W.C.カラスの駄々漏れ日記

駄々漏れに日記をつけています

161001

2016-10-04 21:43:00 | 日常
今年ももうあと三カ月だ。

休みでゆくりとす。

Tつも休みで昼飯はSMでうまパンを買うてきてRんネヴィルと三人で喰らう。

それでお盆前にテレビが壊れたがそれが今まで玄関にドスンと置いてあってやっと産廃業者のところへ持っていった。
電子レンジも壊れてしまってこれも一緒に持っていった。
電子レンジは家電リサイクル法の適用外なので金は取られず11円くれた。

新しい電子レンジはこれ相当に安い物を買うた。
オーブンの機能もあって1万5千円台消費税入れても1万7千円ほどである。
なかなかの破格であったがこれやはりどうもよくない。

温めボタンで飯を温めるとあっつうなってしもて持てんほどになる。
だから結句650wに設定して適宜おおよそこのくらいだろう時間温める事になる。

銀行の支払いにも行ってきた。

あとは町内会の仕事が残っている。

夜飯 SMへいくと今シーズン初めてブタモツが出ていたのでもつ鍋

私は今日はもう何もしないでおこうと決めていたのでビイルの古いのを最後の大瓶二本呑んであまり酔わないなあと思ってTけべさんに貰った魔界への誘いという焼酎も続いて呑んだ。

まだ酔ってないような気がしたがまたおかしなことになっていたようでSNSに長文を載せていた。

のど自慢について書いていたりして随分行き当たりばったりな出まかせの文であった。

それでその後直ぐに寝落ちて家のみは短時間で終わった。


私のニューアルバムであるが私が一体何をそんなに喜んでいるのか。
それはひとつにはまず私と私のやってきたことに敬意を持っているところである。
ひとは無論それぞれがたまさかなる存在でありそれぞれが必ず一つとして同じくするものが無い筈であってそれはもう勝ち負けなぞであるわけも無いし優劣なぞもあるわけがない。
ところが人間社会においては価値基準というものがあってそれに向かってみな努力しそうすることが人の道みたな泡のごとききまりを信じるのが一般的になっているのである。
システムであるといってよいかもしれない。
それで今の人間の脳ではシステムがないと安定しないという面もあるのがこれを以てしても人間存在というものはブルーズなのである。

それは音楽家においても案外そういう事になっている人が多くて商売をするわけでもないしそんな事を気にする必要がないひとたちまでもがそういう事になっておる場合が多々見受けられるのである。

無論私もそこから逃れられているわけではない。
ただ私は私の存在が偶さかであることを知っている。
それは絶対孤独の事である。

私の音楽は絶対孤独に満たされておってまずそこが一つ気に入っている点である。
それで珍奇である。
私は愉しんでいる。
サウンドを愉しんでいる。
言葉の悦びをサウンドにしている。
そこら辺りの一般的にはテクニックなぞ到底思われないであろうテクニックを私は持っている。

それで野心がある。
ゲリラの様なテロルの様な虚しき野心がある。
抗おうとしている。

この3点は長年の私の掟であって以前にここにも書いたかもしれぬ。

此度のアルバムは掟を踏襲できた。
しかしこれらはいかにも曖昧な物であり私にしてもちょっとしたことで真髄を忘れてしまう恐れがあるしいかようにも解釈できるようなそういう危ういものである。

厳然とした掟は要らない。
危うき掟が必要だ。