それでは接種後の副反応、何が起きたか詳しくお知らせしよう。
1、接種1回目
当日は、ワクチン打った腕がちょっと違和感があるなぁという程度で終わった。2日目には腕の違和感も消えたので、これで副反応も終了したと喜んで、30分ほど歩いたところのゴルフパートナーに行き、ユーティリティを注文して帰ってきた。身体の変化はどこにも無く、むしろいつもより調子がいいくらいで「元気モリモリ」って感じである。その日は酒を2合飲んでテレビを見て寝た。ところが3日目、起きたら何となく倦怠感があり、時間が立つにつれて熱っぽくなった上、お昼にはちょっと「歯がガチガチ」と震えてきて、「これはまずいっ」と熱を測ったら「36.8度」である。「なんだ、平熱じゃん」と思ったが相変わらず「悪寒」が治まらず、冷蔵庫からアイスノンを出して布団に入ることにした。ところがこれが冷たすぎて、チョー寝られない。とうとう枕を外して、ようやく寝ることが出来た。まあ、熱はそれほど無かったので、しばらく安静にしてたら治ったようだ。その後は体調も次第に戻ってきて、夕食にはチャーハンと野菜サラダを大量に食べて栄養を取る。4日目以降は何事もなかった。
2、接種2回目
今回は慣れているので、前よりスムーズに処理出来た。当日は副反応でワクチンを打ったところが、前回よりやや強く違和感を感じる。でも違和感だけなので、夕方少し日が陰ってきたのを見計らって有賀園に行って買い物をしてきた。ところが帰ってきてテレビを見ているうちに段々熱っぽくなってきて、前回と比べルト「明らかに発熱」している。いよいよ来たかと身構えたが、検温すると「36.8度」しかない(アチャーっ!)。「壊れてんじゃないの?」と文句タラタラ愚痴ったが、いまさら言っても始まらない。身体がカッカと熱くなり、前回同様アイスノンを出して布団に入る。今回は熱があるせいか「気持ちよく」横になっていられた(笑)。が、熱はどんどん上がる感じで、「どこまで続くんだろう?」と心配になってきた。しばらく寝ていた後でちょっと起きて水を飲む。布団から出ると熱が発散されるので、少し元気が出る。その間、30分ほどアイスノンを冷蔵庫で冷やしておく。そうしてるうちにまた熱が上がってくるので、もう一度布団に入ってじっと耐える。これを夜2時ころまで繰り返してようやく熱も下がり始め、いつのまにかウトウト眠ってしまった。翌朝はすっかり回復したようで、気持ちも前向きになり元気が出た。
3、副反応の総括
やっぱり1回目より2回目のほうが強く出る。腕の痛みはそれほど感じなかったが、発熱(体温計では36.8度しか上がらなかったが)は結構私としては重かった。というのも私は健康を絵に書いたような人間で、小学校で腸チフスで死にかけた以外、65才になるまで医者にかかったのは歯医者が一回と皮膚科が一回だけである。その他は殆ど風邪も引かずに人生を過ごしてきているので、逆にちょっとした発熱でも「大事(おおごと)」に感じるのだと思う。実際数字の上では「大した事ない」のだ。昔、腸チフスで入院した時には熱が40度とか出てたらしいが、子供の頃なので記憶はない(最後の最後に脳梗塞をやってしまったが、これは自分の身体への「過信」が原因)。総じて今回のワクチン副反応については、ちょっと熱は出るが「少し寝てれば」治る程度、のようだ。友達2人も同じみたいな反応だった。殆どの人が似たような副反応で収まっていると思うので、心配するような危険は「まず無い」と言えそうである。
4、一部の人に出る重大な副反応
