今日は、揺れましたね!震度5弱らしい。
緊急地震速報の警報音はなりませんでしたが。。。
なんか、、
今日いちにち予感がしていたというか、
子供の音楽教室の待ち時間に
「熊本地震の今後」とか「防災グッズについて」
など検索してました。
帰宅し、ご飯を食べ終わった頃に
グラグラグラ!!
水槽の水が揺れ、少しこぼれました。。
再び大きな揺れが来ないとも限らないので
一応、避難準備を整え就寝します。
さて、今日は熊本地震の前震と本震
振り返ってみたいと思います。
H28年4月14日21時26分、
熊本県熊本地方を大きな地震が襲いました。
このことはブログでも書いてきましたが(カテゴリー:熊本地震)
私は前震が襲ったとき、何をしていたかというと、
久々、家をあけ子供を夫に頼み
羽を伸ばしていました。
友人のHさんは、なんでも話せる大好きな人。
そんな友との食事。。
たまには贅沢もいいよね!と
知人のお友達が上通りにオープンされた寿司屋「なかむら」
へ行っておりました。
まわらない寿司なんて、久しぶり~
なんてテンションで、
飲みながらおいしい一品料理に舌鼓をうっていました
おいしそうでしょ?おいしかったんですよ~
まさか、この後に食糧難が待っているとは。。。
ある意味、食べててよかったです^^;
ちょうど食べ終わったころに揺れがきました!
店は一階だったからか、そこまで事の重大さに気づかない私でした。
大将が、
「今日はもう閉店します。申し訳ありません。m(__)m」
と丁寧におっしゃり、店を後にしました。
帰り、上通りを歩いて帰っていると、
これは大変な地震が起きてしまった!
と実感しました。
商店街の中にある、ドラッグストアの陳列棚が
ことごとく倒れ商品が散乱しているではないですか。
あと、外壁が無残に落ちてきていたり、、、
私とHさんは自宅が近所なので、
Hさんの車をそのまま街に置いて
二人で歩いて帰ることにしました。
とりあえず家に電話しなきゃと電話かけまくるけど、
全然つながらない!!!( ;∀;)
しばらくたって、会社の子からライン電話で
「大丈夫ですか?」の連絡!
ありがたい(涙)
初めてわかったけど、携帯が混雑してつながらないときは
ライン電話が便利ですね!
20分くらい歩いた時点で、ラインをやってないわが夫に
やっと携帯がつながり、
無事を確認。
電車通りをまっすぐ歩く!走る!走る!
その間に、予想以上の被害のひどさに心臓がドキドキなった。
看板が落ちた病院、ガラスが粉々に割れ降ってきているビル、
外壁が散乱してる建物。。。
あぁぁ。。。
走り、歩くこと30分ほど、私が住む水前寺にさしかかった。
水前寺はマンションがとても多く、
沢山の人がマンションの外に避難していた。
Hさんと別れ、さらに走った。
自宅マンションが見えると同時に
向かい側にある広場に夫と子供の姿が見えた。
ほっと一安心。
まわりには、近所の方や子供の学校の子たち、
いろんな人がいて、
私は、自分が酒臭くないかというのと
派手な格好が浮いてるのではないかと
とても気になった。
そして、とりあえず階段を7階までのぼり
一人部屋に戻った。
うわぁ。。。部屋が、、部屋が、、
引き出しという引き出しは開き、
キッチンには飛び出し割れた食器の破片が散乱。
サニクリーンの水のサーバーが倒れ、大切なCDたちも飛び出て散乱!!
あぁぁ。明日考えよう。
着替えて化粧をおとし、避難グッズと防寒着をリュックにつめ
ダッシュで階段をおりた。
広場に戻ると、
動物園からライオンが逃げたとのインチキ情報が流れてきて
焦った。
私みたいに猜疑心が強い人間でも
そういう非常事態の時は、無邪気に信じてしまうものなんだなぁ。
と後から思い出すとおかしいやら腹がたつやら。
ツイッターで、このデマ情報を流したバカ人間、
災害緊急時の業務妨害で逮捕されたようですね。当たり前だ!
