1、国別対抗戦って、あんまり意味なくない?
世の中随分盛り上がっているみたいだけど、日本がどうの何々国がどうのって言うのは、スポーツみたいな「純粋に競技能力の戦い」の場では、どうも相応しくないような気がする。例えば陸上競技なら誰が一番早いかとか、誰が一番遠くまで飛ばせるかとか、要するに「誰が一番か」を争うのが大会の本質である。水泳でもマラソンでも殆どの競技が一番か二番かそれとも・・・という風に、「個人の順位」を争っている。例外が団体競技、つまり野球やサッカーやバレーボールやラグビーやバスケットなどで、これは競技の性格上「どうしても何かの団体」にならざるを得ない、という違いであろう。それでも国籍で区別しているだけで、人種や宗教で団体を組んでいるわけではない。そもそも国家同士で「順位を付ける」というのは、その裏で「どういう意図」があるのか、今一不明である(そもそもオリンピック自体、戦勝記念のセレモニーと考えているのだが)。自分の国の選手が金メダルを取れば、取った国が「一番」だとでも言うのだろうか?。無邪気といえば聞こえが良いが、余り頭の良くない「暴走族的な単純思考」の持ち主なのかな、とも考えてしまう。
まあ、理想を言えば「普段から仲の良いグループの見守る中」で、試合を行って一番を決める、というのが正しい競技方法だろう。そうすれば何の問題もなく「一番という結果」を受け入れることが出来、選手を褒め称えることが可能になる。この一番というのは人間的にとか人格的にとか、社会的にとか学問的にとか、あるいはちょっと格は落ちるがアイドル的にとかというのと関係なく、純粋に「その競技」で一番秀でている者が優勝する。言うなれば、普段は冴えないその他大勢の中に埋もれているようなおとなしい生徒が、突然学園祭の徒競走で一等賞を取り、「いちやくヒーロー」となって、学園の話題を独占するようなものである。これこそスポーツの原点であり、もろもろのしがらみに振り回されたり毒されたりせず、純粋に人間の持つ運動能力の「素晴らしさ」を競うという、まさに「オリンピック精神」そのものだと言える。
そのことから、オリンピックの観衆に求められるマナーは、「友達の輪を広げる」こと、と言えるのではないだろうか。「へえーっ、この選手、凄いじゃない!」と世界への目を開き、新しくファンの輪に加わるのが「正しいオリンピック競技の見方」である。それに比べて「こいつ、失敗しないかな?」などと競争相手を念じ倒すような振る舞いは、厳に慎むべきなのは言うまでもない。勿論、アナウンサーが「ニッポン、金メダル取りましたぁ!」などと我が事のように大騒ぎし、他の国を見下すような心の狭い応援の仕方も、オリンピックを単なるメダル競争としか見ない「レベルの低い」連中のやることだ、と言わざるを得ない。
マスコミも勝てば勝ったで「圧倒的勝利」と持ち上げ、負けた時には「あとちょっとの差で惜敗」などと残念がるのは、どうかと思う。結果がどうあれ「日本ばっかりの放送姿勢」では、オリンピックホスト国の態度としては実に情けないと悲しくなる。例えばカザフスタンの選手が金メダルを取ったら、金メダルは〇〇選手で「こんなに素晴らしい選手です、私は好きになりました」とか、言えないのだろうかと思ってしまう。そんなこんなで、オリンピックは少し食傷気味になっています。後は卓球の伊藤美誠のシングルス金メダルを見たら、もうオリンピックはいいかな、って感じ。
世間じゃコロナ再爆発で、オリンピック精神も雲散霧消みたいだし。何だかなぁ、・・・オリンピックも「つまんなく」なってきたね。
2、公私混同を考える
まず、何故地球だけが複雑な生命現象を生み出したのか、である。まだ地球外生命体の存在は、残念ながら確認されていない。地球の生命環境については、これは「殆ど奇跡だ!」と考えることも、一応出来るかも知れない。例えば、あと少し軌道が内側にずれていれば、太陽の熱で表面は今の何倍も高い灼熱の地獄となる。またちょっと外側にずれていれば、今度は熱が届かないために極限の氷の世界になっていただろう。その他幾つもの条件が一つでも欠けていたなら、今の我々は存在していないのだ、云々。確かに地球はいくつもの偶然が重なって出来ている奇跡の星である。・・・と、地球の稀有な条件を片っ端から挙げていけば、人類にとって「とてつもなく最高の環境」が揃っていた、と言う意見は尤もである。この広い宇宙で唯一無二の天体、地球・・・。美しい青色に輝く奇跡の天体、地球・・・。これは、我々人類の自尊心を大いにくすぐる。そんなに特別な存在だったんだ、と言うわけだ。
