不倒翁(ふとうおう)

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北魏の鄭道昭・・書道史のすばらしい遺産その2

2011-10-11 10:42:07 | 大好き! 中国の話題
前回、北魏の鄭道昭について触れたので、私の悪い頭に入っているだけの北魏の鄭道昭についてのデータを吐き出しておこう。

いつ死んじゃうかもしれないから(最近の口癖だ)大塚はこんなことも知っていたんだと残された人に思われたい(バカだな私・・)


鄭道昭の作品と言うと鄭羲下碑が有名だ。

鄭羲下碑というと毎年、必ず見に行く「春日部高校文化祭」書道部の作品には必ずこの作品の臨書がある。
元気のいい男の子が気合を入れて書く作品だ、見ていて気持ちが良い。

文化祭の作品だからかな、大きさが統一されていて? もっと変化があっても良いとも思うけど、予算の関係も有るから・・・ナ
忘れていなかったら、今度見てチョ。


鄭道昭は60歳過ぎに(晩年と言う本もある)天柱山の中腹に480cmほどの碑形の石をみつけ、大好きだった父鄭羲のために父のことを書いた碑文を刻させた。これは鄭羲碑。

この父は、賄賂の噂も多く評判の悪い男だったそうだ。
魏書には【性又嗇吝】性格はケチ、と書いてある。

評判が悪い悪人でも子供には良い父親だったのだろうな。
父のおくり名は【文霊】・・霊の字は、非人格者を意味する言葉だったけれど、鄭道昭は碑文を作る時にこの霊の字を取り除いて書いている。
大好きだった父の悪評をすすごうとしたのだ。

鄭羲上碑は、石の質が悪かった為、この年、又、雲峰山のふもとに碑を刻させた。これが、鄭羲碑。

2回も書いたのだから、後に書いたものの方が良いに決まっている。
松井如流先生の本にも「文字そのものも下碑よりはよく書けていない」と有る。

しかし、父の汚名を晴らすために書いた碑文だけど、鄭道昭の字が素晴らしすぎた為に、却って父の悪評も作品と共に後の世まで、伝えられるとは・・・