被災地を混乱させるばかりの
面白くもない冗談にもならないツイート。
たった一人の想像力の無さが世の混乱を招く。
バカ人間はしっかり処罰を受け、一生かけて反省してほしい。
さて、その夜は夜中12時くらいまで広場にいたが、
余震も多発してるし、マンション7階に戻らずに
車を近所のスーパーの駐車場にもっていき
車中泊をした。
you me マートさん、解放していただきありがとうございます。
その日はひと晩眠れなかった。
途中で、お友達の亨さんからラインで
阪神淡路の時は、前の日に揺れが来て
翌日はもっとひどい揺れがきたから、
まだ気をつけといたがいいよとのこと。
このひとことで気を引き締めていることができた。
翌朝、夜明けとともに会社へ。
2階にある事務所は、パーテーションが倒れ、
机もダンスしたかのように配置がバラバラ。
その日は仕事にもならず、とりあえず定位置に戻せるだけ戻し
早めに社員を返す。
夕方、帰宅し7時半には就寝。
寝る前に、逃げ道の確認、再び揺れたときのために
玄関の靴の中には靴下を突っ込み
リュックは背負うだけにしておき、
車には水や毛布を積み、枕元には懐中電灯を。
準備は万端だった。
逃げる格好で布団に入る。
亨さんの言葉がなかったら、
そんなに万端にはできなかったかも。
前日寝てなかったので、本震が来るまで爆睡!!
夜中1:25。。。
ぐごぉぉぉぉーーー!!
どすんどすん!!
ありえない地鳴りと揺れ。
こんなにも非情に容赦なく
自然のチカラが人間の身体をふっとばすほどの勢いで襲いかかるものなのだろうか??
これは現実か??
我が家の寝室はとても狭く、ベッドだけしか置いていないので
倒れてくる物の心配はいらない。
それにしても、ベッドに横たわったいても降り落とされるほどの勢いで揺れる!!
夫が私と子供をしっかりホールドしてくれた。
揺れている間、
リビング&キッチンのほうから、ガシャンガシャン器が割れる音、
棚が倒れたな~的な音、悲惨な音が聞こえる。。。
マンションの外からは、
ぐぉ~~んぐぉ~~ん
聞いたことのないような不協和音が恐怖感を増幅させる。
そんな揺れと音の中でも、強いのはわが子!
ちっとも起きないのだ。。。
いつもの、幸せそーな顔で揺さぶられながら眠ってる。
どれくらい揺れたのかわからない。
自分は意外に冷静で、
揺れがおさまってから、本格的に子供をゆさぶりおこし
停電だったので、枕元に置いていた懐中電灯をつけ、
「さぁ、おしっこ!おしっこ終わったら靴下!」
と軍隊のように二人に声をかけ、
懐中電灯をかざし、順にトイレにいき、靴下をはいて、リュックを持って
玄関を出、非常階段から階下に降りた。
階段を下りる間も、金属が共鳴するような変な音を聞いた。
我が家の駐車場はマンション一階部分にあるピロティータイプ。
前震で、ピロティータイプの建物が車とともにつぶれているニュースを見ており
危惧し、すぐに車を出し、You me マートの駐車場に行ってみた。
私たちのあとにも避難の車が続々と来て、駐車場はすぐに満車となった。
駐車場で幾度となく「ぴろろんぴろ~ん ぴろろんぴろ~ん」
の緊急地震速報を聞き、強い余震を何度も感じた。
このころに、水前寺公園の重さ数トンの鳥居が轟音と共に崩れたらしい。
はたまた眠れず、
夜明けと共に会社へ。
一階倉庫、二階縫製室の建物が倒壊。。。
大変なことになってしまったのに、
淡々とした気持ち。。。すぱっと気持ちが切り替わった。
前を向いて歩いていくしかないのだ。。。
事務所の中も前震の時よりずっと大変なことになっていた。
ちなみに、自宅マンションはこんな感じでした。
前震の一日前です。
仲良く近所の子たちと遊んでいました。
↓
↓
本震後
ここで遊んでいる時間帯じゃなくて、ほんとによかったなと思います。
あらゆるものが落ちてきて散乱。
電子レンジも落ちて破損。。。。。
この日から、一週間と短くはありましたがテント生活をしました。
ガス、水道、電気、全て復旧したのに、半月以上かかり苦労しました。
大変だったけれど、
友人や親戚や会社の従業員たち、いろんな方々、、
まわりの人々の優しく温かい気持ちにふれる事ができ、
うれしい。。と心が震えるくらいに感動したことも多かったです。
前震の日、町中から自宅まで無理な靴で必死に歩き走ったため
右足親指に負担がかかり、爪が死んでしまいました。
しばらくして、爪がはがれ、今なお悲惨な状況です。
緊急地震速報の警報音はなりませんでしたが。。。
なんか、、
今日いちにち予感がしていたというか、
子供の音楽教室の待ち時間に
「熊本地震の今後」とか「防災グッズについて」
など検索してました。
帰宅し、ご飯を食べ終わった頃に
グラグラグラ!!
水槽の水が揺れ、少しこぼれました。。
再び大きな揺れが来ないとも限らないので
一応、避難準備を整え就寝します。
さて、今日は熊本地震の前震と本震
振り返ってみたいと思います。
H28年4月14日21時26分、
熊本県熊本地方を大きな地震が襲いました。
このことはブログでも書いてきましたが(カテゴリー:熊本地震)
私は前震が襲ったとき、何をしていたかというと、
久々、家をあけ子供を夫に頼み
羽を伸ばしていました。
友人のHさんは、なんでも話せる大好きな人。
そんな友との食事。。
たまには贅沢もいいよね!と
知人のお友達が上通りにオープンされた寿司屋「なかむら」
へ行っておりました。
まわらない寿司なんて、久しぶり~
なんてテンションで、
飲みながらおいしい一品料理に舌鼓をうっていました
おいしそうでしょ?おいしかったんですよ~
まさか、この後に食糧難が待っているとは。。。
ある意味、食べててよかったです^^;
ちょうど食べ終わったころに揺れがきました!
店は一階だったからか、そこまで事の重大さに気づかない私でした。
大将が、
「今日はもう閉店します。申し訳ありません。m(__)m」
と丁寧におっしゃり、店を後にしました。
帰り、上通りを歩いて帰っていると、
これは大変な地震が起きてしまった!
と実感しました。
商店街の中にある、ドラッグストアの陳列棚が
ことごとく倒れ商品が散乱しているではないですか。
あと、外壁が無残に落ちてきていたり、、、
私とHさんは自宅が近所なので、
Hさんの車をそのまま街に置いて
二人で歩いて帰ることにしました。
とりあえず家に電話しなきゃと電話かけまくるけど、
全然つながらない!!!( ;∀;)
しばらくたって、会社の子からライン電話で
「大丈夫ですか?」の連絡!
ありがたい(涙)
初めてわかったけど、携帯が混雑してつながらないときは
ライン電話が便利ですね!
20分くらい歩いた時点で、ラインをやってないわが夫に
やっと携帯がつながり、
無事を確認。
電車通りをまっすぐ歩く!走る!走る!
その間に、予想以上の被害のひどさに心臓がドキドキなった。
看板が落ちた病院、ガラスが粉々に割れ降ってきているビル、
外壁が散乱してる建物。。。
あぁぁ。。。
走り、歩くこと30分ほど、私が住む水前寺にさしかかった。
水前寺はマンションがとても多く、
沢山の人がマンションの外に避難していた。
Hさんと別れ、さらに走った。
自宅マンションが見えると同時に
向かい側にある広場に夫と子供の姿が見えた。
ほっと一安心。
まわりには、近所の方や子供の学校の子たち、
いろんな人がいて、
私は、自分が酒臭くないかというのと
派手な格好が浮いてるのではないかと
とても気になった。
そして、とりあえず階段を7階までのぼり
一人部屋に戻った。
うわぁ。。。部屋が、、部屋が、、
引き出しという引き出しは開き、
キッチンには飛び出し割れた食器の破片が散乱。
サニクリーンの水のサーバーが倒れ、大切なCDたちも飛び出て散乱!!
あぁぁ。明日考えよう。
着替えて化粧をおとし、避難グッズと防寒着をリュックにつめ
ダッシュで階段をおりた。
広場に戻ると、
動物園からライオンが逃げたとのインチキ情報が流れてきて
焦った。
私みたいに猜疑心が強い人間でも
そういう非常事態の時は、無邪気に信じてしまうものなんだなぁ。
と後から思い出すとおかしいやら腹がたつやら。
ツイッターで、このデマ情報を流したバカ人間、
災害緊急時の業務妨害で逮捕されたようですね。当たり前だ!