だが、よーく考えてみよう。地球が今の位置からずれていて、今ほど環境も特殊でなく奇跡の星でもなかったとしたら、別の他の星が同じような場所に存在していて「同じような奇跡の星」になり、「樹木星」とかいうような名前で呼ばれているかも知れないのである。或いは今と違う新しい場所で46億年過ごした「新地球」は、今の環境とは全然違う星になっていて、そこに我々の考えている生命とは「かけ離れたもの」が繁栄し、生命活動を謳歌しているかも知れない。要は、地球が特殊な環境なわけじゃなく、ごく普通の場所に星があり、「そこの環境にたまたま合った生物」が我々だった、というのに過ぎない。つまり「地球」という名前をつけるから「何だか特別な存在」のように思えるが、これを「太陽系の三番目の惑星」と考えれば、実体は普通の惑星の一つに過ぎなくなる。たまたまそこの環境に生息していた人類と言う生命活動体が、自分の星を「美しい」と感じただけである。勿論、この美しいという感覚も「別の生物から見れば」何か得体の知れない異様な世界に見えるだろう。これを「一般化の法則」と呼んでおく。
これを人間の世界に当てはめてみると、例えば織田信長が「飛び抜けて時代を先駆けていた戦乱の英雄」なのではなく、そういう人間が「たまたま織田信長という名前だった」というわけだ。どちらを主に考えるかで、答えは全然違ってくる。歴史上の有名な人物がたまたま織田信長ではなく「別の〇〇と言う名前」の人間だったとすれば、多少は教科書も書き換えなければならないにしても、実際の歴史にとっては「どうでも良い」ことだとも言える。要は「ある人物が戦乱の世の中を統一する寸前まで行ったが、部下に殺されてしまった」という事実である。場合によっては織田信長は運悪くちっぽけな戦闘で討ち死にしてしまい、代わりに〇〇と言う「知られていない存在」が天下を統一していた「かも」知れない。我々後世の人間にとっては「どっちでも良い」ことなんだが、本人にしてみれば「天と地」の差がある大問題であろう。我々の考える歴史には「決定された事実」しかないが、実際にその時代を生きている人間の目には「全然違った世界」が見えているものだ。物事は「特別化するよりも、一般化することで」生き生きと動き出す。これは重要なことだ。
私が考えたのは、実際に活動している人々にとっては、自分の名前というのは余り重要ではなくて、AであってもBであっても「どうでもいい」と言うのが本音ではないだろうか。名前はただ、あの人とこの人を「区別する」ためにある。名前というのは「単なる識別記号」でしかないというのが現実の世界だ。現実世界では名前より重要なのは、その人が「どんな人間か」である。ただ、その人を他の人と区別するために「一応、名前」があるに過ぎない。その時に大事なことは、或る人間の社会的・歴史的業績を評価する時と、その人の「個人的なこと」とを、全く関係がないこととして「峻別する必要」があると言う点である。これを生活している実態に即して言えば、人物の偉大な点は「記号として」扱い、個人的などうでも良い点は「その人の個性」にする、と言う方法である。これが世の中を見るための正しい方法だ。
これを現実の生活に当てはめると、素晴らしい政策を実行したら「A首相の業績」であり、パンケーキが好きだったら「菅さん」の好みというわけだ。これで公私混同をしなくても済む。
3、宮下草薙とかまいたち
今一番面白いのは宮下草薙の「宮下」と、かまいたちの「山内」である。二人とも「話術が秀逸」で、特にラジオでその話術を発揮している。宮下は毎週金曜日の TBS ラジオ「宮下草薙の15分」で面白エピソードを語ってはリスナーを笑わせており、草薙のエキセントリックな芸風と比べて「話の展開に、ライターとしての技術の高さ」を感じる。一方山内は最近「一種サイコパス的芸風」を得意としているように見えて、実は「語りと状況描写力」に長けている。こちらは月曜日の同じく TBS の「かまいたちのヘイ!タクシー!」が面白い。宮下の面白い点は、何気ない日常の中で他人の「些細な面白い行動」をツッこむやり方である。特に状況説明の前振りが「素晴らしくよく考えられて」いて、真夜中にアパートの前で口論する男女の前を「ハモニカを吹きながら通り過ぎる」男の話とか、台所から悪臭が漏れてくるのを直しに来た「業者の男のマスク」の話とか、非常によく考えられた短編を聞かされているかのようで、私は宮下の「ストーリーテラー」の才能は半端なものではないと思う。山内の方は濱家のアシストもあるのだろうが、ちょっと前の「飛行機に乗り合わせたエゲツナイおばさん」の落ちなど、今思い出しても笑が込み上げてくるほどの秀逸な描写力は見事である。
いずれも聞くものの期待を「一つも二つも外して」、予想外の答えを引き出す「独特の視点」で笑いを引き出す、上質な笑いの見事な芸である。世の中この頃「品性下劣」を売りにする無芸のエセ芸人が多くてウンザリしている中で、頭を使った「想像力の駆け引き」で笑いを取る「王道」のエンタテイメントなのが嬉しい。しばらくはこの二人の「面白い話」で夜も楽しく過ごせそうだ。
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