最初に言えることは、「私が幸せになる方法」は概略既に分かっている、ということだった。それは自分の好きなことを仕事にしてやりたい事をやり、それでお金を貰って生活することだ、と考えている。人に貴方にとって幸せとはなんですかと聞けば、殆どの人がこう答えるであろう。基本はそうである。お金が定期的に入ってくれば、生活が安定して「どうやって生きていくか」という悩みの殆どが解決してしまう。世の中の人の99%は定収入があれば、少なくとも「不幸な生活」からは脱することが出来る。日本は皆保険制度があるから、万一病気になったとしても何とか健康も保つことが出來そうだ。収入の額が多いか少ないかが大事だが、必要最低限の生活レベルは日本国民であれば誰でも一応は保証される仕組みになっている筈だ(生活保護もあるし)。これは、民主国家としての「最低限の仕事」である。勿論、これだけで幸せになれるとは思っていないが、まずスタートラインには立てるだろう。それから後、幸せになれるかどうかは「本人次第」ということになる。
幸い私はコンピュータの出始めにプログラミングに夢中になり、中年になって商品管理をやるようになってから運良くこの「趣味と仕事が同じ」という理想の生活を送ることが出来た。勿論、私に多少の能力があったことは否定しない。小さな会社だったことも幸いしたし、私のプログラミング作成スキルが「事務処理の効率化」という会社の要求とマッチしたこともまあまあ成功した原因である。私は業務に関して何でも自由に変更できたし、誰も口を出す人はいなかった。「完全に自由自在」だったのである。これを「幸せ」と言わずして何と言おうか。その当時、私はまるで「社長になったかのような気分」で仕事をしていたわけである。まあ、私が会社の発展を心の底から求めていたからこそ、会社も私に業務を任せてくれたのであり、決して業務を私物化していたわけではないことは誰の目にも明らかだった。そして順風満帆、楽しく仕事をしていた私が65歳の定年を迎え、そろそろ後継者に道を譲る準備をしなければならないな、という頃に突然「脳梗塞」を発症し、業務の引き継ぎなど一切せずに「責任無し」で仕事全部を放り投げることが出来たのだった。まあ、見方を変えれば私の仕事は「大して必要なかった」とも言えるのだが、社員にとってというよりも「経営陣に必要な情報を扱っていた」ので、現場はそれほど困らなかったのだろうと想像する。これは一つの考え方だが、病気したことでそれまでの過去をスパッと断ち切って、「新しい生活」に簡単に切り替えることが出来たわけである。言うならば「人生の一区切り」を卒業したということになるだろうか。ではその一区切りを卒業したら、次は「どこに入学する」のであろうか?
私はそれ以来、「念願の古代史」とゴルフに熱中することが出来た。勿論、財産は人並み以上は持ってないし、住んでる家も小さなアパートである。結婚はしてないし子供は当然だがいない。友達は少ないし社会的に成功したわけでもない。毎晩グルメに舌鼓打つわけでもなければ、海外旅行に行くわけでもないのだ。これな老後で、果たして「幸せ」だと言えるだろうか?。それがなんと、驚くなかれ「実は幸せいっぱい」なんである!
つらつら考えるに、幸せとは結局は「自己満足」だと思う。しかしそれは一過性のものではなくて、一生続いていくことが大切だ。私はこれを「幸せの永続化」と呼んでいる。どんなことでもいい、自分が心底幸せと感じることを「一生やり続ける」ことが出来るなら、それこそ本当の「幸せな生涯」と言えるのではないだろうか?(確かに)。・・・私はそのためには、逆説的だが「終わらない作業」が必須だと考えた。つまり「何かを求める」のではなく、求め続けている状態「そのもの」が楽しくなくては、幸せな生涯は送れない。これを簡潔に表現すれば、「探求の旅人」ということになるだろうか。目的はなんでもいい、徳川埋蔵金でも良いだろう。それを探究して、いつの日か自分のものにする喜びを「想像する」だけで生きていくことが出来るような、「一生かかっても到達し得ないような高い目標」である。幸せになる方法を見つけるには、結局は「何を」探求するか、その対象を見つけることに尽きる、というのが私の考えだ。これは、死んだら天国に行くとか浄土に生まれ変わるとかを信じて修行する宗教と基本的構造は同じであるが、宗教よりも「相当に幅広い」対象を選択可能にした、より「現実的」な考えだと私は思っている。
というわけで次回は、「その探求するものを見つけることが幸せへの近道だ」という理論を、実際の欲望の種類を考察しながら確認して行きたい。
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