明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

友を見送った日

2016-02-14 00:00:00 | 今日の話題
(51)ふるさと納税の話 : こんなことにまで儲け話を見つける日本人の「さもしさ」

確定申告の季節がやって来た。毎年やっている人は面倒だとは思うが、出来れば税金は少ない方が良いので、払い過ぎたなんてことのないように注意して計算したい。しかしこれがまたわかりにくいのだ。控除とか免税とか面倒な処理を簡単にして、収入イコール税金計算とならないものだろうか?とにかく払いたくもない税金を、わざわざ払う側で計算して添削してもらうなど、全く不愉快な作業である。アメリカなどではこの計算を「納税者の権利」と位置付けているみたいだが、そもそも計算なんか税務署がやって、納税者側で税務署の計算が間違ってないかどうか「チェックする」ようにしたら非常にわかりやすいのだが。

税務署はもちろん正しい税額を計算できるし、全部の納税額をチェックしてるはずだから、まず正確な確定申告書を作成しそれを納税者に送って期限までに確認の上送り返す仕組みなら、計算間違いもなく書き直しのないきれいな申告書が出来上がる。

もし収入がよくわからないというのなら申告しなくてもわからないわけで、調べたら分かるというなら全員調べなくては不平等である。税務署と言うのは全員平等に税を取り立てているようで案外ちゃらんぽらんというか、行き当たりばったりに裏付けを取っていることが分かっちゃったりするので更に不愉快である。この際、コンピュータの力を借りて日本の全取引をインプットするという、究極の方法を導入するのが一番の解決策だと思うが如何だろう。(詳しくは私のブログ「現金のない社会」を参照)

ここで本題に入るが、故郷納税という仕組み、変な制度である。お金を他県に寄付すると税金から控除が受けられると言う。東京に支払う税金を代わりに富山に払えば東京の税額が控除されて少なくなるのだ。これって少し変じゃないのか?

しっかり計算して税額を確定させ、しかるのちに支払先を富山に変更するというなら話はわかる、寄付をしてそれが控除になるというのはどうにも税金システムの「抜け道」のような気がしてならない。やるなら正々堂々と「税金の納付先を自由に選べる」ようにすべきではないか。だがここから話はより変な方へ展開する。お土産が来るというのだ。

10000円の寄付をすると「3000円」相当のその地方の特産品が送られてきて(これは例えばの話で、いくらの物が送られてくるかは、送り先に問い合わせてみてくれるとありがたい)、年々中身が豪華になっているというのだ。お土産人気は即税収だから、県の納税課も必死である。どんどんエスカレートするのもわからないでもないが、しかし元はと言えば税金である、おかしいじゃないか。

所得税と住民税は、国民の払う税金である。それを寄付行為があるからその分控除するとは、勝手な理屈で不公平を助長するにもほどがある。寄付とは無償の行為である。それを税額控除で釣ろうというのは、結果さえよければ理由はなんでも良いという「正義のなくなった世界」そのものである。寄付なら寄付で「納税後の手元資金」から行って初めて、立派な行為だと称賛されるのではないか。

私はお金がないのでしたことはないが、寄付とはお金の多寡ではないと言う。たとえ少額でも困った人の助けになればと寄付した人は、不幸だらけのこの世の中にも助け合う清らかな心があるんだと証明できたことに安堵し、心を暖かくして家路に着くであろう。お互い助け合う気持ちが昔はあった。今の人は贅沢を知って、大切なものを忘れたみたいだ。

私の提言としてはっきり言わせてもらうと、ふるさと納税は「お土産無し」にしてもらいたい。その方が、もらった方も手間がかからなくて楽だろう。文句を言う連中は元々お土産が目当ての「得するならなんでも」の輩だから、どの道儲からないと判れば寄付なんてしない連中である。いいじゃないか、ほっとけば。それで寄付が減るようなら「ふるさと納税」なんてキャッチコピーもやめたらいい。所詮、商店街の客寄せセール、大切な税金でやる話じゃない。何でも「人よりちょっとでも得しよう」とする日本人の根性は、全くもってさもしい限りである。

こういうやり方を「頭がいい」と持ち上げたり、結果として経済が活性化するからどんどん推奨すべきだと言うような「わけ知り顔の輩」は、人生の大事なものを失ってる事に気が付かない人々である。そういう人が過半数を占めた国の状態を「世も末」と言う、仏教用語で末法の世の事である。昔の人はサラリと核心をついてくる、偉かったなぁ。


(52)藤城清治の話 : 壮大な影絵

藤城清治という影絵作家を初めて知った。90歳だそうである。自前の美術館を案内する姿をテレビで見たが、老いてますます盛んである。しかし驚くのは、その作品の大掛かりで精緻な芸術性だ。影絵というのは基本は輪郭線が全てはっきりしていて、ボカシの無い「形」の組合せである。絵や写真のように立体感を表現する「左右の視差」が無い二次元の芸術である。しかし藤城の作品は影絵の概念を吹き飛ばしてみせる。藤城清治は、長崎の軍艦島や京都の清水寺、福島の原発など多種多様な風景を題材とした影絵を作っているが、どれも壮大な作品で、作者の驚くばかりの気迫が乗り移ったかのように、見る者を圧倒する。ここまでくるともう影絵の制約などなかったかの如く、自由闊達な色彩の細かく重ねられた一つ一つに、煌めく光の反射が美しく映えて見事というほかは無い。影絵と言うものの認識を改めなくてはいけない、全くの芸術である。

彼は「今度はもっと大きなやつを書くんだ」と言って笑った。自由人である。

ところで絵画とはなんだろうか?人間が絵画に求めるものは、時代とともに変化しているように見える。だが本質は変わってないのじゃ無いか。つまり、目に見えるものをそのまま描くことではなく、人間が「覚えているもの、或は、思っているもの」を目に見えるように描いた、と言える。絵画はイメージを現実化したものなのである。

人間は記憶の動物である。記憶はデフォルメされ共通化されバラバラになって分散して記憶される。大きなものと小さなもの、丸いものと四角なもの、硬いものと柔らかいもの、赤いものと青いもの、人間の記憶はシンプルな分類から細かくなって行く。小さなスプーンと小さな消しゴムは同じ分類で、大きな冷蔵庫や大きな机の分類とは全然別で、脳の記憶エリアも別の場所にあるという。脳に障害をもつ人の記憶は、小さなものの名前は思い出せるが大きなものの名前はまったくわからないというふうに、台所用品という分類ではなく「大小の分類」が先だというのだ。「色の分類」の方が先かもしれないが、そこはちょっと分からない。

このように、記憶したものをもう一度キャンバスに描く「絵画の表現するイメージ」は、作者の脳のフィルターを通して得られた架空現実の世界なのである。そこが写真と絵画の決定的に違う部分である。写真はリアルな現実を一瞬に切り取って提示する。それが過酷な戦争の現実であったり、華麗で雅な古都の風情であったり、人それぞれに写真に求めるものは異なる。現代は絵画より写真や動画の方が手っ取り早く友達と共有でき、芸術より話題性の方が価値があるのかも知れない。写真は、アマチュアの楽しみとしては残るだろうが、人が見て感動するのはリアルな写真ではないだろうか。それはモニターを見てあれこれ考える暇もない真実の記録である。撮影者はただ単に現実を写し取る、そして写真は見るものを追体験させる。それが見るものによって種々の違った体験を生み出す。だが絵画は、「作者の体験を追体験する」ように強制される。写真の答えは色々だが、絵画の答えは一つしかない。これが絵画と写真の違いである。

芸術が18世紀後半~20世紀初頭にもてはやされたのは事実である。そして今、芸術は死に絶えようとしている。全国の美術館は次から次へと展覧会を開催し、世界中から超一流の絵画を人々に展示している、まるで芸術がいま花開いているかのごとくに。しかし実際は、芸術は衰退しているように感じられてならない。

それを確かめるために私は、現代美術をもう少し勉強してみようと考えている。藤城清治はその一人である。


(53)マイスター制度復活の話 : 景気浮揚の秘策

とうとう日銀黒田総裁のパフォーマンスも策が尽きたようだ。金融機関の日銀預け金にマイナス金利を付けるという。異次元の金融緩和で華々しくデビューした黒田総裁だが、そもそも就任時からしてキナ臭い疑惑が渦巻いていた。アベノミクスを金融面から後押ししようとあらゆる手を使って市場に資金を提供した結果、単に株価を上昇させただけで一向に賃金が上がらず、消費も増えない八方塞がり。国債は全量日銀が買い取るという「馬鹿げた」方策を二年も続けたのにGDPは変わらず、企業の内部留保と富裕層のみが火事場の焼け太りみたいに膨れてしまったのは、無策を通り過ぎて「ただの素人以下」である。

