明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

人生楽ありゃそれがいい

2018-01-28 21:00:00 | 今日の話題
この所随分と間が空いていたが、久し振りに怒りのブログをぶっ放してみた。今日柏駅のカルディへコーヒーを買いに行ったが良いのが無く出ようとしたら、出口でスイカの戻し処理に「ガチ頭の固い駅員」がいて、入場券代140円を払わされたのだ。いつもは「間違って入ったので」と言えばすんなりと戻し処理してくれるのだが、今日の駅員は「今まで見たことも無いどうしようもない馬鹿」で、とにかく入場券がかかるの一点張りなのだ。マジマジと顔を見たが「何か?」と、全く動じないその態度にはさすがの私も「心底」呆れてしまった。何か自分は正しい行いをしていて、何一つ天に向かって恥じることが無いとでも言わんばかりの傲慢不埒な姿勢は、ある意味「ヒットラーの全体主義国家を彷彿とさせる」問答無用の恐ろしさがある。これは規則を取り締まる側が陥る「典型的な上から目線」なのだ。確かにJRの利用者である私は、その規則に同意して電車を利用している以上、現時点で文句を言う筋合いはない。だが世の中には独占禁止法というのがあって鉄道などは引っかかるだろうし、考え方から言っても「何しても良い」わけではないだろう。例えば小田急と京王とJRが利用できるような駅では、嫌なら「他を利用する」という手がある。しかし柏ではJRしかないのだ。これでは利用者は泣き寝入りするしか方法が無いのだろうか。果たして駅員の主張する「規則」なるものに、どんだけの正当性があるというのか。

私が駅での被害に遭ってから既に20分が経っているが、まだ怒りが収まらない。私はこういう怒りについては「徹底的に自己分析して、答えを見つける」性格なのである。仕方ないからドトールへ行ってちょっと落ち着こうと思ったが「日曜なので混んでいた」ので、少し戻って駅前のベッカーズに入ってコーヒーを飲むことにした。ベッカーズは相変わらず「思い思いに勝手なことして、全く他人を気遣わない近所の公園」みたいな気楽さが気に入っている。今日はAmazonで注文したDリング付き長財布がようやく届いて、すっかりウキウキ気分なのである。本当は「到着予定日は昨日」だったので朝から待ち続けていたのだが、届かずに今日にずれ込んで先程やっと着いたのだ。今までAmazonで到着予定日に品物が届かないなんてことは無かったので、昨日は12時まで「やきもき」していたがとうとう着かなかった。それでサイトの配達状況を開けてみると、なんと到着予定のうしろに「でした」と書いてあるではないか!思いっきり笑えた。Amazon、さすがに正直である。配達に来た郵便局員からUパックを受け取ったら、到着予定日欄は空白になっていた。これは発送者の不手際だな、で一件落着である。何しろこのhiromaru.jpの長財布は「今の所、最高の財布」だから、多少のことは許せるのだ。

で、その特徴は以下の通り。

1 中身をしっかりいれても厚みが1センチほどで「とても薄い」。他の二つ折り財布はカード類が嵩張って2、3センチはいってしまう。この薄いということがメンズ財布にとっては重要なのだ。ズボンのポケットにすんなり入る。

2 小銭入れ部分がジッパー無しで、実に簡単である。これは造りが難しいかと思い来や、何ということはなく実現しているところが画期的だ。まあ現金などという過去の精算構造にしがみついている間は、日本は世界からどんどん取り残されてしまうと思うが、それでも未だに多くの店が「現金しか使えない」ので不本意だが致しかたない。私の生活範囲では、ゴルフ練習場と床屋とコインランドリーとココス(何で?)である。これはどうしようもない。

3 札が折らずに入って、気持ちが良い。時々新札が手に入ることがあって、そんな時は意味なく喜んだりする。単純である。綺麗なものはできるだけ綺麗なままに取っておきたいというのは、誰しも持っている「生来の感情」だとおもうがどうだろうか。断捨離していらい「古物」は興味があっても「持たないことにしている」以上、美術館や博物館はもとより種々の「古い美しいもの」には、出会ったときが最後と決めて臨むことにしている。