被災地を混乱させるばかりの
面白くもない冗談にもならないツイート。
たった一人の想像力の無さが世の混乱を招く。
バカ人間はしっかり処罰を受け、一生かけて反省してほしい。
さて、その夜は夜中12時くらいまで広場にいたが、
余震も多発してるし、マンション7階に戻らずに
車を近所のスーパーの駐車場にもっていき
車中泊をした。
you me マートさん、解放していただきありがとうございます。
その日はひと晩眠れなかった。
途中で、お友達の亨さんからラインで
阪神淡路の時は、前の日に揺れが来て
翌日はもっとひどい揺れがきたから、
まだ気をつけといたがいいよとのこと。
このひとことで気を引き締めていることができた。
翌朝、夜明けとともに会社へ。
2階にある事務所は、パーテーションが倒れ、
机もダンスしたかのように配置がバラバラ。
その日は仕事にもならず、とりあえず定位置に戻せるだけ戻し
早めに社員を返す。
夕方、帰宅し7時半には就寝。
寝る前に、逃げ道の確認、再び揺れたときのために
玄関の靴の中には靴下を突っ込み
リュックは背負うだけにしておき、
車には水や毛布を積み、枕元には懐中電灯を。
準備は万端だった。
逃げる格好で布団に入る。
亨さんの言葉がなかったら、
そんなに万端にはできなかったかも。
前日寝てなかったので、本震が来るまで爆睡!!
夜中1:25。。。
ぐごぉぉぉぉーーー!!
どすんどすん!!
ありえない地鳴りと揺れ。
こんなにも非情に容赦なく
自然のチカラが人間の身体をふっとばすほどの勢いで襲いかかるものなのだろうか??
これは現実か??
我が家の寝室はとても狭く、ベッドだけしか置いていないので
倒れてくる物の心配はいらない。
それにしても、ベッドに横たわったいても降り落とされるほどの勢いで揺れる!!
夫が私と子供をしっかりホールドしてくれた。
揺れている間、
リビング&キッチンのほうから、ガシャンガシャン器が割れる音、
棚が倒れたな~的な音、悲惨な音が聞こえる。。。
マンションの外からは、
ぐぉ~~んぐぉ~~ん
聞いたことのないような不協和音が恐怖感を増幅させる。
そんな揺れと音の中でも、強いのはわが子!
ちっとも起きないのだ。。。
いつもの、幸せそーな顔で揺さぶられながら眠ってる。
どれくらい揺れたのかわからない。
自分は意外に冷静で、
揺れがおさまってから、本格的に子供をゆさぶりおこし
停電だったので、枕元に置いていた懐中電灯をつけ、
「さぁ、おしっこ!おしっこ終わったら靴下!」
と軍隊のように二人に声をかけ、
懐中電灯をかざし、順にトイレにいき、靴下をはいて、リュックを持って
玄関を出、非常階段から階下に降りた。
階段を下りる間も、金属が共鳴するような変な音を聞いた。
我が家の駐車場はマンション一階部分にあるピロティータイプ。
前震で、ピロティータイプの建物が車とともにつぶれているニュースを見ており
危惧し、すぐに車を出し、You me マートの駐車場に行ってみた。
私たちのあとにも避難の車が続々と来て、駐車場はすぐに満車となった。
駐車場で幾度となく「ぴろろんぴろ~ん ぴろろんぴろ~ん」
の緊急地震速報を聞き、強い余震を何度も感じた。
このころに、水前寺公園の重さ数トンの鳥居が轟音と共に崩れたらしい。
はたまた眠れず、
夜明けと共に会社へ。
一階倉庫、二階縫製室の建物が倒壊。。。
大変なことになってしまったのに、
淡々とした気持ち。。。すぱっと気持ちが切り替わった。
前を向いて歩いていくしかないのだ。。。
事務所の中も前震の時よりずっと大変なことになっていた。
ちなみに、自宅マンションはこんな感じでした。
前震の一日前です。
仲良く近所の子たちと遊んでいました。
↓
↓
本震後
ここで遊んでいる時間帯じゃなくて、ほんとによかったなと思います。
あらゆるものが落ちてきて散乱。
電子レンジも落ちて破損。。。。。
この日から、一週間と短くはありましたがテント生活をしました。
ガス、水道、電気、全て復旧したのに、半月以上かかり苦労しました。
大変だったけれど、
友人や親戚や会社の従業員たち、いろんな方々、、
まわりの人々の優しく温かい気持ちにふれる事ができ、
うれしい。。と心が震えるくらいに感動したことも多かったです。
前震の日、町中から自宅まで無理な靴で必死に歩き走ったため
右足親指に負担がかかり、爪が死んでしまいました。
しばらくして、爪がはがれ、今なお悲惨な状況です。