『Welcomeのぶ・ろ・ぐ』A recluse in Manila

隠遁オヤジは今日もまた桜散る散る日本と陽はまた昇るマニラにて世の無常を嘆きつつ、後は野となれ山となれ。

『戦争と平和(6)』読了す

2014年04月13日 | 読書・映画・音楽
戦争と平和〈6〉 (岩波文庫)
トルストイ
岩波書店


ようやくこれにて「戦争と平和」シリーズ全六巻が終了です。
最終巻は、ピエールとナターシャが結婚、ニコライがマリアと結婚し、とりあえず大団円ではありませんが、夫婦がお互いの良い点も欠点も知り、平和な家族を営んで終わっています。
終わり方は何だかふん切りが悪いというか、若干残尿感の残る終わり方ではあります。

しかしながら、そのあとのエピローグで展開されるトルストイの論説がなかなか読み応えがあります。
特に何百万人も人が殺しあうような出来事、歴史上の事件の原因は権力にあると作者は言います。「権力とは何か?権力とは一人の人物に委譲された意志の総和である。」「権力とは一人の人間の意志の表現と、他の人間たちによるその意志の遂行とのあいだに存在する依存関係である」これが一番強烈に出るのが命令によって人が動く軍隊ですね。
そしてその構造は円錐形(ピラミッド型と言った方がわかりやすいかもしれません)を形成しており、上部に位置するものが直接手を下すことはすくなく、下部に行くほど直接事象に関わることになります。
人間には自由意思と不自由(翻訳者は「必然性」と表現していますが、制約とか制限と置き換えてもいいと思います)が存在し、どちらか一つだけということはあり得ず、他人との関係において「結びつきが少なければ自由であり、逆に結びつきが強ければ不自由」となります。そのなかで、「最も強く切り離せない、重苦しい、不断の他人との結び付きは、他人に対する権力と呼ばれるもの」と作者は言います。
ふぅむ、難しいです。


1800年初頭から1820年頃の時代背景を描いていますが、この頃のロシアの貴族たちの生活は借金だらけなのです。そして、その後農奴解放が行なわれますが、その結果、逆に都市部に仕事にあぶれた人間があふれ、社会が荒んでいきます。
その社会が荒んだ頃の時代背景がドストエフスキーの『罪と罰』に描かれています。
社会の矛盾が生じても、当時はインターネットのない時代ですから、情報の流れが今よりもはるかに遅いです。ほころびはゆっくりと広がっていくのですが、確実に広がっていきます。
『戦争と平和』の時代背景から90年以上経過して、ユダヤ人たちによる貴族社会の転覆=ロシア革命が起きるわけです。
ほころび始めて百年以上経過してから滅ぶのですね。
国家は転覆しそうになってから実際に沈むまでが長いってことでしょうか、、、。

ところで、トルストイは『戦争と平和(5)』の中で、「人々の生活は途切れる事無く続いており、始まりはいつか分からないし、終わりも分からない。
そういう人間の歴史の一部分だけを切り取り、自分たちの特別の尺度でその部分を理解しようとしても、歴史を理解した事にはならない。」というようなことを述べています。

長い歴史の一時代だけを切り取って、勝手な尺度でそれを計り、どの国が悪くどの国が正しいなどと言う事はいえません。

この部分は、実に奥が深いので、よくよく噛みしめ、味わう必要があります。

数年後、再びこの長編を読む時が来るのをものすごく楽しみにしています。


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