4 カード類の出し入れが少し硬いが、これはどれも最初は同じように硬いので、いまに柔らかくなると思って使うことにする。しかし外側にジッパーが付いているのだから、中のカード入れ部分はもっと「ゆるく」作っても良さそうなのだが「どれもギチギチ」に作ってあって、「うちの製品はピッタリに作ってあります」と胸を張ってるようで、馬鹿みたいである。右手が麻痺してるせいか、カードが出しにくくて苦労する私の身にもなって欲しいのだが、お客のことなど一切考えないらしく、職人というのは使いにくくても「ピッタリに作る技術」なんて役に立たないことに血道をあげる動物らしい。ほんのちょっと「ゆるく」するだけで、格段に使いやすくなるのだがわからないのだ。経年劣化でゆるくなる、と思っているなら「ゆるゆるになったら買い直す」か、「最初から少し使っておいて、ゆるゆるになった物を出荷する」とか、ちょっと考えればいいのに。まあこれはhiromaru.jpの財布に限った話ではないのでしょうがない。

5 この財布の肝だが、「Dリング」が付いていてセキュリティがいい。長財布はお尻のポケットに入れて持ち歩くが、このDリング的なセキュリティのあるなしで「全然使える使えない」の差が出てくる。Dリングがないと「盗まれたり落としたり」するので使えないのだ。真夏の満員電車に「セキュリティ無し」で長財布を尻ポケットに突っ込む勇気は、残念ながら私には無い。ただ外側に一個ポケットがあって、そのジッパーの引手が出っ張っているデザインなので、出す時引っ掛かって少々困る。ここはスナップで留めるか、「位置を反対側のDリング 側」にするかして欲しいところだ。チェーンが付くDリングは「当然手元側に付くのが正しい」に決まっている。スマホのイヤホンジャックも「何故か頭側に付いている」ものが多くて使い勝手が悪いのだが、メーカーは何を考えているのだろう。何故か日本人は「肝心要のところで」、使い勝手より「見た目」を優先する民族で理解し難いのだ。この財布も全周ジッパーは「下から上」なのだから、ポケットのジッパーも下からにすればよいのに、これは上から開けるように付けてある。こんなところが「如何にもスタイリッシュで、ほんとは使えない日本製」の面目躍如である。

6 革の質感と作りに関しては合格点である。色はブラック・ショコラ・キャメル・ネイビー・カーディナルとあったが、カーディナルで正解である。派手目の赤茶であるが、私にはこのくらいの存在感で丁度良い。とにかく財布としては、いままでで「一番気に入った品」である。

早速今までの「イタリア製ミラグロ二つ折り財布」から中身を移し替えて外に出た。気分は最高である。ついでに朝洗った髪をバッサリと事務用のハサミで切って別人になった高揚感で歩いているうちに、スイカのビューカード・ポイントが「ボーナスで1600点も」加算されているのを思い出して、駅に行ってビューカード・サンクスポイントをスイカに移した。4000円分である。何がボーナスなのか知らないが、ただで得したので不問に付した。このあたりは、自分の利益になれば万事物事に執着しない、というお気楽な性格が出る。それでルンルンで駅の構内から出ようとしたら、「駅員の馬鹿がつまらない規則を盾に難癖」をつけてきた先程の話に戻るのである。もう、これ以上無いという素晴らしい一日が、たった一人の馬鹿のお陰で「台無し」になったのだ。。どうしてくれるんだよ、JR柏よ!

私も不満をぶつけるばかりでは「ただの怒れる後期高齢者」になってしまうから、ここは駅員の言い分も考えてみた。

1 切符は「乗車する駅の改札から、降車する駅の改札まで」の、構内利用料金である。電車に乗ったルートは関係ない。というか、切符には乗車料金となってるが、「乗車したかどうかすら」料金の上では考えてはいないのだという結論に達した。A駅の改札から入ってB駅の改札を出たら、否でも応でも所定の料金がかかるのである。切符は乗車券とはなっているが、要は「どこから乗ったかの証明」でしかない。なるほど。

2 では、入場券はなんなのかというと、「予測し難い不正による損害を、予め無差別に抑止する」為に設定したもので、料金に対応する「サービスが何一つ無い」という、無茶苦茶な暴利である(私の考えだ)。