起きてしまった人には申し訳ないが、多分色々なことが重なって重大な結果になったのだろう。ワクチンだけの副反応ではなく、それが引き金となって「何か身体のバランスが崩れ」たのが原因だと私は解釈する。それが、一見「何も悪いところが無いように見える」場合でも、身体の内部では人知れず進行しているというような状態なのかも知れない。死亡した人は心筋炎や動脈瘤など、ある日「突然起きる」事故みたいなもので亡くなっている。勿論、事故にはそれに至る「ある種、必然とも言うべき原因」が前提として起きているのだろう。ワクチンを打たなくても、そういう突然死は年間に何十件か起きているのではないだろうか。しかし、だからといって「ワクチンが全く無関係」だと結論するのは、医学的に言えば「まだ時期尚早」である。少なくともワクチンが何らかの「契機になって」発症した、と考えるのが妥当かも知れない。亡くなった人には申し訳ないが、やはり「どこかが悪かった」んだろうなぁ、と思う。ただそれが、外見からは分からないから困るのだ。端的には、体内で深く静かに進行する「死」だ。それが90才で発症するか、それとも「ワクチンを打ったせい」で80才で発症するか、の違いである。これはむしろ「人生そのもの」と言えるかも知れない。つまり「運命」である。それが何時なのかは神のみぞ知る、という・・・。
5、とにかくワクチンは乗り越えた
今は人生においての「大事な一仕事=山場」を終えた感じである。ワクチンなんぞで何を言っている、とお叱りを受けそうだが、これはこれで結構大変だったのだ。年中病気になってる人はワクチンなんてもう慣れっこだろうが、私は風邪も引かない「抵抗力不明」の身体で、おまけに殆ど病気もしたこと無いという「無防備」な人間なのである。だから逆に、小さなリスクも取るのが何となく不安だった。打たなくてもいいのなら出来れば打ちたくは無い、というのが本音である。しかしコロナに立ち向かうにはワクチンを打って前に進むしかない。そして決断の末、ワクチンを打つことにした。・・・結果は大成功である。晴れて今日から、私もワクチン接種者の仲間入りである。これは神様が「君はまだ死ぬ時が来ていないよ」と言っているようなもんだな、と感じた(おおっ、何とスピリチュアルな言い方!)。なんだか分からないが、心の底から嬉しい気持ちが湧いてくる(単純だねぇ!)。
若い人はコロナに罹っても「よほど運の悪い人でも無い限り」重症化することはないという。だからワクチンは打たない、という意見もアリだろう。だがコロナで重症化しないのと同等に、副反応だって「高齢者に比べるとやや重い」とは言っても、コロナの症状と比べればまだまだ全然軽いのである。「打っても打たなくても」どちらにしても軽いのであれば、「他人に伝染さないため」に打っておくのも、一つの選択肢であろう。若い人にとってはコロナは風邪みたいなものであっても、人によっては「死に至る病」である。どこで伝染して「そういう人に当たる」か分からないから、「マナーとして一応打っておく」というのは、結婚式に参加するときには「一応、礼儀としてスーツを着ていく」ようなものである(これ、例えだけど秀逸!)。これを「差別」だと言う人がいるが、私は「区別」だと思っている。勿論私は、「ワクチンを打たない」という人がいてもいいとは思う。だがそういう人はやっぱり結婚式に参加して、新郎新婦と共に人生の晴れ舞台を共有する喜びは、「我慢する」しかしょうがないだろう。参加者が「衣服を改める」と言うのは、人生に一度の晴れがましい儀式に臨む新郎新婦に対して、「参加者として神聖な気分を盛り上げる」ための演出である。それがパーカーにジーンズでは、居酒屋で飲み会を行うのと一つも変わらないではないか。だから普段着ない服を着て、「特別な日」を演出するのである。これがワクチンのメリットだ。メリット・デメリットは何にでもある。どちらの人生を取るかは「個人の自由」だ。だがどちらにしても一回しか無い人生である。それならちょっと痛い思いをしても、「多くの選択肢」があるワクチン接種の方が「人生にトライする」と言う意味では、価値があるのじゃないだろうか。少なくとも私は、そういう風にポジティブに捉えて、前に進んだ。
まあ、ワクチンを打たなくても、だからといって「何か良いこと」があるわけじゃなし。どうせ何もないのだったら「タダなんだから」打っておこう、ってノリである。皆さん迷っているんだったら、私は打ったほうがいいと思いますよ!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます