W.C.カラスの駄々漏れ日記

駄々漏れに日記をつけています

150805

2015-08-06 12:59:00 | 日常
労働 道刈り、伐開。
汗みどろ。

夏は苦しい。

一番苦しいのは夏である。
木こりを始めた当初は死ぬるかと思うほど苦しいときもあったが年々体が出来てきてそんなことはもうない。

が、やはり苦しい。

風がない立っているだけで疲弊するような急斜面で陽が照りつけると逃げ場なし。

私は野球部だったが特に高校の時のノックが苦しかった。

いわゆる千本ノックまがいの練習がありノッカーが上手だと取れるか取れないかギリギリを狙ってきてそれも苦しいがまだ球を追いかける目的があるのでなんとかやれる。

それより嫌で苦しかったのがとれるはずもないところへ球をゆるゆる転がし猿回しのごときにただ拾うというものであった。

練習にも何にもならぬ非合理なる特殊訓練であった。
無論手を緩めると罵声が飛んでくる。

何の利益もなく
運動的苦しみでは私は生涯でそれが一番だった。

私は姑息な手段をもってして一年の夏休みでもって野球部を辞めた。

担任が私の成績が悪いのは野球のせいだと思っていてやめろと再三いっており私は渡りに船の気分もあり乗っからせてもらうことにした。

普通辞めるとなると上級生から焼きを入れられるようなそういう体質であったが夏休みゆえ学校で会うこともないしまた担任にその恐れについて訴えていたのでその筋にそういうことは決してせぬよう話をしてくれていたようだった。

S吉なぞどうせお前には辞める勇気なぞないだろういってくるし私はなんとしても辞めねばなるまいと決心していたのもある。

私は酷い劣等生で家では勉強なぞ全くといってよいほどせずただ音楽を聴いていたのだった。

やらねばならないが気が進まないと他の場所へ逃げる癖は今もって同じである。

そして野球をやめたからといって成績があがることはなくいつも最下位を争い数学なぞ零点をよくとったものだ。

一応普通科高校であるからまわりは皆当然のごとく進学を考えていたが私はパンクが好きであったこともありがっこなんかださいと思っていたので成績が悪くても平気であった。

そしてパニック障害が強く影響してもいた。

話が脱線してしまったが

山仕事は金をとれるので苦しみにも耐えられる。

帰 SM
食材を用意し簡単な料理で済むようにして金沢もっきりやへ行く。

入ると多田さんがブッパン席におり挨拶。
多田さんはサックスを吹いておらんときでもなにか佇まいに魅力のあるひとだなあと思った。



キキバンドを観る。



私の目的はハッキリしている。
よい音楽をやることだ。
これよい音楽といってもまたそれも漠然としており何をやりたいのかわからなくなるということもあろうがまあそれは流れもあるし一応の掟があるのはいつも云っているところである。

若い頃は余のことに気を持って行きすぎで何をしたいのか判然としない部分もあっただろう。

私は何をやりたいのかわからなくなり駄々漏れに音を出すのがいやでバンドをやめて休んだことがある。

その間にクラッシックギターなんかをやったわけだ。

そうしたところが余のことの欲望は消え去りやはり純粋に音楽が好きなのだなあとハッキリとわかった。

今私は欲に目が眩んでいるところもあるがそれを見失うことはない。

遅咲きの強みである。

どんどん闊達に活動し名が知れる。
そしていろんなよいミュージシャンとやる。
するとますますよい音が出来るという寸法だ。

良いメンバーが集まればまたよいアルバムも出来るだろう。

そのためには私ももっとよくならねばならんし一緒にやってくれるひとには満足出来るギャラを渡したい。

そのためにはうれなければならん。

ふん、てめえ売れたいんだろ。
ああ、そうだよ。

ただし大量消費型の音楽が私に創れるはずもないし御免こうむる。

売れてるもんがいいっていうなら世界で一番美味いのはカップヌードルってぇことになるじゃねえかといったのは甲本ヒロト。



私には大志がある。
私は残りの人生パーッといくことを選ぶ。
そう決めている。


キキバンドをみながらそういうことを考えた。
なんと素晴らしいグレイトなサウンドだろう。

なんと素晴らしい究極的サウンド。

私はファンキー極まりないサウンドにうっとりし自然笑みがこぼれていた。

腕利きのミュージシャンを揃えてある。

ドラムのジョーのパワーにはおかしみがありベースの早川さんは梅津さんも云っていたがゴールを決められるゴールキーパーの趣がある。
ギター鬼怒さんの正確なれどパッションあふれるプレイ、そして梅津さんには私はとても人間くささを感じるのである。

パーフェクトだ。
違う地平にいっている。
感銘した。

私も私なりのパーフェクトをプロデュースしたい。

休憩。
梅津さんとハグす。

梅津さんにアルバムを渡す。

二部で私を紹介しアルバムの宣伝をしてくれた。

意外に暖かな拍手を受けうれしむ。

終わったあと声をかけてくれ名刺を渡してくれるひともあった。
やはりあまり私は知られておらんようだった。

もっきりやのマスターもいくらなんでももう認識しただろう。

隣にいい調子になって入ってきたお客が座った。

人なつっこいおじさんで盛んに話しかけてくる。

寿司屋の大将で水曜日は定休日だから必ずここに来るのだという。

何も知らないが音楽は好きだという。

私が紹介されるのを見てなんだ云ってくれればいいのにとかいう。
いやいやわざわざ普通云いません。

盛んに声援を送り実に楽しそうにしていらした。

おじさんが来てからバンドの雰囲気が違ってきたと私は感じた。

やはりライブは客がつくる部分が大きい。

おじさんはかなり年配のようだったがキヨシローが好きで今日も聴いていたという。
だから梅津さんはもちろん梅津さんが小川銀次さんにささぐと云ったときも知っていた。

他のひとは誰だと私に聴いてきたが誰だと云われてもねえ。

バンドはますます熱を帯び私も声をあげていた。

暑い熱い。

エアコンがまたあまり効かない。

時たまバンドが一体何をやっているのか私にはわからなくなる。
そこがまたスリリングというかなんかわからんけどすげえなあと思わされる。

あまりにもわかりやすいのはよくないと私は思っておる。

なんかわからんけどすげえなあでいいのである。

文学でもなんでもそうだ。作り手は一歩先に行っておって欲しい。



梅津さんは俺とやっている時の方が血管がちぎれそうなくらいにブロウしているなと思ったのは勘違いか。

終演。

梅津さんとまたやることになりそうでギャラのことはメッセージ送りますといったら梅津さんはいいよカラスにはそんなこと期待してないからと笑って云った。

11時半頃帰着。

Skypeしてねる。