一体、この世に「入っただけで何もしないのに金を取る」という「ぼったくり店舗」があるだろうか?しかも公共性が天井知らずの鉄道であるのに、だ。ディズニーランドじゃあるまいし、今どきJRは「どの面下げて入場料を取り続けているのか」、いっぺん国会で聞いてみたいもんである。ついでだが、NHKの視聴料と合わせて「平成の二大悪」と言っても過言ではない。その改札を通った構内に「カルディ」はあるのである。カルディこそ「良い面の皮」ではないか。これで「ちょっと寄ってみる」なんて芸当は、恐れ多くも柏駅の「例の馬鹿駅員」がいる限り、出来なくなってしまった。まあ柏駅のカルディは品数も少なく「店員もそれなりに可愛くない」ので、私はこの際すっぱりと利用をやめることにした。土台、駅ナカに多数のショップを誘致してまで売上増進に苦慮しているJRが、ちょっと店に立ち寄ろうとしたら「入場券を140円いただきます」と高らかに宣言するっていうのは、どんだけ銭ゲバ根性なのか「駅長を呼び出して吊し上げてやろうか」位の剣幕で怒っていた私だが、こういう素朴な疑問を抱かずにひたすら規則の遵守に邁進する馬鹿駅員を育てて「立派な教育が出来ている」と内心喜んでいる上司がいるのかと思うと心寂しく、「慨嘆夜空を覆う」式のなが〜い溜息をグッと飲み込んだのであった。

髪の毛は床屋に水曜日の二時の予約を入れたので、それまではブツ切りなんである。二時間ほどベッカーズでブログを書いて、それからトットと家に帰った。最近は右手もだいぶ回復してきて、BlackBerryのキーボードも相当早く打てるようになって来た。少しずつ本来の自分に戻って来ている、そんな実感がグイグイ湧いてくる。本来の自分と言ったが、それで何かがプラスになる訳ではなく元に戻るだけの話だが、「それが素直に嬉しい」のだ。人間どこで幸せを感じるかわからないものである。もちろん回復せずにそのままの人が大半だろう、苦しいと思う。私はラッキーなのだ。そしてこの人生のラッキーを「精一杯楽しもう」、という気になっている。良いことづくめだ。

ここ1週間ばかり、Amazonでヘッドフォンの比較をやって楽しんでいた。TIME紙でヘッドフォンのランキングが出て、「オーディオ」についての認識を新たにしたのがキッカケで研究を始めたのだが、色々ありすぎて「絞れない」迷路にはまり込んでしまった。ブログを更新していなかったのも、ヘッドフォンに熱中し過ぎてたというのが真実である。候補はTIME一押しの「SHURE」、伝統の「BOSE」、人気の「AKG」、いぶし銀の「sennheizer」の4メーカーである。が、Bluetoothにノイズキャンセラー機能と、選択肢が全域に広がり「ワイヤードでバランス接続」などという技も覚えて、「SONY」 を買っとけば間違いないという天然お気楽な状態では、もう無くなってきたのだ。こうなったら「いつもの何事も極めるまで止めない」性格が災いして、どれが良いのかわからない状態の真っ只中に沈没しているのが現在である。

augustの「Bluetoothでノイズキャンセラー付き」のヘッドフォンも、エイジングをしている内に「聴ける音」に多少はなって来た感じもあって、やっぱりヘッドフォンは「慣れ」であるというのも一理ある。だが「へんてこな音に慣れ」てしまっては元も子もない、音楽ファンを自称する私にはちょっとまずいのである。「音にはうるさい」っていうのが、評価基準としては是非とも欲しいところなのだ。そこで、ヘッドフォンについてはもう少し勉強することにした。いずれブログで報告したいと思っているのでご期待して頂きたい。

と、このブログを書いている内に「トンデモナイ馬鹿駅員」のことも、忘れている自分に気がついた。人生は楽しいものであるべきだ。それを単なる駅員なんかに邪魔されていいものか。うーむ、そう思うと、なんだか急に元気が出てきた。ちょっとコンビニに行ってツマミを買って、とっておきの「日本盛の生原酒大吟醸」を飲もう、人生に祝杯!である。

何の祝杯か?なんて、まあ良いじゃないでしょうか、毎日が祝杯ですから。何が起きても自分が好きにさえなれれば、この世は楽園です。

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