当初から安倍政権にべったりの黒田日銀は、日本を空中分解させた張本人として歴史に名を残す事になるであろう。株が上がったのは、国債の金利という市場原理をなくして日銀が全量買い取り、市場に「裏付けの無い金をばら撒いたから」であり、円が安くなったのはダブついた円を国際金融市場で投資家に解放したからに過ぎない。「利益を確保したら儲けを確定させるためにサッサと引き上げる」までの間一時的に過熱した日本市場は、見切りをつけられたら「雪崩のように落ちてゆく」のは明らかなのだ。実態は何も変わってない。そもそも最初っから「投資マインド」の問題だとは、安倍首相自らが言っていることなのである。第一彼は「具体的な経済再建策は何もやってない」のであるから、株が上がって円が安くなって原油価格が下がって、それだけである。なんの政策も打ち出していない以上、株の暴落、円の高騰、原油高騰とならない保証は何もない。黒田日銀のマイナス金利は、全くの無策、お手上げの象徴だ。

果たして国民の大半の人にとって、暮らしは良くなっただろうか?貧富の格差拡大、物価の上昇、非正規雇用の増加、年金の株運用失敗、どれも国の形の重大な変化である。

国民に取って一番大切なことは、暮らしやすく生活をエンジョイ出来ることてある。それはなにも豪華な食事や派手な衣装や広大な家というセレブの生活ではなく、ごく一般的な庶民の満ち足りた生活が幸せに直結するのである。先ず大企業が儲かってそれから中小企業が儲かってなんて、夢見たいな話を真に受けている一般人の所に「景気の波」が来るのは何時なのか?答えは「永久にやって来ない」である。問題は「何のせいで儲かったか」に尽きる。努力もしない一般人が、儲けの分け前にあずかれる「わけがない」、当たり前の話だ。

今は投資家が儲けの素を握っている、だから儲けを根こそぎ持ってゆく。それが可能な社会構造なのである。真面目に努力した一般人が儲けの原動力となるような社会構造の変革が、回り回って給料をアップし消費を促す力になる。投資家の利益や企業の利益より先ず、個人の努力が「見えるようにする」改革こそ必要な事ではあるまいか。手始めにマイスター制度を導入するというのはどうだろう、あらゆる職業でマイスターを一年間表彰するのである。国民栄誉賞は思惑が絡んだ政治的なものだが、マイスターは市民が選ぶ賞つまり「ありがとう賞」である。なにも技術に限ず、あらゆる有意義なものにマイスターの資格を与えて行って、働く事の大切さを市民共有の財産にしようではないか。個人の努力が評価を生み、評価が利益を生む。そうすれば自然と経済も良くなってくるはずである。

現代はお金万能の時代。お金を持っている人が偉い人である。本来はそのお金を使って「得たもの」に価値があるはずなのだが、まるで「どれだけ使えるか」というキャパシティに価値があるかのような風潮である。昔は貴族力それから武力と変わって、今は金力が全盛なのだ。

私は未来は「お金で買えないものに価値を認める」ような時代が来るといいなと思う。これこそがマイスター制度の目標である。


(54)顔の話 : 日本人ってホント顔でかいよね

最近自分でも驚くくらい気になって仕方がないのだが、西洋人とかアフリカ・中東・アジア・南米の人達つまり世界中のほとんどの人種と比べて、東アジア人(特に日本人)は顔がでかいという事である。アメリカのバスケットの試合をiPadで見た後にテレビでたまたまニュースなんか見てコメンテーターのアップなど見ようもんなら「超ビックリ」して、この人の顔のサイズおかしくないか?とか思ったりしてしまうのだ。

そもそも顔幅が肩幅の三分の一位を標準として、ほとんどの日本人は標準以上である。アメリカのカッコイイ男性俳優などはまず4分の一以下だから、日本人で小顔のカッコイイ男優が逆立ちしたって追いつかないが、それでも「人間の限度」内にはなんとか収まるとして、問題は標準以上の人々である。早速私も鏡を見てみた。やはりデカイ、デカすぎる。

