてしまうことになり、今はまったく閑散としています。
― マリア・シュッツからはゼメリング行きのバスが出ていますので、バスで戻ることが可能です。
しかし、できればゾンヴェントシュタイン山麓のハイキングコースを歩いて帰ることをぜひお勧めします。最初に貼りました地図② では、マリア・シュッツから右に赤い線で描かれているルートです。眺望がいいわけではありませんが、森の中の道で、とても魅力的、パノラマ・ルートと同じくらいお勧めのコースです。およそ1時間半で、ヒルシェンコーゲルのロープウェイ谷側駅の横に出ていきます。
<パラス・ホテル>
マリア・シュッツから歩いてセメリングに戻るコースの途中で、このホテルの正面玄関前を通り過ぎることになります。
1912年にこのホテルを建てた人物、ウィーン生まれのヨーゼフ・ダイジンガーは、若い頃ロンドンのホテルでピコロ ( オペレッタ『白馬亭』でボーイ長レーオポルトの下で働いている若者もピコロと呼ばれます ) という見習いをしていました。彼がパラス・ホテルを建てた時、まだ30を越えたばかりの若さでした。設計建築を任された人物も同様に若い人で、モダンな建物にしようというふたりのコンセプトそのままに、ホテルはコンクリートの機能重視のそっけない建物に仕上がることになりました。
新参者がゼメリングの景色に不調和なホテルを建てると聞いて、公然と地元の反発いやがらせがおこなわれ、建築資材を運ぶための道路が封鎖されてしまいました。そのため、ダイジンガーは写真 (↓) で見るように、崖下の道からリフトを通して資材を運ばなくてはなりませんでした。
ちなみにこのホテルはわたしたちがゼメリングを訪れたときには、OMVパラス・ホテルと名乗っていましたが、昨年訪れた時には代替わりしたのか、Artis Hotelと名前が変わっていました。

パラス・ホテル
以上ご紹介しました巡回コース、逆に先ずパラス・ホテルの前を通り、森の中をマリア・シュッツに向かって歩き、午前中の元気なうちにゲビルクスイェーガーシュタイクを登ってポレレスヒュテに出て、それからパノラマコースを歩いて、ヒルシェンコーゲルを降りるという形にすることも可能です。
ヨハン




































