そもそも日本人は、何故こんなに顔がデカイのか。それでも昔はまだ良かった。ここへ来てファッションの流行がピタ系・ショート系になり、男の足は長く細く、上着はケツ丸出しの長さ、結果チンチクリンが出来上がるってわけ。顔が大きいと、何やってもチンチクリンなのだ。唯一、和服だけが美しく「決まる」、これ長年の伝統。日本も奈良・平安の頃は中国風の衣服を着ていたが、段々と日本独自の文化が形成され、室町あたりは純和風の着物が確立されてようやく日本人の顔の大きさとバランスが良くなったようである。

女性はまだ顔が大きくても可愛げがあって良いようだが、ものには何でも限度っちゅーもんがある。雑誌を眺めて「かわいい~」と思って買い込んだファッションも、鏡に映す分にはそれなりに見える。ま、人生で西洋人に周りを取り囲まれるなんて状況はそうないだろうから、一生気がつかないまま人生を終える幸せな人もいるかもしれない。でも、日本人の貴女は顔がデカイ、これはどうしようもない事実だ。

日本人のDNAには、顔の大きい遺伝子が入っている。このことから直接わかる事は、ダーウィンの進化論が如何に間違ったものかこれでハッキリしたという事である。つまり顔の大きさには、生存競争と「何も関係ない」。松井秀喜のヘルメットの頭のサイズは「ヤンキース1」だそうである、ゴジラの面目躍如ではないか。まぁ良いさ、無条件に諦めよう、知らなかったふりで誤魔化すしかない。しかし、黒系の締まった色は顔の大きさを「更に際立たせる効果がある」から、明日から白系の膨張色を着て、せめて印象だけは肩幅の三分の一の標準的大きさに見せよう努力だけは怠らないようにしようではないか。ちょっと前に流行っていた肩パッド入りの洋服も、アウターでなければいいかもね。


(55)人生の終わりの話 : M氏の葬儀に参列して

先日、M氏の葬儀があった。M氏は私が社会人として初めて入社した会社の大先輩である。彼は経理部で私は営業部、接点は余り無かったが会社が潰れて次の会社に変わり、また次の会社がもっと大きい会社に吸収された時も一緒に移った、言わば仲間である。

私は入社して程ない頃、自宅で朝起きたら腸捻転になっていて(恐ろしい)、タクシーで病院に行ったことがあった。今考えると新入社員の5月病のようなものだと思う。その日は1日休んで翌日会社に行ったらM氏に呼ばれてコンコンと説教された。私は病院に行ってたと主張したが、どうもM氏は信じてないようで無断欠勤を注意されたのである。その時のM氏の毅然たる態度が、今は懐かしく思い出される。

それからだいぶ経って、私と同僚のT氏それともう一人のT氏と四人で集まり、毎週のように徹夜麻雀をやって遊んでた時期があった。M氏は毎回のように負けていたが、実に楽しそうにするのでメンバーの誰からも愛されていた。彼の人生は私のとは随分違っていたが、私は彼の明るい人となりが好きだったのである。

仕事をしていく上で彼なりに不愉快なこともあったろうが、会ったときは一切そのような素振りを見せることもなく、常に人懐っこい笑顔を見せてたのは、彼の人徳だったなと今は思う。彼の人生はどうだったろう?と考えたら、娘も結婚し孫もできて満足だったのじゃないかなと、何気なくふと思った。

人間いつかはこの世を去らねばならない。明日の朝起きたらあれをしようこれをしようと考えながら、ワクワクしつつ永遠の眠りにつければ最高なんじゃないか。彼は最後は少し違ったようだが、寿命が尽きた事に変わりはない。昔と違って、人は自分の死に方を選ぶわけにはいかないのだ。ただ言えることは、死ぬなんて本人が思いもよらないまま、本人すら気がつかないで逝ってしまうこと、そのことが、思い残すことのない人生の最高の終わり方である。そう思って、M氏との短い別れを終えた。次は誰の葬式に出ることになるのか、今度は自分の番かも。

外は冷たい雨が降っていて、M氏を送るベンツが式場から走り去って行った。

さよなら、Mさん。

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